行雲流水の如くに

宗教心を無くした日本人の痛ましさーーー最近の悲惨な事件に思う

このところ痛ましい事件が相次いでいる。
引きこもりの50代の男性が小学生や保護者に無差別に切りつけ、挙句の果てに自殺してしまった。
またこの事件に触発されたのか元厚生省の次官まで務めた父親が、引きこもりの息子と口論し殺害してしまった。

宗教心を持つということは「自分を深く見つめる」ことからスタートするのだと思う。
そして最後は絶対者(神なのか仏なのか)に帰依することによって救われるのであろう。
親鸞は次のように述べている。
「煩悩具足の凡夫・家宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」

某テレビのキャスターやコメンテーターのように軽々しく人の死を語るべきではあるまい。
もし語るとしても、罪あるものとしての自己、重い矛盾を背負いながら生きる姿を自覚しながらでなければならないだろう。
親鸞の言う「罪業深重の凡夫」を自己の中に発見しながらの発言が必要だろう。

貧乏で明日の生活がわからない人生も厳しいが、心の奥に闇を抱えて生きるのも厳しいことだ。
私の祖母は学が何もない人だったが、熱烈な浄土真宗の信者だった。
何か事あるごとに「なむまんだ、なむまんだ」と唱えていたが、それはそれで満ち足りた人生だったのではないだろうか。

第二次世界大戦のさなかにおいて、「歎異抄」(親鸞の言葉を書き記したもの)は密かに愛読された。
戦地に赴く若い兵士が、「歎異抄」1冊携えて出征したというエピソードがある。

南無阿弥陀仏は「阿弥陀如来」のことだ。
その阿弥陀如来は、すべての人は「煩悩の塊」であり、助かる縁なき極悪人と見抜かれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているのだ。

宗教心を無くした日本人はどこを彷徨うのであろうか?
    

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