史跡ハンター 臥龍

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義風堂々!!漢たちに逢いに行け!~陸奥・伊達政宗編

2014年04月14日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
4月14日(月)2/2
さて…極一部だけど約3年が経過した被災地を目の当たりにしたけど、気持ちを切り替えて史跡ハントを続けるよ。

⑪岩手県「平泉」編

10:36「一ノ関」に着きました。

駅前のバス停から10:45発のバスに乗って、11:10ごろ「中尊寺」で降りました…今回の史跡ハントで初めての世界遺産だね。
岩手県は約18~20年前に会社の研修や本社出張で行ってた「花巻」以来だよ。

バス停から少し歩けば「武蔵坊弁慶の墓」があります。

さぁ、ここから「中尊寺」を目指して上って行きます。

意外と山の上の方なのね…ハントした順に掲載しましょう。

これは「八幡堂」です。

「月見坂」を進んで行きます。

おぉ「弁慶堂」だって~

これが「弁慶堂」です。

中に義経像があり…って弁慶像もあったのかなぁ?

これは「地蔵堂」です。

これは「薬師堂」です。

これは「観音堂」です。

本堂に入ってみましょう。

これが「本堂」です。

これは「不動堂」です。

これは「峯薬師堂」です。

「大日堂」と「鐘楼」と「阿弥陀堂」です。

これは「弁財天堂」です。

これは「讃衡堂」で…「金色堂」とこの「讃衡蔵」の拝観券を販売しています。(拝観¥800)

ここから「金色堂」に参拝します…少し進むと箱を被ったような建物があり、中に入ると…

おぉ、ホントに金色だよ。

…って、ホンモノの「金」塗ってるの?

「金色堂」は天治元年(1124年)の造立で、現存する唯一の創建遺構です。
中央の須弥壇の中に初代「清衡」公、左の壇に二代「基衡」公、右の壇に三代「秀衡」公の遺体と四代「泰衡」公の首級が納められています。

これは「経蔵」です。

これは「松尾芭蕉」の歌碑です。

これは「金色堂覆堂」です…ここまでが「金色堂」とセットで有料だよ。

これは「釈迦堂」です。

この先には「能舞台」などがあるんだけど…もう11:35を回ったんで戻ることにしたよ。
バスを降りた「弁慶の墓」の近くに案内所があって、平泉駅の時刻表を確認してたら…当初12:42発だと思っていたのが正しくは12:23発だったんだよ。
「中尊寺」以外にも「高館 義経堂」や「柳之御所遺跡」、「毛越寺」もハントするつもりでいたからね…

これは「東物見」からの景色と「西行歌碑」です。

11:50ごろ「中尊寺」を出て、この道を左に入って線路を渡ると…

これは「卯の花清水」です…芭蕉同行の「曽良」が、老体に鞭打って「義経」のために討ち死にした「兼房」を称え、「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」と詠んでいます。
義経の忠臣の1人「兼房」が高館落城の折、白髪を振り乱しながら奮戦し、遂には死を遂げた様を白く咲き乱れる卯の花に例えたものです。

12:00「高館 義経堂」に着きました。(拝観¥200)
兄「頼朝」に追われ、少年期を過ごした「平泉」に落ち延びた「義経」は藤原氏三代「秀衡」の庇護のもと、この「高館」に居館を与えられていました。
しかし文治5年(1189年)「頼朝」の圧迫に耐えかねた「秀衡」の子「泰衡」の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。

上に上って行くと見える川は「弁慶立往生」の衣川かな?

これは幕末の志士「頼三樹三郎」の詩碑です。

これは「北上川」だったね…

これは「義経堂」です…1683年仙台藩四代藩主「伊達綱村」公が義経を偲んで建てたものです。

中には「源義経」の塑像があり、近くには「源義経公供養塔」があります。

資料館もありました。

中には仁王像?がありました。

「静御前」の説明もあったよ…2日前に新潟県長岡市「栃堀」で、ここを目指していた途中に病で亡くなった「静御前」の墓をお参りして来たけど…その想いを代わりに届けて来たよ。

帰りはこの段から下り…ここは「無量光院跡」です。
「秀衡」が建立した平等院鳳凰堂をモデルにした寺院があったそうです。
さて…もう12:10だぞ、「柳之御所遺跡」を観るのは諦め、急いで駅へと向かいました。
12:15ごろ平泉駅に着いたよ…もう10分切ってたな。

「SL銀河」はここ平泉には停車しないじゃん。
この「SL銀河」の内外装デザインは「宮沢賢治」の童話「銀河鉄道の夜」をイメージしているらしいんだけど、これで「銀河鉄道999」をイメージしたSLが運行したら乗りに行っちゃうよ。

「平泉」12:23発の東北本線で、12:30ごろ再び「一ノ関」へ。

当初はそこ(一ノ関)からバスで「仙台」まで出るつもりでいたんだけど、小牛田行の東北本線が12:44に出て、小牛田で仙台行に接続があるとのことなんで列車で「仙台」に向かうことにしました。

⑫宮城県仙台市「仙台」編

12:44「一ノ関」発13:31「小牛田」着、13:37「小牛田」発14:23「仙台」に着いたよ。
ここ「仙台」に来るのは約30年ぶりだよ…そのときは「女川」の母の従姉?のとこに行ったり、青葉城や松島にも行ってるんだわ。

まず、コインロッカーにリュックを預けて、駅前のレンタサイクルを借りに行きました。(¥515)
手続きを終え14:50ごろから、この旅最後の史跡ハント開始でーす。

最初に目指したのは「瑞鳳殿(伊達政宗墓)」だよ…ちょっと迷ったけど、街中の案内板を頼りに入口付近に着いたよ。

これは「鹿児島県人七士の墓」です。(瑞鳳寺)

西南戦争に従軍し、投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄に護送されました。
宮城県には「椎原国幹(西郷隆盛の叔父)」以下305人が収容されましたが、自ら宮城県の開発を願い出て大きな功績を残しました。
この墓は、そのうち獄中で病死した13人のもので、もともとは13基ありましたが遺族によって引き取られ、7基が残ったといいます。

これは「瑞鳳寺」です。

初代「政宗」、二代「忠宗」、三代「綱宗」の位牌があるらしいんで拝観しようと思ったのに誰もいないんだよ。

「瑞鳳殿」入口に着きました。

これは「御子様御廟」です。

この先で拝観券(¥550)を買います。

これは「涅槃門」です。

さらに、この門の奥に…

「伊達政宗」公の霊屋「瑞鳳殿」があり…この地下に政宗は眠っています。
政宗の遺言により経ヶ峰と呼ばれるこの地に建立されました…普段、扉は閉じていますが、政宗の命日(5月24日)など年に数回開帳され、木像を拝むことができます。



これは「瑞鳳殿資料館」です。

これは「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で政宗が朝鮮から持ち帰ったものと云われています。

この「弔魂碑」は戊辰戦争で亡くなった仙台藩および米沢藩、旧幕臣等を含む1260名の霊を弔うために建立されたものです。
先へ進むと…

「善応殿」と「感仙殿」の入口です。

これは二代藩主「伊達忠宗」公の霊屋「感仙殿」です。

これは「板碑」といい、石製塔婆なんだって。

これは三代藩主「伊達綱宗」公の霊屋「善応殿」です。

これは「妙雲界廟」です。

十一代藩主「斉義」公、九代藩主「周宗」公、「斉義」公の妻「芝姫」の墓です。

15:45ごろ「瑞鳳殿」を出て、下に停めておいた自転車に戻りました…これ電動アシストだよ。


これは「広瀬川」でしょ?「青葉城恋歌」を口ずさみそうになるね…「広瀬川流れる岸辺、想い出は帰らず~」ってね。

15:50「仙台城跡」に着きました。

これは「満州事変軍馬戦没之碑」と「軍馬 軍用動物 彰忠碑」です。

これは「仙台市博物館」ですが…月曜は休館日だって~
でも「黒漆五枚胴具足」(伊達政宗所用)の平成26年度の展示期間は、4月22日から5月25日みたいだから…結局観れなかったワケか。

中庭には…

「魯迅」像があります…1904年秋から1906年春まで仙台医学専門学校で学んでたんだって。

これは「伊達政宗」胸像です。

なんかリアルでカッコいいよ。

これは「林子平」の碑です。

「仙臺城址」の碑

こっちには…

「支倉常長」の像です…伊達氏の家臣で「慶長遣欧使節団」を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられたんだよ。
この後「青葉城」の入口が分からず、けっこう彷徨ったわ…もうちょっと案内板があれば分かり易いのに。

この坂じゃ、電動アシストでもムリ~

すげぇ石垣だね。

護国神社に着いたよ…で、そこを上がって行ったら…

16:30ごろ、やっと「青葉城(仙台城)」に着いたよ。

これは…護国神社?

「戦艦大和」展示中って…16:30までだったのかな?

これは「本丸」の石垣跡みたい…「仙台城」は幕府に遠慮して天守閣を置かなかったといいます。

この2階に「青葉城資料展示館」があります。(入館¥700)

甲冑や

書状、

刀や火縄銃の展示がありました。

ここのメインは映像で「仙台城」を紹介するCGシアターだよ。
1階のお土産店は戦国グッズが充実してたぞ。

これは「伊達政宗」騎馬像です。

思い切り逆光やん…

台座のレリーフです。

政宗が右目を失った原因は幼少時に患った天然痘だったそうで、隻眼となったことから後世“独眼竜”と呼ばれています。
天正13年(1585年)前年に隠居した父「輝宗」が「畠山義継」らに拉致されたとき、政宗は鉄砲を放って輝宗もろとも一人も残さず殺害しました。
小田原参陣前に兄の「最上義光」にそそのかされた義姫(母)によって毒殺されそうになり、義姫を成敗する代わりに弟の「伊達小次郎」を斬殺しました…って、いろいろ逸話があるよね。

「本丸跡」からの景色です。
17:15ごろ「青葉城」を出て…まだ時間があるんで、

国宝「大崎八幡宮」に行きました。

社伝では「坂上田村麻呂」が宇佐神宮を鎮守府に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まるそうです。

大崎氏の滅亡後は「伊達政宗」公が仙台開府後「仙台城」の北西の方角にあたる現在の地に祀られました。

石段の途中にあった燈籠?は政宗の前立かと思ったら、裏は太陽(多分)だったわ。

参道を進みます。

「長床」が見えてきました…左には「殉国碑」があります。

右には「金刀比羅社」と「沼田豊前正藤原茂密石像」があります。

これは「長床」です。

「Wake Up, Girls !」って、帰ってから調べたら「仙台」が舞台のアニメみたいね。

国宝「御社殿」です。

鳥居まで戻り…これは「大日堂」です。

西日で左のマンション?が金色に輝いてるね。
17:45ごろ「大崎八幡宮」を出ました…今日は「仙台」23:30発の高速バスで帰るんで、それまでヒマだよ。

とりあえず18:20ごろ自転車を返却しに行きました。

あと約5時間何して時間ツブそうかな…一番の希望は「楽天ゴールデンイーグルス」のナイターがあれば良かったんだけど、月曜だからそもそも試合が組まれてないんだよね。
じゃあ第二希望で2日間風呂に入ってないから銭湯かスパに行きたかったけど、どうやら駅付近には無さそう。
仕方ないんで、少し駅ビル内のお土産屋を見て…繁華街の方に行けばネットカフェがあるだろうと思って行ってみました。

夕飯も何か食べておきたいけど…仙台名物の「牛タン」も安くはないからね。

そしたら「天下一品」を見つけたんで入っちゃった…だって久々に食ってみたくなったんだもん。
ビールはどうしようか迷ったんだけど…今日で史跡ハントも打ち上げだからさ、お疲れ様ってことで。

あれ?今朝、前日に買っていたパンを食べて以来の食事だわ。
19:30すぎ店を出て…その後は近くにネットカフェもあって、しかも会員制とかなく一見さんでもムダな料金掛からなかったんで、19:40ごろから3時間くらい記事編集してたよ。
そして22:45ごろネットカフェを出て、駅の高速バス乗場に行ったんだけど…待合室で同年代くらいの女が携帯でスゲー暗い会話してるんだよ。
せっかくの旅行の最後に気分悪くさせるなよな…1人だけで沈めよ、周りまで一緒に沈ませるなよ

23:30に「横浜」行のバスは発車し…翌15日6:00すぎに「横浜」に着いたよ。
6:10までに着けば、伊勢佐木町付近のスパで風呂に入ってから出勤しようと思ってたのが間に合ったよ。

6:30ごろから1時間のスピードコース(¥1,240)で風呂に入り…30分でスパを出て会社に出勤したわ。
今日は18:30から歯科の予約もしてたんで残業はしないで帰って来たよ。
今回の戦利品です…

扇子は「上杉謙信」と「伊達政宗」の…あ、「直江兼続」と「前田慶次」の買い忘れた…QPは新潟の「上杉謙信」が生産終了でどこにも無し。
でも「伊達政宗QP」の新作?が買えたよ。

あとは「春日山林泉寺」で買った「義の御守」だよ。
さて…恐らく泊まりで行く史跡ハントはこれで最後になるかも知れないよ…ってか史跡ハントでは主要なトコは行き尽くしたからさぁ。
まぁプチ史跡ハントを続けながら、また何か違う旅の楽しみを見つけようかな…



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