上野旧奏楽堂でのコンサート♪

2011-02-23 15:02:33 | 音楽(音楽動画・コンサート・オペラ) 

   こんにちは!お元気でしょうか。

木々の枝がたくさん芽吹いてきて、吹く風も柔らかくなってきたように感じます。

わたしは2月19日に、ひと足早く「早春賦」の美しい女声合唱を聴いてきました。

お友だちに誘われて、東京上野公園の中にある旧奏楽堂のコンサートに行ってきたのです。

旧奏楽堂といいますのは、正式名「旧東京音楽学校奏楽堂」。

やはり上野にある東京芸大の音楽学部の前身です。

明治23年(1890年)に建てられた当時のままの木造建築のホールで、現在、重要文化財

になっています。見るものみな珍しく・・日清戦争よりも前に建てられたというのですから。

板の階段を上がった、正面玄関の上にある二階のお部屋がホールになっていました。↓

 

    

玄関の右横に「荒城の月」や「花」を作曲し、23歳の若さで夭折した滝廉太郎の銅像が。           

         

 

ホールの中は、勾配のある古い板の床に338席の木製の座席、日本最古の空気式パイプ

オルガンが備わった小型のステージがあり、暖房もちょうどいい温度で入っていました。

質素で小さなホールですけど、かまぼこ型の天井に、床下や壁面には藁束などを入れて

音響や遮音などの工夫もされているそうです。

日本で最初に建てられた本格的な音楽ホールということですので、いわば日本の西洋音楽

はこのホールから出発したと言ってもいいでしょう

保護の為か、内部は撮影禁止でした。そうっと、大切に使われている様子です。

過去に歴史上の人物も、たくさんここに入ったんでしょうね、などと話しているうちにコンサート

が始まりました。

オープニングは、滝廉太郎の「花」の麗しい女声アンサンブルです。

コンサートのタイトルは「日本の情緒 懐かしい歌たち」、サブが「日本の西洋音楽を見守って

きた旧奏楽堂で聴く」。

もうそれだけで、なんとなく想像がつくというかたもいらっしゃるかもしれませんが、わたしも

想像していたのとはちょっと違いましたので。

下は、そのプログラムです。↓

 

         

 

「Jソロイツ」という若い女性7人のアンサンブルがコンサートの主体になっていたのですけど、

彼女たちはコーラスが専門ではなくて、それぞれがみな単独でオペラなどの活動をしている

ソロの歌手なのです。その一方でアンサンブルのステージもやっているのでした。

なので、ふつう聴くコーラスとはまったく違って、それぞれに個性の強い粘りのあるソプラノ

やメゾソプラノが声を合わせ、また、綺麗なハーモニーになって響きました。

プログラム一部はJソロイツによる「みかんの花咲く丘」などの童謡15曲、二部は荒井美幸

さんのフルート演奏とテノールの土崎譲さんの独唱が入り、さらにJソロイツの日本の四季を

テーマにした日本唱歌15曲、ここで「早春賦」が歌われました。

ピアノ伴奏は山口佳代さん、演出は武田竹美さんです。

Jソロイツ全30曲のなかで「海(松原遠く)」と「冬景色」が特に素敵だと思いました。

みんなが子供のころから聴いてきているこういった唱歌は、聴いているほうがすでに心に

描いている情景がありますので、歌うほうは歌いにくいのではないでしょうか。

でも案外、みんな共通した原風景を抱いているのかもしれませんね。

それがこのコンサートのテーマになっている日本の原風景というのかな・・と思ったりして。

「早春賦」は特に大好きな歌なので、わがままな聴き手だと自分でも判っています。

一度でいいからソプラノの独唱で、ほんとうの「早春賦」が聴きたい。

 ロウソクの火があぶなかしく揺れながら消えてゆくように、いつか日本の唱歌などという

ものは誰も本気では歌わなくなって、気持ちの入らないただの綺麗なお歌になって忘れ去ら

れてゆくのかな、と思っていましたけど、そうではなく次から次へと実力のある人たちが

意欲的に歌い継いでゆくことが解って、心強く思いました。    

 「早春賦」や「花」など多くの日本の歌曲は、本格的な発声の訓練をした人でないと表現

するのはなかなか難しい歌ではないかと思います。

ご自分たちにしか歌えない歌があるのなら、歌ってゆくのは学んだ人の使命に近いものが

あるのかもしれない、そんなことを思ったひとときでした。

満席の客席からブラボーの声が飛んでいました。                  

帰りは玄関に出演者のかたがたが並んでお客さんをお見送りなさっていました。

土崎譲さんや荒井美幸さんの演奏も印象深く、少し冷え込んできた上野公園をコンサート

の余韻に浸りながら駅へ向かいました。

 「旧奏楽堂では、日本歌曲の普及と創造的発展を目指し、歌唱部門と作曲部門の

コンクールを毎年開いています。」とホームページにありました。

明治23年から始まって、これからもさらに現役として日本歌曲の創造的発展を目指す・・

旧奏楽堂って、かなり凄くないでしょうか。

 

                            

 

  

 

 

  


最新の画像もっと見る