こんにちは
総選挙は何が何だか分からない状況になってきましたね。
たまにはこういう時もあって政界の膠着状態が解けますので国民にとってはそう悪い状況でも
ないのかな、と思います。膠着すると政治家の思考もヒエラルキーも膠着してゆくようなので。
それにしても解散の時期が滅茶苦茶ですよね。後世に残る解散になるでしょう。
以前トルコを旅行した時に、大小さまざまのモスク(イスラム教の礼拝堂)の写真を沢山撮って
いたのですけど、いつかブログに載せようと思いながら、そのままになっていました。
最近トルコで起こったテロのニュースを見て、ふとあのモスクの写真を思い出して。
町の中の小さなキリスト教会、小さな神社のようなモスクたち。
いえ、それよりももっと小さなモスクもありました。
↓最初に、世界で最も美しいと言われている、イスタンブールのブルーモスクです。
モスクには必ず長いヤリのようなミナレットが立っていますけど、この数がモスクの格式や権勢
を表しているそうで、ブルーモスクの6本がモスクの最高ということです。
↓ブルーモスクの礼拝堂の一部。モスクには、靴を脱ぎ帽子をとって入らなくてはなりません。
トルコで最初に到着したのはイスタンブール。そこからバスでトルコ国土の約2分の1くらいを
回って各地を観光し、またイスタンブールに戻ってきました。
走るバスの車窓からモスクを撮り続けましたので、写真は撮った時間の順番に並べました。
では、出発します~。
↓イスタンブール市内を走っています。ミナレットが地上ではなく屋上に立っているのは珍しい。
↓ここもイスタンブール市内。人口1500万人の大都市です。
↓まだイスタンブール市内です。ミナレットは計4本。多いですね。
↑ミナレットの途中に付いているバルコニーには拡声器が取り付けられており、礼拝の時間がきま
すと拡声器から礼拝を呼びかけるアザーンがもの凄い音量で鳴り響きます。男の人の声で1日5回。
トルコでは、それに合わせて礼拝に行く習慣はなくて、時計代わりに聞いているということです。
一度ホテルの近くにモスクがあって、朝の6時に聞こえてくるのには閉口しました。
「礼拝は睡眠に勝る~」と言うのです。イスラム教の国に来たな~という実感が満ちてきました。
首都アンカラに到着しました。イスタンブールから450kmです。
途中にもモスクがあったのですけど、ドーム屋根の似たようなものばかりですので省略します。
アンカラもイスタンブールと同様、最近イスラム国による悲惨なテロが起こっています。
↓ここは、最も有名なスポット、アタチュルク廟。曇天にトルコの国旗の赤が鮮やかでした。
↓そのアタチュルク廟です。トルコ共和国の建国者ケマル・アタチュルク大統領が眠る霊廟。
アタチュルク(1881~1938)は沢山の改革を実行し、トルコの父と慕われているそうです。
特にイスラム教が政治に参加し口を出すことを許さない政教分離の法律を作り徹底させました。
それが現在トルコと、シリアやイラク、イランなど他のイスラム社会との大きな差異になりました。
↓今までと違ってとてもいいお天気です。写真写りも良くて嬉しい。
待ちに待って撮れた町の小さなモスクです!ミナレットのバルコニーも1つでシンプル。
↓バルコニーの所に拡声器が付いています。
拡声器がまだ無かった頃には、声自慢の男の人が大声を張り上げて礼拝を呼びかけたそうです。
さらに、ミナレットが無かった7世紀以前には、屋根の上に立っていたということです。
↓ほんとうに小さい。公民館くらいのモスク。
↓あちこちを回って、コンヤというイスラム圏では有名な宗教都市に着きました。
イスラム教の一派であるイスラム神秘主義教団「メブラーナ教」の発祥の地、聖地です。
↓下は、コンヤにあるメブラーナ博物館。
16世紀に建てられたメブラーナ教のモスクでしたが、先程のアタチュルクの政教分離の改革の
一環として教団は解散し、今ではメブラーナ教祖を祀って、モスクは博物館に。
↓やはり同じ敷地にある別館のモスクのようです。
お参りをする所があり、沢山の信者がお参りに来ていました。
↓この女性は泣きながらお祈りをしていて、泣きながら帰ってゆきました。とても綺麗な人だった。
何があったのかな・・
↓メブラーナのイスラム神秘主義教団というのは旋舞教団だそうで、下のようにクルクル旋回して
踊りながら忘我の境地になり、神に近づき、感覚的に神を知るという教えだそうです。
右手で神の恵みを受け、左手でその恵みを人々に与える。踊るのは男性だけ。
周りの信者は旋回を見ているうちに自分も忘我の境地になって神に近づけると信じているという
ことですけど、現在では表向きにはトルコの伝統舞踊として残されているに過ぎないようです。
観光向けに旋回舞踊ショーをやっていました。
次回もモスクの旅を続けたいと思っています。