私の胸が高鳴るおもしろいと思うことのうちのひとつが
「視点の違いを描く」
「人の立ってる場所によってものの見え方が違う。」
コレを描いたものが面白い。
ちょっと、いや、かなり昔の話になるけど
いがらしみきおさんの、ラッコが主人公の漫画「ぼのぼの」
あれが大好きだった理由がそれでした。
視点の違い、見え方の違いをよく描いてあっておもろかった。
たとえば、オセロの駒がありますよね。
あれを立てて置いたとして
北側に座っている人には「白い丸」にみえる
南側の人は「黒い丸」だという
西に座ってる人は「真ん中から左が白くて右が黒い短冊」だという
東の人は「半分から左が黒くて右が白い」という
だれもうそをついてないし正しい。
しかしそこから動くことが出来ない限り、みんな違うことを言っていても
その全てが正しい、ということはそれぞれには見えません。
では、自分以外は正しくない? うそを言ってる?
それぞれの場所に移動することが出来れば正しいのはすぐわかる。けど動けない場合
立ち位置の違う人の話はものすごく面白い。
自分が見ることができないその世界をその人はみている。
少し前にカスタマイズについて書きましたが
それを読んでくださった人からおもしろい話を聞けました。
私はあのとき一発目に「目がけろんけろんしないプチはプチと思えない」と書きました。
初期プチはプチの最初なんだから否定できるわけもないけど
私にとっては今のプチと初期プチは「違う人形」に思える。
てなことを書きました。
しかし、その人は「私の中では初期プチも今のプチも違和感なく、同じプチプチブライスかな。」と言うのです。
その人はその、「初期プチ」からリアルタイムでプチブライスを追ってきた人なのです。
まだ今のプチブライスのようになるとは知らない、「ブライスのミニチュアのキーチェーン」でしかなかった
まさに「プチブライス」が生まれた頃から知ってるわけです。
正しい順番で、プチの歴史どおりにみてきた人です。
そういう人が初期プチを「違和感なくプチ」だと思えるというのは当たり前といえばものすごく当たり前かもしれない。
だって初期プチがすなわち「プチブライス」だったんだから。
一方私は、Tiptouに切り替わる頃にようやくプチを知った新参者です。
その私(同じ立場の人が私と同じ見かただとは思いませんが)から見ると、
初期プチはいまのプチとはやっぱり全然「別の人形」です。
「違和感なくプチ」だと思えるその感覚は、思えない私には「想像するしかない」感覚なのです。
私も初期プチの頃からプチをリアルタイムで知っていたら、「違和感なくプチはプチ、同じ人形」と
感じられているのかもしれない。
すごくすごくおもしろい。
とかく「違う意見」を出すと「否定された」「攻撃された」ととられがちで
そうとられるのが嫌だから、なかなか自分の意見は言い出せない、言えない、ということが
多いと思うんですが、
お互いを認めたうえで「違いをつけあわす」ことなら、それはものすごく面白いことだなと思います。
私のそんな考えを汲んだ上で
自分の立ち位置から見えることを聞かせてくれたことがすごくありがたく、嬉しかったです。
やっぱり 「同じ」なのも嬉しいけど、
「違い」がわかることも、すごくすごく嬉しく楽しく、本当に面白いことだなぁと
背中がぞくそくするほどわくわくしたのでした。
そして、私が固定目削りカスタムは「作品」、
作ってる人も自分の作品と思って作ってるはずと書いたことにも
「でもそういうカスタムをしている人はやっぱりディフォプチも
自分のカスタムプチも同じく違和感なく「プチブライス」で
もしかして作品とわけて思っていないのかもしれない。」
という新しい見解も提示してくださったのでした。
うぉーわからないー。そうなの?どうなんだろ!
しかし、わからないということは面白いなぁ。
たまらんな。
プチブライス:ピンクパジャマパーティ
OF:レモンさん
「視点の違いを描く」
「人の立ってる場所によってものの見え方が違う。」
コレを描いたものが面白い。
ちょっと、いや、かなり昔の話になるけど
いがらしみきおさんの、ラッコが主人公の漫画「ぼのぼの」
あれが大好きだった理由がそれでした。
視点の違い、見え方の違いをよく描いてあっておもろかった。
たとえば、オセロの駒がありますよね。
あれを立てて置いたとして
北側に座っている人には「白い丸」にみえる
南側の人は「黒い丸」だという
西に座ってる人は「真ん中から左が白くて右が黒い短冊」だという
東の人は「半分から左が黒くて右が白い」という
だれもうそをついてないし正しい。
しかしそこから動くことが出来ない限り、みんな違うことを言っていても
その全てが正しい、ということはそれぞれには見えません。
では、自分以外は正しくない? うそを言ってる?
それぞれの場所に移動することが出来れば正しいのはすぐわかる。けど動けない場合
立ち位置の違う人の話はものすごく面白い。
自分が見ることができないその世界をその人はみている。
少し前にカスタマイズについて書きましたが
それを読んでくださった人からおもしろい話を聞けました。
私はあのとき一発目に「目がけろんけろんしないプチはプチと思えない」と書きました。
初期プチはプチの最初なんだから否定できるわけもないけど
私にとっては今のプチと初期プチは「違う人形」に思える。
てなことを書きました。
しかし、その人は「私の中では初期プチも今のプチも違和感なく、同じプチプチブライスかな。」と言うのです。
その人はその、「初期プチ」からリアルタイムでプチブライスを追ってきた人なのです。
まだ今のプチブライスのようになるとは知らない、「ブライスのミニチュアのキーチェーン」でしかなかった
まさに「プチブライス」が生まれた頃から知ってるわけです。
正しい順番で、プチの歴史どおりにみてきた人です。
そういう人が初期プチを「違和感なくプチ」だと思えるというのは当たり前といえばものすごく当たり前かもしれない。
だって初期プチがすなわち「プチブライス」だったんだから。
一方私は、Tiptouに切り替わる頃にようやくプチを知った新参者です。
その私(同じ立場の人が私と同じ見かただとは思いませんが)から見ると、
初期プチはいまのプチとはやっぱり全然「別の人形」です。
「違和感なくプチ」だと思えるその感覚は、思えない私には「想像するしかない」感覚なのです。
私も初期プチの頃からプチをリアルタイムで知っていたら、「違和感なくプチはプチ、同じ人形」と
感じられているのかもしれない。
すごくすごくおもしろい。
とかく「違う意見」を出すと「否定された」「攻撃された」ととられがちで
そうとられるのが嫌だから、なかなか自分の意見は言い出せない、言えない、ということが
多いと思うんですが、
お互いを認めたうえで「違いをつけあわす」ことなら、それはものすごく面白いことだなと思います。
私のそんな考えを汲んだ上で
自分の立ち位置から見えることを聞かせてくれたことがすごくありがたく、嬉しかったです。
やっぱり 「同じ」なのも嬉しいけど、
「違い」がわかることも、すごくすごく嬉しく楽しく、本当に面白いことだなぁと
背中がぞくそくするほどわくわくしたのでした。
そして、私が固定目削りカスタムは「作品」、
作ってる人も自分の作品と思って作ってるはずと書いたことにも
「でもそういうカスタムをしている人はやっぱりディフォプチも
自分のカスタムプチも同じく違和感なく「プチブライス」で
もしかして作品とわけて思っていないのかもしれない。」
という新しい見解も提示してくださったのでした。
うぉーわからないー。そうなの?どうなんだろ!
しかし、わからないということは面白いなぁ。
たまらんな。
プチブライス:ピンクパジャマパーティ
OF:レモンさん
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