goo blog サービス終了のお知らせ 

夢追い人のデコボコ日誌

好奇心が旺盛だった昔乙女も落ち着いてしまいました。でも、吃驚箱の蓋を開けるようなワクワクした感覚も必要ですよね。

おかしかったこと

2007-07-11 11:22:30 | 家族
 昨日、妹とまた円山公園に行ってきました。
 振袖を着て紅い蛇の目傘をさした女性と、羽織袴の男性を囲んだ一群がいました。妹と結婚式かななんて話してみていました。その男性と女性には物語があるようでした。2人はある距離を於いて離れ離れです。男性は樹に手をかけてポーズをとって女性を見ています。女性は紅い傘をさして男性のほうを見つめています。ソコをカメラマンはパチリ、今度は2人の距離は少し縮まりました。又パチリ、寄り添った所でパチリ、私たち、もしかしてあの2人はモデルかもしれないね。着物のCMかな。なんて話していると鴉が飛んできました。
 カラスはワンワンと鳴きだしたのです。どう聞いてもカーカー、じゃなくワンワンです。あら、鴉が犬のように鳴いている。あの鴉、犬に育てられたのかしらと、妹。
 鄙が孵った時一番最初に目にしたものをお母さんと思うとよく言われますよね。
 北海道神宮の休屋、六菓亭で蕎麦饅頭を御馳走になり神宮となりの豆腐工房ゆめで豆腐料理を戴いて帰ってきました。

 今日のヒット 鴉が犬のように鳴くのを聴いたことです。

桜の画像を戴きました

2007-04-08 06:01:02 | 家族
大阪の桜
 秋江ちゃんが大阪のお友達から送って戴いたといって桜の写真を送ってくださいました。北海道はまだ寒いのに大阪はもうすっかりと桜が咲き誇っているようです。大阪の桜
話は変りますがこのところお友達の選挙事務所に毎日手伝いに行っています。
2時間ぐらい電話掛けを受け持っています。自分が受けるのと自分が送るのとでは随分と気持ちに差がありますね。しかし、私が電話をかけた方は皆優しくて嬉しかったです。

息子と夫のアメマス釣り

2007-01-15 18:39:12 | 家族
 津波情報が錯綜して、更に吹雪きの中、夫と息子はアメマス釣りに出かけた。
 聞く所によると息子は小さいのを4,5匹、夫も小さいのを1匹釣ったという。とてもとてもダービーには申請できる代物ではなかったようだ。
 このがしばれる中ガソリンを撒き散らしていくの? といいたい所、私はじっと我慢する。これは男のロマンだというに決まっている。
 今日は朝から昨日の雪を片付けてやれ腰が痛い。肩が張る、とのたまっている。

デートの日

2007-01-12 07:24:23 | 家族
 岩見沢でデートの約束があった。デートとなると心が賑わう。
 デートの相手は姉妹。この頃においては皆では顔を合わせるのは不祝儀の時ばかりだったから。
 十数年前に姉を亡くしてから幸いなことにわたし達姉妹に欠けた人はいない。
 姉妹が多いと小さい時はかしましかった。お八つが小さいの、大きいの。おもちゃを取ったの、取らないの。私などは着る物もお下がりばかり。私はセコハン娘と自認していたくらいだ。それがお互いに結婚して方々に散らばった。子育ての頃は親の家に集まったが親がなくなってからは冠婚葬祭でも無ければ会えなかった。それで出来るだけ会いましょう、話し合った。
 姉妹たちの住む地の中間地点の岩見沢になって久しい。
 会うと故郷の話になる。あそこに何があった。かにが有ったということになるのだ。しかし、それも微妙に食い違う。お互いに自分の鮮明な記憶の時が口に出るから年代が違うのだ。

アメマス釣り

2007-01-07 08:02:40 | 家族
 夜中に強い風のうなりで目をさました。
 こんな日でも息子は釣りに行ったのだろうか。夫は誘われたが今回は断った。
 昨年の12月の29,30日は息子に誘われて釣りに行った。しかし、天候が悪くて海に近づけなかったと言っていた。「じゃァー、ガソリンを撒き散らしてきたの」と言われて居心地が悪そうだった。今回だって連休は天候が荒れる、荒れると前宣伝があったのに。
 今の息子にとって釣りは鮭か、マスかしか興味がないようだ。夫がカレーとかホッケつりに行かないかと誘っても夫の誘いにはのらない。
 息子がアメマス釣りに凝りだして数年がたつ。
 今年もアメマスダービーなるものに登録したらしい。
 ダービ-とはある期間登録しておいて釣りかがあった時に大きさと重さを申告する。その中で重さと大きさと体こうが一番の人が優勝となるという。
 息子は四,五年まえに一度優勝した事がある。その時自分では買えないような立派なリールを戴いた。同じ柳の下にドジョウはいない、といわれているのに又、今度という夢があるのかもしれない。

さっき息子が顔を出した。矢張りこんな天候ではと、釣りを思いとどまったようだ。それでも夫と仕掛けがどうだ、なにがどうだと釣りについての話は尽きない。
 私は、このところ運動不足なのでチョっクラ散歩にとでた。昨日は解けた水の中がつるつると滑って足をやっとつけて恐る恐る歩いた。今日は雪がざくざくとしてこれまた歩きにくい事この上ない。まるで粗目の上を歩いているようだ。廻りの雪を見て1月の初めでこんなのでよいのかな。とも思う。が、油断はならない。自然は帳尻をきちんと合わせる。随分前の事だがムツゴロウと長靴バンドが札幌に来た年は凄かった。雪がなくて過ごしやすい年だと思っていたら1月の中過ぎから来る日も来る日も雪が振り出した。田舎から姪が来ていたが交通がストップになって帰られなかった。そうなると恐い。くわばらくわばら過ぎたるは及ばざるが如し。神様丁度でよいのです。雪をかたずけるのだってドサッとかたずけるよりも少しづつ時々やった方が体によいのです。

夕張に寄せて

2007-01-04 11:10:46 | 家族
 新年で朝の食卓の筆者が変った。読ませていただいたあの方も、この方も暮れで任期が終わったようだ。
 今朝の筆者は夕張歴史村の館長だった人が夕張の春として書いていた。夕張は昨年、財政再建団体になった。公共施設は閉められ友人、知人は地域を去り街を流れる重苦しい空気と書いてあった。読みながら石炭産業の斜陽化に吹き荒れた数十年前の故郷を思い出した。
 私の故郷も数十年前に突然の炭鉱の閉山問題で街が揺れた。炭鉱に働く人は職を求めて街を去った。父は若い時にリャカーをひいて商店を始めた。わたし達が成長する頃には商店が大きくなり夢がかなえられた。しかし、鉱業所の閉鎖により人口が流出し店も立ち行かなくなった。父も方向転換の出来る年齢はとうに過ぎていた。あの頃の家の中の空気は父の苦悩や家族の苦しみで満ちていた。だから夕張の住人の気持ちは判らないではない。財政再建団体になって今まで受けていたサービスは受けられない。税金も高く住みずらい街になる。それではと言って出て行ける人はいい。しかし、高齢化になり方向転換が出来ないと思う人達も沢山いる。朝の食卓を読みながらそんな人たちに思いを馳せた。
 小学生、中学生時代に机を並べた人たちは今何処の空の下にいるのだろう。

お節料理

2006-12-31 07:58:38 | 家族
 昨日の夜に姿エビを茹でて旨煮をつくりました。そうそうはんぺんとエビをを入れてだし巻き玉子も作りました。
 前に黒豆を煮て、昆布巻きを煮て、きんぴらを作って、なますを作ってあるから今日揚げ物をして終りです。我家はいつもこんな昔ながらの料理です。夫は旨煮やきんぴらが大好きです。年齢を重ねると昔食べたものに郷愁を感じるのですね。姑や私の母が亡くなり十数年経っていますがですがそれまでは自分の家でお正月を迎えた事が無かった。お正月料理を考えなくて良かった年月を思えば幸せだったのかもしれません。暮れになると夫は母や姑が待っている田舎へ3時間弱車を走らせます。今は田舎に行くのもお盆のお墓参りだけになりました。息子達が年取りに来る今では姑や母たちの気持ちが解からなくもありません。

新聞の記事から

2006-12-22 10:27:08 | 家族
 昨日、新聞を拡げて”あつ”と声を出してしまいました。
 登山中の大学生北朝鮮に拉致された可能性ありとなっていました。
 もう何年も前かわかりませんが姉が言っていたことです。
「中学の担任の先生の大学生の息子さん登山に行って遭難したんだって。捜索されたけど遺体が見つからなくてそれから毎年先生が遺体を捜しにその山にいっているんだって」
 その先生は私も知っていましたがとてもお気の毒におもいました。大学まで育てられた息子さんを亡くして悲しみ、それによく判りませんが捜索にかかった費用も遺族持ちで大変な費用を支払ったと聞かされました。姉もその後先生にお会いしたが急にお年を召されたように見えたといってました。親不孝だとか、山が好きでそこで死んだんだから本人はいいのでは先生も口では言っているが本心を考えると姉も言葉も出なかったそうです。
 北朝鮮に拉致の可能性がありの大学生は矢張りその人でした。あんなに必死で探した結果、見つからなかった。それが北朝鮮に拉致されていた可能性もだったなんてひどいですよね。先生は去年御逝去されたそうですが先生が生きていたら、或いは奥様の心境はと考えさせられました。もし、そうなら息子さんが1日も早く帰って来られるといいですよね。

シロが今朝旅立ちました

2006-12-10 21:29:40 | 家族
 7月4日に脳梗塞を起こして5ケ月と1週間の闘病生活です。
 あの時は、何日も持つまいと思われました。それが寝たきりで動く事は出来ませんでしたが点滴と薬でもちなおしました。食欲もあり、排泄も順調で結構自己主張もしておりました。
 夏の間はずっと扇風機のお世話になって寒くなってからは毛布をかけてもらったりしていました。しかし、硬直していくからだで自分を支えるのが大変なようでした。結構あった食欲も食べ過ぎると排泄に苦しむようになって来ていました。喜んで飲んだカロリーメイトも余り飲まなくなっては来ていました。
 段々、食も細くなって昨日は水も受け付けなくて吐いたようでした。シロは17歳にはなっていますが家に来てから6年目です。しかし、来たときから何年も前からいたような大きな顔をしていました。
 子供が小さかった時に拾ってきた銀は15年間家にいました。銀は初めに子供が世話をするという約束で家に置くことになったのにすぐに私が世話をしなければならなくなりました、それでも銀は夫の潜在的な動物好きをみぬいていたのでしょう。世話をする私より夫に懐いていたようでした。
 それでか銀は夫にお別れを言うように夫の目の前でパタンと倒れて息を引き取りました。
 シロは夫がリタイヤしていた事もあって、家に来てからずっと夫の世話をされていて、そしてこの5ケ月は夫の手厚い看護を受けました。それが良かったか悪かったか私には解かりません。
 シロはあんなにずっと寝たきりだったのに眠っているような優しい顔をしていました。夫の留守の時ぐらいしかシロの面倒を見なかった私でさえどこか穴が開いたような気持ちですから夫はもっとこたえているのかもしれません。
 皆さんにもいろいろ励ましの言葉を頂きましたがココで報告方々お礼の言葉と致します。シロを激励してくださってありがとうございました。

乗せていって

2006-10-17 09:08:12 | 家族
「どこへよ」
 夫のとんがった答えが返って来る。
「仕事にだよ」
「わかった。ほんとうに、もう」
「磨くからさ」
 そこに居なければわからない会話ですが、夫が丹精込めて洗車をすると次の日は大抵雨になります。
 夫は安くてに入れた車を大事にして車の外観から中まで一日掛けて洗車してワックスをかけて磨きます。その次の日に雨となると車を走らせたくないのです。
 
mikiさんのページに行くとアニメーションの風景となっていました。
それでこうしたら出来るのではと考えて真似してみました。ヒントを下さったmikiさんに感謝有難うございました。