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まさおレポート

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バリの風景 ヒンドゥ教・カスト・名前

2015年11月10日 10時54分20秒 | バリ島

ヒンドゥ

サンヒャン・ウィデ・ワサ デワ トリムルティー ブラフマー ヴィシュヌ シバ デウィ サラスワティ デウィ・スリ ドゥルガ 一神教だが多神教に見える。

ヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタ

1500年 JAWA MAJAPAHIT王朝がISRAMに滅ぼされる。数千人の王国の廷臣、王妃、プリースト、職人、兵士がバリに逃げ,バリ文化に多大な影響を与える。

影絵芝居ワヤンや音楽、彫刻にジャワの影響を受けた文化が花開いた。ジャワから渡来したヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがタナロット寺院やウルワツ寺院など数々の寺院を建立する。

バリの宗教事情 2010-05-11 

バリはもちろんヒンドゥ教だが、キリスト教の教会やモスリムのモスクもある。これらはもちろん想定内の知識だが、意外な宗教もみかける。クタやサヌールの海岸沿いに時折賑やかな音楽を奏でて行進してくる団体がある。黄色いローブをかけているのでハレクリシュナだとわかる。信者はバリ人もジャワ人もいるが、バリ人は知っている限りすべて強固なヒンドゥー教の信者だと思っていたので少し意外な感じがする。以前滞在したビラのスタッフはバリ人だが名前を変えていた。つまり、ワヤンやニョーマンといった名前ではなかった。改宗してクリシュナ風に改名した者とみえる。彼は完全なベジタリアンで肉を一切食べないといっていた。香木で作った数珠風のネックレスをしていた。

海岸を自転車で散歩していると定期的に法輪功の集団が気功の修行を行っているのに出くわす。50人ばかりの人々が黄色いポロシャツのユニホームで座って修行をしている。前には天輪功とかかれた大きな布の幕がしかれている。中国での法輪功にたいする弾圧を考えると、ここは彼らにとって平和な土地なのだろう。しかし、やはり団体でのこうした風景を目にすると違和感を覚える。

バリの坊さん 2012-03-21

滞在中のビラでの年中行事になっている家寺のお祭りや建築完成祝、お葬式に祭事を執り行う坊さんをまじかに5回ばかり見た程度で、バリの坊さんを特に詳しく知っているわけではない。多少きらびやかな帽子をかぶったあごひげを生やした老年の坊さんがマントラを唱えながら聖水を振りかける儀式が延々と続く。見かけはどこにでもいるバリの老人で、帽子とひげが見た目に異なるだけの素朴な印象だ。滞在ホテルに招かれる坊さんはこのあたり一体のトップに君臨する高位の坊さんだという。

日本の坊さん(カソリックも同じだが)のように金襴の袈裟を装い、多数の坊さんを引き連れて威厳を取り繕うということはしない。せいぜい助手的な坊さんを一人つれてくるだけである。京都の夜の盛り場でもっとも金を使うのは坊さんだとは京都を訪れてタクシーに乗るたびに聞かされることだが、仏教界もカソリックも高位になるほど生活は贅と奢侈を極める。人々は内心でこれらの現状に舌打ちをしながらも、やはり葬儀などでは格式を重んじ、出来れば高位の坊さんを呼び、高額の布施を払う。

見た目に限ってだが、バリの坊さんたちは、高位の坊さんたちといえども一般の人々とかけ離れた生活をしているのではなさそうだ。ウブドの王家のように坊さんと王を兼ねている場合もあるが、概して同じような家に住み、同じような生活レベルであるに違いない。仏教界やカソリックその他のやはり好ましいと思う。知り合いのバグースもバリにあるカーストの最高位に位置づけられるだけで、生活は苦しい。

生活の規範としてしっかりと定着しているバリヒンドゥー、それに対して生活規範とは何の関係も無くなってしまった日本仏教、一方は質素素朴な僧侶階級、他方は妻帯肉食は当たり前、場合によれば一般人より貪欲な僧侶の存在などとの比較に考えは流れていく。

アニミズム 2012-04-16

バリ島土着の人々はバリヒンドゥ教一色だ。土着のと断ったのはジャワ島など外部の島から移り住んだ人々はイスラム教がほとんどだからだ。このバリヒンドゥーはインドに発生したヒンドゥがバリに伝来したものだが、インドのそれとはかなり趣が異なるのではないかとの根拠のない感想を持っている。要はインドヒンドゥーと比べて教義の部分にあまり重きを置かない、儀礼を尊重し、その哲学や思想というほどのものは無く伝承的なお話でおしまいという印象を持っている。だからと言ってインドヒンドゥーに比べて格が低いとかの優劣を論じたいのでは決してない。哲学や思想というほどのものがあろうとなかろうと尊敬すべきものだと考えている。

儀礼にはアニミズム、祖先崇拝、バリアンが使う、ブラックマジックやホワイトマジックと呼ばれる呪術などバリの土着文化そのものが色濃く現れていると感じる。バリの人々は輪廻転生思想を信じ、海は不浄で山は淨と言い、ニュピの日に顕著にみられる神と悪霊の存在、葬儀の際の海への散骨などを見るにつけ、ヒンドゥーは衣装にすぎない、土着信仰こそが本質だと思いたくなる。

キリスト教がロシアの地でロシア正教となり、ロシア土着の神がかりなどと結びつく例は「カラマーゾフの兄弟」で読み取ることができる。

仏教では日本に伝来した浄土教の大日如来は日本古来の太陽信仰やアイヌの輪廻思想と結びついて受け入れられたという。これは梅原猛の「地獄の思想」で述べていた考え方だ。アイヌでは善人ほど生まれ変わるのが早いとか、熊の霊との関係なども面白く書かれていたが詳細は忘れた。『華厳経』や『大日経』の信仰は、日本の汎神論的な自然信仰と融合しやすかったのだろう。

イスラム教は偶像崇拝を厳格に排する。アニミズムなどはもってのほかだが、例えばモロッコでは迷信に近いものが多い。”邪視”などが思い浮かぶ。これなど砂漠の民の土着信仰の取り込みで生まれたものではなかろうか。

日蓮も曼荼羅に天照大神や八幡大菩薩を諸天善神として取り入れている。これも日本の土着信仰の取り込みだと思える。

人の心の奥底に潜む宗教心の根は輪廻思想やサムシンググレートに対する祈りを共通に持つが、それらが外来の宗教の衣装を身にまとって見かけは改宗と言うことになる。

土着信仰アニミズムの迷信部分を取払ったエッセンスに宗教の原点を見、私自身それへの回帰を望んでいるのかもしれない。

バリ島のヒンドゥー教と土着信仰

バリ島にもヒンドゥの根にアニミズム、祖先崇拝、バリアンが使う、ブラックマジックやホワイトマジック、バリの人々の輪廻転生、海は不浄で山は淨、ニュピ神と悪霊の存在、葬儀海への散骨等々を容易に見てとることができる。ヒンドゥーは衣装で土着信仰が身体ということがわかる。

バリで土産物屋に木で作られた男根がぶら下がっている別におふざけで売っているのでもない

サヌールから20分ほどバイパスを走って左に入るパタサリ通りは仕事柄よく通りがかるが、この道沿いに大きな犬の像が鎮座している。犬は黒でその男根が赤く塗ってあり、これも当初はふざけておいてあると思ったが、その後スミニャックの道ばたでも見かけたので、これも日本の金精様と同種の男根信仰だと理解した。ヒンドゥ教の土地ではあるが、土着のアニミズムもこんな姿で存続している。ヒンドゥのシバ神の象徴は男根だとも言う。農耕文化には男根崇拝、生殖器崇拝(リンガとヨニ)がついてまわる。
 
人の心の奥底に潜む宗教心の根は輪廻思想やサムシンググレートに対する祈りを共通に持つが、それらが外来の宗教の衣装を身にまとっていることをここバリにも見ることができる。
 
世界の各地各宗教の根に土着信仰

日本4月に川崎の金山神社かなまら祭り海外ではベトナムやカンボジアで、さらにモロッコでも見かけた。イタリアを初めとしたヨーロッパではその記憶がない。モロッコはイスラム国なので本来男根崇拝などはもってのほかなのだが、ローマ帝国の遺跡が保存されており、そのなかで石で出来たものをみた。ガイド氏は女性観光客に男根になにげなく座らせ、それと気づいた女性が奇声を上げるのを楽しんでいた。人によっては怒り出す男性もいる。イスラム国民も様々だ。

日本の浄土教の大日如来は日本古来の太陽信仰やアイヌの輪廻思想が根の部分で浄土教の大日如来は衣装として受け入れている。アイヌでは善人ほど生まれ変わるのが早いとされる。本来の仏教では成仏することが目的とされるが日本人の心根には故人は再び生まれ変わって戻ってほしいと望んでいて成仏思想とは矛盾するのだがあいまいに受け入れて特に問題意識はない。お盆の迎えなどはその最適な例になる。日蓮の曼荼羅にも天照大神や八幡大菩薩、諸天善神が登場する。

ロシアのキリスト教であるロシア正教はどうか。「カラマーゾフの兄弟」では三男アリョーシャと次男イワンの母親が神がかり体質であると述べられ、アリョーシャが幼児の時に教会の祭壇に向かってアリョーシャを片手で突き出す危険な行為が描かれている。ゾシマの予知能力など土着信仰がふんだんに肯定的に描かれる。

モロッコで”邪視”はイスラム教の衣装の下に砂漠の民の土着信仰をみることができる。

バリ島のヒンドゥ教

バリ島はマジャパヒト王国が1343年にバリを征服した後16世紀に現在のヒンドゥー教が確立される。

バリ・ヒンドゥーはさまざまな神が存在するがインドネシア共和国独立後の建国五原則パンチャシラで「唯一神の信仰」がアガマの条件となり、さまざまな神が唯一神サン・ヒャン・ウィディの現われとする解釈で建国五原則パンチャシラをクリアし、イスラム、キリスト、仏教と並びインドネシア・アガマの一つとなっている。アガマとは宗教のことで、インドでもアガマと呼ばれサンスクリットからきている。

バリのヒンドゥ教ではシバ神やビシュヌ神はインドに見られる像のように身近に接する存在ではない。バリ人の身近には家寺があり村寺があるが、シバ神やビシュヌ神は理論的に関係づけられているが、像は見られない。あるのはトリロカと呼ばれる祠であり、メルと呼ばれる塔であるが、中には神像や本尊的なものはない。空間を貴ぶ。これは日本の神域と共通している。

インドやベトナム遺跡などに見られるリンガに対する供養は、バリ島では行われていないが聖なる水に対する信仰はバリ・アガにもみられるので、バリ土着の信仰がヒンドゥ教の水浴と一致したのだろう。またインドのシヴァ教にみられるホーマ(火に溶けたバターを注ぐ儀式)はバリ島ではみられない。バリ島のヒンドゥー教は神像をもたない。

バリ島のヒンドゥー教が土着の民間信仰をベースにインド伝来のヒンドゥーの衣を着たものだとの思いを強くするが、しかしそれ以前にすでにバラモン文化が入り込んでおり、バリ島土着の民間信仰に影響をあたえた可能性もあるのではないかとの漠然とした感も抱いている。

カスト

バリのカストを眺めるとヒンドゥ教のカストというよりもバリ島固有の身分制度にカストの衣装をつけただけとの感を催す。

初対面のバリ人同士はインドネシア語お互いの身分バリ語の尊敬語で話す。お互いのカストがわからないためで、話すうちに判明すれば言葉を変える。

バリのヒンドゥー教由来のカストは、以下の4つに分かれている。オランダ政府がカスタを4つにまとめたともいわれるが、どのようなカストがそれ以前に存在したのかは不明。
・ブラフマ:僧侶の階級
・クシャトリア:王族
・ウェイシア:貴族
・スードロ:平民

四カスト(ヴァルナ)は四つのワンサでブラフマ クシャトリア ウエシャの3つが「トリワンサ」80~90%はスードラである。職業はほぼ自由で、確認していないが婚姻も数代続けて下のカストと結婚してはじめてカストが落ちるらしい。

旧知のイダ・バグースにカースト間にまたがる結婚の話を聞いたことがある。彼の名が示す通りにブラフマナに属する。「あなたはなぜ僧侶にならなかったの」と尋ねてみた。最初はブラフマンはハードワークだからと理由にもならないことを言う。儀式のときに聖水を振りかけるのが何故そんなにハードワークなのかとつっこむと「私の妻はウェイシア階級だから私は僧侶になれない」と初めて聞く理由をあげる。そんなことがあるのかといままで本で読んだこともない話を聞いて私は好奇心を刺激されたことがある。

つまりブラフマナ階級の娘と結婚しなければ僧侶になれないのだと言う。イダ・アユという名前を持つ女性を嫁に迎えなければブラフマンになれない。「アユならこのホテルのレセプションにいるよ。バリでたくさんのアユを知っているけど」と次の話を促すように質問をすると、アユではなくてイダ・アユだという。女性はイダ・アユがブラフマナ階級を示す。

「私の遠い親戚にはブラフマンになるためには妻の階級が障害になるという理由で妻を刺殺した男がいる」と驚きの発言をする。妻を刺殺した男は刑務所に入っていたがその後、ダユーと結婚して僧侶になったかどうかはバグースも知らないという。

インドではときおりスードラ階級の青年がシャトリアの娘にラブレターを出しただけでリンチにあい、殺されたとかインドのカーストにまつわるすさまじい話がニュースになる。バリではそんな階級にまつわる悲劇は絶滅した、あるいはもとよりそこまで悲惨な事件はないのだろう。しかしブラフマンの婚姻と職業にはまだそんな話が生きていると聞いて実に驚いたことがある。

カストと名前の関係は次のようになる。

ブラフマナ:イダ・バグ―ス(男性)、イダ・アユ(女性)
サトリア:チョコルダ、アナック・アグン、デワ
ウェシア:グスティ
スードラ:イ(男性)、ニ(女性)

上記の4カスト以外にスルンプと呼ばれるパンデ出身の司祭階級がありパンデの人々の儀礼を専門に司る。パンデ(巧みなの意)は、鍛冶屋の職業集団でカストはスードラであるがクりスと呼ばれる刀を作る。

スングはニュピの前日に行う(Caru Kesangga)でブト・カロ(地下にいる悪鬼)を鎮める儀式を執行するといわれるが、確認していない。

尚、インドにある不可触はバリには存在しない。

相手によって言葉を変える

バリカーストはカスタと呼ばれるが、相手によって言葉を変えることが今でも残っていると言う。たとえばどんな言葉があるのかと尋ねると、「私」を意味するバリ語はbrahmana階級はtitiangで、 シャトリアはicang 、ウェシアはkole、 スードラはakeとなるらしい。今でもこの風習は厳然と残っていると言い、バグース曰く、この言葉づかいを守らないとヒンドゥの神が怒るのだと言う。

パンデ

バリの鍛冶屋はパンデと呼ばれる特殊なカーストを形成している。ちなみにカーストはブラフマナ、サトリア、ウェシア、スードラで90%がスードラ。

バリ人には6種類の名前
「バリ宗教と人類学」吉田竹也(風媒社)を読んで仕入れた知識。ついでながら以前から関心のあるバリ人の名前の説明もあった。文化人類学者のギアツ説が紹介されており、簡単に言うとバリ人には6種類の名前があるという。著者の吉田氏はさらにあだ名を7番目にあげているが、私はあだ名をなのるバリ人を経験していない。
・個人名
・出生順名(ワヤン・マデ・ニョマン。クトウなど ただしコーマンなどの変形あり)

ワヤンは年長者マデは補佐ニョマン、コマン、ナガーは真ん中クトットは最後という意味であり、ゲデは 大でアリットは小つまり兄と弟を意味する。

・親族呼称(日本の田舎に今も残る屋号風の名前)
・テクノニム(誰々の母とか父とかの呼称)
・カストに関わるタイトル(ブラフマン、クシャトリア、スドラ)

ジャボと呼ばれる平民の男性はイ、女性はニをつける。ブラフマンはイダバグース、イダアユをつける。イダはイ、ニの尊敬語だ。ただし政府の発行するIDや免許証をみるとこのイダバグース、イダアユがつけられていないこともある。

クルンクン王家はデワ(神の意)を名乗る。我が家に出入りしていた郵便会社のスタッフはこのデワを名乗っていた。ギャナール王家はアナックアグン、ウブド王家はチョコルダを名乗る。ビラのオーナーはアナックアグンを名乗っていた。

・司祭や村長などの職業その他を示すタイトル

この内、バリに旅行に来た人は出生順名を真っ先に印象つけられる。なんだバリには4種類しか名前がないのか。合う人、合う人すべてワヤンでありマデなのだと理解する。たまにバグースなどという名前にであうと、カスト制の名前も存在することをしる。しかし、実は個人名もあったのだ。タクシーにのるとワヤン・スリラクヤとかタクシー営業許可書に写真と共に掲載されている。バリではが学校とかオフィスではワヤン・XXXと呼ぶ。

滞在中のビラにときどき遊びに来るバグースに名前の由来を聞くと、おじさんが現役のプダンド(儀式を司る僧)で、一族の男は歴代イダ・バグースを名乗る。しかしビザの保証人になってもらうためにIDカードを見せてもらったところ、イダ・バグースの名前は見あたらない。ワヤン・XXXとかいてあるのみで、疑問をぶつけるとこたえてくれたが意味がよくわからなかった。しかし、この「バリ宗教と人類学」で疑問は解けた。イダ・バグースは個人名ではないので、IDカードのようにオフィシャルには記名しない。しかし、人は彼を常にカースト名称のバグースと呼ぶ。これはカーストの最高位を意識して使っているのだろう。

インドのカーストを思い浮かべると誤解する。バリのそれは単なる歴史の形骸化した名称でありちょっとした誇りを表現するのみで、差別的意識は少なくとも外部者にはうかがい知ることができない。

プダンダとプマンクー

バリヒンドゥーの最高司祭であるプダンダはブラフマナ出身者に限られる。実際に祭司としての活動を行っているプダンダは300人程度だと推定されている。プダンダは、寺院には所属しない。非ブラフマナの宗教司祭はプマンクーと呼ばれる。儀式中のプマンクーは常に頭に白い頭巾をしている。プダンダの儀式は毎朝のスーリヤ・セーヴァナ(太陽の崇拝)であり太陽に現れているシヴァを拝するとされるが、おそらく太陽崇拝が先にあり、太陽に現れているシヴァを拝するという理屈は後付けではないか。

スーリヤ・セーバナ(太陽の崇拝)は夜明けに行われるが、高齢のプダンダは8時半あるいは9時に行うらしい。

道具や供物(花、水、香)の浄化、自分自身のマントラとムドラーつまり印によるシヴァとの同一化(シヴァとなってシヴァを供養すべし)での自己浄化、自己神化(自身を神の座として神と一体化するため冠をかぶる)、降臨した神を水瓶の水に移して供養、従者の神々の供養、そのほかの神々の供養などが一時間かけて行われる。鈴も多用される。左手に鐘を右手は印を結ぶ。

バリ島ヒンドゥ教の儀礼

バリ島に滞在した6年の間にベサキ寺院その他の大寺院に神像を見たことがない。(神像が存在するのかもしれないが確認していない)空の祠やメルと呼ばれる塔が目につくばかりだ。祠など聖なる空間に供物を並べ、豚の脂身や丸焼きをささげ、あるいは舞踏でトランス状態に入って神を迎え讃える。

また、街角などにバナナの葉で作られた四角い箱状のいれものに供物チャルがささげられているのを見かける。

バリ島ヒンドゥ教の儀礼は5つ儀礼(パンチャ・ヤドニャ)と呼ばれる。

ブタ・ヤドニャ  Bhuta Yadnya ブタは地下に棲む悪霊(ブタ・カラ)で祓いと浄化を行う。で悪霊にチャル(caru)、スガン(segehan)を捧げる。高い位置の祭壇にはチャナン(canang)と呼ばれる供物を捧げる。

マヌサ・ヤドニャ Manusa Yadnya 人が生まれてから死ぬまでの間に行う通過儀礼で出生時、生後12日、42日、3ヶ月後や、210日後の最初の誕生日、削歯儀礼ポトン・ギギなどがある。

ピトラ・ヤドニャ 火葬ガベンなど死の儀礼

デワ・ヤドニャ Dewa Yadnya 神々に対してなされる儀礼ウク暦サカ暦の一年に一度、寺院祭礼 神や祖霊神が降臨 ガルンガン、クニンガン オダラン ニュピの前日に行うブト・カロ払いの儀式(Caru Kesangga スングが執行)

ルシ・ヤドニャ Rsi Yadnya 祭司になるための通過儀礼でプダンダになるための儀礼はムディクサ、プマンクーになるための儀礼はムウンティン。サラスワティの日など。

バリ・アガ 

16世紀以前のヒンドゥー教や文化バリ・アガ(バリ・アガといった言葉はなかった)トゥガナン村やバトゥル湖のほとりにあるトルニャン村

ウク暦を使わず太陰暦であるサカ暦やカヤンガン・ティガがない。

五大

日本人が五大として知っているのは地・水・火・風・空で、またの名を五輪という。宮本武蔵の「五輪の書」の五輪で知られている。世界はこの5大元素からなるといにしえの日本人は理解した。なかなか素敵ないにしえ人の考えだ。箱根の温泉地で青空を眺めてのんびりしている時、つまり最高にのんびりしているときなどにあたりを見回すとこの五大が完備していると思い知る。

青々と繁った森と山々は「地」で、眼下に流れる清流は「水」、豊かな源泉の源はは「火」、暖まった体に涼風が心地よい、すなわち「風」、見上げればどこまでも青い空に白雲、これ「空」と、箱根温泉を五大に思いを寄せて遊んでみる。実に応用自在の五大だ。

バリではこれが土・におい・風・光・水になる。これも又、五大に劣らず興味深い五元素だ。「におい」と「光」が五大にはないものだ。一方、「火」と「空」が欠けている。「火」を「光」と、「空」を「におい」と見なせば同じだ。無理にあわせる必要もないが「火」と「光」は明かりと熱をもたらすものとしては同じカテゴリーか。「空」と「におい」はどうか。空の意味自体がむつかしいが、どちらも目にみえないが確かに存在するものと理解すれば共通のカテゴリーだとも思えてくる。

仏教の空観とまで思いを馳せなくても空は多義的な言葉で単純にskyやemptyではない。インドでは虚空(アカシヤ)になる。つまり具体的でなく形而上的に理解される。それに比べてバリ風解釈である「におい」のなんと具体的なことか。ガルンガンには先祖が家にやってくるが、そのときにはよい匂いがするといったバリ人がいた。ひょっとしたら、この「におい」の意味するところが空の本来の意味なのかもしれないなどと思いを馳せている。

参考メモ

4世紀頃、古代インドにおいて、ヴェーダの宗教であるバラモン教と民間宗教が融合 バラモン教大きく変化

ヴェーダ3つの神「インドラ、アグニ(火の神)、ヴァルナ」ヴェーダでは脇役「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」ヴィシュヌやシヴァは民間宗教の多様な面
5世紀頃仏教に対抗するために構成

ヴェーダ文献群ウパニシャッド群現代でもインド人に愛読
ヒンドゥー教「バガヴァッド・ギーター」(「神の歌」の意)サンスクリットの大叙事詩「マハーバーラタ」の一部「ギーター」マハトマ・ガンディー生涯愛好様々な解脱

中国僧法顕(337年- 422年)はインドからの帰路ジャワでバラモン教に接している。また、7世紀スマトラ シュリーヴィジャヤ王国 中国僧義浄はインド留学の帰途に685-695の10年間に渡ってそこに滞在している。サンスクリット

8世紀後半から9世紀半ば ジャワ島 シャイレーンドラ王国 大乗仏教 ボロブドゥール 建立バリ島8世紀からインド文化 ヒンドゥー化 10世紀末クディリ朝の支配下10-14世紀ジャワ-ヒンドゥー文化

ジャワのクディリ朝11-12世紀 ヒンドゥー法典やマハーバーラタ 古ジャワ語に翻訳 仏教とシヴァ教が融合 ジャマン-ブド 仏の道 1343年マジャパヒト王国 ヒンドゥー化

13世紀 シンガサーリ朝がクディリ朝を継ぐ1292年に滅 マジャパヒト王国が成立 ガジャマダ イスラームの勢力に押されて16世紀初頭に滅

15世紀にマジャパヒト王国がイスラーム勢力によって圧迫 バリ島に大規模に移住

 ブトはパンチョ・マホ・ブト(panca maha bhuta)5つの元素プルティウィ・perthwi(地・固体)、アパー・ apah(水・液体) 、テジョ・ teja(火・光線)、バユ・ bayu(風・ガス)、アカソ・akasa(空・エーテル )カロはそれらの力

一応シュードラの60パーセント パセック シヴァを信じるヒンドゥー教徒 シヴァとブッダは等しい 仏教徒でもあると主張 シーラユクティ寺院 パダンバイの港のすぐ北の丘の上 四つの中心的寺院の一つ

南無佛陀・南無シヴァ」「金剛手」

インドの東海岸、オリッサあたりのヒンドゥー教がバリヒンドゥに伝搬

宗教事情

バリはもちろんヒンドゥ教だが、キリスト教の教会やモスリムのモスクもある。これらはもちろん想定内の知識だが、意外な宗教もみかける。クタやサヌールの海岸沿いに時折賑やかな音楽を奏でて行進してくる団体がある。黄色いローブをかけているのでハレクリシュナだとわかる。信者はバリ人もジャワ人もいるが、バリ人は知っている限りすべて強固なヒンドゥー教の信者だと思っていたので少し意外な感じがする。以前滞在したビラのスタッフはバリ人だが名前を変えていた。つまり、ワヤンやニョーマンといった名前ではなかった。改宗してクリシュナ風に改名した者とみえる。彼は完全なベジタリアンで肉を一切食べないといっていた。香木で作った数珠風のネックレスをしていた。

海岸を自転車で散歩していると定期的に法輪功の集団が気功の修行を行っているのに出くわす。50人ばかりの人々が黄色いポロシャツのユニホームで座って修行をしている。前には天輪功とかかれた大きな布の幕がしかれている。中国での法輪功にたいする弾圧を考えると、ここは彼らにとって平和な土地なのだろう。しかし、やはり団体でのこうした風景を目にすると違和感を覚える。
 
トリロコ

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

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