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史跡ハンター 臥龍

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第1回 パワースポット&史跡めぐり&グルメ in 小田原

2014年05月03日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
5月3日(土)
今回のこの企画は、近所に住む俺よか一回り以上年下の同僚が、俺の旅話を聞いて「小田原に行きましょうよ~」って言うんで実現したんだよ。
俺としては「小田原」はハント済みなんだけど、たまにはツレがいる旅(日帰りだけど)もいいかなぁ…って思ってさ。
でも、旅程は俺任せだからさ、結局ハードになっちゃうんだよね…せっかく行くんだから「ここも見せてあげよう」とか考えちゃうんだわ。
そして…どうせ行くんなら俺がまだハントしてないトコも旅程に入れたかったしね。
だから今回も朝早い7:00出発になっちゃった…まぁ同僚にも俺の旅のハードさを体感してもらいたかったしさ。
今回、同僚と2人だけだったら「旅猿」(東野幸治&岡村隆史)になるトコだったんだけど、俺の友達の女子を誘ったら来てくれたんで「路線バス乗り継ぎの旅」(太川陽介&蛭子能収のコンビに毎回マドンナ1名を迎えて3人旅)になるかと思いきや…友達が友達(女子)を連れて来たんで2‐2になったんだよ。
でも友達の友達もアラフォーなんで、20代後半の俺の同僚には悪かった?けど…別に合コンする企画じゃないし、お姉さま方の有り難いお言葉は重いのよ。
彼女らは俺のスケジュールに合わせてくれたのか、前日に2人で「箱根」入りしてくれてさ…朝一から現地で落ち合い、行動を共にすることになってたんだよ。
同僚には当日、「箱根湯本」で彼女らと合流するギリギリまで言わずにおいたんだわ…まさか俺が女子なんて呼んでるとは思わないだろうからさ。


俺と同僚(以後F)は6:50に近所で待ち合わせ(俺とFは歩いて3分くらいのトコに住んでる)、歩いてJR横須賀駅に行きました。

そして7:28発の横須賀線に乗り…7:53「大船」着7:55「大船」発の東海道線で8:38「小田原」に着きました。
これ「大船」での乗り換えに2分しか無いから、当初はその次の8:02発に乗ろうと計画してたからね…それだと後の「小田原」での箱根登山鉄道の乗り継ぎが5分しか無かったんだわ。
それが2分の乗り継ぎで1本早い東海道線に乗れたから、少し余裕ができたぞ。

それから箱根登山鉄道のホームに行き…8:50発の列車で9:05「箱根湯本」に着きました。
ここで前日から「箱根」入りしてる俺の友達(とその友達)と合流したんだけど…Fには直前に「友達(男)が2人ここから参加するよ」って騙してたからさ、合流したのが女子2人だったんで驚いたかな?
そりゃ、普段の俺から女性の気配なんてしないだろうし…まさか「箱根湯本」から合流する人がいるなんて考えてもいなかったろうしね。

無事、女子2人と合流し…まず目指すは「早雲寺」です。
当初、行き帰りとも箱根湯本駅⇔早雲寺は歩くつもりだったんだけど、Fも歩くのダメだし、女子もあまり歩かせたら可哀想だから…9:15駅前からバスに乗って9:18「早雲公園前」で降りました。
距離1.2Km、バス停4つ目で¥170の運賃…いつもの俺なら100%歩いて行くんだけどね。

バス停の目の前には「白山神社」がありました。

まぁ特にパワースポットでもないと思うんだけど…でも神社とかって何かしらのパワーはありそうだけどね。

これは通行できなかったけど「早雲寺惣門」です。

そして「早雲寺」境内へ…って、工事中なの?
最近、3月に日光で「陽明門」「輪王寺三仏堂」、4月に米沢で「旧米沢高等工業学校本館」…が改修工事で観れなかったんで「またか?」って思ったよ。
とりあえず参拝はできそうなんで中に入りました…ここでの滞在予定時間は約20分…メインは北条五代の墓参りだけなんだけどさ。
「早雲寺」は大永元年(1521年)「北条早雲(伊勢盛時)」の遺言でその子「北条氏綱」が京都大徳寺第83世「以天宗清」を招き創建しました。
天正18年(1590年)小田原征伐において一時的に「豊臣秀吉」軍の本営が置かれますが、石垣山に城が完成すると「早雲寺」を含む一帯は焼き払われました。
北条氏の庇護を失って荒廃しましたが、焼失後の寛永4年(1627年)僧「菊径宗存」により再建され、慶安元年(1648年)徳川三代将軍「徳川家光」から朱印状を与えられて復興しました。

これは「鐘楼」です…梵鐘は1330年に鋳造された古鐘で「豊臣秀吉」が石垣山一夜城で使用したと伝えられています。

これは「山上宗二追善碑」です…「山上宗二」は千利休の高弟で小田原北条氏の庇護を受け小田原に滞在していました。
1590年の「豊臣秀吉」による小田原攻めの際、師(千利休)に再会するため本陣だった、ここ「早雲寺」を訪れましたが、秀吉の逆鱗にふれ斬殺されたといいます。

右の墓は「二代将軍秀忠公侍医 曲直瀬家三代 今大路道三玄鑑之墓」だって。

この先にあるのが…

「北条五代の墓」です…右から紹介しましょう。

初代「早雲」、二代「氏綱」、三代「氏康」

四代「氏政」、五代「氏直」と…端にあったのは誰の墓?

全体はこんな感じだよ。
予定通り、9:40ごろ「早雲寺」を出て…次は歩きで「天成園」に向かいました。

そこは昨晩も検索に勤しんで発見したスポットでさ…これで「箱根湯本」まで来た目的が「早雲寺」だけにならずに済んで良かったよ。
その代わり、当初の計画より後のスケジュールが1時間ズレたけど…まぁここで使う1時間の方が有意義だと思ったんでさ。

「早雲寺」から徒歩10分少々…

9:55ごろ「天成園」に着きました。

橋を渡って…

川にはアヒルとカモがいたよ。

「天成園」は温泉宿(ホテル)なんだけど…宿泊・入浴の客以外でも、庭園を観ることができます。

これは「飛烟の瀧」です。

その先に行くと…

これは「玉簾の瀧」です。
歌人「与謝野晶子」もこの瀧の風情にふれ、「山荘へ 玉簾の瀧流れ入り 客房の灯をもてあそぶかな」と歌に残しています。
この両滝の間にあるのが…

「玉簾神社」(江戸時代に創建)です。

石段を上がって行くと…

箱根神社・九頭龍神社の唯一の分宮である「玉簾神社」があります。
箱根大神と九頭龍大神をお祀りしており、縁結びや無病息災、そしてこの地の水の守り神の社として古くから崇められています。

縁結びを祈願したハート型の絵馬が多く奉納されているね。
さて…10:25ごろ「天成園」を出て、ここと箱根湯本駅をつなぐシャトルバス(¥100)に乗ろうとしたんだけど…道が込んでて歩いた方が早いというアドバイスがあったんで、歩いて箱根湯本駅に向かいました。
まぁ俺1人なら初めからバスなんて選択肢に無いけどね…でも次に乗る箱根登山鉄道が10:55だから、まぁ余裕でしょう。

10:45ごろ、箱根湯本駅に着きました。
これから10:55発の箱根登山鉄道に乗って小田原方面に戻るんだけど、逆方面(強羅方面)行きは満車な上に後の列車に乗る人の行列ができてるほどだったよ。
俺らは小田原の1駅前の「箱根板橋」で11:09下車後、50mほど先の「板橋交差点」から11:12に来る「観光回遊バス」に乗る予定だったんだけど…風祭駅で強羅方面行き列車の通過が遅れたのか待ち時間が長くてさ。
ただでさえ接続に3分しか無かったのに…結局「箱根板橋」に着いたときには11:12になってたよ。
でもバスは遅れが予想できたんで少しバス停で待ってみることにしたら…11:20近かったと思うけど「観光回遊バス」が遅れて来て、ちょっと込んでたけど詰めて乗せてもらえました
よしこれはツイてるぞ…ここまでは予定通りだな。

バス停でいえば1区間なんだけど、11:30ごろ次の「石垣山一夜城歴史公園」で降りました。
この「観光回遊バス」は期間中、乗り降り自由で1日¥200というお得なバスで、普段は行くのに不便な「石垣山一夜城歴史公園」もコースに入ってたんだよ。
このバスがあるの知らなくて最初「石垣山一夜城」は旅程から外してたんだけど、いろいろ調べてたら検索に引っ掛かってさ…それもあって7時出発にして「石垣山一夜城」も旅程に入れることができたんだわ。
俺も前回は勤務先の茅ヶ崎からバイクで行ったからね…電車の場合、最寄駅からでも40~50分掛かるらしいからさ。
そりゃあ、女子がいる、いないに関係無く俺自身もイヤだね。

とりあえず「本丸跡」を目指して上がって行きます。

これらも石垣の跡だよね。

ここは「二の丸跡」です。

これはパワースポットといわれている「井戸曲輪跡」です…関東大震災にも耐えた石垣が残っています。
以前はもう少し近くまで入れたんだけど…何か事故でもあったのか?覗き込めるようなトコまで行けなかったよ。(前回のレポートはこちらです)

これは展望台からの景色です。

ここは「本丸跡」です。

「石垣山一夜城」は「豊臣秀吉」が天正18年(1590年)の小田原征伐の際に小田原城の西3Kmにある「笠懸山」の山頂に構築した陣城跡です。

小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせたといわれています。
その後、現大河ドラマ主役「黒田官兵衛」が酒2樽、鱧や鮎などの粕漬け10尾をたずさえ、肩衣袴で刀も持たずに城内へ入り、「北条氏政」「北条氏直」父子と対面して懇切に説得し、穏やかに開城に導きました。
北条父子は「官兵衛」に感謝して「日光一文字」の太刀と「吾妻鏡」を贈ったといいます。

「石垣山城」は石垣や櫓を備えた本格的な近世城郭で、関東で最初に造られた総石垣の城でした。
約3~4万人を動員し、80日で構築したそうで…秀吉はこの城で茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。

展望台から小田原市内が一望できます。

どこに小田原城があるか分かるかな?

12:10ごろバス停まで戻りました…乗る予定の「観光回遊バス」は12:20発なんで、一応間に合ったね。
特に天守閣も無いのに「ここまで来て良かった」…と女子に思ってもらうために、城址の見学後は「一夜城ヨロイヅカファーム」で休憩しようかと思ってたんだけど、今はランチの時間になっちゃってるんだよ。
ちょっと、ここでランチってのは敷居が高いような気もするし、皆はビールが飲めればいいって感じだったからね。
この店のオーナー「鎧塚俊彦サン」と言えば有名なパティシエなんだけど、なんで有名なのか?といえば女優「川島なお美サン」の旦那だからでしょう。
どうでもいいんだけど「川島なお美サン」が主演してたドラマ「失楽園」はDVD化されないのかなぁ?ありゃエロかった…
鎧塚サンは今日開催される「北條五代祭り」に四代「北条氏政」としてパレードに出られるらしいよ。
この「石垣山一夜城」も戦国歴史好きにとっては…恐らくあの時代の名立たる武将が皆終結したであろう地ということで興奮しちゃうトコなんだけど…女子らはどう思ってくれたかな?

「観光回遊バス」は12:20予定通り来て、乗客を詰め込み…「石垣山」を下って行きました。
俺が立てた今後の計画は「万町」というバス停に12:41着予定なんで、そこで降りて近くの「小田原おでん」の店に入れれば(入れなければ近くの他の店で)ビールでも飲みながら1時間ほど昼食タイムにして…13:50ごろ近くを通る武者行列を観るつもりだったのよ。
そしたらさ…小田原城周辺の渋滞や通行止めに巻き込まれ、「小田原城藤棚駐車場」を出たころには予定より20分以上押してたよ。
そしてパレードの通行止めで「万町」の1つ前の「小田原宿なりわい交流館」に着く前に国道1号線に入らざるを得ない状況になっちゃったんだけどさぁ…車内に同乗してるボランティアガイドみたいなオバちゃんは、迂回したまま小田原駅まで向かっちゃうようなこと言ってるのさ。
おいおい、ちょっと待てよ…この状況の路線変更は仕方ないにせよ乗客全員が駅まで行くワケじゃないんだぞ
イベントは今日1日だけど、そのバス路線がパレードの影響で通行できるかどうか事前に分かるだろうが…それを乗客に「万町(や、その後のバス停)で降りる予定だった方は、ここで停車しますので歩いてください」とでも言って停めてくれりゃいいのに、自分らの都合だけで駅まで行っちゃいそうだったんで軽くキレちゃったよ。
それで信号待ちだったときに降ろしてもらったけど、他にも便乗して降りた乗客いたんだから…
もう時間は13:00をとっくに回り…もう付近の店で昼飯にしたんだけど、込んでたのか?ビールはすぐ来たけど食事が全然来なくてさぁ。
ビールをジョッキ2杯飲んじゃって、もうパレード(武者行列)は諦めて注文した食事を待つこと50分くらい?の14:30にやっと来たよ。
こりゃ災難だったわ…バスは渋滞で遅れ、通行止めで目的地まで行けず、入った店では混雑で食事が出て来ないんだからさ…食事代はFがチラっと「サービスしてくれるんでしょ」みたいな発言で割り引いてくれたけど、俺1人だったら飲まず食わずなんで遅れくらいカバーできてたろうけどさ。
店を14:55ごろ出て…歩いて向かったのは「北条稲荷」です。

これは父「北条氏康」の死を老狐の祟りと考えた子「北条氏政」が社を建てて祀り、守護神として崇めた稲荷です。

キツネの顔がリアルで怖いんだけど…

でも、お腹の下に子がいる(左右どちらも)んで…子を守るために威嚇してコワモテなのかなぁ?

その昔、小田原城内には清流が幾筋か流れており、城内の人々がその川の水を生活に利用していたことから、「北条早雲」は川の流れが集まる東口(現 北条稲荷付近)に小田原城東方の守護神として社を建立したとのこと…その後、氏綱、氏康も早雲同様、この社を深く信仰したといわれており、これが「北条稲荷」の始めであるという言い伝えもあります。

ここには「蛙石」と言われる石があります。

カエルに姿が似ているのでそういわれており、元々は小田原城内の庭上にあったものを「北条稲荷」勧請の際、ともに城中よりここに移されたと伝えられています。
明治35年の大津波にも大正12年の関東大地震にも少しの異動もなかったので試みに掘り出そうとしたところ、一丈(約30m)の深さに及んでも下部に達しなかったので、地下岩盤の露出の先端ではないか?といわれています。
この「蛙石」が小田原に異変があるときに必ず鳴声を発するといわれており、小田原落城の際は夜な夜な盛んに鳴いたという伝説があります。
…って、どんな声で鳴くのか聞いてみたいけど、そのときは小田原の危機ってことかぁ…
次は「浜町」バス停から路線バスで3つ目の「市民会館前」で降りたんだけど…このバスも10分以上遅れて来たぞ…GWはどこも込むからかなぁ?

15:45ごろ「松原神社」に着きました。

ちょうど「松原神社例大祭」の最中で次々「神輿」が入って来たよ。

境内にあった「吉兆の大亀」です。
天文14年(1545年)3月、小田原の海岸に現れた大亀を土地の者が「松原神社」の池に持参したところ、三代当主「北条氏康」はこれを聞いて「吉兆なり」とて参詣し、舞を奉納しました。
果たして翌天文15年、関東管領上杉軍八万の兵を、わずか八千の兵で見事に破り(河越夜戦)、念願の関八州の平定に成功しました。
この石亀像はその話に由来して作られたものと思われ、現在でも大亀の甲羅を撫でるとご利益があるとされています…って、撫でるの忘れてたわ。

このトイレ近くのイチョウの木付近がパワースポットらしいんだけど…俺みたいに感じないヤツは何も感じないんだよねぇ、パワースポットと分かってて来てもさ。
16:00ごろ「松原神社」を出て…ようやく「小田原城」に行きます。 (前回のレポートはこちら

これは「銅門」です…でも中の片付けがあるため通れず。

この「二の丸観光案内所」は昭和の初期に建てられた近代建築がそのまま残されています。

これは「隅櫓」です。

そして「学橋」を渡って…

「二の丸広場」では「小田原城名物市」が開催されていたけど…もう時間があまり無いし、しかも風が強くなって砂嵐が凄くてさ。

これは今回も入らなかったけど「小田原城歴史見聞館」です。

これは天然記念物の「イヌマキ」という木で、ここもパワースポットらしいんだけど…やっぱ感じないから知らずのうちにパワーが貰えてたらいいんだけどね。

これは「常盤木門」です。

「本丸広場」に出ると「猿」が飼育されてるよ。

さぁ「天守閣(¥410)」に上がりましょう…って、入城が16:30までだったんでギリギリだったよ。

天守閣から見えた…「小田原城八幡山古郭」、

さっき行った「石垣山一夜城」、

俺らはこっから来ました、「三浦半島」…が見渡せます。

天守閣のお土産屋は戦国グッズが充実してるよ。

17:05「小田原城」を出ました。

これは「御用米曲輪遺跡」で、今発掘調査中みたい。

小田原市のマンホールのデザインは、城と神輿?

駅近くには「北條水軍」なんて居酒屋?がありました。

17:30…最後に行ったのは「北条氏政・氏照の墓」です。
柵にはたくさんの鈴が結ばれてるんだけど…これは「幸せの鈴」といって、墓所に置かれている箱の中の鈴に願いをかけて持ち帰り、願いが叶ったらこの場所に返しに来るんだそうです。
でも…そんな鈴が入った箱なんて置いてあったかなぁ?まぁ俺は未ハントだった「北条氏政・氏照の墓」がハントできたからいいけどさ。

左から「北条氏照」と「北条氏政」…で、右端の大きいのが「氏政夫人」の墓です…って、夫人の墓の方が大きいんだね。
「北条氏政」は北条四代の領主で、「氏照」は氏政の弟で八王子城など5つの支城の城主でした。(八王子城のレポートはこちら
天正18年(1590年)「豊臣秀吉」の小田原攻めにより小田原城が落城すると、五代領主「氏直」は高野山に追放され、父「氏政」とその弟「氏照」は城下の田村安斉邸(現南町)で自刃しました。
両人の遺体は当時この地にあった北条氏の氏寺「伝心庵」に埋葬されました(現在、永久寺所有)。
その後、放置されていた墓所は稲葉氏が城主のとき(1633〜1685年)北条氏追福のため整備されました。


そして17:35、小田原駅に戻り…駅ビル(ラスカ)でお土産を買ってから18:24発の東京行に乗って、4人でビールを飲みながら「横浜」に出ました。
それから居酒屋に行き…23:30すぎに帰宅しました。
しっかし1人じゃないから気を遣ったなぁ…イベントの時間やら見学するトコの場所などを考えつつ、どこで昼食にしようか?何を食べようか?ってさ。
GWだし、込むことは予想できたんだけど…それが大きく禍いして、せっかく祭りの日に当てて行ったのに武者行列とか何も観れなかったもんな~
史跡&パワースポットとイベントという二兎を追うのは難しかったかな…結局グルメも堪能できなかったもんね。
う~ん…今回、よく彼女らはこの企画に参加してくれたなぁ…そんな歴史好きでもないのにさ。
しかもけっこう歩いたから(普段の俺の史跡ハント1日の半分以下の程度だと思うけど)疲れたでしょう?
これに懲りてなければ企画する第2回以降も良かったら参加してくださいな…案はいっぱいあるんだけどね。

今回の戦利品は「湘南クリエイティブ ガトー葦」で買ったチーズパイと前回「春日山」や「米沢」で買いそびれてた「直江兼続」と「前田慶次」の扇子だよ。
では、第2回は開催されるのか?それはどこへ行くのか…?楽しみにしていてね。



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