こんにちは。
じわじわと蒸し暑くなってきましたね。
日本は四季があっていいなと思うのですけど、梅雨だけは無くてもいいかな、などと虫のいいことを
思ってしまいます。(笑)
更新が遅れがちで、せっかくいらしてくださったかた、申し訳ありません。m(_ _)m
スペインのラ・マンチャ地方の旅の思い出、今回は最終回です。
日本のように梅雨の長雨などのないラ・マンチャ地方は、乾いて赤茶けた耕作地が行けども行けども
続きました。
もともと、ラ・マンチャというのは「乾燥した土地」という意味。
肥沃な黒土の畑などは一か所も見かけませんでした。
乾燥農業のここの作物は、オリーブ、葡萄、小麦、香辛料のサフラン、ナッツ類などです。
↑上の写真は、牛の看板です。ただ牛だけが立っていました。
闘牛の国ですから、観光のサービス?ラ・マンチャ以外でも見かけました。
バスの中が写ってしまって乳牛に見えますけど、本当は黒一色の牛です。
さて、バスはラ・マンチャ州にあるプエルト・ラピセという田舎町に到着しました。
ラ・マンチャが舞台の小説「ドン・キホーテ」の第一篇の中に、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが冒険
を求めてこの町にやって来るシーンがあるのだそうです。
そのシーンを書くためだったのか、作者のセルバンテスも何度もこの町に来ており、彼が常宿にして
いたという、昔の旅籠(はたご)を見に行きました。
小説が発表されたのは1605年ですので、400年は優に超えている古民家です。
とにかく古い建物でした。
↓現在は「ベンタ・デル・キホーテ」という名のレストラン兼土産物店になっています。
↑上の写真、左側の建物は敷地の塀も兼ねており、手前にずっと長く続いていました。
青い車のあたりが正門です。
↓その門を入りますと石畳の中庭があり、長い建物が高い塀のように中庭の四方を囲んでいました。
旅籠時代は一階がパブリックスペース、二階が客室だったそうです。
↑建物が塀を兼ねて中庭を囲んでいるこの構造は、イスラム圏のキャラバン・サライ(隊商宿)と同じです。
昔は宿泊客は馬に乗ってきましたので、キャラバン・サライのラクダと同じく、この中庭で馬を洗い、回廊
の日陰で休ませたりしたのでしょう。
スペインは過去800年間イスラムに支配されていましたので、イスラムの文化が色濃く融合しています。
(キャラバン・サライのことは、当ブログの2013年3月22日の<トルコ旅行 シルクロードと隊商宿>
の記事に中の様子を写真入りで載せています。よろしかったらご覧になってください。)
ここにもまたドン・キホーテが。前回のドン・キホーテ像よりも本物らしい風格があります。
後ろの回廊はレストランの一部。
↓下もレストランの一部。さらに奥にもまだレストランがあるようでした。
↓ここは建物の中です。ここから二階の客室に上がっていったのでしょう。階段の横は土産物店の入口。
壁には石灰が分厚く塗り重ねてありました。外壁も石灰です。
↓下の写真は上と同じ土産物店ですけど、道路に面したほうの入口です。
スペインタイルでこのように装飾するのは、スペインの商店の定番。
タイルの技術もまたイスラム圏からの文化でした。
建物を見た後は、お土産の買い物や休憩タイムになりましたので、わたしは写真を撮りたくて一人外に
出ました。写真を撮りながら周りを歩き回っているうちに、なんと迷子になってしまったのです!
この道を戻ればいいと思っていた道が、違っているではありませんか。
大した距離は来ていないのだから見つかるはず、と焦って探し回っているうちに、余計に分からなく
なってしまいました。何か勘違いをしてしまったようです。
真冬のことですので、人影もなく静まりかえった町。血の気が引く思いでした。
携帯もありませんし、お店の名前も覚えていないし、スペイン語も喋れませんし、連絡の取りようがない。
↓下の写真を撮ったあとに、戻れなくなってしまいました。わたしにとっては痛い記念写真です。
外国の治安が良くないことは、いろいろ耳に入っています。
強盗にでも出くわして連れ去られたら、アウト!緊張して探し回りました。
第一、こんなことで人に迷惑はかけたくない。
その時です。ずっと前方の建物から、見覚えのあるグループのかたが一人、出ていらしたのです。
助かった・・!と思った瞬間でした。
そのかたは、たまたま先ほどの道路に面したほうのお店の出入り口から出ていらしたのでした。
どれだけそのかたに心の中で感謝したか分かりません。人が人を助けるとは、このことだと・・。
前にも後にも、こんなことはその時だけですけど、旅行も慣れてきた頃が危険です。
今回このブログを書くにあたって、わたしが何処をどう迷子になったのか知りたくて調べていますと、
Yahoo画像にちょうどいい写真が載っていましたのでお借りしました。↓
Yahoo画像より
↑上の写真がその町です。あの時、お店は全部閉まっていました。
左の赤い車輪の付いた建物が、戻るべき「ヴェンタ・デル・キホーテ」の側面。正面はもっと左手前です。
迷子の記念写真を撮ったのが、道路を渡った先の行き止まりの辺りです。
すぐそこだったのに。道路は渡っていないと思い込んで左へ探して行ったのかもしれません。
こんな恐怖体験は一度だけにしておきたいと思ったことでした。
↓下の写真は、迷子になることなど心配もせずに呑気に撮って回った写真です。
屋根の上の「ヴェンタ・デル・キホーテ」の看板。屋根瓦が独特でした。
↓お店の前にあったキリスト教会。逆光なので暗いのですけど、左にドン・キホーテ像が立っています。
二本の立木はスペインに多い糸杉です。糸杉は死の象徴とされ、ヨーロッパでは墓地に植える習慣が
があり、イエス・キリストを磔にしたのは糸杉の材木だったという伝説があるそうです。
そして町角の土産物店の看板。風車とドン・キホーテ。↓
さて無事にバスに乗り、またラ・マンチャ地方の乾燥農地を車窓に眺めながらアルハンブラ宮殿のある
アンダルシア地方のグラナダへと向かいました。
アルハンブラ宮殿のことは、いつかまたブログできたらいいなと思っています。
スペインのラ・マンチャ地方を終わります。