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99歳になったカーク・ダグラス、映画業界人向けアルツハイマー病施設に18億円寄付

2016年11月24日 | 日記

99歳の誕生日を迎えたカーク・ダグラス もうすぐ100歳!
写真提供:アマナイメージズ 2015年12月21日 17:00

  

[映画.com ニュース] 米俳優カーク・ダグラスが12月9日、99歳の誕生日を迎えた。お祝いのパーティには、息子のマイケル・ダグラスやその妻キャサリン・ゼタ=ジョーンズを始め、多くの人々が駆けつけた。だがこの日、ダグラスは自分が誕生日プレゼントをもらう代わりに、他者に対するビッグプレゼントの用意があることを発表した。

米Deadlineによれば、ダグラスは、ジェフリー・カッツェンバーグが理事長を務める映画テレビ基金(MPTF)にこのほど1500万ドル(約18億円)を寄付。同基金はこの1500万ドルを含む3500万ドル(42億円)を投じて、映画業界人向けのアルツハイマー病施設をロサンゼルス近郊ウッドランドヒルズにある同基金敷地内に建設することを決定し、「カーク・ダグラス・ケア・パビリオン」と命名すると発表した。

同施設では、最大で80名のアルツハイマー病に罹患した映画・テレビ関係者を収容してケアすることが可能で、着工を2016年後半に予定している。カッツェンバーグによれば、ダグラス夫妻はこれまでに今回の1500万ドルを含めて4000万ドル以上を映画テレビ基金に寄付しているという。

ダグラス自身はアルツハイマー病ではないが、自分が世話になったハリウッドのエンターテインメントコミュニティに貢献することを信条としているそうだ。

※ドク・ホリデイ役で「OK牧場の決闘」に出演! 1957年パラマウント作品

私にはワイアット・アープ役のバート・ランカスターとの共演が一番印象に残っている!私の好きだったバート・ランカスターは1994年10月20日(満80歳)で亡くなっている。

 

※もう一人、気になる女優のドリス・デイは今94歳で健在でした。

  

父はドイツ出身の音楽教師で、両親は彼女が10歳の時に離婚。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン英語版から名付けられた。幼い頃から歌や踊りが好きで、バレリーナを目指していたが、15歳の時に列車事故に遭い、激しい踊りができなくなりその夢を断念[2]。しかし歌の方は続け、18歳の時にジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加。バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(後にレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、20歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した『センチメンタル・ジャーニー』を歌い、大ヒットさせる。

1946年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。離婚直後にワーナー・ブラザーズのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。評判はよく1949年に2本、1950年に主題歌もヒットした『二人でお茶を』など3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。同年エージェントだったマーティン・メルチャーと結婚。また、1953年西部劇ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年アルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した[3]

1968年に夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導している。

彼女が活躍していたころの名優、ヒチコック作品「知りすぎていた男」(1956年)で共演したジェームス・スチュアートは1997年7月2日(満89歳)で亡くなっている。主題歌 歌:ドリス・デイ 「The Man Who Knew Too Much」(1956) Theme Doris Day - Que Sera, Sera (ケ・セラ・セラ / ドリス・デイ) は大ヒット!

もうこの年代の俳優で健在なのは、多分カーク・ダグラス とドリス・デイの二人ぐらいだろう?!100歳と言わずもっともっと頑張って下さい!


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