暑い。
昨日は国産ウナギを食べましたが。
そのエネルギーも今日は使い果たした感じです。
仕事場で人知れず気を失ってそうなくらい、暑いです。
エアコンの温度表示をみたら、外が35度。中は38度。
エアコンの入っている部屋でそれくらい。そりゃあ暑いはずです。
そして、仕事場の気温は42度・・・。
夏の空気感は好きなのですが、仕事場では勘弁してほしいものですね。
私の仕事場は熊本の平地のほうに行くところにありますので。住んでいるところとは3度くらい気温違いますので。
涼しい家で仕事したいところです。
しかし、暑い。
冷たい水をかぶっているイメージをして体を涼めようとしたのですが。
目をつぶって集中すると意識が遠のく感じがして中止。
暑い中で瞑想するのも命がけです。
さて、話は変わって。
なんだか勢いで始めた講座も3回目。まあ、ちょっとした、「見かたを変えてみる」という事の御紹介ですね。
なんでも一つの見方ばかりしていると、そこにある真実をも逃す場合もありますので。
《夏休み、特別講座③ ガイドの見方を変えてみよう!》
さて、これ書くとガッカリする人も居そうなので、そういう人は読むのをおススメしませんが。
私なりに、多数のガイドと遭遇してきたなかで、「このように見てみたらいかがでしょう?」という御提案の一つをしてみたいと思います。
スピリチュアル的な「ガイド」の存在を、まず私は認めてますし、それがどんな人にも付いているというのも実感しております。
ただ、これを何も知らない普通の人に話すと「何それ?新手の宗教?」ってなってしまうので。
これを、ちょっと昨日と同じように非スピリチュアル的な視点で見てみます。
まず、
「ガイド=自分」
というのは、基本です。これはスピリチュアル的な見方でもそうです。
自分でできる以上のことをガイドはできませんから。
ガイドの導きがあれば、いきなり親の作ったロボットに乗って、エースパイロットになれるようなものではありません。
今、自分でできる範囲の導きをしてくれるような、そんな存在だと思っています。
そして、それは自分の一部でもあるという。
で、これを違う見方からすると、この「ガイド」というのは、自分の心の中に作り出した「擬似人格」だとも言えるわけでして。
西洋人の方に「光の存在」が多いのはやはり宗教的な制約があるからだと思いますし。
私のように節操のない場合は、宗教的な影響よりも、サブカルチャーからの影響が大きいからですし。
日本人だと妖怪、八百万の神々であるものが、西洋人になると、宇宙人イメージが強くなる、そんな感じでしょうか。
人は自分の中にいろいろな側面を持っています。その一つの表れとして、「ガイド」という姿を借り自分の脳内で合成されている擬似人格。自分の持っている一つの性格。
そういう受け取り方もできると思います。
アニマ、アニムス。そういう考え方にも近いです。
で、ガイドと対話するのは、自分自身の内面と対話している事であり。別の存在からの声というわけではない。
そういう見方もありますね。
まあ、広い意味で宇宙全体が自分みたいなものなので、結局世界のすべて、目に入る事象は全部自分なんですよね。
なんて書くと面倒になるので、まあ、こういう思考もあるということで。
ガイド=別の存在。もしくは「人を導く崇高な存在」という事を考えていると、会ってみたらちょっと違う場合もありますので。あくまで、自分の一側面です。
たとえば、皆さんは本を書いている人を見ると、素直に「スゲー、本出しているよ」と思って、その人を一ランク上に見てしまう場合があります。
しかし、その人はただ単に「本を書いて表現をした」だけであって、人よりも優れているわけではないのですよね。それを読んだ人が、自分の中で「本を書いている人は凄い!」というフィルターをかけてみているからなのであって。
本を書いている人も、普通の人ではあるんですよ。
つまり、ガイドに対するイメージもこういう感じかと。
自分で作ったイメージを相手に投影してしまう。そのガイドに投影しているイメージに沿ったものを感じられない場合は、そのガイドが存在していないかのように思ってしまう。
自分の内面にある人格が、自分の想定したイメージにそぐわない場合は、その人格を受け入れられない。
内部で自分にある多数の面を受け入れることなく、否定し続けてしまう。
だから、自分の一側面であるガイドが見えない。
すると、ちょっと不安定になってしまったりしますよね。
自分、という定義がしっかりと出来にくいですので。
そうなると、人も受け入れにくくなってしまったり。
そうすると、愛のない人に見られてしまったり(実際はそうではないのに、ですね)。
昨日も書きましたが、自分の精神というものを形として見る事は普通不可能です。
諸星大二郎のマンガに感情が見える星の話しがありましたが、地球では無理ですので。
そこで、脳内で合成した擬似人格に、自分のそういう一面を投影させて、それを認識する事で自分の新たな側面に気付き、それを受け入れていくという。
それが「ガイド」と会うことの必要性だと思っています。
自分で会う必要があるのは、自分で自分の内面を改めて認識するためであって、新たな導きとか、そういう都合のいいものをもらうためではない、という感じですね。
だからガイドは多数存在して、その都度姿も変わるし、メッセージも変化するし、いずれは自分と統合されていくのだと思っています。
ガイドが厳しい場合は、自分の中にある「甘え」をそこで燻りだされていたり。
ガイドが優しいときは、自分の中にある「厳しい」部分をやわらげてくれていたり。
ガイドを脳内で合成されている自分の擬似人格だと想定してモノを見てみると、いがいと受け入れやすいのではないでしょうか。
もちろん、これがすべて、真実ではありませんよ。
一つの見方として、頭に入れておくと面白いかな、と思います。
私がガイドをみているのは、なら何を見ているのか?
と聞かれそうですね。人の作った擬似人格ならば、たとえば私が見たものと御本人さんが見たものは違うものばかりになるはずですが。
私が見たものと同じモノをすでに見ている人も多くいらっしゃいます。
これはどうした事なのか?
まあ、非物質的な、「宇宙はすべて自分」という思考に立つと、それも理解できるようにはなりますけどね。その説明すると長くなりますので。
別の見方から。
ヘミシンクなどで脳を鍛えると、直観力というか、認識力が増します。そして、一部をみて全体を感じる事ができる事もあります(もちろん、いつもこれできてたら私はここでこんな文章かいてません)。まるでニュータイプの世界です。
なので、意識がそういう状態(変性意識とか)になったとき、依頼者の意識に自分の意識が同調して。そこで依頼者の方の情報を自分で受け取って、それを人格として表現したもの。
それが「見るガイド」という考え方もできます。
また書きますけど、これはあくまで、一つの見方ですからね。
私は別の見方も同時に考えていますが、そっちは説明が難しいので本読んで感じていただければと思います。
私のガイド観、メッセージは2冊目の本「誰でもヘミシンク2 おもしろすぎるガイド拝見」を読んでいただけると分かりますが、あれを書いたのはガイドに対して持っているイメージを、固定化させて欲しくないなあ、というところからです。
人間は、抽象的な事象よりも、具体的な体験例から導き出されている結果にたいして、共感を持ちやすいですからね。
手法や方法論、それに考え方を書くよりは、実際に体験した事例をこれでもか!と詰め込んで、それを読んで各人がガイドに対する認識をそれぞれで感じていただきたいなあ、というところで書いております。
「理解していただく」、よりも「感じていただく」
考えるのではなく、感じる。ことに主眼を置いて、私は本かいてますので。
ガイドは自分。
私がガイドを見る理由はここにありまして。
カウンセラーが会話をしながら、「あなたにはこういう部分がありますよ。」と言っているのと同じ次元なんです。
あなたには、こういう精神的な側面がありますね。という情報を、イラストとメッセージにしているという感じですね。
それを受け入れて、自分なりに消化していただくことで、自分の「ガイド」と会いやすくなっていただく、という感じでしょうか。
表現しにくいところありますが、ガイドと会えないのは、自分でそこにブロックをしている場合が多いということで。
ヘミシンクのエクササイズを繰り返す事で、自分の内面を見つめ、新たな側面を発見し、否定し、迷い、悩んで。そして、受け入れて。
そんな事を繰り返していると、人生の明るい方向性が見えてくると思っております。
分離の世界ではなくて、融合、調和、協調、そんな世界になってくると思いますよ。
今回は「ガイド」を別存在ではなくて、自分の内面で作り出された合成人格、という感じで見てみましたが、実際にはこれが真実!というわけではないですし、この見方だけが正解でもないです。
いろいろな見方をして、その結果、同じようなところに行き着いた場合は、そこを重要な部分だと受け入れて、そこを探求してみるといいと思いますよ。
世の中は3Dです。一つの物事を、多方面から見るのは当たり前の世界です。
できるだけ、一つの見え方に心を縛らずに。上から下から斜めから。いろいろと見てから人の見え方も参考にしたり。受け入れたり否定したり。やっぱり肯定したり。
そんな感じでやっていくと、ガイドの導きが見えてきますよ。
ガイドは自分、ならば、過剰な期待は出来ないですよね(笑)。
今回の話は、あくまで私の中にある、ガイドに対しての「一つの見方」というモノです。
いろいろな立場の人が同じものを見た場合、いろいろな見方があるのと同じく。
自分の中にもいろいろな立場を設定してから見てみると、自分ひとりでもいろいろなものの見え方が楽しめるということで。
最近、お菓子の新作を試作しているのですが。
その際「卵を使ったお菓子」という基本の命題はあるのですが、そこにいろいろな視点を持ち込んでから考える必要があるわけでして。
原価を安くするのか。
完成度を高くするのか。
満足度を高くして、原価を下げるには。
クリームの種類、生地の種類、焼くのか冷やすのか。
一つのことを見るのにも、現実世界ではこれくらい多彩な見方が必要になってきます。
なので、スピリチュアルなものごとも、それくらい多彩な見方を自分で設定してみるのもいいと思いますよ。現実世界にシフトしてみたり、向こうの世界に意識を向けてみたり。
すると、仕事のアイデアも出やすくなったりしますので。
認識力が上がると、いま必要な回答が浮かんでくるような。
今回も、一つの「見方」としての御提案でした。
くれぐれも、「これが真実」とか、そう言うことではありませんので。
私には、他の見方もありまして、そちらのほうが受け入れやすいですかね。
昨日は国産ウナギを食べましたが。
そのエネルギーも今日は使い果たした感じです。
仕事場で人知れず気を失ってそうなくらい、暑いです。
エアコンの温度表示をみたら、外が35度。中は38度。
エアコンの入っている部屋でそれくらい。そりゃあ暑いはずです。
そして、仕事場の気温は42度・・・。
夏の空気感は好きなのですが、仕事場では勘弁してほしいものですね。
私の仕事場は熊本の平地のほうに行くところにありますので。住んでいるところとは3度くらい気温違いますので。
涼しい家で仕事したいところです。
しかし、暑い。
冷たい水をかぶっているイメージをして体を涼めようとしたのですが。
目をつぶって集中すると意識が遠のく感じがして中止。
暑い中で瞑想するのも命がけです。
さて、話は変わって。
なんだか勢いで始めた講座も3回目。まあ、ちょっとした、「見かたを変えてみる」という事の御紹介ですね。
なんでも一つの見方ばかりしていると、そこにある真実をも逃す場合もありますので。
《夏休み、特別講座③ ガイドの見方を変えてみよう!》
さて、これ書くとガッカリする人も居そうなので、そういう人は読むのをおススメしませんが。
私なりに、多数のガイドと遭遇してきたなかで、「このように見てみたらいかがでしょう?」という御提案の一つをしてみたいと思います。
スピリチュアル的な「ガイド」の存在を、まず私は認めてますし、それがどんな人にも付いているというのも実感しております。
ただ、これを何も知らない普通の人に話すと「何それ?新手の宗教?」ってなってしまうので。
これを、ちょっと昨日と同じように非スピリチュアル的な視点で見てみます。
まず、
「ガイド=自分」
というのは、基本です。これはスピリチュアル的な見方でもそうです。
自分でできる以上のことをガイドはできませんから。
ガイドの導きがあれば、いきなり親の作ったロボットに乗って、エースパイロットになれるようなものではありません。
今、自分でできる範囲の導きをしてくれるような、そんな存在だと思っています。
そして、それは自分の一部でもあるという。
で、これを違う見方からすると、この「ガイド」というのは、自分の心の中に作り出した「擬似人格」だとも言えるわけでして。
西洋人の方に「光の存在」が多いのはやはり宗教的な制約があるからだと思いますし。
私のように節操のない場合は、宗教的な影響よりも、サブカルチャーからの影響が大きいからですし。
日本人だと妖怪、八百万の神々であるものが、西洋人になると、宇宙人イメージが強くなる、そんな感じでしょうか。
人は自分の中にいろいろな側面を持っています。その一つの表れとして、「ガイド」という姿を借り自分の脳内で合成されている擬似人格。自分の持っている一つの性格。
そういう受け取り方もできると思います。
アニマ、アニムス。そういう考え方にも近いです。
で、ガイドと対話するのは、自分自身の内面と対話している事であり。別の存在からの声というわけではない。
そういう見方もありますね。
まあ、広い意味で宇宙全体が自分みたいなものなので、結局世界のすべて、目に入る事象は全部自分なんですよね。
なんて書くと面倒になるので、まあ、こういう思考もあるということで。
ガイド=別の存在。もしくは「人を導く崇高な存在」という事を考えていると、会ってみたらちょっと違う場合もありますので。あくまで、自分の一側面です。
たとえば、皆さんは本を書いている人を見ると、素直に「スゲー、本出しているよ」と思って、その人を一ランク上に見てしまう場合があります。
しかし、その人はただ単に「本を書いて表現をした」だけであって、人よりも優れているわけではないのですよね。それを読んだ人が、自分の中で「本を書いている人は凄い!」というフィルターをかけてみているからなのであって。
本を書いている人も、普通の人ではあるんですよ。
つまり、ガイドに対するイメージもこういう感じかと。
自分で作ったイメージを相手に投影してしまう。そのガイドに投影しているイメージに沿ったものを感じられない場合は、そのガイドが存在していないかのように思ってしまう。
自分の内面にある人格が、自分の想定したイメージにそぐわない場合は、その人格を受け入れられない。
内部で自分にある多数の面を受け入れることなく、否定し続けてしまう。
だから、自分の一側面であるガイドが見えない。
すると、ちょっと不安定になってしまったりしますよね。
自分、という定義がしっかりと出来にくいですので。
そうなると、人も受け入れにくくなってしまったり。
そうすると、愛のない人に見られてしまったり(実際はそうではないのに、ですね)。
昨日も書きましたが、自分の精神というものを形として見る事は普通不可能です。
諸星大二郎のマンガに感情が見える星の話しがありましたが、地球では無理ですので。
そこで、脳内で合成した擬似人格に、自分のそういう一面を投影させて、それを認識する事で自分の新たな側面に気付き、それを受け入れていくという。
それが「ガイド」と会うことの必要性だと思っています。
自分で会う必要があるのは、自分で自分の内面を改めて認識するためであって、新たな導きとか、そういう都合のいいものをもらうためではない、という感じですね。
だからガイドは多数存在して、その都度姿も変わるし、メッセージも変化するし、いずれは自分と統合されていくのだと思っています。
ガイドが厳しい場合は、自分の中にある「甘え」をそこで燻りだされていたり。
ガイドが優しいときは、自分の中にある「厳しい」部分をやわらげてくれていたり。
ガイドを脳内で合成されている自分の擬似人格だと想定してモノを見てみると、いがいと受け入れやすいのではないでしょうか。
もちろん、これがすべて、真実ではありませんよ。
一つの見方として、頭に入れておくと面白いかな、と思います。
私がガイドをみているのは、なら何を見ているのか?
と聞かれそうですね。人の作った擬似人格ならば、たとえば私が見たものと御本人さんが見たものは違うものばかりになるはずですが。
私が見たものと同じモノをすでに見ている人も多くいらっしゃいます。
これはどうした事なのか?
まあ、非物質的な、「宇宙はすべて自分」という思考に立つと、それも理解できるようにはなりますけどね。その説明すると長くなりますので。
別の見方から。
ヘミシンクなどで脳を鍛えると、直観力というか、認識力が増します。そして、一部をみて全体を感じる事ができる事もあります(もちろん、いつもこれできてたら私はここでこんな文章かいてません)。まるでニュータイプの世界です。
なので、意識がそういう状態(変性意識とか)になったとき、依頼者の意識に自分の意識が同調して。そこで依頼者の方の情報を自分で受け取って、それを人格として表現したもの。
それが「見るガイド」という考え方もできます。
また書きますけど、これはあくまで、一つの見方ですからね。
私は別の見方も同時に考えていますが、そっちは説明が難しいので本読んで感じていただければと思います。
私のガイド観、メッセージは2冊目の本「誰でもヘミシンク2 おもしろすぎるガイド拝見」を読んでいただけると分かりますが、あれを書いたのはガイドに対して持っているイメージを、固定化させて欲しくないなあ、というところからです。
人間は、抽象的な事象よりも、具体的な体験例から導き出されている結果にたいして、共感を持ちやすいですからね。
手法や方法論、それに考え方を書くよりは、実際に体験した事例をこれでもか!と詰め込んで、それを読んで各人がガイドに対する認識をそれぞれで感じていただきたいなあ、というところで書いております。
「理解していただく」、よりも「感じていただく」
考えるのではなく、感じる。ことに主眼を置いて、私は本かいてますので。
ガイドは自分。
私がガイドを見る理由はここにありまして。
カウンセラーが会話をしながら、「あなたにはこういう部分がありますよ。」と言っているのと同じ次元なんです。
あなたには、こういう精神的な側面がありますね。という情報を、イラストとメッセージにしているという感じですね。
それを受け入れて、自分なりに消化していただくことで、自分の「ガイド」と会いやすくなっていただく、という感じでしょうか。
表現しにくいところありますが、ガイドと会えないのは、自分でそこにブロックをしている場合が多いということで。
ヘミシンクのエクササイズを繰り返す事で、自分の内面を見つめ、新たな側面を発見し、否定し、迷い、悩んで。そして、受け入れて。
そんな事を繰り返していると、人生の明るい方向性が見えてくると思っております。
分離の世界ではなくて、融合、調和、協調、そんな世界になってくると思いますよ。
今回は「ガイド」を別存在ではなくて、自分の内面で作り出された合成人格、という感じで見てみましたが、実際にはこれが真実!というわけではないですし、この見方だけが正解でもないです。
いろいろな見方をして、その結果、同じようなところに行き着いた場合は、そこを重要な部分だと受け入れて、そこを探求してみるといいと思いますよ。
世の中は3Dです。一つの物事を、多方面から見るのは当たり前の世界です。
できるだけ、一つの見え方に心を縛らずに。上から下から斜めから。いろいろと見てから人の見え方も参考にしたり。受け入れたり否定したり。やっぱり肯定したり。
そんな感じでやっていくと、ガイドの導きが見えてきますよ。
ガイドは自分、ならば、過剰な期待は出来ないですよね(笑)。
今回の話は、あくまで私の中にある、ガイドに対しての「一つの見方」というモノです。
いろいろな立場の人が同じものを見た場合、いろいろな見方があるのと同じく。
自分の中にもいろいろな立場を設定してから見てみると、自分ひとりでもいろいろなものの見え方が楽しめるということで。
最近、お菓子の新作を試作しているのですが。
その際「卵を使ったお菓子」という基本の命題はあるのですが、そこにいろいろな視点を持ち込んでから考える必要があるわけでして。
原価を安くするのか。
完成度を高くするのか。
満足度を高くして、原価を下げるには。
クリームの種類、生地の種類、焼くのか冷やすのか。
一つのことを見るのにも、現実世界ではこれくらい多彩な見方が必要になってきます。
なので、スピリチュアルなものごとも、それくらい多彩な見方を自分で設定してみるのもいいと思いますよ。現実世界にシフトしてみたり、向こうの世界に意識を向けてみたり。
すると、仕事のアイデアも出やすくなったりしますので。
認識力が上がると、いま必要な回答が浮かんでくるような。
今回も、一つの「見方」としての御提案でした。
くれぐれも、「これが真実」とか、そう言うことではありませんので。
私には、他の見方もありまして、そちらのほうが受け入れやすいですかね。
でも、その考え方が、とても、参考になります。
私は、まだ、そこまで深く考えられません。
まだ、まだ自分をブロックしていると、思いますよ。
まるの日さん、熱中症にならないように、気をつけてくださいね。
小学生の時だったんで「小宇宙(コスモ)ってこういうことかぁ!」と某漫画の事を勝手に解釈して喜んで終わりでしたけど。
ガイドは自分。自分の事って自分で思う程知らなかったりして、極限状態や予想不可能な場面で初めて出てくる一面というのもありますよね。思考にしても意識してない事もありますし。その普段全く目を向けていない側面と向き合えるという事は下手な神秘体験より貴重な事だと個人的には思います。
しかし暑いですね。まるの日さんのお仕事場は火も使われるんでしょうけど、水分補給は怠らないよう十分お気を付けください。下手すると家の中でさえ熱中症になるそうですから。
( ̄皿 ̄)うしししし♪
・・・・そうしたら・・・『ユリさん=ワタクシ』?・・・ああいう性格も実は持っている・・・と?
Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん!
いやいや。
だからこそ、ガイドは自分以上のモノではなく、今の自分の最高の状態ってことなんでしょうね。
自分が進歩すると、ガイドも進歩すると。
ルリカさんとユリさん・・・進歩したら、もっとタカピーになるんやないやろうか??
まるの日さんの考え方もありで、また、真実なんですが、客観は大事ですよね。
自分としてみていても、違う自分をみる客観とか、ガイドを通すなり、ガイドをみるというのは、客観を持つ上では有効な気がします。
私の主観ではこうみてしまっているけど、じいちゃんの客観的視点で見たら、この状況どうなの?とかいう、聞き方はよくやってます(笑)
キャラクター付けというのも大事ですよね。人格統合含めて、自分の中の一つの人格という見方もありますが、ガイドは自分という感覚でも、きちんと一つの人格としてつきあっていると、違う見方を勉強できますね。
ガイドとの付き合いも、現実の人との付き合い方にも反映されるので、自分だから、どういう付き合い方をしてもいい、ではなく、ちゃんとひとつの人格として、つきあってみる。というのをしていかないとですね。ラフに付き合ってもいいし、自分なりの付き合い方でいいと思いますけど。
恐縮する必要はないですが、人のガイドさん相手なども、それなりの礼儀も大事だし、です。
ガイドと対話するのは、自分自身の内面と対話している事であり、別の存在からの声というわけではない…今回の「夏休み特別講座」とてもためになりました。
どうしても、自分の考えよりもはるか上を見ているガイドが、人を導く崇高な存在のような気がして、つい別の存在のように考えてしまいがちになっていました。
やっぱり、体験にもとづいて真理を得た人の言葉というのは重みがあって安心感が違いますね。
これからもヘミシンクをやっている人のリアルガイドでいてくださいね!
なので、私の中には、「ガイド=高次の存在」という見方もあるのですよ。
それはまた、今度にでも書いてみますが。
1つの物事について、いくつもの見方を想定するのが私の癖みたいなものですからね。
いろいろな見方、考え方をやってみると、その中に動かない1つの芯が見えてきたりしますので。
ルリカさんが進化したら・・・。なんかあまり考えたくないような気がしますね。
胸が大きくなるならいいですけど。
なぜ?