さいたま新都心駅京浜東北線ホームで大宮方面を見る。
大宮方面から来たこの電車に乗って南浦和に向かう。
新都心大橋をくぐった。
南浦和で降りて大宮方面の分岐点をアップする。
改札口に向かう。
東口の階段を下りてそのまま大宮方面に向かう。
武蔵野線高架の手前で振り返る。
東を見る。
武蔵野線をくぐって東を見る。振り返る。
線路沿いを進んで振り返る。
三差路を右折して振り返る。
先ほどホームからこの三差路を見た。
十字路を直進して振り返る。
カメラを左に向ける。
右に向ける。建設中のビルは地上8階の店舗付共同住宅のようである。
1週間前(2月13日)、私は南浦和駅武蔵野線ホームから建設現場を見た。
交差点で左を見る。南浦和北第3自転車駐車場。
右を見る。武蔵野線の電車が見える。1週間前、私は武蔵野線の電車からこちらを見た。
交差点を直進して振り返る。京浜東北線南浦和駅ホームをアップする。
坂を上がった十字路を直進して振り返る。
右手の小池荘さんを通過する。
丁字路に突き当たって振り返る。
私は左折し、次の十字路を右折する。振り返る。
右手に造形を見て、三差路で振り返る。
十字路で右を見る。さいたま市消防団大谷場分団さんがある。
直進して振り返る。岡崎医院さんの看板。
三差路を右折して、左の公園に入る。
ここは大谷場公園。
大谷場公園を東側に出て振り返る。
右を見る。
私は左折して、すぐ右折する。
右折して振り返る。
十字路を直進して振り返る。
カメラを左に旋回させる。
右手のベストライフ南浦和さんを通過し、サンパークヒルズさんを通過する。
丁字路に出て振り返る。
右を見る。
私は左折する。
左の電柱で振り返る。
信号のない交差点を直進して振り返る。
県道34号さいたま草加線を進み、南浦和公民館への案内看板がある交差点で矢印方向を見る。
私はこの交差点を左折して振り返る。
右手の小池レジデンスさんを通過、十字路を直進して振り返る。
下り坂を進んで振り返る。
十字路で左を見る。右を見る。
十字路を直進して振り返る。
右手はさいたま市立大谷場小学校である。
南浦和駅からここまでの道筋はこのようである。
大宮方面から来たこの電車に乗って南浦和に向かう。
新都心大橋をくぐった。
南浦和で降りて大宮方面の分岐点をアップする。
改札口に向かう。
東口の階段を下りてそのまま大宮方面に向かう。
武蔵野線高架の手前で振り返る。
東を見る。
武蔵野線をくぐって東を見る。振り返る。
線路沿いを進んで振り返る。
三差路を右折して振り返る。
先ほどホームからこの三差路を見た。
十字路を直進して振り返る。
カメラを左に向ける。
右に向ける。建設中のビルは地上8階の店舗付共同住宅のようである。
1週間前(2月13日)、私は南浦和駅武蔵野線ホームから建設現場を見た。
交差点で左を見る。南浦和北第3自転車駐車場。
右を見る。武蔵野線の電車が見える。1週間前、私は武蔵野線の電車からこちらを見た。
交差点を直進して振り返る。京浜東北線南浦和駅ホームをアップする。
坂を上がった十字路を直進して振り返る。
右手の小池荘さんを通過する。
丁字路に突き当たって振り返る。
私は左折し、次の十字路を右折する。振り返る。
右手に造形を見て、三差路で振り返る。
十字路で右を見る。さいたま市消防団大谷場分団さんがある。
直進して振り返る。岡崎医院さんの看板。
三差路を右折して、左の公園に入る。
ここは大谷場公園。
大谷場公園を東側に出て振り返る。
右を見る。
私は左折して、すぐ右折する。
右折して振り返る。
十字路を直進して振り返る。
カメラを左に旋回させる。
右手のベストライフ南浦和さんを通過し、サンパークヒルズさんを通過する。
丁字路に出て振り返る。
右を見る。
私は左折する。
左の電柱で振り返る。
信号のない交差点を直進して振り返る。
県道34号さいたま草加線を進み、南浦和公民館への案内看板がある交差点で矢印方向を見る。
私はこの交差点を左折して振り返る。
右手の小池レジデンスさんを通過、十字路を直進して振り返る。
下り坂を進んで振り返る。
十字路で左を見る。右を見る。
十字路を直進して振り返る。
右手はさいたま市立大谷場小学校である。
南浦和駅からここまでの道筋はこのようである。
京浜東北の電車の車両の端のトコには、所属してる車庫(南浦の駅の南にありますけど)の略称表記の「宮ウラ」(浦和電車区)ですけど、つい先ごろ組織変更により、これまでの浦和電車区からさいたま車両センターへと改められ、表記も「宮サイ」と変わりました事を、お知らせしておきます。
思えば昭和40年に、これまで茶色い電車ばかりだった京浜東北へ水色の新型車両投入に対処すべく、浦和電車区が開設されましたけど、あれから半世紀余り車両は鋼製車両からステンレス車両へ、さらには故障しにくい改良型へと変わって現在に至りますけど、浦和市からさいたま市へ変わったいま、浦和の名前がまた一つ消えてしまう事に対し、なんだか寂しい感じがいたします。
それでは、私はこの辺にて失礼します。
京浜東北線はよく利用しておりますが、略称表記なんて気にしていませんでした。今度よく見てみようかと思います。
私が郷里から首都圏に出てきた時、最初に乗ったのが京浜東北線で、「青い電車」と教えられていました。昔は茶色だったとは驚きです。
では、失礼します。