豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

宗教

2016-01-05 10:40:02 | 日記
おはようございます。

今日は7時半に起きて、洗面、座禅40分です。

千鶴さんは一緒に起きて、悠聖は座禅中に起きてきた。

顔を叩かれる、笑

姿勢が崩れて千鶴さんに指摘される。

座禅後に読書。

新しい宇宙像のタロットの話。

悠聖の着替えをしたり、遊び相手をしながらなので中々進まない。

朝食の準備を千鶴さんがしてくれてので、悠聖に食べさせ、僕も食べます。

ご飯、味噌汁、目玉焼き、鮭フレーク、納豆、シーチキン。

食べ終えてから、また読書。

で、読書を終えてからシャワー浴びて、着替えです。

ブログ更新しようと思ったら、母親がパソコン教室に行っているので、スマホからです。


さて、なぜに、僕が宗教に感心を持つか。

社会は不合理に満ちているが、人間は、本来、考え、自我の生まれる前は、自由であり、苦しみもないと知ったからです。

そして、このルールの中で、傷つけ合っている私たちは、この宗教の肝を知ることで、お互いに自由に生きることが可能であり、社会は、その理解が生まれれば、変化します。

具体的には、戦争が無くなる。

戦争とは、国家と国家、或いは、階級と階級の集団的殺し合いです。

この集団が機能するには、自由でない人間が必要です。

自らとして在ることなく、他者に見られることで在る人です。

実際は、自分自身でしかないが、このマジックにかかると、他者があたかも自分自身を乗っ取ったかのようになります。

まあ一種の催眠状態です。

その集団的催眠状態は、眠りの意識の中でしか生まれません。

この眠りは、自分自身が無意識に、流されていることであります。

だから、もしもみんなが、冷静に、自分自身を内省でき、また、事実がどのように動いているかを正しく理解したら戦争は起きません。

他人の頭を叩き割るのは間違えている。

この単純な理解は、個人では、誰でも分かるし、実現することも出来ますが、大きな社会では、不可能です。

その人類の悲劇は、連日、情報媒体から流れてきます。

社会のルールの中で、なんとか、その軋轢を解消しようと国家、階級の代表者が会議をしますが、太古から、この悲劇は尽きない。

なぜなら、社会を変える、革命や、会議では、人間の本性を変えることはできないからです。

人間が進化して独立したら、誰も人を操ることはできません。

そのような可能性は宗教にあります。

そして個人の理解は、社会に大きな幸福をもたらします。

諸行無常であるから諸法無我である。

つまり、私と呼べるような存在はなく、すべては縁によってあると理解することが、どれほど安らぎを与えるだろう。

まあ、そのように大きく構えなくても、単純に個人が幸福であるには、この理解は非常に価値がある。

家族や友人との関係性にも有効だ。

問題は、自我の認識であり、それを解消する方法はある!

禅です。

日本が生んだ世界最大の遺産、この、禅は、禅と名付けられていますが、グルジエフさんのワークや、最近の大和田菜穂さんの非二元とも同じです。

その価値が見失われた原因は、基礎テクニックが、無くなったからです。

無常、罪悪感を抱いた時、宗教に活路を見いだすが、理論的、哲学的アプローチになるのが、現代的ですが、感覚、感情を通すのが基礎です。

禅は、究極に高められた結果、かなりのエリートのものになっている。

しかし、必要なのは、そこへの価値の誘導です。

語られることが真理でも、受け手がいなければ、投げ捨てられる。

これらの伝統には、凄まじい価値があります。

不識の一言で全てが解消する。

実は、ひとりの人間が世界中に影響を与えています。

与えることが可能です。

それが、達磨の存在だろう。

なので、このような宗教は、見失われてはならない。

だから、結果は、もういい。

過程が、大切なのだ。

あなたは、全宇宙であり、全宇宙はあなただ。