こんにちは。
総選挙のお手伝いで忙しくしていまして。
早速ですけど、前回に引き続きトルコのモスク(イスラム教の礼拝堂)の続きを始めます。
ヨーロッパをバス旅行していますと、どんなに小さな集落にも必ずキリスト教会はありますので、
イスラム教の国も同じなのかなという単純な興味からバスの車窓にモスクを探すようになって。
見つけたら写真に撮ってゆきました。
町や村、山間などどこにでもモスクがあり、人が多い所には大きなモスク、少ない所には小さな
モスク。たくさんの写真を全部ここに載せることができなくて残念です。
前回のコンヤという宗教都市を出て、バスは内陸を西へ西へと走り続けました。
↓赤土の畑が延々と続き。トルコの土地は畑作向きではなく、ナッツ類やジャガイモ、サクランボ
など丈夫な作物を植えているそうです。
トルコには砂漠は無いのですけど、隣国のシリアから砂漠の熱風が時々吹いてくると聞きました。
↓モスクには必ずミナレット(尖塔)が付いていますので、遠くからでもすぐに見つけられました。
↓ミナレットに付いているバルコニーに拡声器があり、一日に5回、礼拝を呼びかけるアザーン
が大きな音量で四方八方に鳴り響くのです。朝は6時から。
アザーン自体は、落ち着いた男声の祝詞みたいな調子ですので不快な音声ではないのですけど。
↑上の写真の奥に見えているミナレット2本のモスクが↓下のモスクです。この間1分が経過。
↓ミナレットの数はそのモスクの格式や力を表していると聞いたのですけど、こんな小さなモスク
なのになんと2本も立っていて。偉いお坊さんでもいらっしゃるのでしょうか。
↓見学のためにバスを降りた「エフェソス」、世界遺産です。
エフェソスは古代ローマ帝国の重要都市の一つで、遺跡はローマ帝国時代に建ったもの。
正面の、柱が7、8本ある二階建ての建物は当時の図書館。エフェソスは壮大な景観でした。
↓下はやはり同じ時期にできた5万人収容の円形劇場。ほぼ完全な形で遺っていて、手を一つ叩い
ただけで 音の反響は凄いものでした。生の声で歌ったり演じたりしていたのですね。
↓古代には地中海がもっと傍にあり、エフェソスはローマ帝国よりも前の紀元前4世紀以前から
ギリシア人のヘレニズム都市として栄えていたということです。
後に、アントニウスがエジプト女王のクレオパトラと共に滞在していた地としても知られています。
↑何よりも、聖母マリアがイエスの使徒ヨハネに連れられて余生を送った地として有名です。
19世紀になってマリアの家の跡が発掘され、以降、歴代のローマ教皇が訪問しているということ
です。当時を再現した「聖母マリアの家」はまだずっと先なので、行けなくて残念。
↓エフェソスを後にしてから、エーゲ海が遠く近くに見えるようになってきました。
モスクのミナレットも見えています。
↓エーゲ海の海岸にあるトロイの遺跡です。崩れた石ばかりが続いていました。
紀元前1000年以上も前のこと、ギリシア軍が大きな木馬にたくさんの兵士を入れ、負けたふりを
して船でエーゲ海を渡り、トロイに運び込みます。夜、木馬から兵士が出てきて一気に攻め入り
トロイは落城、ギリシア軍が勝利。下の木馬は再現物です。
↓トロイの街を後にして船でダーダネルス海峡を渡り、イスタンブールへ。ここもトルコです。
紀元前3000年頃からあった悠久の地トロイ。モスクが見えました。
↓イスタンブールに戻りました。
↓イスタンブールの商店街。正面にミナレットが見えています。
↓と言うより、イスタンブールには街中にモスクがあり、写真を撮ればどこかにモスクが必ず写り
込んでいるほどたくさんありました。
↓下もイスタンブールのモスク。
イスタンブールはヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがっており、その間のボスポラス海峡の先
は黒海に繋がっています。写真はヨーロッパ側です。
↓イスタンブールで観に行った、中東、アラブが起源のベリーダンス。
上半身と下半身を左右反対に動かしながら激しく踊る、超ハードな舞踊でした。
駆け足でしたけど、以上で「トルコ・モスクの旅」を終わります。