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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大正期の埼玉県全図でみるさいたま市 5

2025年08月22日 | 日記
昨日のブログでは大正期の埼玉県全図さいたま市付近を見て、大宮町から右(東)と左(西)に延びる県道を黄で示した。どちらも明治になってから開通した道だと思われ、昨日のブログでは右に延びる岩槻新道について触れた。
左に延びる道は川越新道と呼ばれた道だと思うのだが、竣工した正確な年月はわからない。
『大宮市史』年表の明治27年(1894)12月4日に“大宮~川越間の荒川にかかる上江橋架設”という記事があるのでこれ以後だと思う。
明治28年(1895)4月3日に“大宮~川越間乗合馬車運行を決める”という記事がある。これは佐久間軒という馬車会社(川越町に本店)によるものだと思う。
明治35年(1902)5月に“川越馬車鉄道会社が大宮~川越間の馬車鉄道営業を出願”という記事がある。川越馬車鉄道会社は川越電気鉄道会社の前身だと思う。
明治39年(1906)4月16日に“川越電気鉄道株式会社の大宮~川越間の電車開通”という記事がある。川越電気鉄道の軌道はほとんど川越新道に敷設されたと思う。

大正期の埼玉県全図で大宮~川越間を見る。大宮町と川越町を繋ぐ県道黄で示す。
大宮町の始点は中山道のように描かれているのだが、明治35年埼玉県営業便覧の大宮町略図を見ると川越新道が表示されている。その道は現在の大宮銀座通りだと思う。
明治43年出版『大宮案内』に掲載の大宮町全図にはここ(緑枠)に川越新道が表示されていると思う。
昭和37年の『市報おおみや』挿入の略図では大栄橋の西に川越新道が表示されている。
昭和9年1月1日発行大宮商工並二名勝案内地図川越新道を黄で示すとこのようになると思う。始点は中山道ではなく停車場通りだと思う。
昭和9年から91年後の令和7年白矢印方向を見た。


大正期の埼玉県全図に川越新道を黄で川越電車の軌道を水色で示す。左側(川越方面)は黄線と水色線がくっ付いているが大宮駅の近くは離れている。大宮駅を出発した川越電車はすぐに川越新道に入るのではなく、しばらく別の道を走ってから川越新道に入っている。
大正13年の地図に別の道を走っている区間の川越新道を黄線で川越電車を水色線で示す

大正期の埼玉県全図では白丸で示したところで川越新道は荒川を渡り、川越電車もくっ付いて渡っている。
日文研サイトの所蔵地図データベースから大正3年の大宮を開く。この地図で荒川付近を見る。
川越新道と川越電車が同じところを走っている区間を白で示す。
川越新道と川越電車が別のところを走っている区間を黄(川越新道)と青(川越電車)で示す
マピオン地図で荒川と入間川に架かる上江橋を見る。大正期の荒川は改修工事前の旧流路で、青で示した川である。
大正3年の地図に明治27年架設の上江橋を赤丸で示す。
その場所に対応するところをマピオン地図に赤丸で示す。
2012年5月川越新道を川越方面へ向かいその橋の手前で下流側を見た。
橋を渡りながら右を見た(上流)。左側の橋名板(江遠島上江橋)を見た。
橋名板を通過して下流を見た。
西に進んで振り返った。
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大正期の埼玉県全図でみるさいたま市 4

2025年08月21日 | 日記
大正期の埼玉県全図で現在のさいたま市付近を見ると大宮町から右(東)と左(西)に県道が延びており黄で示す。
どちらも明治になってから開通した道で右は岩槻新道、左は川越新道と呼ばれた道だと思う。

『大宮市史』年表の明治21年(1888)に“この年、大宮~岩槻~粕壁間道路開削”という記事があり、これは岩槻新道開通のことだと思う。
大正5年発行地図で大宮~岩槻間を見る。黄で示した道が岩槻新道だと思う。
岩槻~粕壁間を見る。黄で示した道が岩槻新道だと思う。
岩槻~粕壁間の岩槻新道は埼玉県道2号さいたま春日部線にほとんど重なっていると思う。
マピオン地図に大宮~岩槻間の県道2号を赤で示す。
岩槻~春日部間の県道2号を赤で示す。

明治43年出版『大宮案内』に掲載の大宮町全図緑丸で示した文字は不鮮明だが「岩槻新道」だと思う。
岩槻新道は中山道から東に分岐しているが、大門町と宮町の境界から分岐している。現在のこの交差点(一番街)だと思う。その区間岩槻新道は現在「一の宮通り」と呼ばれている。2020年9月その交差点から岩槻方面を見た。

中山道から東に進んだ岩槻新道は緑丸のところで大宮氷川参道と交差する。
現在岩槻新道は大宮氷川参道の交差点(緑丸)近くで県道2号に合流し、その後は県道2号とほぼ同じ道で春日部まで延びていると思う。

大正5年発行地図で加倉付近を拡大する。
本題ブログ2にて大正期の埼玉県全図に赤で示した道は日光御成道だと思うと書いた。
黄線で仕切った区間の日光御成道と思われるところを大正5年の地図に赤で示す
岩槻新道を黄で示す
マピオン地図に大正5年地図に赤で示した道を描くとこのようになると思う。
黄で示した道(岩槻新道)を緑で示すとこのようになると思う。岩槻新道と県道2号が一致しない区間があると思う。
2012年11月①地点から②地点へ向かい、右にカーブするところで振り返った。

道は下って国道122号に出て振り返った。
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大正期の埼玉県全図でみるさいたま市 3

2025年08月20日 | 日記
前日ブログは大正期の埼玉県全図浦和町から西に延びる県道が荒川を越えて志木町を通過することを見た。
その県道をさらに進んだところに大和田町が表示されている。
私はさいたま市民なので大和田町と言えば東武野田線大和田駅がある見沼区大和田町を思い浮かべるのだが、この大和田町はそこではない。
ウィキペディア(新編武蔵風土記稿)を開いて「大和田町」を検索すると1件ヒットし、新座郡にあった。また「大和田村」を検索すると4件ヒットし、都築郡に2件、足立郡に1件、横見郡に1件だった。足立郡の大和田村が現在の見沼区大和田町につながっていると思う。
ウィキペディア(武蔵国)に武蔵国古地図がリンクされており、その地図で足立郡・新座郡辺りを見る。
足立郡と新座郡の郡名を赤枠で示し、郡境を赤線で示す
新座郡全域の郡境を赤で示す。足立郡と比べるとかなり小さい。ウィキペディア(新編武蔵風土記稿)で新座郡内の領は野方領の一つであるが、足立郡は24領ある。
新座郡の大和田を黄で示す。足立郡の大和田を黄で示す

大正期の埼玉県全図にさいたま市の西方面の郡界を赤で示す。江戸時代には荒川が足立郡と新座郡を分けていたが大正8年(1919)では郡界はなく、大和田町は北足立郡になっている。

ウィキペディア(足立郡)にはこのような記述がある。
ウィキペディア(北足立郡)には“1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。”との記述がある。
ウィキペディア(新座郡)には“1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての新座郡が発足。北足立郡浦和宿に設置された北足立郡役所の管轄となる。”との記述がある。
平成4年浦和市発行『わがまち浦和』の年表に“明治12年3月 北足立・新座郡役所設置”という記事がある。
明治22年4月出版『改正埼玉県町村便覧』の新座郡

明治13年地図郡と表示されているところが郡役所かも知れない。
大正13年地図赤丸で示したところが郡役所だと思う。
大正3年浦和町明細全図のここだと思う。
昭和58年発行著者青木義脩『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 浦和』に北足立郡役所の写真が2枚掲載されている。
写真2-1および2-1解説
写真2-2および2-2解説。明治21年3月の浦和宿の大火は『わがまち浦和』の年表にあった。
ウィキペディア(新座郡)には“1896年(明治29年)4月1日 - 北足立郡・新座郡の区域をもって、改めて北足立郡が発足。同日新座郡廃止。”という記事がある。埼玉県全図は新座郡廃止後の地図にて新座郡の郡境は描かれていない

郡役所があった場所をマピオン地図で見る。さいたま市民会館うらわ(休)と表示されている。
2024年8月ストリートビューを見る。工事看板(市民会館うらわ解体工事)を拡大する。
2012年4月さいたま市民会館うらわさんを見た

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大正期の埼玉県全図でみるさいたま市 2

2025年08月19日 | 日記
大正期の埼玉県全図で現在のさいたま市付近を見ると南北に国道が描かれており、緑で示す。この道は中山道だと思う。。
国土交通省のサイト(政策・法令・予算)(2 政策情報・分野別一覧)(道路)(道の歴史)(Ⅳ.近代の道)から近代における道路政策を見ると“大正8年 初めて道路法を制定。明治期の道路路線を廃止し、新たな国道(大正国道)を定めた。(計64路線)”との記述がある。
ウィキペディア(国道)には大正国道64路線のうち、①東京市から各地方へ達する路線が38路線、②軍事路線が26路線定められたとあり、①については1号から38号までの路線と経過地点が一覧表になっている。
その一覧表を見ると緑で示した中山道は国道9号だと思われる。

埼玉県全図の右の方に南北に延びる県道が描かれており赤で示す。この道は日光御成道だと思う。
中山道の大宮町の北で宮原の南から右に分かれて北に延びる県道があり、赤で示す。この県道は原市町を通過する。
日文研サイトの所蔵地図データベースから東都近郊圖 : 全を見る。弘化元年(1844)の地図である。この地図に中山道を緑、日光御成道と中山道から原市町に延びる道を赤で示すとこのようになると思う。
中山道と日光御成道は江戸時代からの道がかなり残っていると思うが、中山道から原市町へ向かう道は中山道の分岐点がそもそも存在しない。しかし分岐点にあった石仏兼道標二基が残されているのでその場所はわかる。
2017年4月私はその石仏兼道標二基を見た。

平成17年さいたま市立博物館発行『ウォーク・イン・中山道大宮宿』にはこの二基の石仏についてこのように解説されている。

埼玉県全図には浦和町から西に延びる県道が描かれており赤で示す。この道は荒川を越えて志木町を通過する。この道も江戸時代から引き継がれており、志木街道と呼ばれたと思う。荒川には秋ヶ瀬渡船場があった。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和9年秋ヶ瀬橋の写真
ウィキペディア(秋ヶ瀬橋)に掲載の写真秋ヶ瀬橋と秋ヶ瀬の渡し(1909年)。
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大正期の埼玉県全図でみるさいたま市 1

2025年08月18日 | 日記
埼玉県立図書館サイトから(埼玉県立図書館デジタルライブラリー)(埼玉県立図書館デジタル化資料一覧)の絵図(31点)から、埼玉県全図[雄文館 1919刊]を開く
リンクから全体図を見る。
標題は埼玉県全図で印刷発行は明治40年6月であるが、大正8年(1919)11月の第38版である。
右枠外の余白には大日本分県地図全56枚の内とある。括弧内の文字をアップする。
ウィキペディア(大日本帝国)には“大日本帝国憲法下における日本の領土は時系列的に推移し、現在の領土のほか、南樺太・千島列島・朝鮮・台湾を含み、また関東州・南洋諸島などの幾つかの租借地・委任統治領が存在した。”との記述がある。

この地図で現在のさいたま市付近を見る。
町として表示されているのは岩槻町、大宮町、与野町、浦和町の4町で、大宮町と浦和町は人口1万以上だった。
浦和町、大宮町、与野町、岩槻町の4町はその後さいたま市を構成する旧4市になった。
現在のさいたま市にあった鉄道の停車場は浦和、与野、大宮の3駅だと思う。駅名はひらがなで表記されていると思うのだが、「おおみや」は「おほみや」とあるのだが、「お」は変体仮名で表記されていると思う。
ウィキペディア(変体仮名)の一覧からあ行の字源を表示して「お」を見る黄丸の字は「お」の変体仮名だと思う。

大宮駅から西に延びる電車描かれている。川越町まで延びている。
大宮市史の年表には明治39年(1906)4月16日に“川越電気鉄道株式会社の大宮~川越間の電車開通”という記事がある。大宮市史に掲載の川越電気鉄道の図
平成12年発行原口隆行著『日本の路面電車Ⅱ』に掲載の写真
コメント (2)
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西大宮駅改札内で見た風景 (4)

2025年08月17日 | 日記
平成30年(2018)11月、大宮で川越線に乗車して西大宮で降車した。降りたホーム(1番線)で吊り下げ式駅名標を見た。次の駅は指扇。半回転して2番線ホームを見た。

駅名標アップした。次の駅は日進。

令和元年(2019)8月、JR川越線西大宮の改札口を出た。

令和元年(2019)12月、西大宮駅1番線ホームに降車して駅名標を見た。

令和2年(2020)1月、西大宮駅改札口を入って西を見た。

番線案内板をくぐって赤矢印線のように進んで2番線ホーム階段を降りた。
入ってきた電車に乗って階段を振り返った。右に振って駅名標を見た。アップした。

令和2年(2020)8月、大宮駅で乗車した川越線電車を西大宮駅で降りて出口へ向かった。

赤矢印階段で改札階に上がっ振り返った。右に90°回転してガラス越しに西大宮駅南口前の風景を見た。
改札口を出て振り返った。
この日私は清河寺方面を歩いて西大宮駅にもどってきた。
改札口を入って直進、NewDays KIOSKさんを見た。
2番線ホームに降りて二つの駅名標を見た。

対面する1番線ホームを見た。吊り下げ式駅名標をアップした。黄色で囲んだところをアップした。記号と数字をアップした。D=1,485とH=1,100はプラットホームのレールからの距離と高さを示す数字だと思う。

令和2年(2020)10月、西大宮駅1番線ホームに降車して西へ向かい、赤矢印階段を上がりながら振り返った。

階段を上がった。

令和3年(2021)4月、西大宮駅1番線ホームを川越方面に進み、ここ右に振った。
半回転して大宮方面へ向かいながら左手の西大宮腎クリニックさんを見た。縦位置写真で見た。
1番線の行き先案内板を通過して2番線ホームを見た。

赤矢印エスカレーターに乗って改札階に上がった。
エレベーターの前を右に進んでガラス越しに西大宮駅南口前の風景を見た。振り返った。
改札口へ向かい、ここで振り返った。
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南浦和駅東口の平成26・27年の風景

2025年08月16日 | 日記
平成26年(2014)10月、南大通りを南浦和駅方面へ向かい南浦和駅東口バス停を通過して振り返った。
南大通りの終点を右折した。

右手埼玉りそな銀行さんを通過し、左の横断歩道を渡って南浦和駅(東口)で振り返った。

平成26年(2014)12月、南浦和駅東口を出て右折した。駅前ロータリー外周を南に進みながら左手ロータリーの向こうに延びる南大通りをアップした。
突き当たって左折した。振り返った。

横断歩道を渡って南浦和駅東口アップした。
右折して蕨方面へ向かった。

平成27年(2015)2月、南浦和駅の改札口を出て左折、東口の階段を降りて直進した。
ここで右を見た(東)。振り返った。

武蔵野線をくぐって右を見た。振り返った。
ホーム沿いの道を進みながら振り返った。
次の三差路右折し振り返った。この日私は南浦和駅1番線ホームからこちらを見た

平成27年(2015)3月、南浦和駅東口を出て右折した。
左手ロータリーの見通せる仮囲いを通過した。

工事のお知らせを見た。工事内容は“改札内通路と武蔵野線西船橋方面ホームを結ぶエレベーター・連絡階段の設置”とある。
ロータリーの仮囲いを通過して振り返った。
南の突き当たりを右に進み、線路沿いの道で振り返った。
マピオン地図に赤で示した三差路で南浦和駅を見た。

蕨方面に進み、南区南浦和2-38の電柱前で右を見た
通過して振り返った。

平成27年(2015)5月、南大通りを南浦和駅方面へ向かい南浦和駅東口バス停で振り返った。
南大通りの終点右に曲がって直線になった。振り返っ
た。南浦和駅東口を見た。

直線の道を大宮方面に進んで振り返った。私は左折した。カメラを左に振った。
横断歩道を渡りながら蕨方面を見た。
駅前広場に入っ振り返った。
仮囲い張り出された工事のお知らせを見た
エスカレーターの前で振り返った。


平成27年(2015)6月、南浦和駅東口から東へ向かい、横断歩道の手前振り返った。
私は左折し、南浦和駅東口高架下乗場を通過した。
北に進み、赤で示した三差路で直進方面(北)を見た。右を見た。振り返った。

平成27年(2015)11月、工事中の南浦和駅東口を東方に進んで振り返った。

右手の南大通りが始まる交差点を見た。
駅前の横断歩道を渡りながら左を見た
横断歩道を渡って振り返った。
左折し、武蔵野線の高架をくぐって右を見た。左を見た。南浦和駅方面を振り返った。

この日私は川口市小谷場との市境まで歩いて南浦和駅東口にもどってきた。
赤矢印ように進み、駅前広場入口左折した
東口駅前ロータリーの南から北を見た。工事風景をアップした。駅名看板をアップした。

カメラを右に振った。
ロータリー外周を時計回りに進むと線路側の建物がなくなった。2014年8月の写真では銀座コージーコーナーさんがあった。
トラ柄ロープの仮囲い通過した。トラ柄コーンバーの仮囲いを通過した。
ロータリー外周の仮囲い直前で東を見た。

仮囲いに張り出された工事のお知らせを見た。
右側の仮囲いが終って右を見た
南浦和駅東口左折した。振り返った。
上を見ると養生シートに覆われた駅名看板の一部が見えた。2014年4月ストリートビュー
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平成24年の大宮南銀座の風景(前)

2025年08月15日 | 日記
「大宮南銀座」の範囲について、本ブログでは便宜上マピオン地図赤で囲んだ範囲を大宮南銀座とします。

平成24年(2012)1月、旧中山道を北へ向かい、マピオン地図にAで示したところのバス停仲町を通過した。
高島屋さんの南、Bで示したところから西南を見た。

左を見た。左後方を見た。

平成24年(2012)2月、大宮駅東口駅前南側のCで示したところから南を見た

平成24年(2012)4月、旧中山道を北へ向かいながらAで示したところのバス停仲町と木造家屋を見た。

この場所は昭和9年大宮商工名勝案内地図の片倉新道の左(南)に「蒲焼 浜乃家」と表示されていると思う。

平成24年(2012)5月、大宮駅東口(中央)を出て大宮南銀座へ向かった。
大宮南銀座通りを南に進み、Dで示したところから西を見た。2011年6月の写真。
片倉新道の三差路を左折して右手市川医院さんの前で電柱の住所表示(大宮区仲町1-89)を見た。

市川医院さんを2016年7月ストリートビューで見る。
左手の南銀センタービルさんを通過し振り返った。
片倉新道を東へ向かい、旧中山道の交差点を左折した。

2018年9月の写真。
北へ向かいながら左後方を振り返った。
旧中山道を北に進み、左手の大宮SGビルさんを見た
旧中山道を横断して大宮SGビルさんを見た

2012年3月23日の読売新聞埼玉版に国土交通省発表の県内公示地価(2012年1月1日時点)が掲載されていたのだが、商業地の価格上位5地点はこのようだった。大宮SGビルさんは3位だった。5位の第102東京ビルさんは先ほどの南銀センタービルさんではないかと思う。2012年5月キャプチャーの地図には第102東京ビルと表示されていた。ビルの名称変更があったのかも知れない。

平成24年(2012)8月、Eで示したところからD方面を見た

平成24年(2012)9月、大宮駅東口の南銀座入口、マピオン地図に①で示したところから大宮駅を見た。

私はここから大宮南銀座通りを南へ向かい、大宮区仲町1-66の電柱を通過した。奥にくいもの屋わんさんの看板が見える。その看板を通過、②の三差路を左折し、ここで左後方を振り返った。青丸の看板が写っている。
片倉新道を東へ向かい、第3ヨシケンビルさんを通過した。

通過してすぐの仲町1-91の電柱で振り返った。
旧中山道に向かう片倉新道を縦位置写真で見た
旧中山道の交差点で右を見た(浦和方面)。

旧中山道を横断して振り返った。2018年9月の写真。2018年1月の写真。2017年5月の写真。
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平成28年浦和駅西口南高砂地区風景(後)

2025年08月13日 | 日記
平成28年(2016)9月、再開発工事前のマピオン地図Aで示した交差点を北へ向かった。
この道はあさひ通りで、右手のBOUCHON(ブション)さんを通過し、左手の浦和駅西口南高砂地区再開発組合掲示板を通過して左を見た。振り返った。

左前方に移動し、ここ振り返った。
Bで示し三差路(ここ)を右折した。振り返った。
細い道を東に進む左側が広くなった。

Cで示した三差路を直進し、ここ振り返った。
Dで示した交差点を直進した。右を見た。振り返った。
Eで示し三差路左折した。右を見た
商店街北に進み浦和区高砂1-8の電柱を通過した。

Fで示した十字路で右を見た。直進方面を見た。振り返った。私は左折した。
Gで示した三差路へ向かいながらここ右を見た
浦和区高砂1-8の電柱で右を見た
三差路を右折しながら振り返った(東)。右に振った。

細道を北へ向かい左手の食と燗くら川さんを通過した。
左手市川本店さんを通過し振り返った。縦位置写真。
浦和駅西口の駅前に出浦和駅を見た。左を見た(県庁方面)。振り返った。私は右折した。
東に進み、横断歩道を渡って直進方面を見た。振り返った。
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平成26・27年の東大宮駅東口近辺の風景

2025年08月12日 | 日記
平成26年(2014)12月、マピオン地図の右の方、東大宮駅入口信号交差点を東から西に直進して東大宮駅へ向かった。

右前方のバス停砂町原山をアップした。不二家さんの前。
右手のトヨタレンタリースさんを通過して右を見た。テナント募集の張り紙をアップした。2014年3月ストリートビュー
西に進み、緑丸信号交差点を直進して振り返った。

道路向かい側の赤羽歯科さんの高所をアップした。
青丸信号交差点を直進して振り返った。
東大宮駅東口駅前ロータリー外周路からJR東大宮駅東口駅名看板をアップした。
外周路を時計回りに進みながら駅前ロータリーを見た。
ロータリーの南から北を見た。英和ビルさんをアップした。

右に曲がって横断歩道を渡り、北に進んで左の駅階段を上がりながら振り返った。
階段を上がっ左折した。

平成27年(2015)1月、赤矢印のように進み信号交差点左を見た
直進方向の横断歩道を渡って振り返った。

私は左折して東大宮駅へ向かった。
Aで示したところの東大宮駅前郵便局を通過し、Bで示したところの赤羽歯科さんを見上げた。道路の向かい側を見た。
十字路交差点を直進し、見沼区東大宮5-37の電柱を通過してすぐ振り返った。
信号交差点で左を見た。

直進して振り返った。
西に進んで東大宮駅東口駅前ロータリーに突き当たった。駅入口の階段を見た。JR東大宮駅東口駅名看板をアップした。私は右折した。縦位置写真。
東大宮駅東口駅前ロータリー外周路を反時計回りに進み、横断歩道を渡ってすぐ右を見た。振り返った。

西へ向かい、東大宮駅バスのりばから南を見た
左に曲がって南へ向かい、右手のエスカレーター入口の前振り返った。カメラを右に振った。

平成27年(2015)4月、マピオン地図の右の方、東大宮駅入口信号交差点を北から南に見て交差点名標示板をアップした。
その交差点を右折して東大宮駅へ向かった。

西へ向かい、砂町原山バス停を通過して振り返った。
左手の武蔵野銀行さんを通過し、続くパチンコ一番舘さんと右手の新鮮市場東大宮店さんを通過、信号交差点を直進して振り返った。

右手の東大宮駅前郵便局を通過した
青で示した十字路を直進し、ここ左を見た。振り返った。
西に進み、信号交差点を直進して左を見た。角に丸美ふとん店さんが見える。振り返った。
東大宮駅東口駅前ロータリーの手前で道路向かい側の1階がすき家さんのピルを見た。

私はロータリー外周路を右折して振り返った。
ロータリー外周路を反時計回りに進みながら東大宮駅東口を見た。黄枠で示したところの駅名看板をアップした。
交番手前の横断歩道を渡りながら東を見た。
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宮原駅改札内で見た風景 (5)

2025年08月11日 | 日記
2018年(平成30年)12月、JR東日本高崎線宮原駅で降車し、改札口へ向かい高所の駅名標を見た。
4番線ホームで半回転して上尾方面を見た。

ホームを出口へ向かいながら右手風景見た

2019年(平成31年)2月、宮原駅に入り赤矢印の階段を降りて直進し、ここ振り返った。
1・2番線ホームを大宮方面に歩いて南を見た。

ホーム南端に移動して大宮方面を見た。踏切が見える。踏切道をアップした。この日私はその踏切を東から見た。宮原三丁目踏切を渡りながら宮原駅方面アップした。左を見た。右を見た。半回転した。
ホームを北にもどって3・4番線ホームの駅名標をアップした。

2019年(平成31年)4月、宮原駅構内図(2F=改札階)に赤丸で示したところからガラス越しに上尾方面を見た。正面奥をアップした。

左に振った。

2019年(令和元年)6月、宮原駅の改札口を入って無料貸し傘立てスタンドを見た。
エスカレーターで1・2番線ホームに降りて上尾方面を見た。大宮方面を見た。右に振った。
ホームを大宮方面に進み、階段を通過して3・4番線ホームを見た。振り返った。
大宮方面に進んで西を見た。

ホームの乗車位置案内表示をアップした。東を見た。大宮警察署宮原駅前交番の裏側。2023年12月大宮警察署宮原駅前交番見た
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大宮駅西口桜木町にあった火の見櫓

2025年08月10日 | 日記
昭和8年大宮町全図で大宮駅の西口を見ると庚申公園に「火」みたいな地図記号がある。
大宮町全図の凡例を見ると火之見塔とある。火之見塔とは火の見櫓のことだと思う。
平成11年発行『桜木のあゆみ』には<昭和15年から20年頃>の<西口通り(大宮停車場大成線)>の様子が案内されている。そこには大宮駅から新国道へ向かい、庚申公園からは“庚申公園の「からたちの垣根」が続き、消防小屋・火の見櫓・工友館の裏側、そして西尋常小学校の井桁の塀と、風格のある白い柱と鉄扉のある正門がありました。”と描写されている。
また、<消防小屋と火の見櫓>では“庚申公園の北側、西口通りに面して消防小屋がありました、正式名称は大宮市消防団桜木分署で、通称桜木消防団といっていました。(中略) すぐわきに鉄骨の火の見櫓がありました。いつ頃造られたものかは分かりませんが、その前は丸太を組んだものがあったようです。(中略) 昭和30年代に入り、市の中心街に高層建築が多くなってくると、この火の見櫓の高さでは役立たなくなり、県商工会館の塔屋に役目を譲ることになりました。”と案内されている。
挿入写真(火の見櫓)。写真の下を拡大する。ビル建設用地の立て看板が見える。埼玉県商工会館ビル建設用地の看板かもしれない。

彩の国デジタルアーカイブの特別配信から1961年(昭和36年)製作の埼玉ニュース<埼玉県商工会館 落成>のエンディングシーンを見ると埼玉県商工会館ビルの左に火の見櫓が写っている。
平成2年(1990)6月発行『大宮スカイビルのあゆみ』所載の昭和54年(1979)撮影と思われる写真を見ると火の見櫓は写っていないが、埼玉ニュースの映像は西から大宮駅方面を撮っていることがわかる。
前出『桜木のあゆみ』に掲載の桜木小学校(昭和38年)の写真を見るとここに火の見櫓が写っているのではないかと思う。不鮮明な写真なので違っているかも知れない。
仮にここに火の見櫓があったとしたら、現在のどのあたりになるだろうか。

平成2年(1990)3月私は大宮ソニックシティビルの高層階から地上を見下ろした。
昭和38年写真にAで示したビルは昭和54年撮影と思われる写真にAで示したビルだと思う。
そして平成2年写真ではこのビルになると思う。
現在の風景をグーグルマップ航空写真で見る。
平成2年写真にA.B.Cで示した場所はグーグルマップ航空写真にA.B.Cで示した場所だと思う。BとCの場所は建物が変わっているがAのビルは変わっていないように見える。
Aのビルはグーグルマップに川村建設第一ビルと表示されているビルだと思う。
不動産サイトで川村建設第一ビルさんの築年月をみると1964年1月になっていた。1964年は昭和39年なので桜木小学校(昭和38年)写真と矛盾する。昭和38年度ということなら矛盾しない。
火の見櫓が黄で示したところだとすれば、Aで示したビルと道路を挟んだ反対側である。
グーグルマップにその場所を赤丸で示すと概ねこの辺りになるのではないだろうか。
平成28年(2016)1月、私は①から②方面を見た。

②から①方面を見た
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大宮駅東口氷川緑道西通線の変貌(2)

2025年08月09日 | 日記
平成23年(2011)1月、氷川緑道西通線のマピオン地図にAで示したところの漢江さんを見た。

ハングル文字の袖看板を見た。
Bで示したところの大宮教会さん鐘楼を北から見た。
南から鐘楼の三つの鐘を見た。

平成23年(2011)5月、氷川緑道西通線と大宮中央通りの交差点で南東を見た。

大宮駅方面を見た(西)。

平成23年(2011)6月、氷川緑道西通線南端Cで示したところの日本プレス販売大宮営業所さんを見た。(看板をぱっと見ると「日本フレス」と見えるのだがよく見ると「日本プレス」と書いてあると判断しました。2012年3月撮影ストリートビューの写真。)
CからDへ向かいながら右前方の矢印看板を見た。
Dで示した交差点の手前で右手の中部公民館さんを見た

Dで示した交差点で東を見た。西を見た
氷川緑道西通線を北に進み、Eで示した三差路で西を見た
北に進んで振り返った。
一の宮通りの交差点を直進して北へ向かい、Fで示した三差路で右を見た。2020年8月の写真。


平成23年(2011)8月、赤丸で示した十字路交差点(当時信号は未設置)の東から西を見てカメラを左に振った。右に振った。
赤丸の十字路を右折して北に進み、右手の中部公民館さんを見た
カラーコード表のような外壁デザイン
北へ向かい、赤で示し三差路手前仮囲いに張り出された事業計画のお知らせ標識を見た。事業の名称は(仮称)大野眼科新築工事と書かれている。移転のおしらせを見て三差路を直進した
続く倉屋敷稲荷神社さんを通過した。

右手の大宮区役所を通過してネットで囲まれた空地を見た。
大宮中央通りに出て空地を振り返った。
事業用地の看板を見た。正面に移動してアップした。
氷川緑道西通線を横断して振り返った。

氷川緑道西通線を南へ向かい、左手の大宮区役所を通過し、赤丸の交差点を直進して左手のセブンイレブンさんを通過した
南に進みながら振り返った。
左手の事業用地看板アップした。
右手のさいたま市消防団中央分団さんを通過し、大宮教会さんの北に立って北を見た。

大宮教会さんを通過して三差路を直進し、左手の弁当阿舎さんを通過して振り返った。南を見た
氷川緑道西通線を南へ向かい、山丸公園入口の三差路で振り返った。右に振った。私は直進した
氷川緑道西通線の南端(青丸)まで進んで振り返った。

カメラを左に振った。
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埼京線電車から見た風景 (4)

2025年08月08日 | 日記
令和2年(2020)1月中旬、埼京線上り電車は南与野駅に近付き、右手のベルクさんを通過した。
南与野駅のホーム北端に入った。


令和2年(2020)1月下旬、埼京線上り電車は中浦和駅の手前で左に延びる都市計画道路町谷本太線を通過した。
武蔵浦和駅を発車した埼京線下り電車は左に見える南区役所が入居するビル(サウスピア)を通過した。
中浦和駅に近付きながら左手風景見た

中浦和駅で停車中に西を見た。アップした。さらにアップした。雲の切れ間に富士山が見える。煙突のある建物はさいたま市桜環境センターさん。2013年9月中浦和駅ホームから見た写真では建設工事中だった。
南与野駅で停車中に西を見た。

アップした。さらにアップした。
南与野駅から与野本町へ向かいながら右手東京電力さんの屋上鉄塔を見た。

令和2年(2020)3月上旬、埼京線下り電車は北与野駅を出発して左手の高層マンション通過した。
淑徳与野中学・高等学校さんを通過した。
上落合交差点近くの高層マンション通過して吉敷町ガードを通過した。

JR構内専用のレールが現れ、その後方の国際学院埼玉短期大学さんとユネスコスクール国際学院中学校高等学校さんを通過した。

令和2年(2020)3月中旬、大宮駅から埼京線下り電車に乗車して、北与野駅手前で左手のさいたまスーパーアリーナさんを通過した
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大和田駅改札内で見た風景 (4)

2025年08月07日 | 日記
2021年(令和3年)3月、東武野田線大和田駅に入って構内図黒矢印の階段を上がって左手エレベーターの前で岩槻方面を見た

右回りに90°回転して跨線橋を見た。さらに90°回転して大宮方面を見た。
跨線橋を渡って左折、階段を下りながら左を見た
ホームに降りて2番線ホームに入ってきた電車を見た。
電車に乗って振り返った。


2021年(令和3年)4月、東武野田線電車を大和田駅1番線ホームに降車して駅名標案内板を見た。
大宮方面に進み、突き当たって右折した。アップした。

振り返った。

2022年(令和4年)1月、大和田駅で降車して1番線ホームを改札口へ向かった。跨線橋を見た。
大宮方面に進み、ホームのスロープを下りながら右前方を見た。左前方を見た。改札口を見た。振り返った。

右折して改札口を出た。

2022年(令和4年)2月、大和田駅に入って1番線ホームを岩槻方面に進み、黒矢印のように左折しエレベーターの前で右手岩槻方面を見た

エレベーターに乗って振り返った。
上昇中にエレベーターかご内の操作パネル、案内看板を見た。用途.定員.積載 表示板を見た。
2Fで降りて岩槻方面を見た。左後方を見た。後方を見た。
跨線橋を渡って1番線ホームを岩槻方面に進み、ホームが狭くなるところ(マピオン地図に黒丸で示す)で岩槻方面を見た。

右に寄って南を見た。2019年5月ストリートビューで向こうに見える道の東(左)から西(右)を見る。
カメラを左に振った。右に振った。
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