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中国歴史紀行~河南省淇県「摘星台」・衛輝市「姜太公故里」・新郷市「比干廟」編

2011年08月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月2日(火)2/2
さて、13:50ごろ「紂王墓」から淇県の「摘星台」へと向かいました。

「古都朝歌」と書かれたゲートがあり、ホンモノの「朝歌」入りですね。

そして14:20「摘星台」に着きました。
やはり、順調に史跡ハントは出来ているので、この後行こうと思ってる所も連れて行ってもらおうと思い、運チャンと交渉することにしました。
初め「程寸営→曹操高陵→羑里城→紂王墓他→摘星台公園」で280元だったんだけど、追加で「→太公泉鎮→比干廟→牧野公園」で合計いくらだ?と。
しかし「紂王墓」があまりに郊外すぎて、元々の280元じゃ無理だと…俺もそれは理解した上で「合計480元でどうだ」と言ったんだけど、案の定ダメで「じゃあ580元」と言ってもダメ…
「おいおい、いくらボる気だよ…」って思ったら、「600元ならいい」って…20元UPしただけかよ。
日本円だと600元=7,800円(1元=13円計算)くらいだけど、日本でその距離をタクシー乗ったら、その3~4倍掛かるんじゃない?
もう今日は大盤振る舞いだ…俺はこの旅で1日1,000元使ってもいいくらいの人民元を持って来てるんだから。
だって、この後行こうと思ってる「太公泉鎮」なんて、全然行き方知らないし…

まぁ交渉成立したんで、「摘星台景区」に入りました。(入場料20元)
これは「殷朝六七賢聖君故都碑」で、元は「武丁、武乙、帝乙、帝辛、箕子、微子、比干」を讃えてたけど、後年「帝辛(紂王)」は賢聖君に値しない…ってことで六、七という表記になったみたい?

これは「警示亭」です。

これは「殷」の愛国忠臣「箕子、微子、比干」の象徴「三仁柏」です。

これは「摘星台」です。

これは「紂王」が築かせ、自ら燃やした巨大な宮殿「鹿台」の跡とされています。

「摘星台」の「比干摘心処」です…つまり、ここで「比干」は心臓を抉り出されて死ぬのですが、ドラマ「封神演義」では事前に「太公望」から心臓を取られても助かる策を授かっていたのに宿敵「申公豹」に邪魔をされて命を落とします…

これは「心星閣」です。

この「鹿台」はドラマでは「姜子牙(太公望)」に正体を見破られ殺された妹分「琵琶精」を甦らせるために「妲己」が造らせ、「紂王」と暮らす宮殿にしました。

最初はその建築を「琵琶精」の仇「姜子牙」に任命するのですが、「妲己」が描いた設計図を見て「30年以上掛かります」と任務を拒否し、処刑を言い渡されますが逃亡して「朝歌」を離れます。

これは「林堅台」です…って何?

これは「麒麟壁」だって。

続いて「財神始祖」って書いてある所に入ってみました。

「三仁祠」には、

左から「微子」「箕子」「比干」の塑像がありました。

「財神殿」には、

左から「林堅」「比干」「比干夫人」です。

この名前が書いてなかった建物には…

左から「姜太公」「帝辛(紂王)」「周文王」です。

この「紂王」を含めたスリーショットは、なかなかお目にかかれませんよ。
14:50「摘星台景区」を出ました。
次は「太公泉鎮」に行くんだけど、運チャンは地図で大体の場所は把握してたモノの近くに行ってからは聞き込みを重ね…

農道を突き進み…15:30「太公泉鎮」に着きました。
ここは「太公望(姜子牙)」の出身地なんです。

そして「姜太公祠」に入りました。(無料)

門を入ると奥に…

「姜太公祠」があります。

中央の「太公望」像です。

その左右には…

子孫?の塑像がありました。

別の建物にも…

誰か分からないけど祀られていました。

こちらも。

15:40「姜太公祠」を出たけど、周囲はこんな感じです。

「太公泉鎮」はちょっとした集落ですね…まだ他にも「姜太公」に関するモノがあるらしいんだけど、事前調査不足だったので発つことにしました。
次は「比干廟」に行きます。

15:55「比干廟」付近のゲートを抜け…

16:00ごろ「比干廟」に入りました。(入場料30元)
その前に運チャンが「ここで帰っていい?」だって…「アホかぁこんな所で帰りどうやってタクシー拾って帰るんじゃ
「なるべく早く帰って来るから…」と言って待っててもらいました。

何だ?この金色の木は?

何か…ムダに広いなぁ。

これは「比干」像です。

え~まだ奥に続くのぉ?

ここにも「比干」像がありました。

やっとここから「比干廟」かぁ。

これは「比干通宝」だって。

これは「無心菜」です…って、心臓を抉り取られた「比干」と掛けてるのかな?

これは「石磚」です。

門がいくつかあり…

正面の「拝殿?」にも「比干」像がありました。

こっちの建物には…

「林放」「林堅」「林禄」の塑像がありました。(誰なのか知らないけど)

この建物には…

この女性は誰でしょう?

これは「孔子剣刻碑」です。

これは「比干」墓です。

これは「比干財神殿」です。
16:20「比干廟」を出ました。

そして「新郷市」内に入った所で「新郷市」のタクシーに乗り換えることになり、16:55…約7時間拘束した運チャンと別れました。
でも1人から600元も稼いだんだから、今日はもう帰って寝てもいいんじゃない?
まぁうまく通じないながらも、いろいろ会話しながら楽しかったですよ。
次の運チャンには、殷・周最後の決戦地「牧野広場」に連れて行ってもらったんだけど、今はただの公園だったので降りず、市内のホテルを紹介してもらうことにしました。
1軒目は300元以上だったんで「もっと安いところ紹介してよ、さっきの四星じゃんかよ~」ってことで、2軒目へ。
そのホテルは120元と高くなかったんで、17:30チェックインしました。
ここに来る前もずっと運チャンと話してて、「さっきの運チャンにいくら払ったの?」って聞かれたから「600元」って答えたら「明日、何かあったら電話くれよ」と電話番号渡されたよ。

部屋もキレイだし、

パソコン付きでした。
今日も昼飯食べてないんで近所に買い物に行こうと思ったら、朝買った傘を最初のタクシーに置き忘れて来ちゃったよ…急がすんだもん。
仕方なく隣の商店で12元の傘を買ったけど、今朝買ったのはデパートだったから30元したんだぞ…

近くにマックとか無さそうだったんで、屋台で「焼餅」を買いました。

これが今日の夕飯です。
18:30ホテルに戻って、パソコンを立ち上げるとQQが使えました。
自分のQQ No.覚えてて良かったわ…家だと自動でサインインする設定になってるけど、外部で使う場合は自分でNo.入力しなきゃいけないからね。
そして、今日助けてくれた子のNo.を登録したら、ちょうど彼女もオンラインですぐ会話することが出来ました。
もちろん、彼女は日本語全然話せないし、このパソコンも日本語入力出来ないから中国語で会話するんだけど、何だかんだ3時間くらい話し込んじゃいました。
そしたら今日、彼女はわざわざ俺のために雨の中、途中下車してくれてたんだって…
こんな見ず知らずの…しかも日本人のオッさんのために、どうもありがとう。
彼女は凄く俺の安否を心配してくれててさ…自分が停めたタクシーの運転手が悪いヤツでボられてないかってね。
「いくら払ったの?」って聞かれたんで、全てのルートを話して最終的に「480元」って言っておきました。
だって、彼女らの金銭感覚と違うから「600元払った」なんて言ったら腰を抜かし、ボられたと自責の念に駆られちゃうかも知れないからさ。
あとは、突然バスの中で話し掛けられて自分のことを怪しいと思わなかったか?って心配してたけど、それは全然無かったね。
見た目でそんな他人を騙すような子に見えなかったからさ…それは3年中国に住んで、中国人民のことをよく分かってるから。
むしろ…俺に話し掛ける方が勇気が要ったと思うけどな…
俺は口ひげと顎ひげを生やし…「曹操の墓に行きたい」と言ってた本人がまるで「曹操」みたいな風貌だったんだから。
中国古代王朝「殷(商)」の都があった「安陽」の片田舎に住むカワイイ女の子と、かたや日本から流れる雲の如く漂流して来た“傾き者”のオッさんとのラブ・ロマンスは…無いな。

新品の靴に慣れてないのかなぁ…
今日は出費は嵩んでしまったけど、雨の中これだけ辺鄙な場所にある史跡をハントすることが出来ました。
これも「曹操高陵」に導いてくれた貴女のおかげです…
明日は「鄭州」に出た後「動車」で「西安」まで行く予定です。



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