トルコ旅行・隊商宿とシルクロード

2013-03-22 21:12:08 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

 

  こんにちは

  今回はトルコ旅行の続きで、キャラバン・サライやシルクロードの風景をお届けし

  たいと思います。ちょっと長くなりますけど、お付き合いくださいね。

   

  シルクロードは、遥か紀元前から中国の長安(今の西安)とローマを結んでいた交

  易ルート(絹の道)だったというのが定説ですけど、のちに中央アジアで何本かの

  ルートに分岐し、その一本がトルコのちょうど中央あたりを横断していたのでした。

  

             
                                                  (隊商 Yahoo画像)

 

  当時隊商が苦労して歩いたシルクロードも、今ではアスファルト道路。

  途中ハイウエイになっている所さえありました。

  下の写真はバスの車窓から撮った、シルクロードです。カッパドキア付近。↓

          

  下もシルクロードです。バスに乗ってキャラバン・サライに向かいます。↓

     

  ↓ 町の中に見える電信柱みたいな塔は、イスラム教の礼拝堂であるモスクに付属

  しているミナレット。

  狙ったわけではないのですけど、町を撮れば大体どこかにモスクとミナレットが写っ

  ているのです。それだけ数が多いのですね。

      

       

  ↑ 上のような赤い外壁の家が多いのが特徴的でした。 ここにもミナレットが。 

  一つの集落に必ず最低一棟はモスクがあります。

  ↓ 下の写真は、狙って撮りました。 

  ミナレットのバルコニーに拡声器が2個取り付けてあるのが見えるでしょうか。

  この拡声器から一日五回、アザーン(男声の詠唱。お祈りの時刻を告げ、礼拝に集

  まるように呼びかける声)が流されます。 

  トルコでは、熱烈な人以外の一般市民は毎日お祈りするような習慣はないそうです。 

         

                

  ↓ さて、シルクロードの沿線にあるスルタンハンという町のキャラバン・サライ(隊

  商宿)に到着しました。

  テント張りの簡素な宿を想像していましたので、立派な建物に驚きです。

         

  ↑ それもそのはず、サライというのは宮殿という意味。

  どこの隊商宿もこのように立派だったそうです。

  当時は、盗賊団がキャラバン(隊商)を襲う心配がありましたので、厚みが2mもあ

  る堅牢で高い壁に囲まれており、窓はいっさいなく、まるで要塞のようでした。   

           

  ↑ 入口に立っている門番の人に入場料一人3トルコリラ(150円)払って入ります。

  盗賊の侵入をはばむために出入り口はここ一つしかなく、しかも扉は頑丈な鉄製。

       ↑ 

  ↑ 門の扉の上部は鍾乳石の彫刻になっていました。

  いわばビジネスホテルなのですから、ここまで立派でなくても・・         

  キャラバン・サライは当時のその地方の政府が建てて、責任を持って管理していた

  というのですから、官営なのでした。

  政府が交易を保護していたのです。

 

  ↓ 門が豪華なので中はさぞかしと思って入りますと、これだけの簡単な造りでした。

  この宿は1229年、784年前に建てられたものですけど、現存している希少な隊

  商宿だそうで、他は度重なる地震などでほとんどが崩壊しているということです。

      

  ↑ 上の写真。正面にある四角の建物は礼拝堂です。 

  左手の壁に並んでいる入口はお風呂や寝室。  

  ↓ 下は、右手のアーチ型の回廊の拡大です。 奥行きがあり、この回廊に台所や

  食堂、休息所、商人の交易のためのスペースなどがあったそうです。

                                             

  ↓ 下の写真。 外を見張るための階段。

  階段の真下、角にトイレ、その向かって右隣は男性用のお風呂、男性用の寝室と

  続きます。その先には女性用のお風呂や寝室も。

  隊商の中に女性は少なかったので、女性用寝室は一室だけでした。            

                          

  寝室の中は石造りで、がらんとして何も残っていませんでした。

  窓が無いので、風通しは悪かったことでしょう。

 

   キャラバン・サライというのは、通行料がかかる代わりに宿泊料は2、3泊まで

  は無料サービスというのが全体的な習わしだったそうですので、商人も動物も2、3

  日休んで疲れをとってから、また歩いたのですね。

  シルクロードの大体40~50kmごとに一棟、建っていたということです。  

  といいますのは、キャラバン(隊商)が一日に進める距離がそれくらいだったので、

  それに合わせた間隔で建っていたのでした。

  そうやって進めば、中国からローマまでは大体、2、3か月かかったでしょうか。 

 

  ↓ 下の、正面一番奥にある建物は ラクダやロバなどの動物を泊める部屋です。 

       

  ↓ 人間の数よりも動物のほうが多かったので、中は広く取ってありました。 

  やはり盗賊よけに窓はなく、上のほうに明かり取りと臭気取りを兼ねた空気穴が

  あるだけです。  

         

   盗賊団を徹底的に警戒した造りでしたので、隊商が命がけでシルクロードを

  歩いたことが、身に沁みてわかりました。

  長く、絹の製法は極秘でしたから、絹を貿易すると相当に儲かったのですね。

  道中で襲われたときにはどうしたのでしょうか。

 

  さて、キャラバン・サライをあとにして、標高1000mの高原のシルクロードをバス

  で走り続けます。

      

  

         

  ↑ モスクの特集ができるくらい、やたらにモスクばかり撮ってしまいました。

  ↓ 事故ってる・・パトカーが来てる。どこの国でも見かける光景です。当事者はきっ

  と手前のお二人ですね。

        

  ↓ シルクロード沿いのサービスエリアで、巨大かぼちゃに遭遇!  

            

  ↓ 可愛いお人形にも遭遇。 栗を売っている娘さんなのでしょうか。 

  トルコの栗はどんぐりみたいな形。

  焼き栗を屋台で売っているのですけど、ぜんぜん甘みはありませんでした。

       

   トルコ人のルーツは中央アジアの遊牧民だったそうです。

  中国の新疆ウイグル自治区の人たちはトルコ人、わが同胞、と聞きました。

  あのあたりはトルキスタン(トルコ人の土地)と呼ばれています。

 

  トルコに関心のあるかたたちが思ったより多いので、もっとトルコのことを続けたい

  のですけど、他にも書きたい記事がありますので、他の記事をはさみながら、これ

  からもトルコのご紹介を続けてゆきたいと思っています。

  

                            

  

       

       

  

  

  

                
        

       

       

  

  

      

 

   

 

      

 

    

  

 

  

  

                                    

         

 

 

 

 

 

  


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