MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

上司の死と20代の思い出

2007-03-13 12:12:39 | Weblog
先月、10年以上前に勤めていた会社の神奈川支社内の飲み会に呼ばれて大手町まで出かけた。メールを読んだら「山根支店長をしのぶ会」とあり、最初は冗談だと思った。支店長が亡くなったとはつゆ知らず、それが3年前と聞いて更に驚いた。現役の頃はあんなに元気だったが、会社を定年退職したとたん、急速に身体が弱っていって亡くなったという。

山根支店長は神戸の海運会社の役員をしていたが、出世競争に敗れ、この会社にスカウトされてきた。神奈川支社を任され、その営業力と押しの強さで抜群の売上を上げ、社内でゴッドファーザーと呼ばれるほど圧倒的地位を築いていた。自分の信念を決して曲げないし、人の意見はほとんど聞かないが、親分肌で男らしく、本社から何を言われても山根支店長がなんとかしてくれるというような頼もしさがあった。性格的には出っ張りのある人だったが、あれほど仕事に情熱を傾ける人は見たことがない。山根さんから学んだことは大きかった。僕は山根さんが好きだった。

あの人が定年後の人生を悠々自適に楽しむとはイメージできない。仕事に命を掛けていた企業戦士の山根さんらしい最後だなと思った。男は仕事を終えたら早く死んだ方がいいというのが山根さんの美学なのだろう。
そういえば最近山根さんから怒られる夢を2回ほど見た。どうして今頃になって山根さんが夢に出てくるのか不思議だったが、天国の山根さんが、最近仕事では不甲斐ない僕に活を入れようとしてくれたのかと納得した。

飲み会では懐かしい神奈川支社の先輩、後輩、同僚が30人以上集まった。まだ同じ会社に居る人が7割位、その他別の会社に転職した人が3割位来ていた。老けてガラリとイメージが変わった人もいれば、全く変わらない人もいた。
僕は辞めてからほとんど前の会社の人達と連絡を取っていなかったが、みんなから全然変わっていないと言われてうれしかった。まあ、20代の頃から老け顔だったから、こういう顔は歳をとっても変わらないのが利点だろう。

この会社は人を扱う派遣会社で、ベンチャー企業だけに、ホットで人間臭い人が多くて面白い。コンピュータシステムとか、伝統ある企業にいる社員とは全くカラーが違うと思う。
現役の人に聞いたら、上場したこともあり会社の体制もずいぶん変わったそうだ。後輩達もいつの間にかいろんな役職に就いて偉くなっていた。
だが僕は会社を辞めてからはサラリーマンとは全く違う経験をしてきたから、彼らを見ると雇われているという感覚から抜け出ていないなと感じる。
まあ、サラリーマンが向く人もいれば、自営業が向く人もいる。人それぞれ、自分に合ったところに落ち着くのだろう。

プライベートな話も聞いてみたら、20代で社内結婚したカップルのほとんどは既に離婚していたり、再婚したりしていた。あの頃はあんなに仲が良かったのにと残念だったが、それぞれやむを得ない事情があったのだと思う。
僕も実は未婚の父だと言ったら、みんな驚いていた。昔の僕のイメージとは違ったらしく、須藤さんにしては波乱万丈の人生ですねと言われた。
僕だって好き好んでこんな結果になったわけではないが、こうして相手から学び、それが終わったら別れていくのも人生だから仕方ない。

久々に懐かしい昔話にも花が咲いたが、当時、新入社員だった後輩の女性から、「須藤さんにとってTちゃんはどんな存在だったんですか?」と質問攻めにあったのには参った。
確かにあの頃、Tちゃんとの噂は支社内で誰も知らない人はいない状況だったけれど、あれから14年近く経っているのに、まだ言われ続けるとは・・・。

でも最後が悲劇的な結末だったことあって、みんなにとっても印象的な出来事だったのかもしれない。もう隠しても仕方ないし、どうせ今は辞めて何の利害関係もない。だから自分の気持ちを正直に語った。
「Tちゃんに好かれるために自分を変えようとして・・」「Tちゃんが結婚したと聞いたときは毎日泣いて泣いて・・・」「Tちゃんのお陰で自分は成長したよ」というような話をしたら、みんな興味深そうに話を聞いてくれた。
まあ、40過ぎてこんな中学生の初恋みたいなピュアな話をする男もいないだろうし、それで新鮮に感じたのかもしれない。

僕は振られた方だから、普通だったら「いやあ、あの頃はまだ若かったから・・・」とか「周りが言うほどは好きでもなかったけどね・・・」とか格好つけて適当にお茶を濁すのかもしれない。
しかし僕は自尊心やプライドが全然ないので、自分の気持ちを正直に語っても全く恥ずかしいとは思わない。もし変なプライドで自分自身を偽ったような返事をしたら、Tちゃんとの思い出を汚すことになる。今更そんなことはしたくない。

でも確かにあの事件は僕にとって人生のターニングポイントであったことは間違いない。あの頃は会社で揉まれていくうちに、いろんな自我やプライドが出てきた時期だった。まだ自分自身がどういう人間なのかまるでわかっていなかった。
しかし彼女に相手にされなかったことで、今までの自分を冷静に分析してみた。するとどう考えても彼女には不釣合いな男であると認めざるを得なかった。
それでも彼女をどうしても諦めきれず、彼女と付き合うには自分自身を変えるしかない。それまでの自我やプライドを完全に捨て去り、別の自分に生まれ変わる位のつもりでないと、彼女とは付き合えないと悟った。

あの頃は自分を変えようと、我ながらがんばったと思う。そうして努力しているうちに自分が変わり、いつの間にか彼女を超えたという感覚になったときがあった。
あの経験のお陰で、自分の魂を隠していた自我やプライドが完全にはがれ、自分の内面に隠れていた魂が、完全に開放されたように思う。

スピリチュアリズムでも、自らの霊性を向上させるためには、ただ本を読んで学んでいるだけではだめで、実践において学ばなければ身に付かないとあるが、その意味がわかった。

あの経験がなければ、自分は今頃どうなっていたのか想像すると、背筋が寒くなる。きっと軽薄で薄っぺらな人間のままだったと思う。
悲しみが何なのかを知らず、人を表面的にしか判断できず、自分自身がどんな人間かすらもわからない、底が浅い人間のままだっただろう。

僕は平均的な人よりも、直観力、洞察力、認識力が優れていると思うが、それはこの時に深い悲しみを体験し、自分の魂の奥深くまで耕されたことによる効用だ。悲しみと引き換えに、霊性を進化させることができた。
今は世間体や周りの雑音に惑わされず、自分の本心がどこにあるのか、真っ直ぐに見つめることが出来るようになった。本心と違った行動をするようなこともなくなった。

久々に前の会社の人達との飲み会は楽しかった。懐かしいみんなと話をしたら、あの頃の自分を思い出した。
しかし飲み会にはもちろんTちゃんは来なかった。彼女には会いたいような、会いたくないような、複雑な気持ちがする。会って話がしたいし、改めてお礼を言いたいのはもちろんだが、あの頃のイメージを壊したくはない。会わなければ僕の中でTちゃんはずっと20代のままでいられる。

やはり次に会うのは天国でいいのかもしれない。