吉松真幸のボランティア報告書

鹿児島在住、吉松真幸(仮)の東日本大震災ボランティアレポート ボランティアから帰っても、他の形の被災地支援を模索中。

ボランティアに対する悪評は、ボランティア自身が取り除かねば

2011-04-17 18:33:17 | ボランティアのススメ
災害ボランティア不要論が、相変わらず大手を振ってまかり通っているようだ。

何度でも言うけど、現地で実際に見て感じたのは、人手が足りない! という事だ。

プロに任せろという声もあるけど、今回の被災規模の大きさは、プロが総動員されても、手が付けられないだろう。
実際、自衛隊が10万人規模で展開されていても、ヘドロの除去とがれきの撤去は、なかなか進んでいない。
全半壊まで至っていない一般家庭の、畳出し・家財道具の撤去は、誰がするのだろう?

ボランティアは、必要だ。
これから、ライフラインの復旧が進むと、一日でも早く日常生活に戻りたいという要求が高まってくるだろう。
だからむしろ、これからますます、ボランティアの手が必要となってくるはずだ。

ボランティア不要論など、現場を見ていない者が、何らかの意図を持って流布している妄言に過ぎないと断言する。

しかしまた、被災者の方々でも、ボランティアの事を良く思わない、そして良く言わない方がいるのも事実だ。

残念ながら、これはボランティアの側に責任があるのではないかと思う。

ネットで拾った範囲でだけど、被災者の方々からの苦言・苦情の内容は、やじ馬気分で来ているとか、「してやっている」という上から目線を感じるとか、自分探し・思い出作りに来ているとか、被災地でボランティア活動をした事に自己満足したいだけだとか、無遠慮に被災者にカメラを向けるとか、どうせ撮った写真を自慢したいだけだろうとか・・・枚挙にいとまがない。

僕がボランティア活動をしている間にも、そういった傾向のボランティアも、いるにはいた。
そして日を追うごとに、少しずつ増えていくような感じがした。
ただ「ぼらんてぃあ」しに来ただけじゃないのか? と問いたくなるような・・・。

そもそもボランティアは、社会のために無償で奉仕するものだ。
お互いに助け合うものだという意識を持って、決して見返りを求めてはいけない。
「してあげる」ではなくて、被災者の方々が元の生活に戻ろうとするのを、「手助けさせていただく」くらいの精神でするものだ。
やじ馬根性丸出しなど、論外も論外だ。

ここはやはり、志を持った者が、ボランティアに対する悪評に臆することなく、積極的にボランティア活動に参加して、行動でボランティアの評価を高めていかなければならないのではないか・・・そう強く思う。


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