@shunmin_2 実際、昔の朝ドラで、学徒出陣する学生達がドイツ語の歌を歌っているところに憲兵が怒鳴り込み、「お前ら何者だ?」と問われて、入隊後の階級(学徒兵は下士官)を告げたら、憲兵が真っ青になって「失礼しました!」と逃げ出すシーンがありました。#花子とアン
@utakatano_hibi ご存知と思いますが、花子も蓮子様もドラマではカットされてますが、女性の地位向上や困窮する女性を救済する活動に関わってきた人なので、その点を念頭に置くと花子が雪乃に「非国民」と詰られのは運命の残酷さを感じました。 #花子とアン
今さっき録画見て大爆笑でした。何故こんなバカボンちっくに(・o・;; @satosis #花子とアン 特大おリボンで号泣する醍醐ちゃん。 #あさイチ pic.twitter.com/e5o8jyELZv
@akm001 @satosis 今朝、見て笑ってしまいました。スタッフの間でも「醍醐さんと言えばおリボン」というのがお約束なんですね。改めて思えば、関東大震災の後、醍醐さんが女の子にリボンを配っていたのは名場面ですね。#花子とアン
【速報】全盲女子生徒への暴行事件、加害者は知的障害者だった!
「刑事責任を問えるかどうかは分からない…」
www3.nhk.or.jp/news/html/2014… pic.twitter.com/D1wQ0aM8ON
@shunmin_2 1980年の「なっちゃんの写真館」です。これも写真家の立木義浩さんの実家をモデルにした「実録モノ」でした。舞台となった徳島は、第一次世界大戦のドイツ人捕虜収容所があったところです。確か、この学徒兵たちも特攻で亡くなったと記憶してます。
朝日新聞問題。ところで、フィクションの世界で新聞社名として「毎朝新聞」というのは歴史上何回使われたのだろうか?大学名「城南大学」「東都大学」と、どちらが多いか?
兄やんが憲兵になった時は、これは戦時中には花子と対立する展開必至と予想してたら、大日本婦人会の一員となって花子の家をガサ入れするかよから、花子を助けるとは全く予想外だった。#花子とアン
非国民疑惑の村岡家にガサ入れしたのがステレオタイプな悪党面の憲兵や特高でなく、割烹着の婦人会(しかも妹も含む)というのは、悪くない展開だった。。テルを連れ去った婦人会も顔を全く映さず、不気味だった。「普通の女性」が国家に忠実になることの恐ろしさ。#花子とアン
「ソフトバンクのCMと同じ白い犬を飼ったが、『喋らないからいらない』と子供が言うので殺処分して」
と、保健所に犬を連れて来た親がいた、という話を「信じられないよね!」と夫に話したら
「馬鹿をなめたらいけないよ。馬鹿ってね、本当に馬鹿なんだよ」
って言ったの忘れられない。
@matsuikei 水木さんの短篇で、主人公が打ち手の小槌を手に入れ、欲しいものを何でも手に入れたら、後で請求書が来て、孫の代までの借金だけが残るという怖い話がありました。クレジットカード破産を予見した話だと思います。
あと私が子供の頃は愛媛新聞より部数の多かった「日刊新愛媛」という新聞があったのですが、周囲にとっている家は皆無でした
みんな愛媛新聞。
愛媛新聞以外の新聞はないという感じでしたわ。
@y_choro1 あの新聞は、オーナーが経営する造船所やホテルの社員が無理矢理買わされていたのです。それと当時、大学生は映画館のチケット目当てに購読する人が多かったです。
ところで、朝日が左傾メディアというけど安倍政権には妙に腰が引けてるくせに民主党政権三代と小沢さんには全く容赦なかったわな。鉢呂さんや松本ドラゴン叩きなんか理不尽もいいとこやったで。
僕の記憶だと、愛媛第二の民放としてテレビ愛媛が開局(1969年10月。ちなみにこの月より「サザエさん」の放送を開始)の前後から産経新聞(当時はサンケイ)が愛媛に広まってたような。「坂の上の雲」が連載していたのはまさにこの時期。
「リビング新聞」がフジ・サンケイグループであることは地方では意外と知られてないかも。愛媛では、県内最大手の印刷会社が「えひめリビング新聞社」という子会社を設立して発行している。
原案本「アンのゆりかご」で僕が最も感銘を受けたのは、「赤毛のアン」は戦時中、空襲の恐怖と、敵性語の本を所持してるのが見つかれば捨てられるという不安中で翻訳されたという事実。今週から終戦までの出来栄えが、今作の評価を決定づける。#花子とアン