猪野々は吉井勇ファンにとっては聖地です。退職したら、いの一番に行きたかったところでした。
ここには吉井勇記念館があります。
当然そこも見学するのですが、開館が9時半なので、その前に数カ所見て回りました。
新神賀橋

橋の手前右側に

ありました!
物部川鎖渡船の音冴えてたそがれ時となりにけらしも
私にとって記念すべき猪野々の歌碑第1号です。
ちなみにこの歌碑は、吉井勇記念館でもらえる「歌碑めぐり」マップの⑭ですが、マップとの対比がしやすいように「歌碑⑭」と表記していきます。
歌碑の前にはお地蔵さま

「見渡し地蔵」?
全景

歌碑のところから川に下る小道があったので下りていきます。
「猪野々行き」に書かれている「うっかりしてゐると、足が滑りさうになるやうな急な坂道を一町半ほど下り」を自分の足で確かめたかったのです。
今回の猪野々散策は、歌碑巡りもですが、勇がこの猪野々で見たり感じたことを追体験(ほんのわずかでしょうが)することも目的です。
川に下りる道


この先道が分からなくなったので引き返しました。ここで時間をロスするわけにはいきません。
再び歌碑⑭に戻りましたが、橋はまだ渡りません。
永瀬地区の坂道を登って歌碑⑮を見に行きます。
歌碑⑮

茄子を焼き山酒酌みてほのぼのと遠びと思へば夕餉たのしも
後に見える山が御在所山です。勇の歌に幾度となく詠まれているあの御在所山です。
この後、新神賀橋を渡って猪野々小学校跡地へ

ここには歌碑①が建っています。

韮生路の秋深くしてさむざむと山風ぞふく河風ぞふく
「山風ぞふく河風ぞふく」のリフレインがいかにも勇らしい歌ですが、この歌は歌集には載っていません。吉井勇記念館でもらう「歌碑巡り」マップには次のように書いてあります。
「吉井勇が親しくしていた当時の猪野々小学校の校長先生に贈ったものといわれており、その色紙は長い間猪野々小学校に保存されていました」
小学校跡地の隣が吉井勇記念館です。

ここの敷地に

寂しければ御在所山の山櫻咲く日もいとど待たれぬるかな
この碑のことを吉井勇は次のように言っています。
「私の前にあるのは1箇の石の碑であるけれども、ぢっとそれを見つめてゐると、おのづからそれは声を発して、何事か私に向かって語らうとする。書き忘れたが猪野々に建った歌碑の歌は、
寂しければ御在所山の山櫻咲く日もいとど待たれぬるかな
といふのであって、その中には多少の希望を暗示してゐる。それが漸く再起をすることをえた今日、どんなに私に取って意義のある喜ばしいうたであるか、おそらく他の人には分かるまい。」(「短歌風土記―土佐」の「歌碑について」)
勇の思い入れが込められた歌碑を目の当たりにし、勇の聖地、猪野々に来たんだという実感が私の中にじわっと湧いてきました。
桜は

残念…「いとど待たれる」
隠棲の草庵 渓鬼荘

これが渓鬼荘か…
渓鬼荘と吉井勇記念館については長くなりそうなので別の機会にまわします。
猪野沢温泉跡地

跡地には住宅が建っていました。
渓鬼荘跡地

跡地の近くには木村久夫記念碑が建っています。

勇の歌碑ではありませんが、勇にも関係する石碑です。
詳しくは「短歌風土記―土佐」の「みんなみの露」に書かれています。
この記念碑は猪野々で勇の世話を親身にしてくれた今戸益喜氏の長男顯氏等が発起人となって建立されたそうです。

記念碑の裏面

「木村久夫君の獄中絶筆を拡大して刻む」ということは碑の文字は木村久夫氏本人の筆跡ということになります。
あらためて

音もなく我より去りし物なれど書きて偲びぬ明日といふ字を
勇は「みんなみの露」の中に、木村久夫氏の次の2首を引き、「この歌を読んでゐるうちにおのづから目が潤んで来た」と書いています。
みんなみの露と消えゆく命もて朝粥すする心かなしも
をののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔を抱きてゆかむ
歌碑巡り再開です。
轟の滝を目指します。

滝までに歌碑が3カ所あるので見落とさないように行きます。
1枚の地図を頼りにさながらオリエンテーリングです。
紹介が遅くなりましたが、吉井勇記念館でもらえる地図(私は事前にネットからダウンロードしていました)

歌碑④

物部川山のはざまの風さむみ精霊蜻蛉飛びて日暮るる

歌碑⑤

ひと夜寝てあした目覚めのすがしさや物部の渓を雲湧きのぼる
猪野沢温泉依水荘元女将の今戸道子氏はこの歌がお気に入りだったそうです。勇が猪野々を去った後、渓鬼荘に一般客が泊まれた頃、箸袋にはこの歌が印刷されていたそうです。
歌碑⑥

旅のうれひいよいよ深くなるままに土佐の韮生の山峡に来ぬ
近くには山桜

こちらは満開
轟の滝 駐車場


「滝まで300m」
いよいよ轟の滝ですが、ここで予定外のことが起きました。
―続く―