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旅人のにちじょう

ねごと・たわごと・よまいごと

帰ってから日記(7)

2009-03-01 |  パキスタン
バスもお正月仕様

1月1日(木)

<この日のスケジュール>
・バスでラホールへ
・シャー・シャムス・タブレーズ廟
・ハラッパー
・フードストリート
・アナールカリバザール(希望者)


夕食はフードストリートで
ラホール名物カタタクを食べた
カタタクとは本館☆いつかは世界一周☆にある
生々しい食材を調理したもので
包丁で切り刻む音からその名が来ているという

とりあえず通りを自由に見学後集合というので
面白くて写真を撮ったところが夕食場所だった


隣の魚を煮込んでいるおじさんは
誰も見向きもされずちょっと気の毒だった


熱い鉄板の上でちょっとタイプなお兄さんが
男性がちょっと切なくなる部位を切り刻む


それにバターやスープやトマトなどを混ぜ
これでもかと煮込む


お兄さんが鉄板のヘリを触っているので
熱くないのかと触ろうとしたがやっぱり熱かった
どういうわけか皆に笑われてしまった・・・

パフォーマンス込みの名物料理だが
外のテーブルのためすぐ冷たくなってしまい残念


悪くない味と食感だったけど
私としては羊の脳みそも切ない部位も
鉄板でそのままジュウジュウ焼いてくれれば
素材を堪能できるのではないかと思ってしまった

カレーじゃなくて
豪快な炭火焼チキンをそのまま食べたかったなあ


観光客の集まるフードストリート
大都会ラホールでもやっぱり写メられた
傷みやすい食材なので冬が旬の名物料理
それを食べるやっぱり珍しい私たちであった


お直し代

2009-02-23 |  パキスタン
パキスタン同窓会で届いて壊れた
私のシャルワールカミーズ
私にも家族にも直しそうもないので
裁縫上手の同僚に見せた

何とかなるかと思ったら
二の足を踏まれたので
プロに頼むとどうなるか
近所のクリーニング屋で聞いてみた

チェーンのクリーニング屋なので
流れとしては

店に持ち込む
 ↓
店が業者に渡す
 ↓
見積もりを出す
 ↓
頼むかどうか決める
 ↓
クリーニングする
 ↓
業者が直す

だ、そうだ

外国で作って試着したきりだと言ったら
クリーニングはしなくて済みそうだが
外国製品の場合仕立て方が違うと
直せないかもしれないとのことだった

ちなみに代金は
ワンピースのジッパーの場合
3000円から、ですって
ヘタするともう一着作れそうな値段だ・・・

二度と着られないのはもったいないし
頼むしかないんだろうなあ
同僚が近所の店で聞いてみると言ってくれたので
返事を待ってお直しに出さなきゃ


パキスタン同窓会

2009-02-21 |  パキスタン
パキスタン大使館に行ってきた
ビザを取りに、ではない
S社のイベントに便乗して
パキスタンからはるばる届いた
シャルワールカミーズを引き取りにである
ついでにフンザの干しアンズをもらいに(笑)

添乗員Nさんから事前に
パキスタン大使館が転居したのを聞き
ちょっと慌てた
麻布十番駅からうねうね歩いた住宅街にある、と
ばかり思っていたからだ

でも広尾駅から有栖川公園まで出たら
なんとS社の社員が要所に立っていた!
会社をあげてのイベントらしい
迷うことなく新築の大使館に到着できた


受付で名乗ったら見覚えのある袋を渡された
おお~ホントにちゃんと届いたねえ
同じような袋があと2つあり
同じ事を考えた人がいるのがわかった

そして
着てみた
こんなこともあろうかと
一緒に買ったサンダルも持参していたから(笑)

大使のご挨拶も


講師のお話も


シャルワーズカミーズ&サンダルという
正しい(?)服装で聞いてしまった
しかも最後は司会の添乗員Nさんに
講演会参加者に紹介される始末
次のツアーからはオプションになるに違いない
モデル料もらえばよかったなあ(笑)

ツアーで一緒だった人が4人参加しており
講演会の後はプチ同窓会のようであった
GWの企画誘ってみたらちょっと好感触♪
もしかしたら人数揃えて添乗員つくかもしれない

ただね
似合うと好評だった私のシャルワーズカミーズ
スタンドカラーにしてもらったので
背中にジッパーがついているのだけど

それが速攻壊れた・・・



思ったよりしっかり仕立ててあるけど
ジッパー交換できるかなあ
テンションだだ下がり・・・


愉快なパキスタニたち(5)

2009-02-14 |  パキスタン
ムルタンのバザールも相変わらず
おっさんだらけであったが
チラホラとおばちゃんも見られるようになった


自由時間は1時間と設定されたが
のん気に歩いている場合ではない
ここでのミッションは3つ
クリアするために添乗員Nさんにべったり

まず「アジュラク布の縁を縫ってもらう」
3日目に買って折角なので頭に被っていたけど
2枚繋がっているのを半分に切ってもらったら
切ったところがどんどんほつれてきたので
バザールの仕立て屋で縫ってもらいたい、と
添乗員Nさんに頼んであったのだ
(どんな布かは本館を見てね)

仕立て屋のおっちゃんは
即座にほつれた端を切り落とし
ミシンで一気に仕上げてくれた


仕立て代なんとタダ
くぅ~職人だね~~

次は「ハルワを一番の店で買う」
いつもスーパーの怪しげなスナックでは
評判も悪いので(笑)正しいお土産を購入
ここでしか買えない、と評判の店で大人買い

「地球の○き方」には「クッキー」とあるが
かぶりつくと大変なことになります
だってお土産用は固いキャラメルなんだもん

そして最後は「民族衣装を買う」
大晦日用の服を持ってきた、と言ったら
ツアーの中の何人かが「私も買って着る」
と、なったので既成服のお店へGo
いいのがあれば私も買っちゃおうと思ったのだ

どれもワンサイズみたいで
私には微妙に小さい気がしたけど
皆さんが試着をしているのを見てたら
結局最後には買っちゃった
う~んどこで着よう・・・

ここのバザールでは今回唯一の
女性警官のガードが付いたのだけど
どっちかというと
「一緒にショッピングを楽しむ」風になっていた
私も「似合うかな~」とか聞いたりしたし(笑)

あっという間の1時間であった
ふう~ミッション完了



帰ってから日記(6)

2009-02-10 |  パキスタン
「世界の柱」のシャー・ルクネ・アーラム廟

12月31日(水)

<この日のスケジュール>
・バスでムルタンへ
・シャー・ルクネ・アーラム廟
・バハー・ウル・ハック廟
・オールドバザール


大晦日のホテルは結構いいらしい、というので
インドで作ったパンジャビ・スーツを持っていった
だって今回のツアータイトルは
「シンド・パンジャーブ紀行」なんだもん
やっぱり着とかないと
ってか日本じゃもう着られないし(笑)

カウントダウンパーティーはあるかと聞くと
「じゃあホテルの部屋で皆で集まりましょう」
との添乗員の返事に首を傾げつつ
ムルタンのホテルまでやってくると
「夕食は外のレストランで」と言われた

えっ?外?ここのレストランじゃないの?
おもて結構寒いんだけどなあ、と思ったけど
皆さんバザールで仕入れているし
え~いっ着ちゃえ~~~~
(パキスタンの民族衣装はシャルワーズカミール)

レストランはチェーンのここ

そこそこ裕福そうな家族連れで混んでいたけど
カウントダウンの雰囲気ではなかった
どっちかというと休日前って感じ
正しくイスラム暦なんだと妙に納得した

そしてホテルに戻ってのアナウンス
「11時半によかったらこの部屋で」
ちょっとした宴会場なパーティールームだった
よかった添乗員の部屋とかじゃなくて(笑)

一度部屋に戻って寛いで再集合したら
待っていたのはマリ・ビール

サッカルでしか手に入らないって言ってたじゃん
しかもロング缶なら安心して持ち帰れるのに~
でもまあ飲みましょう

つまみは昼間渋いおっちゃんから買ったこれ

それから年越しそばとぜんざい・・・なぜだ?

和やかに飲む私たちを
ホテルのマネージャー?って人が
写メ&ムービー(笑)
薄い顔でシャルワーズカミーズ着てるからか?

折角なのでお開き後ホテルのスタッフと記念撮影

ジャパニの皆さんはモザイク入りです、あしからず

今までになかった年越しであった


愉快なパキスタニたち(4)

2009-02-08 |  パキスタン
集まってきた子どもたちに手をふったら
大笑いされたりしたチョリスタン砂漠は
至れり尽くせりだった


イケメンシェフが腕をふるった晩ご飯は
天ぷらやら焼き鳥やら肉じゃがやら
日本食オンパレード


食後のキャンプファイヤーでは
地元の人が歌や楽器の演奏を披露

曲に乗って少年もおじさんも踊る

イケメンシェフも踊る

もちろん私も踊ったが
火のそばなので顔がとても熱かった
(イケメンと踊ったからさあ)

ショップテントも完備
朝7時から夜11時まで開いているので
セブンイレブンと呼ばれていた

昨夜は2つで15ドルのマフラーが
朝になったら「アナタはタイプだから」と
7ドルになったってことはホントはいくらだ?

最後はスタップ一同でご挨拶
どこまでも日本人対応のキャンプであった


ちなみにイケメンシェフは背も高く
見ようによってはオーリー似
ここら辺もサービスの一環なのかなあ


帰ってから日記(5)

2009-02-07 |  パキスタン
ウチ・シャリフのビビ・ジャウンディ廟

12月30日(火)

<この日のスケジュール>
・バスでデラワール(チョリスタン砂漠)へ
・ウチ・シャリフ
・ラクダでデラワール・フォートへ


「モヘンジョダロを見よう」と決めたのは
前回の夏の旅行からの流れだった
モヘンジョダロといえばインダス文明
そういえば夏にインダス川見たなあ

ザンスカールへ行く途中のベマは
インダス川の上流にあった



こんな小さなインダス川は
下流に行けば大きく育っているはず
とうとうと流れるインダス川が見たいぞ

そんな理由で
本当にそれだけで
今回の行き先が決まったといってもいい

ハイデラバードのホテルの名前は
そのままズバリ「インダスホテル」で

カワイルカが出迎えてくれた


それなのに
ああそれなのに
サッカルまでの道のりでは
灌漑用の池や水路ばかり・・・

サッカルに着くのは暗くなってからで
川の様子なんてわかりゃしない
ラストチャンスの朝のサッカル堰では
濃霧のために真っ白・・・
カワイルカどころか水面も見えやしない(涙)


くまなく張り巡らされた灌漑システムのおかげで
パキスタンではこの季節は毎日
午前中は高速道路が通行禁止になるほどの濃霧
午後の天気はそこそこ良かったんだけどね

「霧女なんです」なんてボケも腹立たしい
チョリスタン砂漠では夜は真っ暗だが
朝は霧で真っ白で何も見えないほどなのだ


おかげで毎日モイスチャーなので
ハンドクリームがちっとも減らなかったけど(笑)
インダス川はどこで見られるんだろうなあ・・・

ところでこの日ラクダに乗りました
ラクダの座った姿って妙だよねえ


キャラバン組んで要塞を見学したけど
えらく揺れるので写真はどれもブレブレだった・・・



愉快なパキスタニたち(3)

2009-02-03 |  パキスタン
モヘンジョダロからの帰り道
「将来歴史的な建物になるかもしれないから」
と、スルーガイドが熱心に勧めるので
予定にはなかったがブット家の墓に寄ることになった

ブット家はシンド州の大地主で
行きにトイレを借りた邸宅も一族のものだった
処刑された元首相Z・A・ブットと
暗殺された彼の娘ベナジールらが眠る墓は
どこぞのモスク?というくらい大きくて立派だった


大きなパネルと多くのポスター


中央には父の墓と


まだ棺に入っていない
バラの花びらに覆われた娘の墓


ブット女史の命日から間もないため
お参りの人たちがたくさんいたのだが
ちょうど居合わせたカラチの新聞記者に
私たちは取材されてしまった

突然明らかに外国人の団体が現れたら
そりゃスクープでしょう
何十年も経ったら聖廟になるかもしれないけど
パキスタンの首相を努めたとはいえ
今はただの一族の墓であり観光地ではない
「なぜだ!?」と不思議に思われるのも無理はない

実際警察の人手が足りないのか面倒なのか
サッカルへ戻るのに一緒にまとめられた
アメリカ人夫婦は明らかに不服そうな寄り道なのだ
彼らは外の広場で誰にも構われず所在なさげであった

写真を撮られトイレ休憩となり
添乗員がインタビューされている間
何かを並べたお盆を持った物売りが気になり
一人で近寄ってお盆を覗き込んでいたら
おっちゃんが黙って一つくれた

大きなジャガイモを蒸して半分に切ったようなもの
食べてみたら甘くてサツマイモみたいな謎のイモ
ツアーの人にも勧めて皆でちょっとずつ食べていたら
おっちゃんは黙ってもう一つくれた

そんなことをしていたら
わらわらと人が集まってきて
満面の笑みで「シュークリヤー(ありがとう)!」
と、お礼を言ったら皆で頷いていた

ちょうど小腹がすいている時間だったので
添乗員がいくつか買ってバスで配ったから
商売としても「つかみはOK」だったのかも

カラチ・モーニングに謎の日本人が載っていたら
それは私たちです(笑)


愉快なパキスタニたち(2)

2009-02-02 |  パキスタン
モヘンジョダロのガイドは
ミラーワークのシンド帽をかぶった
渋めのおじさんだったんだけど


「トイレの跡です」というところでは
嬉しそうにポーズをとってくれた


ただその直後トイレは崩れた!


ちょっと調子乗っちゃったかな
よくあることだとしたら
それはそれで恐ろしい・・・

「ここでカケラが見つかるぞ」と
スルーガイドと一緒にポーズ


だから持ち帰っちゃダメだって
彼はこっそり発掘し観光客に高値で売りつけているらしい
・・・悪徳ガイドなのかもしれない

見学の最後に待ち受けていたのは
小さな露店ショップ
博物館の出口に土産物屋があるのと
同じっちゃあ同じなんだけど
非常にささやかな店舗であったが
どうやらガイドがオーナーらしい
・・・稼ぐなあ

やっと見つけた絵葉書は
長いこと陽射しにさらされてた感は否めないけど
ここで買わないと多分ラホールまでないので購入
妙に砂っぽい感触の薄茶色いのが届いたとしたら
それはここモヘンジョダロのものです

そして
つい買ってしまった印章セット


チョコレートでも落雁でもないのよ

しめて6ドルばかりガイドの彼に貢献(笑)


帰ってから日記(4)

2009-02-01 |  パキスタン
今回のハイライト、モヘンジョダロ

12月29日(月)

<この日のスケジュール>
・モヘンジョダロ
・ブッド家の墓
・モハナの人々訪問


バスは順調に走り
モヘンジョダロの入り口に到着した
・・・のに
軍人がたくさんいて
現地ガイドと何やらもめている

挙句
「とりあえず先にトイレ休憩です」と
近くのホテルへと連れていかれてしまった

話によると
軍の要人が視察に来るので
入場が許可されないかもしれないそうだ

なんだと~?
モヘンジョダロに入れないだと?
カラチ博物館は許せても
こればっかりは「しょうがない」では済まないぞ
なんてったって今回のハイライト
「モヘンジョダロを見にパキスタンに来た」
と、言っても決して過言ではない

ホテルには同じように足止めされている
カナダ人もウロウロしている
何としても頑張ってもらわねば
日程4日目にして皆に緊張が走った(かもしれない)

結局添乗員Nさんの微笑み攻撃で
めでたく入場は許可されたが
「2時間」と時間を制限されてしまった

入り口に設置された接待用テントを睨みつつ


併設の博物館見学もそこそこにダッシュ!


要人警護のためか高いところには
もうめったやたらに軍人が配置されているが
熱心に見学する私たちに興味津々のようだ(笑)


しかし総勢24名の大所帯には
モヘンジョダロは広大だった
皆イヤホンをつけてガイドの説明を聞くのだが
それでなくても個人主義のS社の客は
足並みが揃うわけもなく列は長くなるばかり

人の入っていない写真を撮ろうと思えば
先頭を歩くか列が途切れるか最後尾で待つか
それなりに気を遣わなければならないし


「へ~」「ほ~」と感心する時間も短い
心なしか説明もスキップされているかも
と、力ずくで見学を終了する頃に
近くに飛行機が着陸する音が聞こえた
間一髪セーフって感じ?
綱渡りのモヘンジョダロであった

その後入り口で大勢の人が追い返されていたから
私たちは本当にラッキーだったのかもしれない
「外国人女性には弱いんです」とのことだが
今度何かトラブルに遭ったら
ナンボでも微笑みますがな、と皆で口を揃えた

ちなみにモヘンジョダロ周辺は危険地帯で
ここ2年くらいで観光が再開された
普通は近くの空港まで飛行機で来て日帰りだそうだ

S社はバスで走り抜けるので警察のガードがつくが
この日は連携が悪かったりバイク一台だったり
一見のどかなエリアなんだけどだからこそ危険?