猪野々は高知県香美市香北町にあります。
轟の滝の手前の公園ですが、ツレが歌碑を写しています。

その歌碑なのですが

寂しければ人にはあらぬ雲にさへしたしむ心しばし湧きたり
てっきり轟の滝を読んだ歌碑⑦と思っていたら、別の歌でした。
これは歌集「天彦」の「寂しければ」の真っ先に出ている歌です。
マップには載っていないということは、その後に新しく建てられた歌碑ということになります。
私の中では大発見でした。
この歌碑の場所は、歌碑⑦の手前にある公園で歌碑マップに赤の矢印で示した所です。

歌碑⑦は、ここより300m先で轟の滝の展望台近くにありました。転落防止柵の向こう側の繁みの中にあるので、うっかりすると見落とします。

ツレも写すのに苦労していました。
歌碑⑦

瀧へゆく石高みちのたそがれを柚の木童子ひとり登り来
「柚の木」はここの地名です。
夕暮れ時、山奥の道を子どもが一人登ってきたのを見て、勇は大変驚いたのでしょう、こんな所をよくもまあ子どもが一人で、と。
現地を訪れたことで、この歌に込められた驚きや感動をより理解することができました。
名勝「轟の滝」

「断崖を約80m、三段になって落下する美しい滝で、特に上段の滝壺は経約15mの見事な甌穴である」(説明板)
滝の上段と「見事な甌穴」

中段

下段

下段だけでも見事な滝です。
勇は猪野々隠棲時代に益喜と一緒にこの瀧を見に行っています。
滝を後に次なる歌碑へ
歌碑⑧

にごり酒破竹虎杖乾しざかなありてたのしも山の夕餉も
歌碑⑨

大土佐の御在所山の朝雲はもそろもそろとゆきて親しき
歌碑⑩

忘れめや土佐の韮生の峡ふかき猪野々の里のありあけの月
石崖の反対側

歌碑⑫

友よ酔はば杯を置き目を閉ぢてしばしは聴きね物部川音を
この歌碑の近くに高さのある石灯籠が建っていました。

高台から集落を見守っているような感じがしました。

歌碑⑬

山ふかき猪野々の里の星祭り芋の廣葉に飯たてまつる
勇が初めて猪野々を訪れた昭和8年8月26日は旧暦の七夕の日でした。その夜のことを次のように「猪野々日記」に書いています。
「こよひは七夕祭るべき夜のこととて、家ごとにに色とりどりの短冊を結び付けたる笹竹を立て、山里ながら艶なる風情棄てがたきものあり。引きわたしたる藁縄には、芋の葉、酸漿、茄子、唐もろこしなどをくくり付け、膳には酒、水、飯、野菜の煮しめなどを供ふ」
その日泊まった鉱泉宿の2階の部屋から、赤や青の短冊形の紙片を結び付けた青竹が風にそよぐのを眺めた勇は「思ひ悩んでゐた私の心も、更けるにつれて落ち着いて往った。不思議にここには最初からふるさとのやうな親しみを覚えて」と随筆「渓鬼荘記」に綴っています。
旅のうれひいよいよ深くなるままに土佐の韮生の山峡に来ぬ(「人間経」 歌碑⑥)と、傷心しきった勇の心を、山深き猪野々の風景や人情がじんわりと癒やしていったのでしょう。

歌碑も残すところあと3基となりました。
―続く―