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after 9 caffe

今日も明日も明後日も

Twitterの間違った使い方

2010-05-07 23:51:19 | 平凡な日々
昨日は大阪、今日は東京と一回りして来ました。
のぞみで大阪から東京へ(あるいは東京から大阪へ)向かう時、いつもなんとなく寂しい気持ちにかられます。
思い出深い静岡県が一瞬で通り過ぎていくからです。
最近はそんなんで異動中は本を読むかPCに向かう事にしています。

さて話は変わりますが、Twitterをやっている人いますか?
オレは暇がないので、はなからやりませんが、周囲にはハマっている人もいる様です。
ネットニュースを見て笑ってしまったのですが、ソフトバンクの孫社長は自社のモバイルを売る為か?Twitterを支援していて自らもハマり、1日に10回以上もつぶやいているのだそうです。
で、ある携帯のユーザーが手続きのミスで12,000円を損したとかでソフトバンクの窓口にそれを訴えた際に、窓口担当者が、「クレームはTwitterで孫社長に直接つぶやいて下さい」ってな事を言ったというのです。
その人、本当にTwitterで孫社長にクレームを付けたのです。
でもさすが、孫さん、訴えた人に翌日には損金を返して、手続き間違いを起した仕組みもすぐに変えたらしいです。

しかし、クレームは社長に直接言って下さいと言った窓口担当者もどうかと思うよね?
クレームを受けた自分の責任はどうなの?と言いたくなります。
それにしてもソフトバンクの店員って、全体にチャラチャラ感が強くないですかね?
まずは客にそういう事を言ってしまう店員を教育するのがTwitterの支援よりも先決では?なんて思ったりもします。

ちょっと気になってヘレナボナム

2010-05-06 23:24:59 | 平凡な日々
今日の自分はなんだか陽気でした。
5日間仕事から離れて頭がリセットされて本来の自分がまた出たかな、という感じがしました。今更ですが、休むのって本当に大事ですね。

さて、昨日の事ですが、映画館でアリスインワンダーランドを見ました。
実は最近、この映画にも出ているヘレナ・ボナム=カーター(写真)という女優が気になっていたのです。この映画では悪役の赤の女王役(頭のデカイキャラね)でした。

この人、最近のティムバートンの映画に必ずといっていいほど出ています。
チャーリーとチョコレート工場ではバケット婦人の役を、スゥィニーートッドでは狂った人殺しの妻ミセスラヴェットを演じていました。
いや、ティムバートン監督作品ばかりでなく、思い起こせば、ハリーポッターとか猿の惑星とかターミネーター4とか結構な有名映画にも出ていましたね。
1度見るとなかなか忘れないクセのある貧相な感じの顔で、貧乏な庶民とか、悪い男の言うなりになって悪事を働いてしまう意思薄弱者とか、どちらかと言うと悪役が似合う人、と言えるかもしれません。
いや、映画好きの人には常識なのかもしれませんが、ちょっと調べてみて驚きました。
この人、ティムバートン監督の奥さん(実際は籍を入れていないが同棲していて2人の間に子供もいる)だったのですね。しかも旧イギリス大統領の孫で両親共に映画関係者というお生まれだそうで、実際にはブルジョアの方だった様です。

映画を見る時、どちらかと言うといつも脇役に目が行きます。
時には主役を食ってしまうほどの存在感を放つ脇役っていますよね。
最近は映画でほとんど見なくなってしまいましたが若い頃ロッキーホラーショーの主役を演じていたティムカリー。
最近はヘルボーイの主役を演じるなど、脇役からメインになってしまった怪優ロンパールマン。
クセのある人、クセのある音、毒のある物、完璧でない物、
そういうものに魅かれます。

さて、アリスインワンダーランドですが、3D映像自体は、期待した様な滑らかな立体映像ではなくて、平面の組み合わせで奥行きを構成している事が分かって、まぁこんなもんかという印象でした。

マクドナルドのとばっちり

2010-05-05 23:33:19 | 平凡な日々
5年くらい前になるか、、
スーパーサイズミーというアメリカのドキュメンタリー映画がありました。
一日3食、マクドナルドの食品だけを食べ続けると人はどうなるのかという事をレポーターが自分の体を張って調べるという趣旨で、店のカウンターで「スパーサイズはいかがですか?」と店員に薦められたら、スーパーサイズのハンバーガーを食べなければいけないという自分ルールがあるのです。
さて、そのレポーターは1ヶ月もするとブクブクに太り、医者からは糖尿病直前の状態と言われ、そこで断念して、結果をマクドナルド本社に電話で訴えたのです。
結局その映画の影響で、マクドナルドはスーパーサイズの販売を取り止めたそうです。

マクドナルドと言えば、その他にも、自分の息子が太りすぎで健康を害したのはマクドナルドのせいだと訴えられたり、最近もカルフォルニア州では、ハッピーセットは子供をオモチャで釣っては健康に良くない食事を与えている、といういちゃもん的な理由で、行政がマックにハッピーセットの禁止を迫っているという話もあるとか。
なるほど、何でも人のせいにするアメリカ人らしい発想だな、と笑ってしまうというか、マクドナルドを気の毒に思ったりします。
マック以外にもバーガーキングとか色々あるのにね。

で、いつも思うのは、ではもしマクドナルドが、いやもっと広げて、ハンバーガーショップが全てなくなったら、アメリカ人は健康的な食事が出来るのか?という話です。
答えは否ですね。
彼らは基本的に高カロリー食しか食べないからです。
例えば、ステーキ類、ピザ、フレンチフライ、フィッシュアンドチップスなどの大御所が残ります。ハンバーガーショップを追い出したら、さしずめ次はピザ屋が訴えられるのでしょう。

なんせ、アメリカで道行く人に「カロリーって何だか知ってるか?」と聞いても、「なんだそりゃ?カートゥーンのキャラクターか?」ってな答えが返ってくる有様で、栄養の事をまともに考えて食事をしている人など一部のインテリくらいしかいないのです。

少し前、掲示板にこんな投稿がありました。
「私は現在アメリカに住む日本人留学生です。こちらのホストファイミリーは、朝はハンバーガー、昼はクラッカー、夜はポテトチップスとハーゲンダッツのアイスクリーム、といった食事しか出してくれません。これはホストとしての義務違反として訴える事ができるでしょうか?」
これに対してある人が、
「アメリカの家庭の食事というものは概してその様なものです。自分の健康は自分で守るしかありませんよ」
という返事を書いていました。
ははは、納得。とうなずいてしまいました。
本当にこういう家は普通にあります。でもって健康が気になる人は、せいぜいビタミン剤をザラザラと口に流し込むのです。

マクドナルドは確かに社会的な影響力もある巨大企業で、高利益を上げているだけに目立つのは分かるけど、まずは国民に栄養やカロリーの事を正しく教えるべき行政としての義務や、子供に栄養的に良い食事を選択して与える親の義務を、それぞれに怠っている事を棚に上げているカルフォルニアの人達は世界的に見ても、あまりに無責任ではないのか?と思ってしまいます。


浜松祭りで

2010-05-03 22:43:34 | 平凡な日々
浜松にいる妹の所に遊びに行って来ました。
この時期、浜松といえば浜松祭。
大凧を上げるお祭として有名ですね。
それから、各町内が写真の様な山車をそれぞれ出して、引っ張って大通りをお囃子を演奏して歩いたり、ラッパを吹きながら練り歩いたりと3日3晩大騒ぎをするのです。
ちなみに山車の上の男の子は甥っ子です。

例年ずーずーしく妹の家の町内の一員みたいにして半被を借りて参加するんですが、今年は前夜祭に少し参加させてもらっただけで祭初日に帰ってきてしまいました。

昼間は野生児の甥に引っ張られて?ザリガニ釣りをしたり、潮干狩りをしたり..。
やっぱ静岡県はいいなぁ、なんてしみじみ思いました。

モデリングとカタルシス

2010-04-30 23:32:35 | 平凡な日々
昨今では結構な数の日本のアニメがアメリカに輸出されていますが、実はかなり手を加えてから輸出されているのをご存知ですか?
例えば、
人に向かって銃を構えるシーンは、銃を指に代えて指差すシーンとして差し替え。
もちろん銃を撃つシーンはカット。その他、人が死ぬシーンもカット、人を殴るシーンもカット。
とまぁ、異常なほどに暴力シーンを排除しているのです。
ワンピースなんて、すっかりストーリーも変えられてしまっているという話もあるくらいで。
これは、暴力シーンを沢山見た子供は、見ていない子供に比べて暴力行為をする割合が増えるという、モデリングと言われる心理効果を恐れての事です。

でもそんなん言ったら、日本なんてどうなるんでしょう?
息子が読んでるジャンプをめくってみると、戦いの話ばかり。
戦っていない漫画は、こち亀くらいなもんで。

仮面ライダーシリーズも酷いものでした。俺の子供の頃は、ライダーキックを受けた敵の怪人が立ったままもだえ苦しみながら「あぅっ!!デストロンさまーっっ!!」つって爆発して飛び散るさまをすごく悲しい気持ちで見ていたものです。
幼稚園の子供をさらったくらいで、なんでそんな残忍な仕打ちを受けなければならないのでしょうか?(笑)
手塚治虫の漫画でさえ、今も頭から離れないほどの残忍なシーンがありました。
日本は今でも残酷な事には寛容な国だと思います。

ちなみに漫画にしろ、映画にしろ、世の中に戦いの話が多いのは、男性が本能的に持っている闘争心からくるものだと言われています。
スポーツもそれです。
テレビやスポーツで戦いを擬似体験する事で本来持っている闘争心を紛らわせているというのです。
これを心理学的にはカタルシスというそうです。

ボーイスカウト克服なるか!?

2010-04-22 00:02:07 | 平凡な日々
去年の夏、息子を、ボーイスカウトに入れました。
どこかで見かけたのがきっかけで、息子が自分から入りたいと言い出したのです。

オレ自身といえば、子供の頃、ボーイスカウトに入っている子達はどちらかと言えば苦手でした。
以前、映画アダムスファミリーの第何話だったか、、姉と弟がそのてのスカウトの合宿に行くハメになり、活動をめちゃくちゃにしてしまう、という話がありましたね。
いい子ちゃん達や、お堅い親達をやっつける(実際は姉弟をいじめた連中が報いを受けるという設定だけど)という、スカウトを皮肉った話だったわけですが、俺はどちらかと言うと、そんなアダムスファミリー側の目で世の中を見ていたくちだったのです。

ボランティアは立派です。オレもいくつかやった事はあります。
ただ、それを団体でやっている人達(もっというとそういう人種が)苦手なのかもしれません。

さて、話をボーイスカウトに戻しますが、実は息子を入団させた時に、すごく気が重かった事が2つあるのです。
ボーイスカウトは、子供達を統率している大人達もまたボランティアで、だいたいは子供の頃からスカウトだった人達や、隊員の父親で構成されているのです。
息子を入れた時点で、自分自身も引っ張られるのは目に見えていました。

もう一つ気が重いのは、息子の団に、オレの中学時代の同級生(A男)の息子がいる事です。
そのA男は荒くれ者で、職を転々として、近年は家族からも見放され、挙句の果てに一昨年心臓発作で死んでしまいましたが、その息子というのが、そいつに見た目がそっくりで、荒くれた性格やら粗雑な行動パターンまでとにかく瓜二つなのです。
しかも、おとなしいうちの息子に何かとからんだりちょっかいを出しては団長さんに叱られたりして。(落ち着きがないだけで、いじめてるわけじゃないんだけどね)
まるで中学時代のオレとA男を見ている様なのです。
喧嘩した事やら、そいつのせいで先生に呼ばれてひっぱたかれた事やら、なんだか嫌な子供時代を思い出してしまうのです。

あ、あともう一つ、嫌な事がありました。
偶然にもオレのかつての会社の上司がスカウトの上層部にいて、最初に会った時、「おぉ!お前が来たからには、こりゃ沢山働いてもらわにゃいかんな!」なんて言われたのです。
いや、ホント、勘弁(笑)
金曜の夜などはもう再起不能ってくらいに消耗甚だしい状態で、最近じゃ土曜あたりも家で仕事してるのに、休日を誰かの為に尽くすだなどと、
金くれても勘弁って感じです。

で、それ以来、休日の息子のスカウト活動は、送り迎えを含めて自分はとにかく顔を出さない事にしています。
それでもなお、次回はお父さんも誘ってきな、、とか、チクチクと息子やカミさんに言って来るし。
面倒ですね。

吉田兄弟じゃなくて岡野兄弟でした

2010-04-19 18:58:37 | 平凡な日々
さて、昨日の日曜日は県民文化会館大ホールで津軽三味線と和太鼓のコンサートを見てきました。
そのコンサートの主催者から頼まれて10歳の息子がちょっとした役をもらってしまったのです。コンサートの最後に出演者に花束を渡す役を。
で、そういうものを見る事になった、というわけです。

実はね、オレも三味線を習った事あるんですよ。
それはずっと前の事、外国から戻って、自分の日本人としてのアイデンティティーは何だ?みたいな事を考えていた頃でした。
ギターなんて所詮は外国の楽器。
日本人なら日本の楽器の1つも弾けないといけないんじゃないか?みたいな。
教室では大勢のおばあちゃんに混じって桜とか荒城の月とか弾きましたよ。
半年くらい習ったっけな。可愛がられました(笑)

さて、津軽三味線の演奏は、全国大会を総なめにしているという岡野兄弟という22歳と20歳のイケメン兄弟でした。
で、途中から中野みちこさんて歌い手が演奏に加わったのですが、なんとその女性は岡野兄弟の義理のお母さんとの事。お二人のお父さんと結婚して3年目なのだとか。
いや、遠巻きに見て若く見えたんで(実際は37歳)、義理の母だと聞いた時には会場はざわめきましたよ。
てっちゃん、こうちゃん、お母さん、みたいに呼び合ってたなぁ。
家でどうやって接しているんでしょうね?
なんだか不思議な光景でした。

別の会場での彼らのコンサートの写真↓
http://inamai.com/news.php?s=1&i=200712101830330000024835

あぁ、そうだ、肝心な息子の花束贈呈は、前夜にお風呂で(観客にケツを向けるなとか)練習した甲斐もあってばっちりでしたよ。

適当に合わせる、という事

2010-04-15 22:49:39 | 平凡な日々
今夜はお客さんの接待のつもりが、同席した某取締役の自慢話にずーっと付き合う事になりました。娘さんが大学に合格したとか、蒔ストーブを買ったとか。

頭ん中では、はぁ疲れたな、今日は帰ってから何をしようかな、なんて考えながら、皆が笑うと「あははは」と合わせる。皆が関心そうにうなずくと俺も「へぇ」とうなずく。
そんなもんです。

さて、高遠、平日の夜は結構すんなりと入れていいですね。
毎年、屋台で買い食いするのが楽しみです。

ブログ公開します

2010-04-11 22:25:05 | 平凡な日々
なんともストレスフルな毎日の中で、こう、気持ちを開放する様な事を何か始めたい。
そんな感じであれこれ考えていた矢先に、同僚役員のある人から「ブログを始めました」とメールが送られてきました。
オレもブログはもう10年以上前から、やってはやめ、やってはやめしてきたわけですが、実はこのかた会社関係者にアドレスを教えた事は一度もなかったのです。
ブログは友達や知らん人達に読んでもらうからこそ書きたい事も書けるし真意を言えるんじゃないか、みたいなのもあってね。

で、オレもですね、この最近始めたブログを思い切って会社の人達にも公開してしまおうと思っています。
そこが自分にとっては新しい事。
内容的には、なんていうか、公と私の中間みたいなイメージですね。
あぁあの人はこんなキャラなんだ、と身近に感じてくれたら十分なのです。

仕事の話などしません。たぶん。
なんせここは、何かを伝える、なんて押し付けがましい事をする場所じゃなくて、オレが楽しく勝手に書きたい事を書くだけの場所なんで。

てな感じで公開の挨拶に代えさせていただきます。
過去ログも読んでみて下さいね↓

つれづれ会社物語..だっけか?

2010-03-17 22:10:41 | 平凡な日々
今日は都内のホテルから。
週の半分はホテル暮らしの日々です。
フロントでチェックインした時、フロントの女性が「○○さん、お部屋の鍵の使い方ですが、、」と俺の名前をわざわざ呼んでから部屋の鍵の使い方を説明してくれました。
それはそれで何となく嬉しかったのですが、おかげでせっかく忘れかけていた本日の失敗を1つ思い出してしまいました。
今日、非常に大事なお客さんの名前を別の担当の方と間違えて呼んでしまったのです。
何度も会っているのに、印象の似た別の人と間違えて。
あっ、やば、と気付いて言い訳するにも本当名前がなかなか出てきません。
で、なんとなくそのまま言い訳する事もなくお別れしました。お相手は何か言いたげな感じで口の端が妙に歪んでいました。
あちゃー、仕事を失ったかも、、と思いました。

昔から人の名前がなかなかおぼえられないのです。
会社で日々やりとりしている人でさえ、時にど忘れして、「えっと、あの、たけ、たけ、、えっと」などと呼んでしまい、「佐竹ですけど」なんて突っ込みを受けたりします。
最近は新人が入ると必ずノートに名前を書いて呼ぶ時に引っ張り出して確認したりしています。
人の名前をすぐに覚えられる人って、いったいどうなってるんでしょうか?
俺は子供の頃から、すぐに覚える物事と、なかなか覚えない物事が極端なのです。

さて、話は全く変わりますが、夕べ実家に行ってボーッとテレビを見ていたら、父親が「ブログってを皆やってるみたいだけど、何の為にやるんだ?」とやにわに聞いてきました。
「ある人は俺を見ろ、あるいは俺の意見を聞け、的な自己顕示欲から、ある人は自分の気持ちを誰かに知って欲しい的な寂しさから、ある人は身近な人には言えないけど見知らぬ人には言える秘密の話を聞いて欲しいといった思いから、、それぞれ違った目的でやってるんだよ」と答えました。
「日記なら自分一人のために日記帳に書けばいいし、誰かに話を聞いて欲しいなら友達や家族に話せばいいじゃないか。世の中、寂しい連中ばかりなんだなぁ」
案の定、秘密を隠せない直球勝負のO型昔人らしい感想が返ってきました。
ブログなんて俺は12年くらいやってるし、カミさんもどこか知らん所に書いてるみたいだし、カミさんのオヤジ様も少し前からブログを始めてハマっているという話だし、何を今更この人は、、と思いつつ、それらを先に言わなくて正解だった、と思いました。
たぶん理解できないでしょうから。

とはいえ、父は一昨年、自分の起業ジンセーを書きつづって「つれづれ会社物語」だっけ、、自費出版などして社員や取引先にその本を配ったりしたのですよ。
それとブログを書いて「お前ら読んどけ」というのと、どう違うのでしょうかね?

人はつまり、自分の言葉は人に聞いてもらいたいのです。
でも聞いてくれる人は実際には周囲にはあまりいない。
いても1人か2人。
でもできれば3人に、いや5人に、いや20人に、、といった感じでブログを書くわけですね。

魂は死んでも言葉は死なない

と誰か有名な人が言いました。
自分か今この瞬間を生きている証を残すのに、言葉ほど手っ取り早いものはないのです。
最近、にわかに人に訓示を垂れる機会が増えてしまったので、言葉の大切さを改めて感じています。
どういう形であれ、何か人の心に残せたら、と、これもまた自己顕示欲なのでしょうけど、そう思います。