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晴れ時々曇り 希に雨

日々の事、気ままに綴っています

ホワイトアウト 光と影

2011-08-30 12:50:54 | 占い・スピリチュアル
 気象用語に「ホワイトアウト」というものがあります。

 
 南極などでは、晴れてはいても、薄い雲が上空にあるようなときに、このホワイトアウト現象が起きるのだそう。
 太陽の光が上空の雲に乱反射し、また下にある雪にも乱反射する。それで、あたり一面が「光」となってしまい、影がなくなる。
そうすると、方向も距離も分からなくなり、自分がどこにいるのか、どの方向に向かって歩いているのか、まったくわからなくなるのです。こういう時には、よくクレバスに落ち込んで死ぬ人がいるといいます。

 つまり、「影」があるから物が見えるのです。「光」がないと物は見えないけど「光」ばかりになっても物は見えない。「光」と「影」があってはじめて物が見えるのです。

 人の人生においても同じ事がいえると思います。不幸があってはじめて幸せになれるのです。少なくとも不幸がなければ幸せなどわからないのかもしれません。

 不幸が「影」といえるのなら、それもまた人生には必要なものなのですね。

パワースポットは是か非か

2011-08-25 10:50:45 | 占い・スピリチュアル
 私も昔はどこそこの井戸に行き、携帯の待ち受け画面にすればいいことがあると聞けば、並んででも行こうかと思っていました。

 でも、最近その考え方になんとなく違和感を覚えて来たのです。

 もちろんパワーを授かりにパワースポットに行くことを否定するつもりはありませんが、だからといって安易に携帯の待ちうけ画面を変えればいいことがあるなんて、虫がよすぎる気がします。

 こういう話があります。


 鎌倉時代の話です。

 当時の幕府の執権が夢を見た。神様が出てきて青砥藤綱に加増してやれと告げられた
 そこで早速、執権は藤綱への加増を命じた。
 だが、それを藤綱は断る。

「どうして・・・・?」と訝る人々に彼はこう説明した。

「手柄があって加増されるのであれば、それはうれしい。しかし、執権が夢を見て、それで加増されるのであれば、今度執権が゛青砥藤綱の首をはねよ”といった夢を見られたら、自分は首をはねられることになる。そうなっては大変だから、お断り申し上げるのだ」



 自分にとってありあまる幸運は決して身につかないように思います。

 それに、いわれもないご利益を授けてくださる神様は、またいわれもない不幸をも授ける神様なのですね。




六次の隔たり

2011-07-27 13:51:42 | 占い・スピリチュアル
地峡にいる全ての人間は、たった6人で隔てられているだけなんだそうです。

「6次の隔たり」

知人の知人という連鎖で辿っていくと、自分と地球にいる他の全員の間にはそれだけの隔たりしかないそうです。

これはアメリカ合衆国大統領ともヴェニスのゴンドラの船頭とも。

正しい6人をみつけるだけで、結びついてしまうのです。

ただ、その正しい6人を見つけるのが難しいのです。


「引き寄せの法則」によれば私達は心に集中しているものを引き寄せるそうですから、会ってみたい人のリストを作ってみるとよいかもしれせんね。

そうすれば、「6次の隔たり」の法則のおかげで正しい人々の連鎖を見つけることが出来、会いたい人に会えるようになれるように思います。





アドバイス

2011-07-13 11:52:40 | 占い・スピリチュアル
人にアドバイスをするのって難しいですよね。

こうすればいいのにって思っていても中々人には言えないもの。

アリストテレスもこういっています。

「誰でもアドバイスすることは出来るーそれはたやすい。
だが、適切な相手に、適切な度合いで、適切な時に、適切な目的のために、
適切なアドバイスをすることはたやすいことではない」


そして、人は相手のことはよく見えても、自分の事はわからないもの。

人の欠点ばかりが目についてしまう時は要注意です。

ストレスが溜まっている証拠。

自分が充実した人生を送っていれば、人のことなど気にならないものだから。


前に読んだ本で、「生霊」についての話があったんだけど、
生霊って怖いなって思いながら、ふと自分が「生霊」になってはないか考えてしましました。

自分が被害者だと思う前に、自分が加害者になってないか考える。

余計な執着は手放さないといけないですね。

三つの門のテスト

2011-07-13 11:38:33 | 占い・スピリチュアル
三つの門のテストってご存知ですか?


人間は時として、一瞬の怒りに駆られて相手を傷つける言葉を発したりします。
言葉は矢のようなものです。いったん放たれると取り返しがつかないのです。


そこで昔の賢人たちは、発しようとしている言葉が三つの門をくぐった時はじめて、
その言葉を口にしたのです。

最初の門で、彼らは自問しました。

「これらの言葉は真実か?」

そうであれば、その言葉は第二の門に行くことが出来ました。
第二の門で、賢人達はききました。

「これらの言葉は必要か?」

そうであれば、その言葉は第三の門へ行き、賢人達はそこで、

「これらの言葉に思いやりはあるか?」

と聞きました。そうであって初めて言葉は唇をはなれ、
世の中に向かって放たれたのです。