史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

 ご意見・ご感想・ご質問など、気軽にメッセージください!

三国史跡ハント・ファイナル~⑧湖北省当陽『玉泉寺』編

2008年02月04日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月4日(月)3/3
13:40「タクシー」を拾って『玉泉寺』に向かいました。
「運ちゃん」には40元と言われたけど…仕方がない。
どうやら「路線バス」は「玉泉路口」まで行き、そこから『玉泉寺』までは「乗合タクシー」や「輪タク」で行くようです。
「タクシー」で「玉泉路口」前を通ると、停まっている「路線バス」は「2路」でした。
何だよ…「2路」ならロータリーで何台も見てたのに…ずっと「6路」だと信じてたから気に掛けてなかったよ…

14:00『玉泉寺』に着きました。

「タクシー」には「大門」で降ろされていたので、中まで歩いて行きました。

こんな景色の中を『玉泉寺』まで歩きました。

『玉泉寺』内には、いろいろな建物がありました。

「青龍洞」です。

『玉泉寺』は改修中のようで中は見れませんでした…。

『玉泉寺』から右側へ続く道を進むと…「関廟」がありました。

「関廟」の門です。

「天下第一関廟」とは大きく出たねぇ。

中に入ると「忠義仁勇」の文字が。

こんな「石画」もありました。


すべて『関羽』の活躍を描いたモノですね。

「本殿」には「周倉」『関羽』「関平」の塑像と、

左側に『張飛』、右側に『劉備』の塑像が。
さすがに「関帝廟」じゃ、『劉備』は端だね。

「漢雲長顕聖処」の石碑です。
「水関(河南省)」の「鎮国寺」で『関羽』と知り合った老僧「普浄」がこの寺で座禅を組んでいると、『関羽』の霊が出て来て「俺の首を返せ!」と叫んでいました。
「普浄」は言い返しました。
「それでは今まで貴公の手にかかった武将達はどうか」と。
すると『関羽』はハッと我に返り、「普浄」の弟子になり、その後この地に「霊験」を現して住民の加護をしたそうです。
これはもちろん「三国演義」の中での話ですが、『関羽』が死んだ後は「神格化」させるためか、『関羽』の霊がよく出ます。

「最先顕聖之地」の石碑です。

「珍珠泉」です。
14:40この付近に「当陽」行きの「乗合タクシー」が停まってたんで、それに乗って「長坂坡」まで戻ることにしました。
今度は「30元」でしたが…
15:00「長坂坡」のロータリーに着きました。
そして、15:10「1路バス」で「当陽站」に向かいました。

15:35「当陽站(列車)」に着きました。
ここから『張翼徳横矛処』まで歩けるらしいんだけど、方向が分からず迷ってしまいました…

また「当陽站」に戻り、16:00「輪タク」を拾って『張翼徳横矛処』に行きました。
この場所こそ「長坂橋」があった所で、『張飛』の仁王立ちの地です。
今はこの石碑があるだけなので、写真だけ撮って、待たせていた「輪タク」に乗って、16:10「当陽站」に戻りました。

16:35再び「1路バス」で「長坂坡」へ。
この「当陽市汽車客運站」から「宜昌」に向かいます。
16:45「宜昌」行きの「バス」は発車しました。
18:10「宜昌」に着き、「汽車站」内の「マック」や近くの「コンビニ」で「ラーメン」などを買い、19:00「ホテル」にチェックインしました。
「宜昌汽車站」では翌日の「雲陽」行きの乗車券を調べてた(事前の調査では17:30発の「雲陽」行きがあった)けど、電光掲示板には無く、16:30発の「奉節」行きがありました。
案内係に明日の「奉節」行きを聞くと…「無い」ってさ。
これで「重慶市奉節」「重慶市雲陽」に行く道は閉ざされてしまったか…

これが本日の夕飯です…って毎日同じやね。

「ホテル」は120元と、そんなに高くない割には綺麗だし…

何と言っても「バスタブ」があるのが最高でした
中国の「ホテル」で「バスタブ」があるのって珍しいんでね。
(もっとも「高級ホテル」なら普通に「バスタブ」くらいあるんだろうけどね…
湯を溜めて、ゆっくり浸かり、旅の疲れを癒すことが出来ました。
明日は「宜昌」の「三国史跡」をハントするぞ 



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三国史跡ハント・ファイナル... | トップ | 三国史跡ハント・ファイナル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)」カテゴリの最新記事