まさおレポート

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回想の孫正義8 ADSL干渉事件で逆鱗に触れる

2017-08-23 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

ADSL干渉問題はそのあまりにも技術的な論点のためか、あまたのノンフィクションでは触れられていないがその事業に及ぼした影響力はソフトバンクADSL事業史の五指のひとつに挙げられる。孫正義氏がようやく開業の離陸を果たし営業面に力を注ごうとした矢先の出来事で、事態がそのまま推移すればADSL事業は壊滅するとみて自らあらゆる会合に出席し、担当者と技術的な論戦を繰り広げるという、彼の事業家としての姿勢が余すところなくあらわれた。

2002年7月16日、ソフトバンクが12Mのサービスを発表する直前に7月10日にイ-・アクセスのO氏が、TTC会合の後に開いた記者会見の場で、他回線に大きな影響を及ぼす恐れがあると発表した。2003年11月28日のTTC標準改定まで1年4ヶ月もの長きにわたる厄介な論争の幕が切って落とされた。

TさんはADSL事業の開始を進言し、日本ではNTTのISDNに配慮して誰も採用しなかった国際標準ANEX-Aの採用、ATMネットワークが多数派だったがフルIPネットワークの構築を推し進めた立役者で孫正義氏が真の天才と考えていた社員だが社内で孫正義氏以外にTさんの能力は理解されず、一人孫正義氏のみが「いやあ、Tは凄い」と周りに語っていた。実はTさんがこの事件の発端を開いたとも言えるが、Tさんと孫正義氏との信頼関係を示すエピソードを述べることがこの厄介な事件理解の一助になるのではと紹介させて頂く。

2001年の暮も押し迫った頃、日曜出勤していた筆者は同じく会社にいた孫正義氏、Iさん、Kさんと昼飯を食べに出かけることになった。近所の老舗「鯛ふじ」はお休みでロイヤルパークホテルの寿司屋「矢の根」の座敷に座った。

「コンパイラって知ってるか、あれは作るのが難しいんだが彼は若いときにそれを開発して俺にそれを売りに来た」「Tは医師免許も持っているが、俺がやめろといった」「台湾のADSLメーカがやってきてある機能が半導体の設計上できないと言うんだ、Tは半導体の設計まで指摘したら相手は納得したよ」「Tは天才なんだよ、おれはビル・ゲーツより凄いと思っている、大事にしてやってくれ」と三人を前に話した。

Tさんは幹部会議でも孫正義氏に平気で「ちがいますよ孫さん、まちがってます」と話を遮り、孫正義氏が反論しても容易に引き下がらず堂々巡りになり、最後は「お前は技術は凄いが営業は俺のほうが上なんだ、だまれ」で終わる、見方によってはコミカルな場面が何回と無く繰り返された。

天才と信頼しているTさんの事務上の手続きの不備(TTC運営で改訂版スペクトル管理基準のドラフト決定のための会合にソフトバンク側委員が欠席をするなど大きなミスがあったのも公平な観点から書き添えて置かねばならない)をついてANEX-A.exを非難してきたイ-・アクセスO氏に対して、事業上の問題を超えて怒りが沸き起こり、まさにTさんは孫正義氏の顎の下の逆鱗で、O氏はこれに触れ、 2002年8月27日イ-・アクセスO氏を営業妨害で東京地裁に提訴し、O氏個人に3億円の損害賠償訴訟を起こすことになる。

ISDN回線の利用する周波数スペクトラム(つまり山の形をした音声周波数分布)は一般電話音声の周波数分布と異なり、国際標準ANEX-Aに重なる部分があり隣接回線にISDNがあると互いの周波数分布の山が干渉しデ-タにエラ-や遅延が生じる。ISDNは先住権を主張して後から開始したADSLサービスに対して日本特有のANEX-Cにしなさいと縄張りを主張しているのだ。NTTがISDNを保護するために国際標準を排除するなど、まさに孫正義氏が舌なめずりしたくなるようなツッコミどころに見えてくる。

ISDNは64Kbitどまりのナロ-バンドで光ファイバの時代までの間10年から20年間程度「つなぎ」として存続させようとISDN対応交換機を導入していた。世界の潮流が見えていたが巨体故に変更が効かなかった。当時のNTT社長和田氏の電友会講演では当時のNTTのISDNに対する本音が伺える。

「昔、北原さんがニューメディアということでINSということをおっしゃられて、まさにちょっとコストと需要の関係で早過ぎたというきらいがあるんですけれども、物の考え方は今まさにそのようになっているわけでして、決して間違っていたわけじゃないんですが、そういうINSあるいはニューメディアと言っていた時代、 それから、VIP、ビジュアル、インテリジェンス、パーソナルと言っていましたね。これがアメリカの ゴアのハイウエー構想を喚起したんだという説もあります」

「ISDNを売りまくってきまして、あれはあれでかなり利のある商売でして、基本料が二重にもらえるということがありましてよかったんですけれども」

(2002年 平成14年7月5日 当時のNTT社長和田氏の電友会講演より)

当時の周りの意見は下記のようにソフトバンクに厳しいものばかりだった。

・O氏 「同じ川から水を飲んで、病気になってから治すのではコストがかかる」とイメ-ジに訴える方法で反論する。

・アッカ 「干渉が起きてから干渉源を判別するのは現実的でない。公的機関でスペクトル管理ル-ル決めるべき」

・NTT東西「問題回線の切り分けは困難」

・日本生活協同組合連合会:「利用者が干渉に気付かないと問題が封殺される」

理論式によって干渉の容疑があるのだから、放置すると社会に迷惑をかける。理論式が妥当かどうかの判断もせずに即拘置して実刑に処せと言っているのだ。

総務省も判断しなければならない、DSL作業班が開催されることになった。この研究会も冒頭から孫正義氏の意見で議論は紛糾した。構成メンバ-はAnnex Cの機器を製造するメ-カばかりで偏ったものと発言、Annex Aを利用するメ-カなどもDSL作業班に参加が必要だとメンバ-構成の変更を強く訴えた。総務省はメンバ-の入れ替えを行なった。

孫正義氏は「シミュレ-ションは一つの意見。デ-タは事実」という点を強調し「上り速度が出なくて困っている事例は聞いたことがない」と述べ、各DSLの方式相互での干渉実験が提案され、長野県協同電算のフィールドデータでは干渉源となるHDSLが、ADSLに対して速度低下の影響をほとんど及ぼないことが報告された。

さらにDSL作業班が実施するフィ-ルド実験が2003年3月13日から25日まで、東京の成城交換センタ-と、そこに収容されるNTT東日本研修センタ-との間で行なわれ「Annex AオーバーラップがAnnex A以外の各方式の上り速度に与える速度低下の干渉は0kbps」「ISDNの影響はAnnex Aオーバーラップよりも大きい」の報告がなされ安堵した。

孫正義氏が最終的に勝ったのは実証実験で干渉が実証できなかったという点に帰趨される。もしも実証実験で逆の結果が出ていればソフトバンクADSLはなく、それに続く携帯事業もおそらく無い。干渉ありと判定されていれば第二グル-プと称する隔離エリアに収容され、その上回線使用料が月額899円高く、顧客に与えるイメ-ジダウンがとどめを刺したに違いない。孫正義氏が強運だと思う根拠の一つがこの事件だった。

 回想の孫正義


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