昨日のブログでは大正期の埼玉県全図のさいたま市付近を見て、大宮町から右(東)と左(西)に延びる県道を黄で示した。どちらも明治になってから開通した道だと思われ、昨日のブログでは右に延びる岩槻新道について触れた。
左に延びる道は川越新道と呼ばれた道だと思うのだが、竣工した正確な年月はわからない。
『大宮市史』年表の明治27年(1894)12月4日に“大宮~川越間の荒川にかかる上江橋架設”という記事があるのでこれ以後だと思う。
明治28年(1895)4月3日に“大宮~川越間乗合馬車運行を決める”という記事がある。これは佐久間軒という馬車会社(川越町に本店)によるものだと思う。
明治35年(1902)5月に“川越馬車鉄道会社が大宮~川越間の馬車鉄道営業を出願”という記事がある。川越馬車鉄道会社は川越電気鉄道会社の前身だと思う。
明治39年(1906)4月16日に“川越電気鉄道株式会社の大宮~川越間の電車開通”という記事がある。川越電気鉄道の軌道はほとんど川越新道に敷設されたと思う。
大正期の埼玉県全図で大宮~川越間を見る。大宮町と川越町を繋ぐ県道を黄で示す。
大宮町の始点は中山道のように描かれているのだが、明治35年埼玉県営業便覧の大宮町略図を見ると川越新道が表示されている。その道は現在の大宮銀座通りだと思う。
明治43年出版『大宮案内』に掲載の大宮町全図にはここ(緑枠)に川越新道が表示されていると思う。
昭和37年の『市報おおみや』挿入の略図では大栄橋の西に川越新道が表示されている。
昭和9年1月1日発行大宮商工並二名勝案内地図に川越新道を黄で示すとこのようになると思う。始点は中山道ではなく停車場通りだと思う。
昭和9年から91年後の令和7年白矢印方向を見た。

大正期の埼玉県全図に川越新道を黄で川越電車の軌道を水色で示す。左側(川越方面)は黄線と水色線がくっ付いているが大宮駅の近くは離れている。大宮駅を出発した川越電車はすぐに川越新道に入るのではなく、しばらく別の道を走ってから川越新道に入っている。
大正13年の地図に別の道を走っている区間の川越新道を黄線で川越電車を水色線で示す。
大正期の埼玉県全図では白丸で示したところで川越新道は荒川を渡り、川越電車もくっ付いて渡っている。
日文研サイトの所蔵地図データベースから大正3年の大宮を開く。この地図で荒川付近を見る。
川越新道と川越電車が同じところを走っている区間を白で示す。
川越新道と川越電車が別のところを走っている区間を黄(川越新道)と青(川越電車)で示す。
マピオン地図で荒川と入間川に架かる上江橋を見る。大正期の荒川は改修工事前の旧流路で、青で示した川である。
大正3年の地図に明治27年架設の上江橋を赤丸で示す。
その場所に対応するところをマピオン地図に赤丸で示す。
2012年5月川越新道を川越方面へ向かいその橋の手前で下流側を見た。
橋を渡りながら右を見た(上流)。左側の橋名板(江遠島上江橋)を見た。
橋名板を通過して下流を見た。
西に進んで振り返った。
左に延びる道は川越新道と呼ばれた道だと思うのだが、竣工した正確な年月はわからない。
『大宮市史』年表の明治27年(1894)12月4日に“大宮~川越間の荒川にかかる上江橋架設”という記事があるのでこれ以後だと思う。
明治28年(1895)4月3日に“大宮~川越間乗合馬車運行を決める”という記事がある。これは佐久間軒という馬車会社(川越町に本店)によるものだと思う。
明治35年(1902)5月に“川越馬車鉄道会社が大宮~川越間の馬車鉄道営業を出願”という記事がある。川越馬車鉄道会社は川越電気鉄道会社の前身だと思う。
明治39年(1906)4月16日に“川越電気鉄道株式会社の大宮~川越間の電車開通”という記事がある。川越電気鉄道の軌道はほとんど川越新道に敷設されたと思う。
大正期の埼玉県全図で大宮~川越間を見る。大宮町と川越町を繋ぐ県道を黄で示す。
大宮町の始点は中山道のように描かれているのだが、明治35年埼玉県営業便覧の大宮町略図を見ると川越新道が表示されている。その道は現在の大宮銀座通りだと思う。
明治43年出版『大宮案内』に掲載の大宮町全図にはここ(緑枠)に川越新道が表示されていると思う。
昭和37年の『市報おおみや』挿入の略図では大栄橋の西に川越新道が表示されている。
昭和9年1月1日発行大宮商工並二名勝案内地図に川越新道を黄で示すとこのようになると思う。始点は中山道ではなく停車場通りだと思う。
昭和9年から91年後の令和7年白矢印方向を見た。

大正期の埼玉県全図に川越新道を黄で川越電車の軌道を水色で示す。左側(川越方面)は黄線と水色線がくっ付いているが大宮駅の近くは離れている。大宮駅を出発した川越電車はすぐに川越新道に入るのではなく、しばらく別の道を走ってから川越新道に入っている。
大正13年の地図に別の道を走っている区間の川越新道を黄線で川越電車を水色線で示す。
大正期の埼玉県全図では白丸で示したところで川越新道は荒川を渡り、川越電車もくっ付いて渡っている。
日文研サイトの所蔵地図データベースから大正3年の大宮を開く。この地図で荒川付近を見る。
川越新道と川越電車が同じところを走っている区間を白で示す。
川越新道と川越電車が別のところを走っている区間を黄(川越新道)と青(川越電車)で示す。
マピオン地図で荒川と入間川に架かる上江橋を見る。大正期の荒川は改修工事前の旧流路で、青で示した川である。
大正3年の地図に明治27年架設の上江橋を赤丸で示す。
その場所に対応するところをマピオン地図に赤丸で示す。
2012年5月川越新道を川越方面へ向かいその橋の手前で下流側を見た。
橋を渡りながら右を見た(上流)。左側の橋名板(江遠島上江橋)を見た。
橋名板を通過して下流を見た。
西に進んで振り返った。
