
前章に引き続いて線路敷設権、特に光の道構想の挫折を述べてみたい。孫正義氏は傑出した事業家であり引き際も心得ているが、後継者が挫折の反省なくその手法を踏襲すると意外な脆さを露呈する可能性もある。
孫正義氏は2001年3月8日の第151国会 衆議院 憲法調査会に参考人として出席し「ネットアクセス権」を憲法の基本的権利に盛り込むべきだと主張した。米国発の「線路敷設権」(right of way) がフィジカルな側面つまり地下管路の利用権やビル・マンションの引き込み口の利用権を国民の権利として強調するのに比べ、孫正義氏の「ネットアクセス権」は教育をネットで受ける権利などを言及するので幾分コンテンツ重視の考え方とも言えるがいずれにしても両者は類似の概念と言える。憲法を改正する必要はないと思うが、国道が国民のものであるのと同じだという孫正義氏らしい説得性のある主張だ。
日本国憲法第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
この主張は孫正義氏がADSL事業を開始する2001年9月以前の3月に行われていることに注目すべきである。東京電力からの電柱賃貸の煩わしさはスピードネットでの経験を踏まえたものであろうと推測される。スピードネットは東京電力とマイクロソフトの三社共同出資で出発しているが後にソフトバンクは共同出資から抜ける。抜けた原因はこの会社のスピード感の欠如だと思われるが、なかでもこの電柱賃貸に関しての東京電力のマインドに相当に嫌気がさしたものと推測される。(このときの想いがのちの原発・東電批判と送電分離論にどこかで結びついている)
この憲法調査会における孫参考人の意見陳述速記録から「線路敷設権」に関係するところを引用する。この国会での電柱開放問題への訴求はその後の一貫した孫正義氏の主張の始まりと云ってよい。膨大で煩瑣な申込み手続きやメタル回線を前提にした離隔距離30センチメートル基準などは地域網自前敷設に対する参入障壁と言ってよい。この主張がその後長年にわたって聞き入れられないので、「光の道」構想では電柱管理、線路管理、局舎管理を完全にNTTから引き離して地域通信インフラをアクセス会社に任せるべきだとの主張につながっていく。
例えば情報に関する基本的人権の問題においては、情報に関する基本的人権その一として、ネットのアクセス権、情報アクセス権ですね。それから、その二として、プライバシー保護権。そして、その三として、ネットのセキュリティーに関するポイント。この三つは、特に情報に関する点として憲法に定めるべきであろう。
プライバシー保護権とネットのセキュリティーにも言及している点に注目すべきで、いずれどこかの機会で孫正義氏のビジネスに結び着く可能性は大きいだろう。
光ファイバーを引くのにおいて、電柱に三十センチずつ間隔をあけて電線を引きなさい、こういうルール、これは六十五年ぐらい前に日本国の法律(筆者注 有線電気通信法昭和二十八年七月三十一日法律第九十六号の事を言っている)で決めたものがありまして、そのときは光ファイバーがなかったんですね。電線しかなかったから、電線は三十センチ以上間隔をとらないと、三十センチ未満にしますとノイズが起きる、雑音が起きるということで、物理的に三十センチ以上あけなさいというルールを六十五年ぐらい前につくっているんですね、日本の法律で。孫正義参考人
二千万本の電柱に光ファイバーを引くのに、二千万回、NTT並びに電力会社から許認可を得なきゃいけない。競争する相手が、新しい競争相手にそんなに簡単に便利に許認可してくれるものか。当たり前ですね。 だから、ぐずぐずして、面倒くさい手続を人間が人間に縛って、一本の電柱から許可をとるためにたしか三枚ずつぐらい写真を撮らなきゃいけないんですね。ということは、六千万回写真を撮って、しかも、電柱の写真を撮るときに、人間がそこに立って、何かさおのようなものを持って、何メートル間隔をあけましたとかいって証拠写真を撮って出さなきゃいけない。こんなナンセンスな話が、この文明国日本でいまだに要求されている。おかしいですね。
さらに、すべての電柱は道路の上に立っているわけですが、これが国道、市道、県道、都道ということで、それぞれの自治団体の長から全部、一本一本の電柱に光ファイバーの線を張るごとに、二千万回、道路占用許可という許認可をこれまたとらなきゃいけないんですね。しかも、許可を届け出る相手がみんな異なっている。二千万回それをやる。もう僕は嘆かわしくて、おかしい。
(筆者注、NTT電柱は約1200万本程度、孫正義参考人が電柱2千万本と言ったのは電力会社も含めての数だが実際はもっと多い3000万本程度と思われる)
郵政省の文書では以下のように列記して上述の追認をしている。
a 事業者はNTT・電力会社それぞれの電柱について膨大な書類・各電柱の写真を添付の上添架申請書共架実施申請書を提出し、審査を経て添架・共架契約を締結しなければならない。許可までに長い時間を要している。
b.事業者は添架料・共架料を支払う上、共架柱建替料(強度不足等)を支払わなければならない。事業者には何らの権利も無い.
「N T T お よ び 電 力 会 社 以 外 の 事 業 者 が ネ ッ ト ワ ー ク 回 線 構 築 す る 際 の 問 題 点」より。
(筆者注、支障移転と称して電柱を撤去・移設・建替を行うときには、移設等に伴う費用を事業者が負担することと定められており釈然としない)
3年後に総務省総合通信基盤局料金サービス課の鈴木課長(当時)が主催した「光引込線に係る電柱添架手続きの簡素化等に関する検討会」2007年には「公益事業者の電柱・管路等使用に関するガイドライン」が改正予定となるなど、一定の成果が挙げられた、日本テレコムが当研究会報告書で述べているように、NTTとの公平性はこれで証明されたわけではない。依然として、NTTの社内処理との差がなくなった事の証明は成されていない。
申込み側の線路設計(街の電柱のルートを定める)から電力会社とのやり取りを踏まえて最終申請書が作成されるまでに平均1.5ヶ月も費やすことはソフトバンクなど申込み事業者側にNTTや東京電力などの電柱ルート情報が無いためである。ルートを現地で目視して推し量り東京電力に誤りを指摘されてルートを書きあらためて、ふたたび、といった作業を繰り返すことになる。これはADSLサービスで直面した名義人問題と「問題の根」が同じ構造で、データベースをもつ側と持たない側のあいだには大きなハンディキャップが横たわる。
その後総務省から発表された「競争促進プログラム2010」では電柱利用で一歩踏み込んだ提案を行っている。経産省所管の電柱添架問題であっても総務省所管の紛争処理委員会でのあっせん・仲裁を認めると言及している。
電柱国民財産論をぶち上げる。さる公聴会でもこの持論をNTT和田社長にぶつけたが「株主のものだ」と反論された。「株主のもの」も正当な主張だが、株が大蔵省(当時)に保有されている事実からは大株主である国民保有も又正しい。
その後のソフトバンクのアクセス会社提案では町田徹氏から手厳しい批判を浴びた。3兆円を超える資産を1兆7000万円特別損失として処理することや早々に債務超過に陥る会社構想に疑問を投げかける。そうなれば、結果としてソフトバンクの儲けのために公的資金を投入したとの批判を免れまい。
さらには資料提出のタイミングにもフェアではないとの意見が添えられ、世間とタスクフォースメンバーは町田徹氏に賛意を持ったのではないか。2009年当時にこの提案を行ったとき、果たしてソフトバンク社内で町田氏の指摘と同じ視点で誰も反論しなかったのだろうか。孫正義氏はすくなくとも筆者の勤務した4年間では社内の反対意見に熱心に耳を傾ける人であった。
「現代ビジネス」に掲載された町田氏の批判を眺めてみる。
①町田徹氏は原口一博総務大臣の主催する、毎秒100メガビットの超高速光ファイバー網を主体とする「光の道」構想を検討する「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」のメンバーである。2009年10月30日に第一回会合が持たれている。
②孫正義氏の、「税金ゼロ」で整備する方策を提案する「光の道の実現に向けて」という意見書に対して、「綱渡り」あるいは、「アクロバット」としか呼べない乱暴な戦略、と批判する。その根拠は以下の通り。
③保有する従来型のメタル回線の通信網をすべて5年以内に撤去し、光ファイバー網に置き換えるとし、
新たな投資資金、約2兆5000億円の資金が必要だが、民間調達を可能とする。しかしこの案を町田氏は次に示すように無謀だと批判している。
④ソフトバンク資料の「アクセス回線会社:当期利益」(151ページ) では初年度に巨額の特別損失1兆7501億円を計上する計画だが5年間の当期利益の累積は9808億円と特別損失の6割相当分さえ回収できない。これは一括償却をやらなければ、アクセス回線会社は毎年、巨額の赤字を計上するという見積もりに他ならない。
このような危険な提案に「戦時下の共産主義国家か全体主義国家ではあるまいし、こんなことをなんの補償もなしに、民間企業に強要する国家戦略など論外である」と手厳しい批判がなされる。
⑤ ④の批判が骨子であるがさらに補足的にハイリスク・ハイリターンのソフトバンク株と、安定配当を期待されるNTT株では、株主が期待する経営手法も異なっているとし、次の批判を重ねる。
・債務超過になった時点で、ただちに第2部市場への降格処分を受けることになる。もし、アクセス会社が翌年度中に債務超過を解消できなければ、上場そのものの廃止に追い込まれてしまう。
・ソフトバンクグループ幹部に取材したところ、「プライベートエクイティからの資金導入は可能だ」との反論が戻ってきた。資金の出し手が不明なプライベートエクイティの資金を導入するのはリスクが大きい。
・日本の安全保障の根幹に大きな影響を及ぼしかねないアクセス回線会社の議論は、決して、ソフトバンクのボーダフォン買収と同列で論じるレベルの問題ではない。
・ソフトバンクの資料 149ページの「アクセス回線会社:年度末回線数」の注釈に、「光の道」構想における光ファイバー網の整備対象回線数を「4900万世帯+事業用1300万回線=6200万回線」としたうえで、4900万世帯の90%と、事業用の1300万回線すべてを、アクセス回線会社が抑えるという前提が記載されており、アクセス回線会社の売り上げはその前提に基づいて算出されている。しかしNTTが4月にタスクフォースに提出した資料をみると、現在のブロードバンド網(全国で3163万契約、ADSL含む)におけるNTTの回線シェアは7割程度であり計画が楽観的すぎる。
・楽観的で危険な計画に立って光ファイバー回線の接続料を従来のメタルと同水準、1400円程度と格安に設定するように求めているが、これはアクセス回線会社が破綻して、そのツケを公的資金で埋めなければならなくなるリスクが大きい。そうなれば、結果としてソフトバンクの儲けのために公的資金を投入したとの批判を免れまい。
要は孫正義氏の素案が社内で吟味されずに、当然あってしかるべき客観的反論のないまま提出されたことによる挫折ではなかろうか。孫正義氏のアイデアは社内の強烈な反論あってこそ世間で受け入れ可能な案となる。