秋田へ行って参りました。
31日は仕事をしていても、何となく落ち着かず、ネットで天気情報を見ながら
数時間おきに、JRバスに連絡を入れて、深夜バスの運行状況の確認。
秋田県、波浪警報と大雪・・・。
初めて行く真冬の東北。
温泉でも、旅行でもなく、、ただ診察のためだけに、、、。
もともと、旅行もそんなにしない私にとって、この秋田行きは
ホントに、自分でも信じられない程急に決まった。
たった1日で・・・。
私の病気は、「掌蹠膿疱症」という病気。
その病名を言われた殆どの人が「治らない病気」とか「上手くつきあうしかない」
そんな事を言われている。
この病気が治るかも・・って思ったのは、先週の奈美悦子さんの会見。
そして、最上谷(アキタコマチ)さんのホームページ。
おそらく、奈美悦子さんもこのサイトを見て、本荘第一病院へ
行かれたのではないかと思います。(ネットで探した・・と言ってましたんで(;^_^A)
忙しい月末の仕事を、一通りすませ、あとは周りの人に引き継いでいく。
部長にも、あまりの悪天候で「新幹線の方がいいんじゃないか?」と
言われたけれど、新幹線で秋田まで行って夜中の12時。
そこからホテルに泊まって、、朝は5時過ぎにはホテルを出なくてはならない。
初めて行くそんな遠いところで、私ひとりでそんな判断が出来るだろうか・・・。
秋田へ行くことは絶対に無駄にはできないし、休める日程も決まってる。
「今回はダメだったわ~」では済まされない。
明日の午前中にはなんとしても、病院に着いていなくては!!!
初診患者は、月曜と火曜しか診て貰えない。
着いたら火曜日。1週間は待てない。
そう思って、多少の事は覚悟でそのままバスで行くことに決めた。
仕事を終え、小田急百貨店へ本を買いに行った。
目当ての本がなくて、閉店間際の京王百貨店へ駆け込む。
何も、こんな時に本にこだわらなくてもいいんだけど、、一度読んだことのある
私の気に入った本・・というのを持って行きたかっただけ。
目当ての本をゲットし、そのまま東京駅へ・・・。
とても、ひとりで食事をする余裕がなく、駅のコンビニでおにぎりやサンドウィッチ、
ペットボトルを買い込む。
バス停を確認し、待つこと数十分。
東京駅からはホントにいろんな高速バスが10分おきに出ていてビックリッ!(◎◎;)
大阪、神戸、広島、下関、、、へ~どこでも行けちゃうね~(*^^*)
今まで、ホントにたいした旅行もしてなかっただけに
今じゃ手軽にどこでも行けるんだなぁ~なんてちょっと驚いた。
無事に戻ってきたら、娘でも連れて、、どこか行こうかな~なんて、ふっと考えたりして。
9時21分発の、羽後本荘行きのバスに乗り、出発。
とりあえず、ホッとした。
何か特別な事がない限り、このバスが私を秋田まで運んでくれるだろう。
バスに乗って、まだ1時間も経たない10時前には消灯となり、本も読めない。
寝るしかないのか~と思いつつ、椅子を倒して携帯のメールを読んでいた。
ホントに沢山の人からメールをもらいました。ありがとう。
バスの中で、白い手袋をしている人がちょっと気になった。
もしかしたら、この人も、目的は同じなのかなぁ・・なんて思ったりして・・・。
途中、何度かカーテンをめくって外を見たけれど、雪の降ってる気配はない。
そのまま、少し眠っていたらしい。
カサカサ、、という音で目が覚め、バスが停まっていることに気づく。
外を見てびっくりした。一面の銀世界・・・つうか吹雪いてるし( ̄□ ̄;)
それでも、またバスは走り出し、私も、うとうと、、を何度か繰り返しながら
翌朝6時、予定より10分くらい早く羽後本荘駅へ着いた。
秋田は粉雪が舞っていたけれど、思っていたような寒さは感じず
とりあえず、駅の中の暖房が効いている部屋に入る。
そこにはテレビが付いていて、秋田県の気象情報が流れていた。
山側の方は、、もの凄いことになっている。
病院の受付は朝6時半から。 タクシーでワンメーターで行くことが
わかっていたので、自販機でコーヒーを買い、自宅へ電話をかける。
「今着いたよ。これから病院に行ってくるからね」
ちょっと早めにタクシーに乗り「本荘第一病院」へ向かう。
道路に積もった雪の上を、なんなく走るタクシーの運転手さんは
「今さっきも、、この病院へお客さん乗せたんだよ~」と言っていた。
同じバスで来た人かなぁ。。。。
病院へ着いて、受付へ向かうと既に30人くらいの人がいた。
受付で保険証を出し、「免疫内科」の診療を受けたい旨を告げると
他の患者さんにも一斉に声をかけ、そこに同じ病気の人が集まった。
バスの中で白い手袋をしてた人もそこにいた。
私の前の座席の人もそこに・・・・。
私は、今日の受付5番目だった。
しかし、前日の月曜日、、100人以上の患者さんがきたらしく、
午後10時まで診察をしても、先生は診きれなかったらしい。
その患者さんが、今日に20人繰り越されたという事を聞き、私は25番目となった。
それから2階の待合室で実に、、待つこと6時間!!!
その間、一緒のバスだった静岡から来た女性(50代くらいの方)と話をしていた。
彼女はやはり、奈美さんの会見を見て、フジテレビに問い合わせをしたという。
そして、この病院にたどり着いたと言っていた。
私が、アキタコマチさんのサイトでこの病気の調べた話をしていると、
私の前に座っていた人男性(40代後半くらいの方)がノートパソコンを差し出し
そのサイトが細かくファイルになっているものを見せてくれた。
私は既にすべて目を通しているので、彼女に見せてあげた。
彼女は食い入るように見ていた。
長い待ち時間の間に、とても沢山の人と話をすることが出来た。
症状はさまざまで、25歳の男の子は発症してから半年で手の爪が
すべて変形していたし、東京の小平市からきていた女性(50代くらい)は
この病気になって12年と言っていた。
人それぞれ、、病歴も、症状も異なっている事に驚き、それと同時に
私と同じ病気で苦しんでいる人がこんなにいるんだ・・・。
自分だけじゃない。そう思うと心強かった。
自分よりも酷い症状の人に、「早く良くなるといいですね~」なんて
そんな言葉が自然に出てきていることにちょっと驚いたりして(;^_^A
待合室で、みんな不安で心細い思いをしているもの同士が、
それぞれ症状を語り合い、手足の発疹を見せあっている。
手袋で覆った、赤く爛れた手を出して、足を出して、、、
みんな、同じ思いで来ていることを強く感じた。
「治りたい」ただそれだけ・・・。
8時半からの診療で、先生は実に丁寧にひとりひとりに対応していることがわかる。
昼休みナシのぶっ通しの診察で、私が診察室に入ったのは2時近くだった。
先生は私の手足を診ると、ズボンを膝までまくり上げ、膝の皮がむけているところも指摘した。
これもみんなそう。この病気の症状・・・。
巻き爪と思っていた足の爪の変形も、それから、、以前に甲状腺予備軍と診察され
ふくれあがった喉の当たりを両手で触って、先生は、「拳大くらいかぁ・・」そう言った。
そして5~6年くらい前に、青山にある甲状腺専門病院で診察を受け
「橋本病」と診断されたことを告げると、「これも合併症だからね・・」と言った。
私は「えっ?これも一緒に治りますか? 足の爪もキレイになりますか?」
そんなことを一生懸命聞いていたような気がする。
私の様に体に痛みが出ている人はもちろんだけど、そうでない人も
早いうちから骨の変形が始まっているらしい。
人によって違うけれど、この病気の治療は年単位を要することも言われている。
今まで、発症してから5~6年。きっと骨が正常になるまでには3年くらいは
投薬を続けなくちゃならないかもしれない。
でも、このままほっといて、骨が曲がり、歩けなくなり、車いすの生活を
することを考えたら、3年くらいの投薬治療はなんでもない。
今まで、もっと何年も辛い思いをしてきたんだから・・・・。
この病気に喫煙は許されない。
私はもともと喫煙者。禁煙してからまだ半年くらいしか経っていないから
決して威張って「吸ってません」とは言えない。
先生にはもちろん、その旨を話したけど・・・。
たまたま、この病気の治療の手段に体質改善は出来ないだろうか?
と、サウナに行き始めたときに、一緒に禁煙もし始めた。
でも、このときはホントに、私にとっては「禁煙」であって「断煙」ではなかった。
アキタコマチさんのサイトを見て、これから先、一生喫煙することはなくなるだろうと思った。
この病気の患者さん、100人中ほぼ100人が喫煙経験者だという。
禁煙することによって病気が治るわけではないけれど、喫煙すれば
絶対に良くならない事が証明されている。
せっかく摂取した薬が、、タダでさえ体に取り込むことが難しいこの薬を
一生懸命体内に残そうと、普通の人の10倍近い量を1日に取り込むのに、
喫煙することによってすべて無駄になってしまう。
先生は、煙草がやめられないなら、この治療は無駄だ・・とはっきりと言うそうだ。
もちろん、殆どの人がこのことを知って既にやめている、、か、やめますって言っているけど
一緒に受診した、女性は心配そうだった。「やめられるかなぁ~」と・・・。
この女性は、発症して8年くらいになり、足全体が荒れていた。
ただ、体の痛みはないと言っていたから、ここも大きく違うんだと思う。
私と、もうひとり、体の痛みで苦しんだ人が彼女に言った。
「ホントに、、すっごく苦しいよ・・背中が痛いのって、、激痛だよ」
先生の診断は、通常は午後から3時間近い説明会があるそうだ。
ところが、先日のTV放送の後の、新患受付日のこの2日間はとても出来る状態ではない。
先生は、申し訳なさそうに、これをしっかり読んでね・・と何セットかホチキスで留められた資料をくれた。
アトピー性皮膚炎・掌蹠膿疱症、、その原因や治療、特徴、注意、等が書かれた
これからの私の、大事な糧である。そこにも煙草はいけないと何度も出てくる。
その後、血液検査とレントゲン撮影をし、看護士さんによる軟膏指導があった。
とても暖かい病院で、忙しいにもかかわらず本当に丁寧に接して貰える。
秋田まできて、この病院で見て貰ってホント良かったね!とみんな言っていたよ(*^^*)
レントゲンは5~6枚撮影し、血液はなんと、、、7本も抜かれた(T_T)
私の場合は、甲状腺検査もあったので人より2本多いらしい(;^_^A
軟膏指導も、丁寧にひとりずつ、その人の症状によって軟膏の塗り方を
指導しながら塗ってくれた。
最後に、薬の処方に関する注意を受け、会計を済ませ3ヶ月分の薬をもらう。
もの凄い量の粉薬である。
この薬が(ビオチン)と言って、私を助けてくれるかもしれない薬。
そう思うと、サイフを落としても、この薬は持って帰らなくちゃ!なんて思いにさえなる。
半年後、また前橋先生に見てもらうときには、どのくらい良くなっているだろう。
今は、それがとても楽しみである。
「絶対に治るんだから!」
この一言が、みんなをどれだけ勇気づけることか・・・。
20代の青年は、関東だけで40近い医者に通ったという。
みんなホントに苦しんでいたんだよね。
アタシだけじゃない。
あたしよりもっと酷い症状の人が沢山いた。
座っていることができず、病院のソファに横たわっている人もいた。
「絶対に治るんだから!」
治らない、、と言われて苦しんでた人たちが、こう言ってもらえることを願って
秋田へ飛んできた。
私もそのひとりである。
膿疱が出来た醜い手足や、体に走る激痛の辛さは経験したものにしかわからない。
でも、それを理解してくれて、励ましてくれて、背中を押してくれた人達がいて
私は秋田へ行って、前橋先生の治療を受け、念願だった
「絶対に治るから大丈夫」と言ってもらうことができました。
帰りには、バスの出発までの間、一緒に治療を受けた方ときりたんぽ鍋を
目指して病院をあとにしました。
駅前のお店できりたんぽを食べながらそこのご主人と話してるとき、
「あぁ、、秋田へきたんだなぁ~」って初めて実感。
秋田弁が、、とっても暖かかったです(*^^*)
「半年後、診察券だしといてやるから、ここに送れ!」とお店の住所を書いてくれて・・・
そして、その晩の9時20分発の東京行きのバスに乗って帰ってきました。
病院で一緒だった人4人と同じバスだったのですが、ひとりの人は同じ八王子に在住と知り、
もうひとりの青年は、そこから仕事で上野へ向かうと言っていました。
そして、唯一、一緒に行動をともにした女性は、新幹線で静岡まで帰りました。
この病気のことに触れ、秋田へ行こうと決心したときから
本当に沢山のエールをもらいました(*^^*)
本当に嬉しかったです。
それでも、実際に自分が診察を受けるまでは、とっても不安で、、
「頑張るよ!」の一言も言えなかったけど、、
今では、「絶対に大丈夫だから!」って自分で言えちゃうような気がします。
電話をくれた方、メールをくれた方、本当にありがとう。
この場を借りてお礼申し上げます!!
病気と向き合って頑張ります!( v ̄▽ ̄) イエーイ
31日は仕事をしていても、何となく落ち着かず、ネットで天気情報を見ながら
数時間おきに、JRバスに連絡を入れて、深夜バスの運行状況の確認。
秋田県、波浪警報と大雪・・・。
初めて行く真冬の東北。
温泉でも、旅行でもなく、、ただ診察のためだけに、、、。
もともと、旅行もそんなにしない私にとって、この秋田行きは
ホントに、自分でも信じられない程急に決まった。
たった1日で・・・。
私の病気は、「掌蹠膿疱症」という病気。
その病名を言われた殆どの人が「治らない病気」とか「上手くつきあうしかない」
そんな事を言われている。
この病気が治るかも・・って思ったのは、先週の奈美悦子さんの会見。
そして、最上谷(アキタコマチ)さんのホームページ。
おそらく、奈美悦子さんもこのサイトを見て、本荘第一病院へ
行かれたのではないかと思います。(ネットで探した・・と言ってましたんで(;^_^A)
忙しい月末の仕事を、一通りすませ、あとは周りの人に引き継いでいく。
部長にも、あまりの悪天候で「新幹線の方がいいんじゃないか?」と
言われたけれど、新幹線で秋田まで行って夜中の12時。
そこからホテルに泊まって、、朝は5時過ぎにはホテルを出なくてはならない。
初めて行くそんな遠いところで、私ひとりでそんな判断が出来るだろうか・・・。
秋田へ行くことは絶対に無駄にはできないし、休める日程も決まってる。
「今回はダメだったわ~」では済まされない。
明日の午前中にはなんとしても、病院に着いていなくては!!!
初診患者は、月曜と火曜しか診て貰えない。
着いたら火曜日。1週間は待てない。
そう思って、多少の事は覚悟でそのままバスで行くことに決めた。
仕事を終え、小田急百貨店へ本を買いに行った。
目当ての本がなくて、閉店間際の京王百貨店へ駆け込む。
何も、こんな時に本にこだわらなくてもいいんだけど、、一度読んだことのある
私の気に入った本・・というのを持って行きたかっただけ。
目当ての本をゲットし、そのまま東京駅へ・・・。
とても、ひとりで食事をする余裕がなく、駅のコンビニでおにぎりやサンドウィッチ、
ペットボトルを買い込む。
バス停を確認し、待つこと数十分。
東京駅からはホントにいろんな高速バスが10分おきに出ていてビックリッ!(◎◎;)
大阪、神戸、広島、下関、、、へ~どこでも行けちゃうね~(*^^*)
今まで、ホントにたいした旅行もしてなかっただけに
今じゃ手軽にどこでも行けるんだなぁ~なんてちょっと驚いた。
無事に戻ってきたら、娘でも連れて、、どこか行こうかな~なんて、ふっと考えたりして。
9時21分発の、羽後本荘行きのバスに乗り、出発。
とりあえず、ホッとした。
何か特別な事がない限り、このバスが私を秋田まで運んでくれるだろう。
バスに乗って、まだ1時間も経たない10時前には消灯となり、本も読めない。
寝るしかないのか~と思いつつ、椅子を倒して携帯のメールを読んでいた。
ホントに沢山の人からメールをもらいました。ありがとう。
バスの中で、白い手袋をしている人がちょっと気になった。
もしかしたら、この人も、目的は同じなのかなぁ・・なんて思ったりして・・・。
途中、何度かカーテンをめくって外を見たけれど、雪の降ってる気配はない。
そのまま、少し眠っていたらしい。
カサカサ、、という音で目が覚め、バスが停まっていることに気づく。
外を見てびっくりした。一面の銀世界・・・つうか吹雪いてるし( ̄□ ̄;)
それでも、またバスは走り出し、私も、うとうと、、を何度か繰り返しながら
翌朝6時、予定より10分くらい早く羽後本荘駅へ着いた。
秋田は粉雪が舞っていたけれど、思っていたような寒さは感じず
とりあえず、駅の中の暖房が効いている部屋に入る。
そこにはテレビが付いていて、秋田県の気象情報が流れていた。
山側の方は、、もの凄いことになっている。
病院の受付は朝6時半から。 タクシーでワンメーターで行くことが
わかっていたので、自販機でコーヒーを買い、自宅へ電話をかける。
「今着いたよ。これから病院に行ってくるからね」
ちょっと早めにタクシーに乗り「本荘第一病院」へ向かう。
道路に積もった雪の上を、なんなく走るタクシーの運転手さんは
「今さっきも、、この病院へお客さん乗せたんだよ~」と言っていた。
同じバスで来た人かなぁ。。。。
病院へ着いて、受付へ向かうと既に30人くらいの人がいた。
受付で保険証を出し、「免疫内科」の診療を受けたい旨を告げると
他の患者さんにも一斉に声をかけ、そこに同じ病気の人が集まった。
バスの中で白い手袋をしてた人もそこにいた。
私の前の座席の人もそこに・・・・。
私は、今日の受付5番目だった。
しかし、前日の月曜日、、100人以上の患者さんがきたらしく、
午後10時まで診察をしても、先生は診きれなかったらしい。
その患者さんが、今日に20人繰り越されたという事を聞き、私は25番目となった。
それから2階の待合室で実に、、待つこと6時間!!!
その間、一緒のバスだった静岡から来た女性(50代くらいの方)と話をしていた。
彼女はやはり、奈美さんの会見を見て、フジテレビに問い合わせをしたという。
そして、この病院にたどり着いたと言っていた。
私が、アキタコマチさんのサイトでこの病気の調べた話をしていると、
私の前に座っていた人男性(40代後半くらいの方)がノートパソコンを差し出し
そのサイトが細かくファイルになっているものを見せてくれた。
私は既にすべて目を通しているので、彼女に見せてあげた。
彼女は食い入るように見ていた。
長い待ち時間の間に、とても沢山の人と話をすることが出来た。
症状はさまざまで、25歳の男の子は発症してから半年で手の爪が
すべて変形していたし、東京の小平市からきていた女性(50代くらい)は
この病気になって12年と言っていた。
人それぞれ、、病歴も、症状も異なっている事に驚き、それと同時に
私と同じ病気で苦しんでいる人がこんなにいるんだ・・・。
自分だけじゃない。そう思うと心強かった。
自分よりも酷い症状の人に、「早く良くなるといいですね~」なんて
そんな言葉が自然に出てきていることにちょっと驚いたりして(;^_^A
待合室で、みんな不安で心細い思いをしているもの同士が、
それぞれ症状を語り合い、手足の発疹を見せあっている。
手袋で覆った、赤く爛れた手を出して、足を出して、、、
みんな、同じ思いで来ていることを強く感じた。
「治りたい」ただそれだけ・・・。
8時半からの診療で、先生は実に丁寧にひとりひとりに対応していることがわかる。
昼休みナシのぶっ通しの診察で、私が診察室に入ったのは2時近くだった。
先生は私の手足を診ると、ズボンを膝までまくり上げ、膝の皮がむけているところも指摘した。
これもみんなそう。この病気の症状・・・。
巻き爪と思っていた足の爪の変形も、それから、、以前に甲状腺予備軍と診察され
ふくれあがった喉の当たりを両手で触って、先生は、「拳大くらいかぁ・・」そう言った。
そして5~6年くらい前に、青山にある甲状腺専門病院で診察を受け
「橋本病」と診断されたことを告げると、「これも合併症だからね・・」と言った。
私は「えっ?これも一緒に治りますか? 足の爪もキレイになりますか?」
そんなことを一生懸命聞いていたような気がする。
私の様に体に痛みが出ている人はもちろんだけど、そうでない人も
早いうちから骨の変形が始まっているらしい。
人によって違うけれど、この病気の治療は年単位を要することも言われている。
今まで、発症してから5~6年。きっと骨が正常になるまでには3年くらいは
投薬を続けなくちゃならないかもしれない。
でも、このままほっといて、骨が曲がり、歩けなくなり、車いすの生活を
することを考えたら、3年くらいの投薬治療はなんでもない。
今まで、もっと何年も辛い思いをしてきたんだから・・・・。
この病気に喫煙は許されない。
私はもともと喫煙者。禁煙してからまだ半年くらいしか経っていないから
決して威張って「吸ってません」とは言えない。
先生にはもちろん、その旨を話したけど・・・。
たまたま、この病気の治療の手段に体質改善は出来ないだろうか?
と、サウナに行き始めたときに、一緒に禁煙もし始めた。
でも、このときはホントに、私にとっては「禁煙」であって「断煙」ではなかった。
アキタコマチさんのサイトを見て、これから先、一生喫煙することはなくなるだろうと思った。
この病気の患者さん、100人中ほぼ100人が喫煙経験者だという。
禁煙することによって病気が治るわけではないけれど、喫煙すれば
絶対に良くならない事が証明されている。
せっかく摂取した薬が、、タダでさえ体に取り込むことが難しいこの薬を
一生懸命体内に残そうと、普通の人の10倍近い量を1日に取り込むのに、
喫煙することによってすべて無駄になってしまう。
先生は、煙草がやめられないなら、この治療は無駄だ・・とはっきりと言うそうだ。
もちろん、殆どの人がこのことを知って既にやめている、、か、やめますって言っているけど
一緒に受診した、女性は心配そうだった。「やめられるかなぁ~」と・・・。
この女性は、発症して8年くらいになり、足全体が荒れていた。
ただ、体の痛みはないと言っていたから、ここも大きく違うんだと思う。
私と、もうひとり、体の痛みで苦しんだ人が彼女に言った。
「ホントに、、すっごく苦しいよ・・背中が痛いのって、、激痛だよ」
先生の診断は、通常は午後から3時間近い説明会があるそうだ。
ところが、先日のTV放送の後の、新患受付日のこの2日間はとても出来る状態ではない。
先生は、申し訳なさそうに、これをしっかり読んでね・・と何セットかホチキスで留められた資料をくれた。
アトピー性皮膚炎・掌蹠膿疱症、、その原因や治療、特徴、注意、等が書かれた
これからの私の、大事な糧である。そこにも煙草はいけないと何度も出てくる。
その後、血液検査とレントゲン撮影をし、看護士さんによる軟膏指導があった。
とても暖かい病院で、忙しいにもかかわらず本当に丁寧に接して貰える。
秋田まできて、この病院で見て貰ってホント良かったね!とみんな言っていたよ(*^^*)
レントゲンは5~6枚撮影し、血液はなんと、、、7本も抜かれた(T_T)
私の場合は、甲状腺検査もあったので人より2本多いらしい(;^_^A
軟膏指導も、丁寧にひとりずつ、その人の症状によって軟膏の塗り方を
指導しながら塗ってくれた。
最後に、薬の処方に関する注意を受け、会計を済ませ3ヶ月分の薬をもらう。
もの凄い量の粉薬である。
この薬が(ビオチン)と言って、私を助けてくれるかもしれない薬。
そう思うと、サイフを落としても、この薬は持って帰らなくちゃ!なんて思いにさえなる。
半年後、また前橋先生に見てもらうときには、どのくらい良くなっているだろう。
今は、それがとても楽しみである。
「絶対に治るんだから!」
この一言が、みんなをどれだけ勇気づけることか・・・。
20代の青年は、関東だけで40近い医者に通ったという。
みんなホントに苦しんでいたんだよね。
アタシだけじゃない。
あたしよりもっと酷い症状の人が沢山いた。
座っていることができず、病院のソファに横たわっている人もいた。
「絶対に治るんだから!」
治らない、、と言われて苦しんでた人たちが、こう言ってもらえることを願って
秋田へ飛んできた。
私もそのひとりである。
膿疱が出来た醜い手足や、体に走る激痛の辛さは経験したものにしかわからない。
でも、それを理解してくれて、励ましてくれて、背中を押してくれた人達がいて
私は秋田へ行って、前橋先生の治療を受け、念願だった
「絶対に治るから大丈夫」と言ってもらうことができました。
帰りには、バスの出発までの間、一緒に治療を受けた方ときりたんぽ鍋を
目指して病院をあとにしました。
駅前のお店できりたんぽを食べながらそこのご主人と話してるとき、
「あぁ、、秋田へきたんだなぁ~」って初めて実感。
秋田弁が、、とっても暖かかったです(*^^*)
「半年後、診察券だしといてやるから、ここに送れ!」とお店の住所を書いてくれて・・・
そして、その晩の9時20分発の東京行きのバスに乗って帰ってきました。
病院で一緒だった人4人と同じバスだったのですが、ひとりの人は同じ八王子に在住と知り、
もうひとりの青年は、そこから仕事で上野へ向かうと言っていました。
そして、唯一、一緒に行動をともにした女性は、新幹線で静岡まで帰りました。
この病気のことに触れ、秋田へ行こうと決心したときから
本当に沢山のエールをもらいました(*^^*)
本当に嬉しかったです。
それでも、実際に自分が診察を受けるまでは、とっても不安で、、
「頑張るよ!」の一言も言えなかったけど、、
今では、「絶対に大丈夫だから!」って自分で言えちゃうような気がします。
電話をくれた方、メールをくれた方、本当にありがとう。
この場を借りてお礼申し上げます!!
病気と向き合って頑張ります!( v ̄▽ ̄) イエーイ