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まさおレポート

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バリで暮らすということ そして日本が恋しくなる頃 文字数:4248

2017-07-26 | バリ スペシャル

バリで暮らすということ──そして日本が恋しくなる頃

赤いパラソルが並ぶサヌールのサンデーマーケット。
焼き菓子の香ばしい匂いと、陽に照らされた服地の鮮やかさのなかで、異国の地に暮らす人々の声が混じり合う。

バリに5年滞在している知人Aさんが、つぶやいた。

「昨日まで日本に帰ってたんですよ。もうバリに戻りたくなかったなあ」

その言葉に私は驚く。

「え、日本よりバリのほうが楽しいのかと思ってた」

「そりゃ日本の方が友達も多いし、食い物もうまいし、ビールもうまいよ」と笑って、
「でも、もうこっちに生活の基盤ができちゃったからね。頑張るしかないよ」

──年齢的に峠にさしかかる頃、日本回帰が始まるようだ。


バリに嫁いで15年になるBさんも、似たことを語っていた。

「日本が恋しくなるのは年々強くなります。特に、里帰りから戻った直後はね」

「こちらのバンジャール(地域共同体)に馴染むのって、姑に馴染むより数倍努力がいるんですよ」

たしかに。祭礼のたびに求められる服装や作法、祈りの形式まで。
バリの女たちは“嫁いできた外の人間”に対して容赦なく、甘えは許されない。

「40代にもなると、ガベン(火葬)とかも現実のこととして考えるようになるし…」とBさんは笑う。

「火葬ってさ、土葬のあとに改めてされるんだよね? ちょっと抵抗あるな」と私。

「そう、だから、それを自分が本当に受け入れられるのか、ちょっと怖くなるんです」と彼女は真顔で言った。

死というテーマに触れ始めたとき、人は自然と“帰る場所”を思うのかもしれない。


バリ生活10年になるCさんもこう言った。

「そろそろ飽きてきたんだよね。沖縄に住むのもいいかなって」

社交的な彼だが、バリではやはり“語り合える日本語の相手”が少ないのだろう。
話し相手、飲み友達。気の合う仲間の存在は、人生を彩る。

Cさんにも、確実に日本回帰が始まっていた。


一方で、Dさんは違う。

年に数回、バリと日本を行き来している。7年間、その生活を続けているという。
半年ずつを交互に暮らすEさんも、同じように淡々としている。


理想を言えば、バリと日本を“同じだけ往復する”ことかもしれない。
片方だけに根を下ろすと、どちらかが恋しくなる。
行き来することで、両方がいつまでも「帰れる場所」であり続けるのだ。

──もちろん、そんな贅沢が簡単に叶うわけではない。
「それができりゃ苦労しないぜ」
そんな声が、どこかから聞こえてくる。

 


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