
さて今日はまず「陝西省宝鶏」に出て、それから「五丈原」で『諸葛亮廟』を見て、「山西省運城」まで行けたら行く…というハード・スケジュールです。

“三国「蜀」終焉の旅”も、ここが最終地かな。
明日、明後日は『関羽』に関する史跡だけですから。
5:30に「起床」し、7時に切符を買うつもりで、6:45に「天水汽車站」に着くも、昨日応対してくれた「ネーちゃん」は「ちょっと待ってなさい」と言います。
7:30くらいになっても何も対応してくれず、「どうすればいいんだ…」と困っていると、「掃除のオバちゃん」が「どこまで行くんだい?」と。
「宝鶏に行くんだけど、いつになったら切符が買えるのか分からない」と話すと、「買って来てあげるから、お金よこして」と言います。
「オバちゃん」に切符を買って来てもらいました。
結局「バス」は8:00発のようです…

その後も「オバちゃん」はいろいろ話し掛けて来ます。
「ご飯食べて来たのかい?」と「マントウ」をくれそうになりましたが「いいから、いいから」と断ります。
だって「マントウ」だけ食っても美味しくないんだもん。

8:00「バス」は発車しました。


「宝鶏」まで3時間くらいで、「11時には着くだろう」と見込んでいたのに、これまた誤算

13:15「宝鶏」に着きました…

今日の史跡ハントは『五丈原諸葛亮廟』だけですが、モタモタしてられないぞ。
すぐ「蔡家坡」行きの「バス」に乗り、「バス」は13:30出発しました。


14:20「蔡家坡」に着きました。
そして14:30「汽車站」前で「タクシー」を拾い、『五丈原諸葛亮廟』まで行くことにしました。


最初「オネエさん(運転手)」は「下までしか行けないわよ」と言っていましたが、『諸葛亮廟』近くまで上がって行けたようです。
14:50「この奥よ」と、着いたようですが、どう見ても帰りの「タクシー」なんて拾えそうに無いので交渉です。
「俺が見学中待っててもらって、また汽車站まで戻っていくら?」と。
この「オネエさん」、メーター倒してないんだもんな…

「オネエさん」は見学に2時間ほどみていたようですが、「1時間くらいで戻る」と言い、「100元」+ここの「駐車場代3元」で手を打ちました。

「タクシー」を降り、『諸葛亮廟』入口に向かおうとすると「ババア」が2人寄ってきて「線香」などを俺に手渡して来ます。

そして「10元

「金取るなら要らねーよ


だから、その辺に置いて来て逃げて来ました。



これが『五丈原諸葛亮廟』入口です。
前にはトウモロコシが干されています…。


この『五丈原』は「蜀」の『丞相・諸葛亮』と「魏」の「司馬懿」の「最後の対決」の舞台となった古戦場です。
『諸葛亮』は234年、第五次「最後の北伐」に出ます。
この戦いで『諸葛亮』は屯田を行い、持久戦の構えをとって『五丈原』で「司馬懿」と長期に渡って対陣します。
しかし頼りにしていた「呉」が「荊州」と「合肥の戦い」で「魏」に大敗し、「司馬懿」は専守防衛に徹しました。
すでに「宿痾」に犯されていた『諸葛亮』はそのまま陣中で病没しました。

234年8月23日のこと。享年54。


門を入ると「魏延」と「馬岱」の塑像があります。

これが「大殿」でしょうか。


この2人が誰なのか分かりません。(名前見落とした?)


「張苞」と「廖化」


「王平」と「関興」


そして『諸葛亮』ですが、黄金の「ツタン・カーメン」みたいやな…



「大殿?」を出て奥へ行くと『諸葛亮衣冠塚』があります。



そして、これは『落星石』といいます。

『演義』では北伐中、『諸葛亮』が「魏延」の危険性を察知し、追撃してきた「司馬懿」を谷に誘い込んで「魏延」共々焼き殺そうとしましたが、雨が降ったことで失敗します。
その後の「最後の北伐」に於いて「病状」が悪化した『諸葛亮』は幕内に「祭壇」を築いて「寿命を延ばす祈祷」を行いますが、唐突に幕内に入ってきた「魏延」がこの「祭壇」を壊してしまったために「祈祷」に失敗し、死去しました。
『諸葛亮』の「死」の時に大きな「流星」があり、「司馬懿」はこれを見て『諸葛亮』が死んだ事を悟り、「蜀」軍に対して総攻撃をかけようとします。
ところが「蜀」軍には『諸葛亮』の姿があり、これに狼狽した「司馬懿」は慌てて引き上げます。
ですが実はこの『諸葛亮』は木像でした。
後に現地の人間は「死諸葛嚇走活仲達」(死せる孔明、生ける仲達(司馬懿の字)を走らす)と言ったといいます。

「八卦陣」です。

最後に「お土産」を物色します。
もう大体今まで見てきた「お土産」と似たり寄ったりです。
ここにも『劉備』『諸葛亮』『張飛』『関羽』の4点セット人形が売っていました。
売り子の「ギャル」は『りゅーべい』『しょかつりょう』『ちょうひ』『かんう』と「日本語(名前だけ)」で言っていますが、どうして『劉備』だけ「中国語」なのさ



『五丈原諸葛亮廟』を出て、入口付近には「三国城」という人形館がありましたが、入らず15:40『五丈原』をあとにしました。

晴れていれば下が見渡せて、『諸葛亮』が持久戦に対して屯田を行わせた『諸葛田』が見えたかも知れません。
そして、また「タクシー」で『五丈原』を下り、16:05「蔡家坡汽車站」に着きました。

案の定「蔡家坡」からは「山西省運城」までは行けず(あっても運城に着く時間が心配だよ)、「西安」まで出ることにしました。

16:30「バス」は出発し、18:30「西安・城西客運站」に着きました。

やっぱ高速道路は速いや

とりあえず「ホテル」を探すために「火車站」に行こうと、18:40「タクシー」を拾いました。

でも、この「ニーちゃん」、メーター倒して、すぐ「ガソリンスタンド」に入ります。

そして「ガソリン」入れてる間にメーター上がっちゃいやんの。


19:05「西安火車站」に着きました。
また「いくらだ?」と、わざと聞きます。
はい、またメーター通りです。

…という事で「テメェがガソリン入れてる間に初乗りが終わっちまったのに、メーター通り払えってのかよ


まったく人民には非常識な奴が多くて呆れるよ。


「ホテル」は「火車站」の並びにすぐ決めちゃいました。
240元は予算オーバーなんだけど、もう19:20だしさ。
そして19:35夕飯を食べに外出します。

この「西安」は5月に1度来ているので(5.2、3 ブログ参照)、「路線バス」に乗って、20:05以前も食べた「日本料理店」に行きました。


「寿司」と「牛肉豆腐」をつまみに「ビール」

久々にまともな食事したな…

20:50店を出ました。
やっぱ「日本料理」はサイコー



以前のブログにも載せていますが、「西安」市内の中心にある「鐘楼」です。
また「路線バス」に乗り、21:40「ホテル」に帰りました。
明日は「陝西省西安」


それでは、また明日…

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