井戸の底に降る声
夢から覚めても、バリの朝は静かだった。熱帯の鳥の声が鳴き始めるまでは、どこか時間が押し殺されたような、底の浅い眠りの続きだった。
アユの姿は、どこにもなかった。昨夜の儀式を覚えている者もいなかった。ポレンの布も取り払われ、ガジュマルの根元には乾いた葉が積もっていた。まるで、彼女ははじめから存在しなかったように。
私は、ある種の敗北感を覚えながら、井戸の縁に座った。そこに何か . . . 本文を読む
1922年3月、亡命ロシア人の政治集会の場で、自由主義を貫いた作家ウラディーミル・ナボコフ(ナボコフの父)が、ツァーリ体制を理想化する青年によって射殺された。悲劇的な事件である。その報に接したドイツのハリー・ケスラー伯爵は、日記に次のように記している。
「ロシア文化と芸術の生産的な力は衰弱していない。殺人を許されるのは産むことのできる人間のみ」
一読して驚く。これはまさしく、ドストエフスキ . . . 本文を読む
陰謀論という言葉は、しばしば議論を打ち切るためのラベルとして使われる。相手に「おまえの言っていることは陰謀論だ」と一言投げつけることで、反論の余地を封じる。だがそれは、本来ディベートでは禁じ手とされている。ラベル貼りは議論の停止であり、対話を閉じる行為だからだ。したがって、陰謀論とはまず「仮説」として開かれた思考の対象と捉えるべきである。内容の荒唐無稽さではなく、その語り方、論理の組み立て、社会的 . . . 本文を読む
中国共産党と『カラマーゾフの兄弟』のイワン 「すべてが許される」という感覚の行き先
1 カミュとカラマーゾフを補助線に
コロナ禍が映し出した中国共産党の統治スタイル、それは「強権的な無神論国家がいかにして公共善を動員し、人々を献身へと駆り立てるのか」という問いを私たちに突きつけた。似た光景を描く文学は少なくない。たとえばカミュ『ペスト』。神を信じない医師リウーは、それでもなお患者を救うため献身 . . . 本文を読む
アリョーシャの語るドストエフスキー 奇人と信仰の地平で
「僕は書かれざる第二巻で、革命軍に身を投じ、そして皇帝によって処刑される運命にあったらしいんだよ。」
そう呟く僕。アリョーシャ・カラマーゾフ。ドストエフスキーが彼に語らせたかった言葉は、完成することのなかった『カラマーゾフの兄弟』第二部に託されていた。読者の多くがいい子ちゃんとみなすアリョーシャ。その彼がなぜそんな過酷な結末を迎える構想の . . . 本文を読む
嫉妬の力学 『カラマーゾフの兄弟』と『源氏物語』における愛と誤解の連鎖
『カラマーゾフの兄弟』という小説は、父殺しの物語として読まれることが多いが、その底には複雑に絡み合う嫉妬の感情が深く横たわっている。とりわけ、登場する女性たちの感情の軋轢、すなわちグルーシェニカとカテリーナとの間に交わされる嫉妬の相剋は、物語の核心のひとつである。
カテリーナは、心のどこかでミーチャ(ドミートリイ)への思慕 . . . 本文を読む
ハリー・ポッターにおける「父殺し」と影との和解
『ハリー・ポッター』は一見、魔法と友情の物語に見えるが、その根底には神話的な主題が脈打っている。その一つが「父殺し」の変奏である。
ハリーの実の父ジェームズ・ポッターは、既に故人である。しかし、ヴォルデモートという邪悪な父の化身とも呼ぶべき存在と対峙する構図は、神話的視座から見るときわめて典型的である。
ヴォルデモートはただの敵ではない。彼はハ . . . 本文を読む
私のドストエフスキー体験:イワン、ドミートリイ、そして奇人アリョーシャ
『カラマーゾフの兄弟』は、読むたびに新しい貌を見せる。読む者の年齢、環境、信条、そのすべてを試すようにして。私がこの作品に惹かれてやまないのは、その「冗長さ」すらも含めて、あまりに周到に仕掛けられた精神の迷宮だからである。
イワンが発狂するまでの周到な描写は驚異的だ。臭い、味、視線、笑い。細部にわたる異常感覚の演出が、じわ . . . 本文を読む
人物化した思想が動き出す
椎名麟三とバフチンを手掛かりに読む『カラマーゾフの兄弟』
「ドストエフスキーの人物は、一つの観念がそのまま生命をもった存在である」――椎名麟三「ドストエフスキーの作品構成についての瞥見」(1942)
1 椎名麟三が射抜いた “人物=イデー” という構図
昭和 17 年、まだ無名だった椎名麟三は短い評論の中でドストエフスキーの特徴 . . . 本文を読む
物語の構造と越境 村上春樹・蓮實重彦・ドストエフスキーをめぐる断章
小説にとって「物語性」とは何か。村上春樹は随筆『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』でこう述べている。小説の本質とは物語ることであり、人は夢を見続けるために物語を必要とするのだと。この言葉に私は強く惹かれた。だが、その「物語性」はどこまで新しいものたり得るのだろう。すでにある説話的構造をなぞるのではなく、物語性の「発見」にまで . . . 本文を読む
「金とは、むずかしいものだ」──司馬遼太郎とドストエフスキーの交信
司馬遼太郎とドストエフスキー。一見すると、あまりに異なる作風の二人である。前者は写実と歴史を語る日本の大河的語り部、後者は神と悪魔と魂の深淵を描くロシアの心理小説家。しかし私は、この二人の作品のあいだに、まるで遠く離れた電信線がふと同調するような、静かな交信を感じる一節に出会ったことがある。
それは『竜馬がゆく』のなかの、竜馬 . . . 本文を読む
アリョーシャとフョードル 語られなかった「その後」の物語
『カラマーゾフの兄弟』は、最終的に父フョードルが殺され、三兄弟のうち二人までが不幸な末路を辿る。そして、三男アリョーシャのみが、未来に向かって歩み出すかのような光の中で物語は閉じられる。
長男ドミートリイ(ミーチャ)は父殺しの濡れ衣を着せられ、シベリア行きの刑に。次男イワンは理性の炎に焼かれ、狂気に沈む。異母弟スメルジャコフ、おそらくは . . . 本文を読む
善と悪の境界に立つ ジェラシック・ワールドから荘子へ
ジェラシック・ワールドを観て以来、私はNetflixで恐竜ものの作品を次々と観ている。恐竜の巨大さ、鋭さ、野生の力。それらがもたらす映像美と暴力性のはざまで、ふと、こんな問いが湧いてきた。
人類とは、この宇宙においてどんな存在なのだろうか。
よく知られている「宇宙カレンダー」という思考実験がある。ビッグバンから今日までの138億年を一年に . . . 本文を読む
ヒューマニズムという両刃の剣 悟性と心情のあいだで
立川武蔵は『空の思想史』のなかで、富の蓄積を肯定する背景に「ヒューマニズム」という思想が潜んでいることを指摘している。プロテスタンティズムが勤勉と富の蓄積を是としたように、ヒューマニズムという語もまた、結果的には人間による物質的蓄積を正当化する装置として機能してきた。しかし、両者の思考経路はおそらく異なる。プロテスタンティズムは神の前での勤労倫 . . . 本文を読む
アニミズムへの回帰──大地を離れぬ知性の系譜
このところ、自分が書き散らしてきたブログ記事を読み返してみた。すると、いくつかの断片が、予期せぬ形で呼応しはじめた。あれはこの一文から始まったのかもしれない。
「大地という原点に戻って形而上の価値を認識することが、古今東西の英哲の共通項のようだ」
私はなぜ「大地」という言葉を用いたのか。思えばその時はまだ、直感に近かった。しかし今、いくつ . . . 本文を読む