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まんやま独歩

オープンサンドの思い出 

1976年の冬合宿計画書「霧立・向霧立パート」の食糧計画を見て、忘れていた記憶が蘇りました。

食糧計画


26日の昼 パン、マヨネーズ、レタス
30日の昼 パン、ハム、マヨネーズ

これを当時のワンゲルでは「オープンサンド」と言っていました。

オープンサンド
この名前を最初に耳にしたのは1978年の5月でした。
「新歓」、すなわち新入生歓迎合宿の時です。

国鉄で豊後中村駅へ。そこからバスで長者原に向かい、着いたのがちょうど昼頃でした。
昼食は、事前にもらっていた計画書に「オープンサンド」と書いてあったので大いに期待していました。響きのいい「オープンサンド」という言葉に。

1年生が背負わされていたキスリングの中から出てきたのは、巨大な食パン(業務用?40枚くらい入っていた)、フィルムに包まれたままのレタスの玉、ハム、そしてビッグサイズのキューピーマヨネーズ。

その後の光景が衝撃的でした。

レタスは葉を、玉からそれぞれで剥がしてパンにのせるのです。
「えつ、洗わないの?」と呆然とながめていたら
さらに手づかみでハムを加え、チューブからマヨネーズをしぼり出したものがオープンサンドでした。
先輩方はそれを豪快にほおばり、飲み物は…
これまた豪快に水ポリに口を付けて回し飲みするのでした。

あまりにも強烈だった出来事だったのに、いつしか記憶からすっかり消えていました。


先輩から届いた当時の合宿計画書。そこに記されたパンにマヨネーズの昼食を目にしたとき、忘れていたオープンサンドの思い出が鮮やかに蘇りました。
半世紀ぶりに開けたタイムカプセルでした。

コメント一覧

manyamadoppo
オープンサンドは合宿初日の昼飯にはうってつけでした。火を使わずにすぐに食べられたので。
合宿中、仲間と一緒に食べる飯は、何でもうまかった。
あのオレンジの食器、「洗面器」て言われていたやつ、
それから「武器」、懐かしいですね。
takatoriasia
 オープンサンド、懐かしいですね。
 オープンサンドにまつわる私の思い出は、屋久島の春合宿です。
 鹿児島からフェリーで宮之浦港に着き、バスで楠川という集落で下車しました。その時の昼食がオープンサンドでした。
 いや~うまかったのなんの。
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