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世界の環境ホットニュース[GEN] 594号 05年07月21日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com
枯葉剤機密カルテル(第11回)
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枯葉剤機密カルテル 原田 和明
第11回 東洋一の供給基地
三井東圧化学が記者会見で明らかにした製品の輸出先には登場しませんでしたが
、
三井東圧化学へ原料を供給する「輸出元」もあったのではないかと疑っています
。
ベトナムに近いアジア圏に巨大な供給基地があると考える方がより自然でしょう
。
その候補は台湾苛性会社安順工場です。
台湾苛性会社 安順工場は1982年6月に閉鎖されましたが、その後、工場跡地では
高濃度の水銀とダイオキシンにより敷地土壌や地下水が汚染されていることが分
かりました。
工場近くの養魚場経営者によれば、PCP汚染により近隣の養魚場は甚大な被害
をこうむったとのことです。養魚場の底泥にはPCPの白い針状の結晶が生成し
、
そのために魚の上唇は内側に縮み、下唇は外側に突き出すといった奇形やヒレと
尾に徐々に穴があいた魚が多く見つかり、魚の大量死が続発しました。
養魚場の経営者たちは、PCP汚染を防ぐために養魚池とルエルメン(鹿耳門)
川に続く側溝を塩ビシートで覆い、これにより魚の成育は正常になったとのこと
です。汚染が川とその河口近くの海に広がっているのは間違いありません。
この工場跡地汚染問題は当初、水銀問題と見られて、水俣病が疑われました。苛
性工場では苛性ソーダの製造工程で大量の水銀が使われていました。新潟水俣病
の原因も苛性工場でした。しかし、国立水俣病総合研究センターも参加しての調
査の結果、水俣病が否定されると会社は「公害はなかった。」と主張して住民と
対立、社会的政治的問題に発展しています。行政も有効な対策はとっていません
。
その後、この工場跡地汚染問題はダイオキシンと水銀の複合汚染の疑いがもたれ
るようになりました。(水俣学通信創刊号2005.7.1)
安順工場の起源は1942年(昭和17年)、鐘紡の子会社である鐘淵曹達(かねがふ
ちソーダ)株式会社(1938年設立)が現地住民から土地を強制収用し台南市安順
(アンシュン)に工場を建設したことに始まります。この工場は、水酸化ナトリ
ウム、塩酸、及び液体塩素を製造する一方、軍の指示で航空燃料添加剤のブロム
や毒ガスを製造していました。鐘紡の前身は明治22年設立の「鐘淵紡績所」で設
立当時、世間では「三井の道楽工場」と呼ばれた(鐘紡百年史)ことからもわか
るように、鐘紡も三井系列です。
第二次世界大戦末期、米軍に爆撃されて工場は一部破壊されましたが、1946年に
台湾政府はこの工場を改修、「台湾苛性製造会社台南工場」と改称して年末に操
業を再開しました。1951年には「台湾苛性会社安順工場」と改称、従来からの水
酸化ナトリウム、塩酸、液体塩素を生産する傍ら、1964年に ペンタクロロ-ナト
リウムフェノキサイド(PCP-Na)の製造に成功、1969年には同工場はPCP-Na
の大増産に踏み切り、当時アジア太平洋地域では最大規模と称された、生産規模
1500トン/年のプラントを稼動させたのです。これ以降、台湾苛性の主要生産は
苛性ソーダと塩素からペンタクロロフェノール(PCP)にシフトしていきまし
たが、その主な輸出先は日本でした。(Huan-Chang Huang(医科技術大学準教授)
日台環境フォーラム2002 講演資料)
この工場の製品は PCP(ペンタクロロフェノール=5塩素化フェノール)であ
って、枯葉剤原料である245TCP(3 塩素化フェノール)ではありませんで
した。しかし、PCPが枯葉作戦に利用されていたのではないかと疑わせる事件
が沖縄で起きています。(世界の環境ホットニュース[GEN] 559号 05年02月03日
「沖縄の化学兵器(第12回)」で既報)
事件は 1971年5月25日の朝日新聞に「沖縄南部で飲料水に枯葉剤」との刺激的な
タイトルで掲載されました。
「沖縄本島南部地区一帯で 上水や井戸水を飲んだ人たちが次々と頭痛や吐き気
を訴え、浄水場の魚がひっくり返る騒ぎが持ち上がった。琉球政府で調べたと
ころ、米軍の払い下げでベトナムの枯葉作戦で使われたという劇薬PCPが大
量に混入していることがわかり、水道組合は東風平村など四カ村への給水を全
面的にストップ、植物への水遣りも中止した。」
「原因を調べていた琉球政府 厚生局はPCPを手がけている毒劇物輸入販売業
者・沖プライ商事が去る5月14日から一週間に亘って、浄水場から約1キロ離れ
た具志頭村山中の旧採石場跡にPCP約2万5千ガロン(百トン)を捨てたこと
を突き止めた。沖プライ商事は1968年11月払い下げを受け、南風原村内の社有
地に野積みしていた。ところが容器が腐食して液が流出し始めたため、この4
月末琉球政府は同社に対してPCPを廃棄するよう警告した。法によると劇物
の廃棄は『少量づつ焼却する』ことになっているが、沖ブライ商事は量が多い
ため一気に採石場跡に持ち込んで流し込んだようだ。それが地下水に混じって
浄水場をはじめ四方の地下水源に流入したとの見方が強い。」
この記事で眼をひくのは「枯葉作戦に使用されているPCP」との記述です。朝
日新聞が245Tではなく、PCPと枯葉作戦との関連を指摘した根拠は不明で
すが、もしPCPが枯葉作戦に使われていたとすると、枯葉作戦は「枯葉剤+ナ
パーム弾(焼夷弾)」の組み合わせでしたから大量のダイオキシン発生源として
も「極めて有効」だったことでしょう。このとき米軍が払い下げたPCPは台湾
苛性会社の製品か日本製かは不明ですが、台湾苛性安順工場のPCP大増産は米
軍払い下げの翌年です。なぜ米軍は大量のPCPをこの時期に払い下げたのでし
ょうか? 枯葉作戦の中止はずっと後のことです。もし、枯葉作戦に使われてい
たならば、1968年の旧正月に行なわれたベトナム側の総反撃「テト攻勢」の影響
が考えられます。一時期サイゴンの米大使館さえ占拠される事態に南ベトナムは
大混乱に陥りました。米軍の反撃で解放勢力は一掃されましたが、この年、米軍
は枯葉剤 散布用に 改造した C123航空機を物資の輸送に転用せざるを得ず、
1968年の枯葉剤散布量は大きく落ち込んでいます。しかし、世界中に発注された
枯葉剤は大型工場もあり、そう簡単に生産調整できるものではありません。その
結果、ベトナム戦争の前線基地沖縄に処分しきれなくなった大量の「在庫」を抱
えていたのではないかと推定されます。12月26日の参院・沖縄及び北方問題に関
する特別委員会で、沖縄でのPCP不法投棄事件がとりあげられ、国会で改めて
PCPと枯葉作戦の関連を疑わせる「事件」がありました。
小平芳平(社会党)は米軍が民間企業に払い下げるにあたって、琉球政府(沖縄
は当時まだ米国施政権下にあった)が蚊帳の外に置かれていたことを確認した上
で、次のように質問しています。
「私がこの問題で一番問題だと思いますのは、安保体制下で 米軍は日本の国内
へ何でも持ち込めるのかどうかということなんです。日本のどこへでもこうい
うものを持ち込むことができるならば、いまずっと述べられたような重大事故
が次から次へ発生する可能性が沖繩にも本土にも残されているということにな
る。米軍は一体何のためにこのような大量の除草剤に使われているPCPを沖
繩へ持ち込んだのか。」
これに対し、防衛庁長官・江崎真澄は「今後注意するが、PCPは除草剤であっ
て毒ガスなどではない。米軍は基地の草取りに使っていた。」と反論しますが、
小平から基地が縮小されたわけでもないのになぜ除草剤が余るのかと再度質問さ
れ、今度は「木材防腐剤にも使ったと聞いている。」と答え、誰から聞いたのか
と質問されると環境庁長官・大石武一が大体の見当だと答え、小平は「米軍から
何も説明受けてないじゃないか」と納得しません。
小平「今後復帰する沖繩においても、あるいは日本本土においても、そういう
ことが米軍の御都合ですと、国民の迷惑がひど過ぎませんか。なぜこんな大量
の、しかも住民に被害を与えるこういう劇物毒物を持ち込んだのか、将来とも
持ち込むのか。それも除草や防腐剤に使う、その除草や防腐剤に使う範囲なら
ともかく、百トンも現に余っている。それほど、じゃ基地が縮小されましたか
。
それを何も知らない民間に渡して、民間企業も迷惑な話だ。それを受け取った
はいいけれども、かんが腐って流れ出す、被害が発生する、そんなことが今後
日本の基地のどこででも行なわれる可能性があるんですか、ないんですか。核
兵器はもちろん困るし、毒ガスも困りますが、現にPCPの場合は、沖繩で、
もうこれから、はかり知れない被害、あとどれだけ被害が発生するか見当もつ
かないようなことを巻き起こしているわけです。将来これ(在日米軍の持込)
に対する沖繩県民はもとより、日本の国全体としてのあり方についてお尋ねし
たい。」
そのときです。枯葉作戦用としてベトナムで使っておるのだよ、ベトナムで」と
の野次がとびました。これに対し、佐藤栄作首相は
「まあ先ほど不規則発言ではありますが、「枯葉用だ」とか、「枯葉作戦用だ」
とか、こういうような声もいたしておりましたが、しかし、いずれにしても、
米軍自身が使いこなせないものを民間に払い下げた、民間でも使用できなくて
そういうものが焼かれ、あるいは地下に埋設されて廃棄処分を受けた、私はこ
れはいくらアメリカが金があるといっても、そんなむだな使い方はしないだろ
うと思います。お互いに信用してこそ初めて同盟条約というものは有効だ、不
信を買うような行為があったらこれはもう存続の意義がなくなりますから、そ
ういう点においては忌憚のない意見を当方からも言うが、これに対する応答も
十分納得のいくようにしてもらわなければならないと、私はかように思います
。
われわれも当然要求すべきことは要求する、また納得をすればその範囲におい
て私どももしんぼうすべきものはしんぼういたしますけれども、しかし、いま
のような点はどの点から考えましても理解に苦しむものでございます。」
と答え米軍が払い下げたPCPが何に使う予定のものだったかは判明しませんで
したが、枯葉作戦に使われたとの疑惑も否定していません。
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世界の環境ホットニュース[GEN] 594号 05年07月21日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com
枯葉剤機密カルテル(第11回)
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枯葉剤機密カルテル 原田 和明
第11回 東洋一の供給基地
三井東圧化学が記者会見で明らかにした製品の輸出先には登場しませんでしたが
、
三井東圧化学へ原料を供給する「輸出元」もあったのではないかと疑っています
。
ベトナムに近いアジア圏に巨大な供給基地があると考える方がより自然でしょう
。
その候補は台湾苛性会社安順工場です。
台湾苛性会社 安順工場は1982年6月に閉鎖されましたが、その後、工場跡地では
高濃度の水銀とダイオキシンにより敷地土壌や地下水が汚染されていることが分
かりました。
工場近くの養魚場経営者によれば、PCP汚染により近隣の養魚場は甚大な被害
をこうむったとのことです。養魚場の底泥にはPCPの白い針状の結晶が生成し
、
そのために魚の上唇は内側に縮み、下唇は外側に突き出すといった奇形やヒレと
尾に徐々に穴があいた魚が多く見つかり、魚の大量死が続発しました。
養魚場の経営者たちは、PCP汚染を防ぐために養魚池とルエルメン(鹿耳門)
川に続く側溝を塩ビシートで覆い、これにより魚の成育は正常になったとのこと
です。汚染が川とその河口近くの海に広がっているのは間違いありません。
この工場跡地汚染問題は当初、水銀問題と見られて、水俣病が疑われました。苛
性工場では苛性ソーダの製造工程で大量の水銀が使われていました。新潟水俣病
の原因も苛性工場でした。しかし、国立水俣病総合研究センターも参加しての調
査の結果、水俣病が否定されると会社は「公害はなかった。」と主張して住民と
対立、社会的政治的問題に発展しています。行政も有効な対策はとっていません
。
その後、この工場跡地汚染問題はダイオキシンと水銀の複合汚染の疑いがもたれ
るようになりました。(水俣学通信創刊号2005.7.1)
安順工場の起源は1942年(昭和17年)、鐘紡の子会社である鐘淵曹達(かねがふ
ちソーダ)株式会社(1938年設立)が現地住民から土地を強制収用し台南市安順
(アンシュン)に工場を建設したことに始まります。この工場は、水酸化ナトリ
ウム、塩酸、及び液体塩素を製造する一方、軍の指示で航空燃料添加剤のブロム
や毒ガスを製造していました。鐘紡の前身は明治22年設立の「鐘淵紡績所」で設
立当時、世間では「三井の道楽工場」と呼ばれた(鐘紡百年史)ことからもわか
るように、鐘紡も三井系列です。
第二次世界大戦末期、米軍に爆撃されて工場は一部破壊されましたが、1946年に
台湾政府はこの工場を改修、「台湾苛性製造会社台南工場」と改称して年末に操
業を再開しました。1951年には「台湾苛性会社安順工場」と改称、従来からの水
酸化ナトリウム、塩酸、液体塩素を生産する傍ら、1964年に ペンタクロロ-ナト
リウムフェノキサイド(PCP-Na)の製造に成功、1969年には同工場はPCP-Na
の大増産に踏み切り、当時アジア太平洋地域では最大規模と称された、生産規模
1500トン/年のプラントを稼動させたのです。これ以降、台湾苛性の主要生産は
苛性ソーダと塩素からペンタクロロフェノール(PCP)にシフトしていきまし
たが、その主な輸出先は日本でした。(Huan-Chang Huang(医科技術大学準教授)
日台環境フォーラム2002 講演資料)
この工場の製品は PCP(ペンタクロロフェノール=5塩素化フェノール)であ
って、枯葉剤原料である245TCP(3 塩素化フェノール)ではありませんで
した。しかし、PCPが枯葉作戦に利用されていたのではないかと疑わせる事件
が沖縄で起きています。(世界の環境ホットニュース[GEN] 559号 05年02月03日
「沖縄の化学兵器(第12回)」で既報)
事件は 1971年5月25日の朝日新聞に「沖縄南部で飲料水に枯葉剤」との刺激的な
タイトルで掲載されました。
「沖縄本島南部地区一帯で 上水や井戸水を飲んだ人たちが次々と頭痛や吐き気
を訴え、浄水場の魚がひっくり返る騒ぎが持ち上がった。琉球政府で調べたと
ころ、米軍の払い下げでベトナムの枯葉作戦で使われたという劇薬PCPが大
量に混入していることがわかり、水道組合は東風平村など四カ村への給水を全
面的にストップ、植物への水遣りも中止した。」
「原因を調べていた琉球政府 厚生局はPCPを手がけている毒劇物輸入販売業
者・沖プライ商事が去る5月14日から一週間に亘って、浄水場から約1キロ離れ
た具志頭村山中の旧採石場跡にPCP約2万5千ガロン(百トン)を捨てたこと
を突き止めた。沖プライ商事は1968年11月払い下げを受け、南風原村内の社有
地に野積みしていた。ところが容器が腐食して液が流出し始めたため、この4
月末琉球政府は同社に対してPCPを廃棄するよう警告した。法によると劇物
の廃棄は『少量づつ焼却する』ことになっているが、沖ブライ商事は量が多い
ため一気に採石場跡に持ち込んで流し込んだようだ。それが地下水に混じって
浄水場をはじめ四方の地下水源に流入したとの見方が強い。」
この記事で眼をひくのは「枯葉作戦に使用されているPCP」との記述です。朝
日新聞が245Tではなく、PCPと枯葉作戦との関連を指摘した根拠は不明で
すが、もしPCPが枯葉作戦に使われていたとすると、枯葉作戦は「枯葉剤+ナ
パーム弾(焼夷弾)」の組み合わせでしたから大量のダイオキシン発生源として
も「極めて有効」だったことでしょう。このとき米軍が払い下げたPCPは台湾
苛性会社の製品か日本製かは不明ですが、台湾苛性安順工場のPCP大増産は米
軍払い下げの翌年です。なぜ米軍は大量のPCPをこの時期に払い下げたのでし
ょうか? 枯葉作戦の中止はずっと後のことです。もし、枯葉作戦に使われてい
たならば、1968年の旧正月に行なわれたベトナム側の総反撃「テト攻勢」の影響
が考えられます。一時期サイゴンの米大使館さえ占拠される事態に南ベトナムは
大混乱に陥りました。米軍の反撃で解放勢力は一掃されましたが、この年、米軍
は枯葉剤 散布用に 改造した C123航空機を物資の輸送に転用せざるを得ず、
1968年の枯葉剤散布量は大きく落ち込んでいます。しかし、世界中に発注された
枯葉剤は大型工場もあり、そう簡単に生産調整できるものではありません。その
結果、ベトナム戦争の前線基地沖縄に処分しきれなくなった大量の「在庫」を抱
えていたのではないかと推定されます。12月26日の参院・沖縄及び北方問題に関
する特別委員会で、沖縄でのPCP不法投棄事件がとりあげられ、国会で改めて
PCPと枯葉作戦の関連を疑わせる「事件」がありました。
小平芳平(社会党)は米軍が民間企業に払い下げるにあたって、琉球政府(沖縄
は当時まだ米国施政権下にあった)が蚊帳の外に置かれていたことを確認した上
で、次のように質問しています。
「私がこの問題で一番問題だと思いますのは、安保体制下で 米軍は日本の国内
へ何でも持ち込めるのかどうかということなんです。日本のどこへでもこうい
うものを持ち込むことができるならば、いまずっと述べられたような重大事故
が次から次へ発生する可能性が沖繩にも本土にも残されているということにな
る。米軍は一体何のためにこのような大量の除草剤に使われているPCPを沖
繩へ持ち込んだのか。」
これに対し、防衛庁長官・江崎真澄は「今後注意するが、PCPは除草剤であっ
て毒ガスなどではない。米軍は基地の草取りに使っていた。」と反論しますが、
小平から基地が縮小されたわけでもないのになぜ除草剤が余るのかと再度質問さ
れ、今度は「木材防腐剤にも使ったと聞いている。」と答え、誰から聞いたのか
と質問されると環境庁長官・大石武一が大体の見当だと答え、小平は「米軍から
何も説明受けてないじゃないか」と納得しません。
小平「今後復帰する沖繩においても、あるいは日本本土においても、そういう
ことが米軍の御都合ですと、国民の迷惑がひど過ぎませんか。なぜこんな大量
の、しかも住民に被害を与えるこういう劇物毒物を持ち込んだのか、将来とも
持ち込むのか。それも除草や防腐剤に使う、その除草や防腐剤に使う範囲なら
ともかく、百トンも現に余っている。それほど、じゃ基地が縮小されましたか
。
それを何も知らない民間に渡して、民間企業も迷惑な話だ。それを受け取った
はいいけれども、かんが腐って流れ出す、被害が発生する、そんなことが今後
日本の基地のどこででも行なわれる可能性があるんですか、ないんですか。核
兵器はもちろん困るし、毒ガスも困りますが、現にPCPの場合は、沖繩で、
もうこれから、はかり知れない被害、あとどれだけ被害が発生するか見当もつ
かないようなことを巻き起こしているわけです。将来これ(在日米軍の持込)
に対する沖繩県民はもとより、日本の国全体としてのあり方についてお尋ねし
たい。」
そのときです。枯葉作戦用としてベトナムで使っておるのだよ、ベトナムで」と
の野次がとびました。これに対し、佐藤栄作首相は
「まあ先ほど不規則発言ではありますが、「枯葉用だ」とか、「枯葉作戦用だ」
とか、こういうような声もいたしておりましたが、しかし、いずれにしても、
米軍自身が使いこなせないものを民間に払い下げた、民間でも使用できなくて
そういうものが焼かれ、あるいは地下に埋設されて廃棄処分を受けた、私はこ
れはいくらアメリカが金があるといっても、そんなむだな使い方はしないだろ
うと思います。お互いに信用してこそ初めて同盟条約というものは有効だ、不
信を買うような行為があったらこれはもう存続の意義がなくなりますから、そ
ういう点においては忌憚のない意見を当方からも言うが、これに対する応答も
十分納得のいくようにしてもらわなければならないと、私はかように思います
。
われわれも当然要求すべきことは要求する、また納得をすればその範囲におい
て私どももしんぼうすべきものはしんぼういたしますけれども、しかし、いま
のような点はどの点から考えましても理解に苦しむものでございます。」
と答え米軍が払い下げたPCPが何に使う予定のものだったかは判明しませんで
したが、枯葉作戦に使われたとの疑惑も否定していません。
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