こんにちは
関東地方は梅雨が明けました。
この数日間晴天続きで、植物が気持ち良さそうに風に吹かれています。
梅雨明けのこの時期に吹く風を「白南風(しらはえ)」といい、俳句の季語にもなっているそうで。
テレビの「プレバトランキング」でやっていました。
爽やかなイメージの、いい言葉ですね。「しろはえ」と読んでもいいそうです。
わたしはこの読み方のほうが好きかな。
今日は、世界最大級のゴシック建築、ミラノのドゥオーモ(大聖堂)のお話をいたします。
今年の一月に、日曜日のミサを見学できました。
↓このドゥオーモは聖母マリアに捧げられた大聖堂で、ミラノの中心街にあるドゥオーモ広場を
前に、圧巻の存在感を見せ、威容を誇っています。
総大理石の白く壮麗な姿はレースかガラス細工のような繊細さで、女性的な聖堂。
ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院に次いで世界で二番目に広い聖堂です。
建設に着工したのが1386年で、それから約450年後の1813年にようやく完成を見ました。
諸事情から、造りかけのまま放置されていた時代もあったようです。
↓肉眼では見えないのですけど、135本ある尖塔の一つ一つに聖人像が立っていて、一番高い尖塔
には、金のマリア像が輝いています。
↓森をイメージして造られたという内部は大理石の巨大な柱が林立し、外に面した壁に嵌め込まれ
たステンドグラスから柔らかい光が差し込んでいました。
↓下は、玄関廊です。右手の黒い扉が最も大きな正面玄関。両サイドに小玄関がありました。
床はマリアをイメージしたかのような大理石の花柄。
↓下は、聖堂の中央部を通っている身廊です。
正面のステンドグラスの下がこの聖堂の主祭壇。
広すぎて、主祭壇の祭事が見えませんので、このように幾つものテレビが立ち、同時放映で見る
ことができるようになっています。もちろん音声もマイクを通して流されていました。
↓その主祭壇です。日曜日のミサが行われています。
儀式の様子が左のテレビにも映し出されていました。
わたしはミサのことはよく知りませんので、この機会に知っておくのも悪くないと思いまして調
べてみました。何しろ世界人口の33.4%がキリスト教ですので。ちなみに仏教は5.7%。
ローマカトリックのミサの儀式の内容は、主に「言葉の典礼」と「主の晩餐の典礼」の二種類
で構成されているそうです。
「言葉の典礼」では聖書の朗読やお説教などを行い、「主の晩餐の典礼」では、これがミサの肝心
な部分だそうですけど、キリストの「最後の晩餐」に由来してパン(ホスチアと言って、小麦粉を
薄く焼いたもの)と葡萄酒(省略することが多い)を会衆が食す「聖体拝領」の儀式を行います。
その二つに開祭や閉祭が加わって、大体1時間10分から1時間30分くらいで終るそうです。
熱心なキリスト教徒は毎週日曜日毎に教会へ行き、このミサの儀式に参加しているのでした。
↓下の儀式はその「言葉の典礼」で、神父が主祭壇の隅で聖書を朗読している場面のようでした。
↓やがて、その主祭壇の隅で、東洋人らしき神父が何かお祈りを始めます。
↓この女性は、無伴奏のソロで歌っています。美しい声の人で、讃美歌を歌っているようでした。
聖堂内は暖房が入っていませんのでこの歌い手も会衆(信徒)もコートを着用しています。
緑色の祭服を着た人は司祭かその一つ上位の司教のようです。
前に出ている人たちは新しく洗礼を受けた人なのでしょうか?
ミサというのは結局、キリストの肉体と血の象徴であるパンと葡萄酒を全員で食することによって
キリストと信徒たちの一体を深めるための儀式のようです。
↓身廊の隣りにある側廊には幾つかの箱のような懺悔室が並んでいました。
神父と告解者は顔を合わせることなく会話します。
神父は告白を受けた懺悔は決して口外してはならないことになっているそうで、たとえ殺人で
あっても警察に通告することはなく、自首を勧めるということです。
何世紀も工事が遅々として進まなかったこのミラノのドゥオーモは、フランスのナポレオンが
ミラノ公国を征服してから、その運命が一気に変わりました。
早く造るようにとの命令を出し、フランスの資金を投入したのです。
ナポレオンの命令からなんと8年後の1813年に一応の完成を成し遂げたということです。
その後も各世代の芸術家たちが次から次へと彫刻やステンドグラス等々細部にわたって手を加え、
理想の聖堂を創り上げてゆきました。完全に完成したのは、今から53年前の1965年です。
また、第二次世界大戦中の1943年にミラノは爆撃を受けたのですが、このドゥオーモは連合国側
の判断で免れました。
↓最後に、ドゥォーモ広場です。
梅雨明けを抜けて、いよいよ本格的な夏に入りますね。