mero mama

meroのママになってく日記

あふれるまで愛をそそぐ6歳までの子育て

2012年11月10日 | 育児本・絵本
お仕事を週5入れている私にとって、
なんて自分の都合で、子供たちを見ていたんだろう・・・と反省した本。


1章 子どものこころに響く愛 響かない愛

子どもが欲しているときに、欲していることをしてあげられるのが
親の愛です。欲していないときに、欲していないことをしてあげるのは、
親のエゴです。それが甘やかしなのです。

カブトムシにしても、腕時計にしても、モノに違いはありませんが、
子どもがココロを動かされたのは、モノよりも親が自分の為に一生懸命やってくれた
(必死に必要なものを探して、購入してくれた)ということなんです。
子どもはそこに敏感なのです。

お母さんが夕食の支度をしなければならない時に
『今ごはんの支度をしているから、ちょっとまってらっしゃい』というでしょう。
でも、その時が大事なのです。
今日は食事なんて遅れていいから、一緒に遊ぼう!といって、でんとして
子どもにつきあってあげれば、そこで子どもは変わるわけです。
『あ。やっぱりお母さんは信頼できる』となるのです。
自分がお母さんに甘えたい時に、忙しくしているお母さんが自分の方を向いて
くれたことが嬉しいのです。

家庭だからできる『遊び食べ』
ある時期、どの子も立ったり座ったりして遊びながら食べます。
これは、この時期の正常な発達の姿ですから、それを受け入れることです。
『食べることも、トイレに行くことも、片付けをすることも全部遊び』なのです。
これは、家庭だからこそ、伸び伸びと自分をだしているのです。
保育園では、なかなかそうはいきません。集団生活では、いつしか
『よい子』になってしまざるを得ない現実があるからです。

2章 あふれるまで、愛をそそぐとき子どもが変わる

子どもは親に見守ってもらいながら、何かをするのが
とても嬉しいのです。親がそれを頭に入れて子どもの相手をすれば、
親子関係は随分よくなると思います。
大人は何かをやるときにそばで待ってられると、気詰まりでいやです。
子どもは正反対です。両親で見守ってくれようものなら、ルンルンで遊びます。
なんでもない事ですが、こういう子どもが心から心から喜ぶことをやって
あげるのが、子育てのコツだと思います。

3章 甘え不足症候群の子どもたち

パプアニューギニアの母親は子どもにせがまれるとすぐに抱き上げる。
いつまでも赤ちゃんのようだ。しかし、6歳くらいになると、日本の同年代とは
比較にならないほどしっかりしてくる。十分に甘えた後は、木の実がぽろりと
落ちるように大人の仲間入りをする。

植物だって小さいときはやさしく
人間のお母さんも同じ。小さい赤ちゃんの時は、やさしく保護してかわいがるでしょ。
そうしないとどんぐりも芽がでないし、いい木に育ちません。途中で枯れたり
曲がって伸びたりします。小さいときに愛情をこめて育てればまっすぐに育って
行きます。ちいさい時が大事なんです。

子どもに自由を 甘えが大切
というと、やりたいことだけやって、やりたくない事はしなくていいの?とか
努力しなければいけない事がから逃げてもいいの?と誤解する人がいます。

大勢の幼児をみてきましたが、幼児は 痛そう 難しそう 怖そう といったことから
逃げようとします。『難しくてできそうもない』とか『失敗したら恥ずかしい』と
思うような子どもの心は順調な成長をしているわけで、その成長を認めることも
大事です。
しかし、幼児期にこそ、将来を考えた大人の愛情で、物事に真正面から取り組ませ、
逃げたい子どものこころに共感しながら、達成感を持てるまでやり通させてあげたい
ものです。

意欲と思いやり、そして自分の行動に責任を持つ自主性
この3つを幼児期に育てられていれば、子どもたちはそれを試行錯誤しながら、
幸せに生きる道を見つけ出していけるのではないかと思います。