昨日、近所の夏祭りに行ってきました。
最近、はやりなのでしょうか。中高生くらいの女の子の多くは、
浴衣のようではあるけれど下がズボンになった、いかにも動き
やすそうな浴衣(浴衣と言っていいのかわかりませんが)を着て
いました。
夏の情緒を取り入れつつも機能も併せ持ったすばらしい
ファッションだと思いつつも、なんだか胸につっかえるものがあります。
外見だけ取り入れて、肝心な魂を取り入れ忘れているのでは
ないか。
浴衣や着物は、古来からの日本独自の文化がもたらしたすばらしい
ファッションであることは言うまでもありません。ただ、それだけにとどまらず、
あの動きにくいファッションがもたらしたのは、日本女性のおしとやかさだと
思うのです。動きにくいから、動きやすくしてしまえという発想ではなく、
あえて、あの動きにくさを乗り越えることで日本人女性のおしとやかを
目指してきたのではないか。そう思うのです。
浴衣だけではないのかもしれません。
身の回りにある物事は、外見だけ真似て、肝心な魂、スピリットを
取り入れ忘れているのかもしれません。
作家の五木寛之さんは、明治維新以降、西洋の外見だけを真似て、
日本人の精神をどこかに置いてきてしまった、「無魂洋才」と言います。
戦後の日本が取り入れた自由経済は、「神の見えざる手」で成り立つ
のです。神を信じる国の発想から生まれた仕組みであると言います。
そんな視点で日々暮らしていると、さまざまなことを片手落ちにならず、
見習えるのではないでしょうか。外見だけではなく、その物事の精神を。
最近、はやりなのでしょうか。中高生くらいの女の子の多くは、
浴衣のようではあるけれど下がズボンになった、いかにも動き
やすそうな浴衣(浴衣と言っていいのかわかりませんが)を着て
いました。
夏の情緒を取り入れつつも機能も併せ持ったすばらしい
ファッションだと思いつつも、なんだか胸につっかえるものがあります。
外見だけ取り入れて、肝心な魂を取り入れ忘れているのでは
ないか。
浴衣や着物は、古来からの日本独自の文化がもたらしたすばらしい
ファッションであることは言うまでもありません。ただ、それだけにとどまらず、
あの動きにくいファッションがもたらしたのは、日本女性のおしとやかさだと
思うのです。動きにくいから、動きやすくしてしまえという発想ではなく、
あえて、あの動きにくさを乗り越えることで日本人女性のおしとやかを
目指してきたのではないか。そう思うのです。
浴衣だけではないのかもしれません。
身の回りにある物事は、外見だけ真似て、肝心な魂、スピリットを
取り入れ忘れているのかもしれません。
作家の五木寛之さんは、明治維新以降、西洋の外見だけを真似て、
日本人の精神をどこかに置いてきてしまった、「無魂洋才」と言います。
戦後の日本が取り入れた自由経済は、「神の見えざる手」で成り立つ
のです。神を信じる国の発想から生まれた仕組みであると言います。
そんな視点で日々暮らしていると、さまざまなことを片手落ちにならず、
見習えるのではないでしょうか。外見だけではなく、その物事の精神を。