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「清明節」プチ旅行~①山東省臨沂市『王羲之故居・五賢祠』編

2008年04月03日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
4月3日(木)
明日は「清明節」という、春分から15日後の節日なんです。
先祖の墓参りをする日らしく、日本で言う「お彼岸」ですね。
去年までは休日ではなかったんですが、今年から「労働節(5月1日)」の「長期休暇(と言っても1週間ほどですが)」を、この「清明節」と分散させる政策になったようです。
…と言うワケで、今日の午後から日曜まで3日半が休日になりました。
でも、この休日を知ったのは、2週間ほど前でして…。
「春節」休暇が終わった後は、「労働節」まで長期休日が無いと思ってましたからね。
でも…3日半で行ける所、行きたい所って言ってもなぁ…
そして何とか「三国史跡」をピックアップして、ハントしに行く事にしました。
これが、今回の「旅程」です。
4月3日 山東省臨沂市『王羲之故居・五賢祠』
4月4日 江蘇省宿遷市泗洪県『呂布像』『子敬泉』
4月5日 江蘇省徐州市睢寧県『白門楼』
4月6日 江蘇省徐州市→帰宅
それでは、史跡ハントのレポートを見てくださいね。

今日は午前まで授業がありました。
…と言っても、俺は今週は「資料翻訳」の仕事でしたが。
もう仕事場に旅の支度をして行って、11:35午前4時間目の終了のチャイム後、そのまま学校を出発しました。
11:45学校近くから「タクシー」に乗り、11:55「青州客運総站」に着きました。
今回の旅は、まず「山東省臨沂市」から行きます。
ここは以前『諸葛亮故里』をハントしに行ったときの目的地でしたね。
12:00「臨沂」行きの「バス」に乗りましたが、発車したのは12:30でした。
前回は「臨沂」に着く前の「沂南」で途中下車してしまっていますが、帰りは「臨沂」から「青州」まで5時間近く掛かっているので、「臨沂」に着くのは17:30くらいか…。
今日は出来れば「臨沂」の「王羲之故居」に行って、明日は朝から「江蘇省宿遷市」へ向かいたいんだけどな…
本来の目的地は「江蘇省宿遷市」なんだけどさ、今日半日で行ける範囲って限られていますからね。
それなら「江蘇省宿遷市」の手前の「山東省臨沂市」まで出ておいて、「王羲之故居」内の「五賢祠」にある『諸葛亮』の塑像だけ見ておこうと思っていたんです。
12:30「バス」は発車しましたが、14:45ごろ「沂水」辺りで「バス」が停まり数人の人民が降りて行きました。
中国の「長距離バス」で途中下車や途中乗車なんて当たり前なんで気にしていなかったんだけど、「運転手」が俺に何やら言ってきやがる…。
でも、何を言われてるのか全く分からないぞ…
「券を見せろ」と言われたのは分かったんで見せると、「降りろ」と。
ここは、まだ「臨沂」じゃないのに…
そしたら、いつの間にか後ろにもう1台「バス」が停まってて、「移れ」って事のようで「バス」を移されました。
でも、どちらも同じ「臨沂」行きなのに「何で?」って思ったけど、ムカついたのは席が無いじゃんかよ 
初め最後列の通路が段になってるんで、そこに布敷いて「座れ」と。
せめて「折りたたみイス」に座らせろよ
頭に来たんで座らずに立ってたら、それは「違法」になるようです。
結局最後列の右端の席が空いてたんで(ソファー部が壊れてる)、そこにしゃがんで座ってました。
まぁ何とか、15:00に着いた経由地「沂水」で人民が数人降りたから席に座れたけどさ。

17:00「臨沂」に着きました…が、前回(2007年7月22日)に来たときの「汽車站」と違うぞ。
「王羲之故居」は市の中心近くにあって、以前の「汽車站」も市の繁華街にあったので、「汽車站」に着けば割と早く「王羲之故居」まで行けると思ってたのに…「ここはどこなんだ?」
どうしようも無いんで、17:05「汽車站」で「タクシー」に乗り、「王羲之故居まで」と言った矢先に、ある人民(オッさん)が近づいて来て、俺が乗っている助手席のドアを開け、前に置いてあった証明みたいのを持ち去って行ったんです。
なんか中国の「タクシー」って車を「使い回し」してるのか、よく「証明の写真と運転手が違うじゃん…」みたいな事があります。
「運転手」も降りて、その「オッさん」と口論を始めました。
「ダメだ、こりゃ」…喧嘩の原因は何だか分からないけど、巻き込まれたらイヤだから「タクシー」を降りて、「輪タク」で「王羲之故居」に行くことにしました。
「15元」と言うので、まぁまぁ遠いのかも…
「王羲之故居」は今のシーズンなら18時まで開いてるようだけど、確証は無いからね。
急いでくれ「輪タク」の「オバちゃん」

17:30「王羲之故居」に着きました。
「入場券(30元)」も買えて、中に入れました。

「王羲之(307年 - 365年)」とは「東晋」の「政治家」「書道家」で「書聖」と言われており、末子の「王献之」と併せて「二王」とも評されました。
「唐」の「太宗(李世民)」は「王羲之」の書を愛し、これを2297紙収集し、崩じたときに『蘭亭序』を含むすべてを一緒に「陵墓」に埋めてしまったと言われています。
そのためか現存する「王羲之」の「真筆」は存在しないと言われており、現在「王羲之」の書とされているものも、「唐」代に「太宗」の命令で複写したもの及び、「太宗」が作らせた「拓本」のみであると言われています。
後世になると、「唐」代の複写本ですら貴重となり、質の悪い「王羲之」のコピーが手本として多数出回っていたといいます。
現在では「唐」代の複写本も貴重であるため「国宝」として指定され、「上海博物館」が巨額を投じて「宋」代の拓本を入手しているぐらいである…と。

これは「碑廊」です。

青年時代の「王羲之」だそうです。

これは「琅邪書院」です。

中には、いろんな建物があるんだけど「三国史跡」じゃないから名前も覚えていません…。

しかも閉館間際に来てるんで、ほとんど「鍵」が掛かってました。
とにかく、俺の獲物はこの「王羲之故居」内にある「五賢祠」の『諸葛亮』だけです。
一体「五賢祠」は「どこ」なんだ?

おいおい…これで「五賢」ってか?

入場券には「世界最大≪蘭亭序≫石壁」と書かれていました。

「王羲之」の塑像は見つけましたが、「五賢祠」は?
そこにいた従業員の「オネエさん」に「五賢祠はどこですか?」と聞くと、「もう、ここも閉めるから連れて行ってあげる」と。
「オネエさん」に付いて行くと、「入場券」を買った門を出てしまいました。

「五賢祠」は隣りにありました。
(入るには、もちろん「王羲之故居」の入場券が必要です)

やっと『諸葛亮』の塑像のハントに成功しました。
中央にこの『諸葛亮』の塑像があって、向かって右側には「王祥」、左側には「顔真卿」などの塑像もあります。
一応『諸葛亮』を含め、「臨沂」地域出身の5人の著名人の塑像があるんで「五賢祠」です。
この「五賢祠」も閉館する寸前の所を「鍵」を開けてくれて見せてくれたんです。
そしたら、そこにいた従業員に「御香どうだ?」と。
初め、太い「御香」を出されたけど、こんなの30元以上「お布施」を取られそうなんで、細い御香にしてもらった(わざわざ鍵を開けて待っててくれてたんで断り切れなかった)んだけど、「これなら5~10元でいいや」と思ったら「細かいお金」が無いよ…
こんな「お布施」でお釣りが出るワケ無いし…
あ、サイフの中に「ニセ20元札」入れたままだったぞ…。
俺にとっちゃ使用することは出来なくても、20元の価値はある(だってお釣りとして貰った20元札がニセ札だった)んだから、「これを寄付しよう」と。
ニセ札を「お布施」として賽銭箱に入れてきちゃった。

「五賢祠」付近にあった「財神殿」の『関羽』像です。

何の「石碑」か、よく分かりませんが…。

「五賢祠」付近にも「王羲之」像がありました。
そして、18:00「王羲之故居(五賢祠)」を出ました。

これは「王羲之故居」裏手の「蘭山路」にある「天主堂」です。
以前中国のサイトで、この「天主堂」近くに「関帝廟」があるという情報があったんですが、やっぱ「ガセ」だったかな…。
とりあえず今日は「五賢祠」の『諸葛亮』をハントしたんで、あとは「ホテル」を探すだけです。

「ホテル」を探して歩いてたら「臨沂人民広場」に出ちゃったよ…。
この広場も前回(2007年7月22日)来て、『諸葛亮』の石像をハントしていますが…

またハントしちゃいました。
前回来たときの「汽車站」近くには「ホテル」がけっこうあったんだけどな…もう「どこ」だか分からないし。
この広場近くの「ホテル」を2軒当たってみたけど、どちらも「200元」以上でした。
もう「王羲之故居」を出て1時間近く歩いています。
まだ、30日に痛めた「足の裏(みずぶくれ)」が完治していないのに…
3軒目の「ホテル」(もう付近にはホテルは見当たらなかった)で「180元」でしたが、これ以上歩きたくないので「そこ」に決めました。

夕飯を近くの「DICOS」で買って…

近くに「スーパー」が無かったんで「カップラーメン」は無いですが、定番ですね。

明日は「江蘇省宿遷市」に行きます。
フロントの「オネーちゃん」に「汽車站」の事を聞いたら、今日着いた「汽車站」は新しく出来たらしいんです。
確かに以前の「汽車站」は繁華街にあって渋滞の原因になってたからな…。
じゃあ、明朝はまた「新汽車站」に行かなきゃならないんだな。
「事前調査」では、7:20発の「宿遷」行きがあるようでした。
初日は「臨沂」まで出て、「五賢祠」に行く…という予定通りに進みましたが、明日以降の史跡は情報が少ないのでハント出来るかどうか心配だな…
でも、頑張るぞ 



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