gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメ漫だらだら石ちゃん散歩  その18

2012年11月23日 | 散歩 余暇 趣味 健康 デジカメ
 ヒョウイ、憑き物のようにぼくの心にべったりと絡みついたある病巣が、ある朝、ポロリととれたんだ。そうねえ、まるで古い傷痕のかさぶたのようにポロリとね。

 ある夏の終わりの朝、世界中の街にあるコーヒー店の120円のコーヒーを飲んでいたぼくは、背中から、アタマの後ろの方から何かが離れてゆくのを感じたのだった。当時、勇気のある青年が世界中の隠された情報をあらん限り公表してしかるべきだと思い至り、すっぱ抜いて公表し、その公表された情報によると、その世界中にあるファストフード店のコーヒーの原価は確かぼくの記憶では3円だったか、そんなことは今はどうでもいい。120円のコーヒーを飲むぼくの肩が急に軽くなったんだ。

 あれ、どうしたんだろう?
いぶかしんだぼくは、さっきこの街のいつもの散歩コースの途中にある、某P店の前を通った時にも全くおんなじ感じがしたことを思い出した。数日前に、そのP店でなけなしのお金2万円を失ったのだったが、別に犯罪に巻き込まれたとかそういうことではない。あれれ、なんか変な感じ、アタマの後ろから背中にかけて、何かが通り抜けてゆくような感じがして、散歩中のぼくはちょっぴり驚いて、だから覚えていたんだね。へんてこな気持ちがしてその2万円も失ったP店で見た風景とは、若者が、おもに男の人ばかり十数人かたまって路上に座り込んでいたんだ。真っ赤なネオンサインがやけに強い光となって輝いて見えた。

その時とっさにぼくは今まで味わったことのない妙な気持ちに襲われたのだった。

 ほほう、あなたたちもえらいものですねえ。一所懸命ですねえ。大変ですねえとね。思いもしなかったよ、こんな風に思うとは。いつも、この十余年特に生活がひっ迫するようになってから、なぜかだいぶ昔にちょっとハマって遊んだことのあるPというギャンブルに、ある日フラりと吸い込まれるように入ってやってしまい、あろうことか5000円だか勝ってしまったことを思い出す。さあ、それからが大変。なんといってもお金に困っている時に、遊んで数千円も手にすることができるというのは、魔力、魅力のあることだとぼくの脳はすっかり味をしめてしまったらしいのだった。さあたいへん、勝ったお金のざっくり言えば1000倍くらいはその後十数年で失うことになったのであります。十数年で、500万。少なく見積もってもそうなるなあ、生活に困るほど、ああ少しでも勝ちたいと負け続けるこの不思議な心のハタラキに自分でも驚き、持て余しての十数年であった。

 それがその朝を境に、すっかりぼくは変われたと思うのだった。

病的賭博症、正しくはそういう心のビョウキに半ばぼくはかかっていたのだと思う。
マインドコントロールが解けた一瞬だったのだろうか。
P店に何の恨みも何も感情もわかなかったと思う。考えればおかしいことはあった。
でも、ぼくが至らなかったのだ、欲をかいて傷を深くしたのはぼく自身であったのだから。

だから、もう結構、ぼくはもうたくさんだ。もう、もう結構と思ってしまったようだった。

 牛でも、鶏でもあるまいものをそう思えたんだから仕方がない。

 ありがとう、また生きられるという充足感に満たされてぼくは散歩の歩を進めた。

 夏の終わりを思わせる、実に気持ちの良い8月の朝でした。
あれから貧乏を脱することができたかというと、さらに数カ月の時間が費やされた。ファストフード店の120円のコーヒーも100円になり、この間久しぶりに入ってみた限りでは、店の感じがよりざらざらした感じを受けた。あくまで主観的に感じたことだが。いつまで続く日本の貧困劇場、であることか?でもあれからすっかりぼくはPという悪癖を止めることができた。毎月、2,3万円は丸ごと失わないで済むから、やっぱり貧乏だけれども貧乏なりに余裕ができたのだった。


              エッセイ 石郷岡まさを

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1 コメント

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念のために、正確を期して・・・ (カメ石)
2021-02-27 21:57:40
ウウム、読んだことがあるぞ…などと白々しいことは言いません、言いませんが、ホンに読んだことがあるぞう、そんな久しぶりに読んでみた感想なんです。

間違いない。

それもそうだよ、ぼくがかって書いたエッセイなんだもの。

間違いございません。
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