咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

パルコが出来る前の浦和駅東口 (後)

2018年02月03日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の写真から種類別「駅」の「浦和駅」を開くと15枚の写真がある。この中に東口の写っているのが3枚ある。
4. 昭和37年 浦和駅
14. 昭和58年7月 浦和駅東口
15. 昭和58年7月 浦和駅東口 改札口と切符売り場
最初の写真と同じものを平成25年4月7日の読売新聞で見た。この写真が掲載され記事

平成11年浦和市発行『浦和市史第五巻現代史料編Ⅰ』所載の東銀座商店街商店配列図(昭和40年9月)の浦和駅東口駅前を見る。
東口駅前北の武蔵野銀行ここだと思う。
東口正面の自転車預とタクシーはここではないかと思う。
平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の浦和駅西口(昭和44年)写真で東口駅前をアップする。先ほどの自転車預とタクシーはここではないかと思う。
『浦和駅東口駅前地区第二種市街地再開発事業 事業誌』所載の昭和40年代の浦和駅東口駅前。

前記事業誌に所載の浦和駅東口。手前の道路は東通りで、駅前広場には駅舎際までタクシーが停車している。
2018年01月18日ブログの東口駅前広場
平成2年の地図に東通りを緑で示す
東通り沿いにみちのく銀行が表示されている。
前記事業誌所載のこの写真にみちのく銀行が写っている。
昭和40年東銀座商店街商店配列図の赤矢印方向を撮ったものだと思う。
赤枠のあたりがみちのく銀行になったのではないだろうか。

パルコが建設される前はこのようで、建設されてこのような道(緑)がなくなった。
赤矢印方向を撮影した写真(前記事業誌所載)。
その路地を北に進んで突き当たり方向(赤矢印)を撮影した写真(前記事業誌所載)。
平成3年鳥瞰写真赤矢印方向になると思う。
平成11年頃鳥瞰写真の赤矢印方向になると思う。

ところで、昭和40年代の①②③④⑤⑥の建物は平成3年鳥瞰写真の①②③④⑤⑥だと思う。
平成3年の左上のビル(赤丸)はプリムローズビルだと思う。
グーグルアースで見る。ストリートビューで見る

パルコ東側の道路は平成3年頃はこのようで、大幅に拡張された。
拡張される前、日の出通りを赤矢印方向に撮影した写真(前記事業誌所載)。ストリートビューで見る
交差点から北方向(赤矢印)を撮影した写真(前記事業誌所載)。ストリートビューで見る
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12 コメント

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待遇の変化。 (みやのこ)
2018-02-04 08:19:17
おはようございます。
昭和58年の写真にて、改札口と券売機の様子が写されてましたけど、あの頃の当方は武州・大宮から神奈川県下は湘南地域へ引っ越してた時期だったものの、その実家のある最寄り駅は木造で、しかも近距離区間用の自動券売機はなく、手売りの出札口のみという昔ながらの切符購入だったのを覚えてます。

もっとも、埼玉県下であっても大宮を過ぎると、手売りの出札口のみの切符購入があの頃は存在しており、とくに新幹線のない時代は列車が来るまでは待合室で時間まで待機し、列車が来る数分まえくらいに改札して、ホームで列車を待つというのが昔ならではの光景でした。

ところで、浦和駅といえば当方の知る限りだと、特急列車は全て通過、急行列車は高崎線系統のみ上下1本のみ停車、普通列車は朝夕のみ停車で、日中はホームへの階段入口にロープが張られて立ち入り不可という時代(昭和57年11月15日のダイヤ改正を機に転機を迎えた)でしたけど、今や浦和駅もだいたい全ての定期列車が停まる様になって、県都・浦和の表玄関の面目が保てる様になった事は、とても嬉しい限りだと思います。

以上をもちまして、失礼します。
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ひと昔前 (咲いた万歩)
2018-02-04 11:28:04
今では切符購入から改札通過まで自動(機械)化されておりますが、ひと昔前までは全て駅員の作業だったわけですから、大変な人件費がかかっていたということになりますね。
私は切符に挟みを入れてもらっていた時代が懐かしいです。定期券は改札で見せるだけでしたので、期限切れでもお互い気が付かなくて通過してしまうことも多かったのではないでしょうか。

湘南新宿ラインは数年前まで浦和駅に停まりませんでしたが、今は便利になりました。
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浦和駅東口 (しんやま)
2018-02-04 21:25:38
いつも懐かしい写真を拝見させて頂き、ありがとうございます。
東銀座商店街商店配列図にあります、駅を出て左手にある時計店は当方が自宅までのバス待ちをしている間にウインドウに陳列されていた時計(主に置時計、柱時計)を
見るのが楽しみでした。
丁度バス停の前にあるので、バスが到着するまで子供の好奇心一杯にウインドウを凝視していたのを懐かしく思い出しました。
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昔の道 (咲いた万歩)
2018-02-04 22:01:12
こんばんは。
駅舎を出て、すぐ近くにバスのりばがあって良かったです。
東通りも日の出通りも昔の道はバスが通る道としてはずいぶん狭かったようですね。
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Unknown (ぽこ)
2018-04-06 22:57:37
こんにちは
昭和49年から52年まで浦和市本太に住んでました。
当時東口の駅を出て左側に小規模の個室付き特殊浴場があったような記憶があります。まだ子供だったので誰にも尋ねられず今に至ります。
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文教都市 (咲いた万歩)
2018-04-07 06:39:51
おはようございます。
その時代は全国各地の繁華街にそのような特殊浴場があったと思いますが、文教都市浦和には似合わないような気がします。
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新旧比較 (セミオート)
2018-04-08 06:16:56
昔と今の写真を比較して見られるのが、大変に面白いと感じました。
何度でも見てしまいますね。
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ストリートビュー (咲いた万歩)
2018-04-08 13:21:07
こんにちは。
数年前の街の変化ですと、ストリートビューで見られるところもあって便利になりました。
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Unknown (当時の東高砂町10番地住人)
2019-11-14 19:43:44
浦和駅東口駅前、今のバス停のあたりにパルコ建設直前まで住んでいた者です。
懐かしい風景ばかりで、とても楽しませてもらいました。
鳥瞰写真や地図との紐付けは、ほぼ正解だと思います。
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安心しました (咲いた万歩)
2019-11-14 20:55:53
こんばんは。
感想をお聞かせいただきありがとうございます。
お墨付きをいただいたような気持ちで、安心しました。
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