オペラ「カルメン」を観て

2014-09-06 22:21:09 | 音楽(音楽動画・コンサート・オペラ) 

 

 

  こんにちは

  すっかりご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。

  今年の夏も暑かったですね。みなさん、如何お過ごしでしたでしょうか? 

 

  この夏もいろんなマイ・イベントがありました。

 

  8月20日に、新国立劇場へオペラ「カルメン」を観に行ってきました。

  新宿から電車で一駅の初台にあります。

  大・中・小の三つの劇場が入っていまして、今回の「カルメン」は大劇場のオペラ・

  パレス(1814席)でした。

  

         
                         オペラ パレス

 

  ビゼー作曲の「カルメン」はスペインのセビリアを舞台にした、「恋は野の鳥(ハバネ

  ラ)」や「闘牛士の歌」などポピュラーな歌あり、スペイン舞踊あり、最後には主役の

  ドン・ホセが愛するカルメンを刺し殺すというエキサイティングなオペラ。

  そして最も知名度の高いオペラの一つです。

  フランス語上演(ビゼーはフランス人)でしたけど、オペラでは舞台の両端に日本語

  字幕(翻訳)が出ますので意味が分からなくて困ることはありません。

 

                   
                          プログラム

 

          スタッフ&キャスト                       

          指揮 : 山下 一史      演出 : 三浦 安浩

          東京フィルハーモニック管弦楽団

       

          カルメン : 谷口 睦美    ドン・ホセ : 秋川雅史  

          ミカエラ : 砂川 涼子    エスカミーリョ : 東原 貞彦  ほか

 

  二年ほど前から国の内外で、驚くほど斬新な演出のオペラを観る機会が重なりま

  して、これからのオペラは歌手や指揮者よりも演出家の重要度のほうが大きくなっ

  てゆくのかと考えさせられました。

  原作の台本まで書き変え、過去世紀を現代に持ってきたりの現代風読み替え。

  舞台装置や衣装も簡素にしていますので、コストパフォーマンスからくる必然性な

  のでしょうか。オペラは莫大な費用がかかるそうです。

  コストの悩みを解決するには演出家が頑張らなくてはならないのかな、と。

 

  今回の「カルメン」は演出は斬新ではありませんでしたけど、特に演出のありかた

  が気になってならない部分が多かったものですから、その点についての個人的

  な感想を率直に幾つか述べたいと思います。

 

  まず第一に、ドラマの心理的な側面(人物の心理的葛藤)を解釈し、描き出すことに

  ついてはほとんどスルーされており、ストーリー展開中心の劇になっていましたので、

  登場人物が熱演するお人形にしか見えず、残念でした。 

  人物が劇時間を生きることによって最初と最後ではわずかでも変化していることが

  人間ドラマの醍醐味であり、(意識的ににその法を破壊してかかったような特別な

  劇でない限りは)作劇法の基本だと思うのですけど、今回の舞台では本質的に人物

  は何か変化したとは感じられません。

 

  ですので、人間ドラマと音楽が融合したオペラティックな感動(あるいは満足)は無く、

  その点では観終わってたいへん物足りなく感じたのでした。

  男ドン・ホセと女カルメンが出会ってショートし、結果、殺人が起こってしまったとい

  う悲劇ではなかった。

  音楽や舞踊を愉しむ物語付きカルメン・ショーみたい、に思えました。 

  舞台を作る人たちのお気持ちもよく分かりますし、こういう感想はほんとうに書き辛い

  のですけど。><;)

  そういうわけで、これなら劇(オペラ)でなくても舞踊などを入れた演奏会形式でもい

  いのではないかと思いました。

 

  次に気になりましたのは、この劇に大きな役割のありそうなマリア像です。  

  幕が開いた時から下手前面に小さな台があり、その上には小さなマリア像が置い

  てあって、最後の第四幕までマリア像がそこに置かれていたのです。

  このマリア像はこの悲劇を見ているのか、それとも何かの劇的な役割を担ってそこ

  にいるのか、よくわからないのですが。

  原作の台本には聖母マリア像は出てこないのですけど、でも「カルメン」にマリア像

  を使うことはよくあり、どれも、ラストの第四幕の広場の立像として大きなマリア像が

  立っていました。

 

  ところが今回の舞台ではマリア像が小さいので、置いてあったことすら気がつかな

  かった人が少なくなかったようです。

  この劇は、出演人数も多いですし、歌も踊りもありますし、初めて観る人は余裕が

  ありませんので、気づかないのは無理はないと思います。

  演出の独りよがりを感じました。

  

  そのマリア像は、エスカミーリョになびいたカルメンが最後にドン・ホセに刺殺され、

  階段の上から大がかりによろけ降りてきて、ぶっつかって壊れてしまいます。

  階段というのは・・アングラ演劇の故つか・こうへい氏の派手な階段落ちの演出を

  思い出したり。

 

  ホセの母親を暗示しているようにも見えるこの慈悲深い聖母マリア像が壊れること

  で、この劇の救いようのない悲劇性を強調したかったのかな、と後になってわたし

  なりに解釈したのですけど。

  残念ながらこれも何故壊したのか意味不明だった人がとても多かったことでしょう。

 

  こんな小さなマリア像に意味の持たせ過ぎといいますか。

  分からなければそれでもいいんだし、ということだったのかもしれませんが、意味不

  明というのはこちらは考えて気が散りますし、釈然としなくて後味が悪いです。

  しかも最後のクライマックス・シーンですので。   

  やはりこれも演出家の自己満足、ひとりよがりに思えました。

 

  また、第一幕で、ミカエラがホセの母親と話したことを歌っている最中に、ホセが

  階段を上がってゆく女性のほうをじっと見るシーンも、意味不明でした。

  後で考えて、その女性に母親の姿を重ねて見ていたのか、あるいはよそ見して

  ミカエラにさっぱり気が無いことを演技していたのか、その両方だったのか、と。

  わたしの席から見ますと女性は後姿ですので、何歳くらいの人かも分かりませんし。

  映像のドラマならば、そういうファジーな表現はあってもいいのですけど、舞台劇で

  は、許されないと思います。

  

  一方、第三幕の終わりでしたか、原作台本には無い、ホセとミカエラが喪服姿で

  登場するシーンを挿入したことは、これは分かりやすくて良かったと思いました。

  母親の死を視覚的に観せることで、何もかも失くしたホセが心理崩壊し最後に

  カルメンを殺害することが、初めて観る人にも納得できたかと思います。

  この演出の場合は、このシーンを入れたのは快挙だったと思いました。

  

            
          ロビーのビュッフェ・・幕間休憩にアルコール、ソフトドリンクなど。

  

  第四幕のラストでした。

  ホセが、殺害したカルメンを抱いて号泣する悲劇的なシーンに、おめでたく色とりどりの

  紙吹雪が降ってくるのはいただけませんでした。 

  ドサ回りの芝居小屋を見立てたアングラ劇か、はたまた新派か。新派でも今はラストシーン

  に紙吹雪はやらないかもしれません。

   

  もう一つ、タイトルロールのカルメン像が最も描けていないことが残念でした。 

  マザコン気味のドン・ホセとホセの心を亡霊のように支配している母親の存在に

  着目したのはさすがで、これは劇中音楽の「運命の動機」にもつながるかもしれ

  ませんし。他の「カルメン」にはこういった着想は観たことはありません。

  これを発展すれば独創的な「カルメン」が観れるのではないかと期待しました。 

  ホセにとってカルメンとは何だったのか。

  音楽や舞踊のほうはそれぞれに楽しめました。

  以上、演出に対する感想を幾つかピックアップして述べました。

      

          
                          フィナーレ

 

     そろそろ夏バテの出る時期、みなさん、無理をなさらないようお気をつけ

     くださいね。

 

 

                               

 

  

 

    

    


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