世俗的には、助さん、格さんを伴って全国を漫遊する、
越後のちりめん問屋のご隠居・・・で、おなじみの「水戸黄門」。
“勧善懲悪”スタイルの典型で、松下電器の提供の超長寿番組。
知らない日本人はいないのではないでしょうか。
私も“そんなもんだろう・・・”程度に気にも止めていませんでしたが,
ある日何気なく「本当はこんな人・・・」というTV番を見てしまいました。
(NHK 毎水曜夜10時放送『歴史秘話ヒストリア』で5月27日放送分。
サブタイトルは、【 いたって好奇心 ~水戸黄門・知られざる熱中人生~】
内容を簡単に列記するとこんな感じです。
■ 実際の水戸光圀は全国漫遊はしていない。
■ 「黄門」とは中国の官位で、当時の日本では「権中納言」に当たる。
■ 後世になって庶民の中で形作られ、語り継がれたものが“漫遊記”。
■ 漫遊記として庶民にもてはやされた時代、
関東では、俳諧師を装ったが黄門さまが一人の弟子を伴って
全国行脚をしたというスタイルで語られ、 関西では、
助さん、格さんを伴ったご隠居が諸国を漫遊というスタイルで語られたそうです。
ということは、関西スタイルが広く認識、定着したようです。
■ 「助さん」に相当する実在の人物は『佐々(さっさ)介三郎(すけさぶろう)』
といい、生まれは下級武士だったが、貧困から、
子供のころに寺に入れられ僧侶となった。
彼は物事の理解、解釈において実際体験主義だった為、
僧侶界の机上空論風潮を嫌い、論戦の末出奔し、
水戸光圀の作った“彰考館”にごり押し入門したという変わり種だったそうです。
その人柄を見込まれて、光圀の手となり足となり目となったようである。
■ この介三郎は光圀の命を受け、全国の歴史資料を調べ、収集する役割で
全国を行脚して、その時の苦労談のような文献も残っています。
■ 一方、「格さん」に相当する人物は『安積(あさか)澹泊(たんぱく)』という人で
別名、覚兵衛(かくべい)」といい、そこから格さんになったようです。
ただしこの人は全国行脚をする探査人ではなく、先の「彰考館」で
集まった情報を編集・編纂する任務の人のようです。
全編を通して私が共感を覚えた部分は、
① 介三郎の生き様。
机上の空論を嫌って、肌で直接感じる事象を
あきらめずに貪欲に吸収していこうとする姿勢。
② 光圀の基本的スタンス。
「歴史が無ければ未来がない」とし、過去の歴史資料を精力的に集め、
集めて保存するだけなら凡人なのだが、 光圀はそれを“編纂”し、
膨大な時間と労力をかけ、 『大日本史』を生前には完成を見ることなく
作り上げたというすごさ。
これは自分だけのための事業ではなく、将来の人のためという
壮大なスケール感で生き抜いた事を現している。
人に指示するだけでなく、自分の眼で精力的に読破・理解をし続けた
ようです。
常に周囲に言い続けたことは、
「歴史は必ずしも真実を語っていない。それを別な資料をもとに
裏付けを取って検証していく努力が大事である。」としている。
根本には“人に正しく教えたい”という強い情熱があったそうな。
余談ながら、「大日本史」は時間がかかるものとして、それ以外、少しでも早く
庶民の役に立つものを形として出そうとしたらしく、
作られた出版物がいくつかあり、中でも「鎌倉の本」を見ると、
現代で言う「るるぶ」のような観光案内本であった。
ここをこうめぐって、途中にはこんな見どころがある、挿絵まで入っている
その本を見ると水戸光圀という人は、事業家、編集人、広告クリエーターなど、
我々現代の広告人に似たDNAがあったように思われてならない。
印籠を掲げて「ここにおわすはどなたと心得る!」という黄門さまではなく、
歴史的人物としての黄門さま(水戸光圀)を振り返ることが、
江戸時代に彼が述べた『歴史は未来を作る』という事に
繋がるのではないでしょうか。