
バリで暮らすということ──そして日本が恋しくなる頃
赤いパラソルが並ぶサヌールのサンデーマーケット。
焼き菓子の香ばしい匂いと、陽に照らされた服地の鮮やかさのなかで、異国の地に暮らす人々の声が混じり合う。
バリに5年滞在している知人Aさんが、つぶやいた。
「昨日まで日本に帰ってたんですよ。もうバリに戻りたくなかったなあ」
その言葉に私は驚く。
「え、日本よりバリのほうが楽しいのかと思ってた」
「そりゃ日本の方が友達も多いし、食い物もうまいし、ビールもうまいよ」と笑って、
「でも、もうこっちに生活の基盤ができちゃったからね。頑張るしかないよ」
──年齢的に峠にさしかかる頃、日本回帰が始まるようだ。
バリに嫁いで15年になるBさんも、似たことを語っていた。
「日本が恋しくなるのは年々強くなります。特に、里帰りから戻った直後はね」
「こちらのバンジャール(地域共同体)に馴染むのって、姑に馴染むより数倍努力がいるんですよ」
たしかに。祭礼のたびに求められる服装や作法、祈りの形式まで。
バリの女たちは“嫁いできた外の人間”に対して容赦なく、甘えは許されない。
「40代にもなると、ガベン(火葬)とかも現実のこととして考えるようになるし…」とBさんは笑う。
「火葬ってさ、土葬のあとに改めてされるんだよね? ちょっと抵抗あるな」と私。
「そう、だから、それを自分が本当に受け入れられるのか、ちょっと怖くなるんです」と彼女は真顔で言った。
死というテーマに触れ始めたとき、人は自然と“帰る場所”を思うのかもしれない。
バリ生活10年になるCさんもこう言った。
「そろそろ飽きてきたんだよね。沖縄に住むのもいいかなって」
社交的な彼だが、バリではやはり“語り合える日本語の相手”が少ないのだろう。
話し相手、飲み友達。気の合う仲間の存在は、人生を彩る。
Cさんにも、確実に日本回帰が始まっていた。
一方で、Dさんは違う。
年に数回、バリと日本を行き来している。7年間、その生活を続けているという。
半年ずつを交互に暮らすEさんも、同じように淡々としている。
理想を言えば、バリと日本を“同じだけ往復する”ことかもしれない。
片方だけに根を下ろすと、どちらかが恋しくなる。
行き来することで、両方がいつまでも「帰れる場所」であり続けるのだ。
──もちろん、そんな贅沢が簡単に叶うわけではない。
「それができりゃ苦労しないぜ」
そんな声が、どこかから聞こえてくる。