こんにちは、お元気でしょうか。
ロシアなどを取り上げても、あまり興味を持たれないのでは?・・と心配していたのですけど、
アクセスが急増していましたので、驚きました。嬉しかったデス。
意外に関心を持たれているようですので何かひとつ話題を加筆してみたくなりました。
たとえば。 日本では紅茶にジャムを入れてロシア紅茶と言っていますが、ロシア人は
あんな紅茶は飲みませんのでと、何度も言い聞かせられました。
このご婦人は日本に留学していたことがあって、日本語が喋れて、親日家なのです。
確かに紅茶にジャムを入れて飲んでも、あまり美味しくはありませんね。せっかくの紅茶の
香りや風味は台無しですし、紅茶のお国の英国人なら眉をひそめるでしょう。
また、ロシア料理のボルシチも、日本の、トマトを煮込んで大きなジャガイモやにんじんの
入ったビーフシチューみたいなあんなボルシチには一度もお目にかかりませんでした。
モスクワでもサンクトペテルブルクでもみな、テーブルビートという根菜で作った紅いさらっと
したスープにサワークリームをのせたものが出てきます。
日本のものはずいぶん違いますねと言いましたら、「確かに」とひと言。
あまりにも日本で普及してしまっているので言っても仕方がないし、といった様子でした。
どうも日本ではロシアのことが正確に伝わっていないことが多いようです。
ソ連共産党時代に、民間の交流がなされていなかったからなのでしょう。
以上、一口メモでした。
さて本題のエカテリーナ宮殿ですが、前回も書きましたように、ここは避暑の別荘なのです。
↓ 下の美しいご婦人はエカテリーナ2世。
エカテリーナ宮殿の名前はほんとうはエカテリーナ1世の名前なんですけど、今では誰もが
エカテリーナ2世から取ったと思い込んでいるくらいに、このかたはロシアの歴史を代表する
手腕家の女帝で、領土を拡大しさまざまな改革を成し遂げ、権勢を振るった人だそうです。
宮殿のどの肖像画を見ても、みなこういうお顔立ちなのでやはりこんな人だったのでしょう。
とは言っても肖像画ですから・・美しく描かないと絵描きさんは首が飛ぶ時代ですので。(笑)
在位は1762年~1796年。凄いですね、34年間実権のあるトップの座に。
右はこのかたのドレスだそうです。寄木の床は一見に値するのだそうです。
ヨーロッパの国々の王室は国同士の政略で婚姻を結ぶことが多かったようで、このかたも
ドイツからお嫁入りし、夫君で皇帝のピュートル3世を暗殺させて女帝に即位したと言われて
います。もっともピュートル3世は無能で有名。国民に不満を持たれていたらしいのですけど。
宮殿の大広間です。↓ 当時大流行のロココ調の壁です。
下の二枚は、青い陶器のペチカにご注意ください。
火が入ると青いペチカが全体に赤みを帯びて紫色に見えるそうです。
色としてもきれいでしょうね。火が装飾になるなんて。ロココ調の装飾的なお部屋。
↓下はちょっと見えにくいですけど、会食用のテーブルセッティング。こんなテーブルがいくつ
か展示してありました。
宮殿は、何人かの代々の女帝の好みが入っています。いわば女の宮殿。
↓ 下のお部屋はエカテリーナ2世の好みではなさそう。ロマンティックではないので。
下はロココ調の椅子に絨毯。エカテリーナ1世の娘さんのエリザヴェータが、全館ロココ
調にするようにとの命令を出した時代があったそうです。
下は、エカテリーナ2世が1770年に完成させ、こよなく愛していたという琥珀の間です。
部屋中が琥珀(こはく)で作られ、琥珀で装飾され尽くしている世界に唯一の部屋ですが、
撮影禁止でした。Yahoo画像から引用しました。
第二次世界大戦時にドイツ軍に持ち出されてしまいましたが、その後修復されました。
琥珀というのは、男性はご存知ないかもしれませんね。↓下の画像の黄色や茶色の石で、
宝石とまでは言えないのですけど、女性の装身具などに使われます。フレームも琥珀です。
(エカテリーナ宮殿のショップに飾ってあった琥珀)
↓下は、エカテリーナ宮殿。雪が積もっていても、各国から観光客が集まっていました。
普段は30分~1時間並ぶのだそうですが、冬は人が少ないのですぐに入れました。
白い雪に映えるブルーの宮殿の色がとても素敵だったのですけど、画像にはあまりその良さ
が出ていなくて残念です。
次回もエカテリーナ宮殿を続けたいと思います。