まさおレポート

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「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」上巻 メモ

2023-04-10 | 小説 村上春樹

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は村上春樹の比喩の巧みさの展示場だ。

書き抜きをメモしてみた。初稿2012-09-02をリライト。


私は咳払いをしてみた。しかしそれは・・・やわらかな粘土をコンクリートののっぺりとした壁に投げつけたときのような妙に扁平な音が聞こえただけだった P13

粘土を扱ったひとならすぐにぴんと来る。妙に扁平な音!


私はためしに口笛で「ダニー・ボーイ」を吹いてみたが、肺炎をこじらせた犬のため息のような音しかでなかった。 P14

犬をもってくるのがイメージの喚起に効果的。肺炎をこじらせた犬のため息を作者はおそらく言いたことがないがイメージの世界で作り上げている。

タバコを過度に吸いすぎて気管支拡張になった老人の吐息。これだと少し陰惨になる。肺炎をこじらせた犬には悪いが何よりユーモアがある。


私は目を閉じて、眼鏡のレンズを洗うように右の脳と左の脳をからっぽにした。 P19

いまならコンタクトレンズを洗うようにか。いやVRゴーグルを持ってくるかな。


彼女の体には、まるで大量の雪が降ったみたいに、たっぷりと肉がついていた。 P22

体につく肉と雪、だれがこの比喩を思いつくか。贅肉でも優しさのある表現。冬眠前の母熊のようにたっぷりと肉がついていたなんかよりはずっと良い。


彼女の首筋には・・・夏の朝のメロン畑に立っているような匂いだった。 P24

ばら園のなかに立っているでは濃厚すぎる、イチゴ畑ではあまり匂いがしなさそうだ、レモン園では甘さにかける、母乳の残り香のようなは年齢的に合わない、春はジンチョウゲ、 夏はクチナシ。 秋はキンモクセイが匹敵するがイメージの喚起ではメロンに劣る。夏の朝のメロン畑に立っているような匂いは誰にもマネのできない比喩だ。


もの静かな動物だった。息づかいさえもが朝の霧のようにひそやかだった。 P29

夜の月のようにひそやかでは少し生臭いか。朝の露のイメージとともにそのひそやかさが容易にかつ美しく想起される。


角笛の響き・・・それはほのかな青味を帯びた透明な魚のように暮れなずむ街路をひっそりと通り抜け・・・その響きでひたしていった。 P31

これは映像や水族館などで多くの人の経験とともに記憶に眠るイメージだ。暮れなずむ街路を青味を帯びた透明な魚が通り抜けるなんてシュールな映像を誰もが思いつくものではない。作者が膨大な無意識の記憶の中から引っ張り出してきた。


無数のひずめの音に覆われる。その音はいつも僕に地底から沸きあがってくる無数の細かい泡を想像させた。 P31

映像的でもあり、聴覚的でもある。旧約聖書的でもあり、ダンテの神曲を連想させる。神話的雰囲気を高めるわかりやすくて深い比喩。最近ネットフリックスで見たウィル・スミスの探検ものドキュメントで同じような映像があった。


私は懐中電灯をしっかりと右手に握りしめ、進化途上にある魚のような気分で暗闇のなかを上流へと向かった。 P43

ある種の不格好さをこれ以上ないほどの的確な比喩で表している。

まるで高度な頭脳をもった巨大な発光虫がふらふらと空中を漂いながら私の方に向かってくるように見えた。 P44

不気味さ、ユーモラスさ、映像的確かさ!

ポケットから縁の無い眼鏡をだしてかけると、戦前の大物政治家のような風貌になった。 P49

一瞬にしてその映像が浮かぶ。

本来は私的な複合企業だがその重要性が高まるにつれて、半官営的な色彩を帯びるようになった。仕組みとしてはアメリカのベル・カンパニーに似ているかもしれない。 P60 

「アメリカのベル・カンパニーに似ているかもしれない」 アメリカのこんな割合専門的なことまで作者は知っているんだと感心する。

北の広場には街中の沈黙が四方から注ぎ込んでくるような不思議な空気の重みが感じられる。 P65

空気の重みを沈黙の流体に例える面白さ。

建物のひとつひとつには際立った特徴はなく、・・・それは郵便を失った郵便局か、鉱夫を失った鉱山会社か、死体を失った葬儀場のようなものかもしれなかった。 P66

説明に論理性はないがなんだかそうかなという気にさせられてしまう。

サンドウィッチを食べている老人はどことなく礼儀正しいこおろぎのように見えた。 P80

これも一瞬に映像が浮かぶ。

エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて私が乗るのをじっと待っていた。 P100

これも凄い!

前方に長く突きだした顎は何かを語りかけようとしたところで急に凍りついてしまったかのように軽く開かれたまま固定し、ふたつの小さな眼窩はその中身をどこかで失ったまま奥に広がる虚無の部屋へとつづいていた。 P102

チリの丘陵地帯で見た白骨化した頭蓋を思い出した。確かにこの通りと言いたくなる。

布地の青いコートに身をつつんだ。ひきちぎられた空の切れはしが長い時間をかけてその本来の記憶を失くしてしまったようなくすんだ青だ。 P107

なるほどなるほど。

目を閉じると待ちかまえていたように黒い巨大な網のような眠りが空から降りかかってきた。 P118

乾いた光の中でたえずその色を失いつづける場所だ。春がもたらした潤いを夏が溶かし、冬の季節が風化させてしまったのだ。 P147

彼女の巨大な胃がクルト・ユルゲンスの乗ったUボートみたいにひっそりと消化活動を行っているのだ。 P160

単角あるいは奇数角を有する動物は・・・進化上の孤児といってもいいくらいなの P169

ペニスとヴァギナは、これはあわせて一組なの。ロールパンとソーセージみたいにね P170

彼女が一枚ずつ服を身にまとっていく様は、ほっそりとした冬の鳥のように滑らかで無駄な動きがなく、しんとした静けさに満ちていた。 P188

なぜなら無意識性ほど正確なものはこの世にないからだ。 P191

やがて街に角笛の音が響き、獣たちの踏みならすひずめの音が泡のようにあたりを覆った。 P196

その色を不吉なかんじのする深い青へと変えながらゆっくりと進み、さきの方でまるで小動物を呑みこんだ蛇のようにふくらんで、そこに巨大なたまりを作り出していた。 P204

どれだけながくみつめていても、目をはなした次の瞬間にはどんな顔だったかまるで思いだせない そういうタイプの美しさが世の中には存在する。グレープフレーツと同じで見分けがつかないのだ。 P219

酒瓶だけが植林されたばかりの小型の針葉樹といった格好で静かに並んでいた。 P219

あるいは酒というものがあらゆる飲食品のなかでもっとも祝祭的な性格を有しているからかもしれない。 P220

ゴルフパックをかついだり、道化服のようなゴルフウェアを着たりしないで済むぶん、多少若く見えるだけのことなのだ。 P221

自宅訪問サーカスみたいだったが、そんなものを注文した覚えはもちろん私にはない。 P226

いいとも。想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。 誰にもそれをとめることはできない P234

コードがショートして白い煙が一筋、救済された魂みたいに空中に浮かんだ。P244

樹木の根もとには大小さまざまの色とりどりのきのこが姿を見せ、それはまるで不気味な皮膚病の予兆のようにも見えた。 P250

胃は外まわりの銀行員の皮かばんみたいに固くなっている。 P259

トマトソースが、隕石群がアスファルト道路にぶつかるような音をたててぱらぱらとリノリウム貼りの床に落ちた。 P261

それで私は射的屋の棚に並んだあひるの置ものみたいにぴくりとも動けなくなってしまった。 P265

テニスボールくらいの大きさの空気のかたまりが、胃から喉のまん中あたりまで上がってくるのが感じられた。 P266

白いシャツに銀行の貸付係みたいなネクタイをしめていた。 P268

ドストエフスキーの小説の登場人物の抱えている欠点はときどき欠点と思えないこともあって、それで彼らの欠点に百パーセントの同情を注ぐことができなくなってしまうのだ。 P276

私は目を閉じてインカの井戸くらい深いため息をつき、それからまた「赤と黒」に戻った。 P278

ときおり遠くで太鼓を叩いているような鈍くぼんやりとした痛みが傷口からわき腹の方に向けて走ったが P279

グラジオラスの切り花は戦死者にささげられた弔花のように淡いベージュのセーターの胸の上に落ちていた。 P279

私は地球がマイケルジャクソンみたいにくるると一回転するくらいの時間はぐっすりと眠りたかった。 P281

黄色い粉のような粗い電灯の光を背中に受けている P293

最後には何もかもがよくわからなくなるのだ。いろんな色に塗り分けたコマをまわすのと同じことでね。回転が速くなればなるほど区分が不明確になって、結局は混沌に至る。 P303

そんな獣たちは死んだというよりはまるで何か重要な命題について深く考えこんでいるように見えた。 P343

どれだけの天才でもどれだけの馬鹿でも自分一人だけの純粋な世界なんて存在しえないんだ。どんなに地下深くに閉じこもろうが、どんな高い壁をまわりにめぐらそうがね。P.362 私はまるで一人で宇宙空間にとり残された宇宙飛行士のように、底のない絶望感に襲われた。 P369


もし魂が腹の傷や胃潰瘍や痔疾を永遠に抱え込まなければならないとしたら、いったいどこに救済があるというのか? P365

信じるのよ。さっきも言ったでしょ?信じていれば怖いことなんて何もないのよ。楽しい思い出や、人を愛したことや、泣いたことや、子供の頃のことや、将来の計画や、好きな音楽や、そんな何でもいいわ。そういうことを考えつづけていれば、怖がることはないのよ P.372

仏教的な命題に通じる。

私はだいたいにおいて春の熊のように健康なのだ。 P393

海底の岩にはりついたなまこのように、私はひとりぼっちで年をとりつづけるのだ。 P396

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」下巻 メモ - 団塊亭日常


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