デジカメはどんどん進化しています。
もはや、写真を撮ることは、ほぼ誰にでもできることで 随いまして、写真を撮れる技術があるぞ、というだけでは
なかなか仕事をもらえない時代にもなりました。技術上の多くのことをデジタルカメラがやってくれるようになりまして
カメラマンは、予想だにしない事態になったことに驚いているかのようです。
つまり、デジカメが進化することに比例して、カメラマンの必要性が減っていったのです。
この場合は、デジカメの進化に反比例して、というべきでしょうか。
何たる皮肉でしょう。
今ぼくは、100年も前の時代のカメラマンの写真を見て感動をすることが多いのです。
たとえば、
アジェ「写真集」に収められている、「理髪店」や、「コルセット屋」 (いずれも、1912年の写真作品 である。)
という写真は、100年間の時代を超えて、まるで今風のパリのスナップのように見えて仕方がないのである。
それに、いつもぼくが散歩の途中、カメラをポケットから取り出して何かを感じた風景に数枚撮って数分後には、また
散歩をするために歩き出すという手軽さは、アジェの時代にはまったくなかったようだ。大型の機械のようなカメラを曳いて持ち歩くだけでも
きっと一苦労だったのだろう。重いだろうし・・・・
だけれども、アジェという人が撮っていてくれたおかげで、100年前のパリの街角や人々のポートレイトを今ぼくらは見られるのである。
デジカメ進化して、写真の面白さが人々の関心を持たなくなっていくとするなら、なんと皮肉な時代にぼくたちは生きているのだろうかと思うことです。あ、ついでに言うと、ケータイじゃあぼくはだめだと思いますよ。しっかりデジカメで撮ってほしいですね。これぼくの思い込み?
( アジェの写真は、東京都写真美術館で見られると思います。)
写真・文 石郷岡まさを