咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

江戸時代の図書でみる中山道大宮 4

2024年07月17日 | 日記
前日ブログでは岐蘇路安見絵図で大宮の北方面(上尾側)を見た。その反対側、すなわち大宮の南方面(浦和側)を見るとこのようである。左のページを拡大する。
この絵図の左端と次の絵図(大宮)の右端をつなげるとこのようになる。大宮宿の中心(大門町、新宿中町、新宿下町)はどこに描かれているのだろうか?
黄線で示したところは中山道の両側に家屋が途切れることなく並んでいる。

緑で示した道は氷川参道だと思う。横に案内文がある。「武蔵一宮 氷川大明神 石の大鳥居 並木松本社迄 十八丁有 社領 三百石」だと思う。
2009年11月私は一の鳥居近くで氷川参道の案内板を見た。

明治期には鬱蒼とした杉並木 ” だったとあるが、江戸時代には松並木だったと思われる。
十八丁をメートルに換算すると1丁を109mで計算して1,962mである。案内板には “ 一の鳥居から三の鳥居までの長さ1.9km ” となっている。
右の案内文は「大宮原の間 三十丁計(ばかり)あり 中程茶屋あり 立場なり」だと思う。
三十丁というのは1丁を109mで計算して3,270mである。氷川参道十八丁の1.7倍程になる。
参考までにマピオン地図のキョリ測で一の鳥居付近から北浦和駅付近までを直線で測定すると3,137mだった。

木曽路名所図会で上尾から大宮に移るところを見る。
浦和まで一里十町 宿の入口に 東光寺という禅刹あり」との記述があり、そのあとは氷川神社の案内が続き、それが終わると大宮原の案内になる。大宮の宿場町については案内されていない。
大宮原については「野原の間三十町許あり 中程に立場の茶店ありこれを六国見といへるなり 僅か三十歩余の所より近国の高山見ゆる 富士 浅間 甲斐 武蔵 下野日光 上州伊香保 などあざやかに見えたり」と案内されていると思う。
コメント
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