映画「ウォルト・ディズニーの約束」のラストで、トラヴァースが実際にディズニーのスタッフと企画を話し合っている肉声が流される。感涙ものだ。(本人の声だよ!)
『メリー・ポピンズ』は1964年の映画だが、その当時テープレコーダーで録音されたものが、保存されていたのだ。
その肉声を聞いても、なんという頑固さだろう。
トラヴァース役のエマ・トンプソンは、トラヴァースそのものを見事に再現していたわけだ。
トラヴァースの筋金入りの頑固さは、20世紀最大の神秘家といわれるグルジェフに直接教えを受け、培われた精神的強さでもあるように思う。
神話への想い、物語への深い想い。
自分のルーツはそこにある。トラヴァースその人も、メアリー・ポピンズと同様、向こうの世界からやってきた人なのだろう。
やっぱり自分の作品をアニメにするだなんて、承知するわけにはいかない。
ディズニーの商業主義に屈するわけにはいかない。
『メアリー・ポピンズ』の本のほうのファンとしては、映画『メリー・ポピンズ』をワクワクして楽しみにして見たけれど、少しがっかりしたことを否定できない。
深みが…。
バートと絵の中でデートをするシーンが長すぎる。バートはあんなにチャラチャラしていないよね。
ジュリー・アンドリュースはともかく、ディック・ヴァン・ダイクはミスキャストだと思う。「ちょっと違うよねー」って。
でも、歌が素敵だから、映画は本とは別の“映画”として楽しめるのだけど。
トラヴァースは後年になっても、メアリー・ポピンズはあんなふうにカンカンを踊って下着を見せるなんて「はしたない」ことはしない。バンクス家の母親が女性参政権の活動家になるなんて、とんでもない。当時のイギリスの時代背景からして、それはありえない。
そう言って、映画を否定的に語っている。
もっとも、稀代の頑固者がそう言ったからといって、映画を本心から拒否しているわけじゃないだろうと思う。
ただ違うから、そう言っているだけじゃないか。違うものは違うのだ。