まさおレポート

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「現実というのは常にひとつきり」 なんだか量子力学的だなあ

2024年05月15日 20時51分00秒 | 村上春樹

「1Q84」は月も2つある。運転手にも「でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。」と念を押されるし。パラレル・ワールドなのだが、「現実というのは常にひとつきり」という世界でもある。青豆と天吾は共通のねじれに似た奇妙な感覚をもっている。多世界宇宙を物語の力で飛んできたためだ。青豆はヤナーチェクのシンフォニエッタの時代から飛んできて天吾は本栖湖の銃撃戦の一派から飛んできた。ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を通して青豆と天吾(駆り出されてヤナーチェックの「シンフォニエッタ」のティンパニーを打った)はつながっている。


「現実というのは常にひとつきり」これって量子力学的だなあ。

量子力学によれば、量子の状態が観測されるたびに、宇宙は分岐し、すべての可能な結果が実現する無数の並行世界が存在する。「1Q84」では、青豆と天吾が異なる現実を経験しながら、その現実が一つに描かれる。これが「現実というのは常にひとつきり」という意味だろう。

青豆と天吾がそれぞれ異なる現実を経験しながらも、最終的に一つの現実に収束するという物語の流れは、量子デコヒーレンスに通じるものがある。

青豆と天吾は、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を通じてつながっている。量子もつれ(エンタングルメント)の概念を連想させる。量子もつれでは、二つの粒子が互いに強く関連し、一方の状態が他方の状態を即座に決定づけるという現象が起きる。青豆と天吾のシンクロニシティは、この量子もつれの表現では。

「現実というのは常にひとつきり」という概念は、量子力学の視点から見ると非常に豊かな意味を持つ。

村上春樹はおそらく量子力学をどこかで聞いて、しかもそれを表には出さずに文学的に曖昧に表現する才能をお持ちだ。量子力学のみならずAIなどもハードボイルドワンダーランドで先取りしている。

 

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