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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 5

2025年06月29日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの①昭和36年7月写真と国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。
①昭和36年7月写真に黄で示した道を昭和36年6月空中写真に示すとこのようになると思う。
マピオン地図にその道を赤で示すとこのようになると思う。
平成29年(2017)12月私は白矢印方向に進み、交差点で左を見た。右を見た。直進して振り返った。

白丸で示した交差点左折して振り返った。

平成27年(2015)11月私は白矢印方向に進み、交差点右を見た
直進し、右手の矢印で示したところの小池弁財天さんを見た。鳥居の扁額をアップした。2012年8月にここを訪れた時、小池弁財天の由来を見た。そこには “ 今から26年前、区画整理によって現在地に移されたがそれ以前は清宮商事(株)の店頭当りに在り ” との案内がある。由来の作成日は平成20年2月吉日なので昭和57年に移されたのだと思う。そうすると小池弁財天を昭和36年の空中写真で見るには清宮商事さんの店頭当りを見ないといけない。
清宮商事さんはマピオン地図に清宮ビルと表示されているところだと思う。舟山通りに面している。
昭和36年6月空中写真でその辺りを見る。赤丸の辺りになるのではないだろうか。この付近一帯は南浦和駅開業のころの土地区画整理で市街化したところだと思う。以前はもっと広い境内があったのではないだろうか。小池弁財天の由来には慶応3年奉杷したとある。
小池弁財天さんを通過し、右手の建設中ビルを見た。高所を見た
道を進み、①で示し交差点を直進して振り返った。

続く②で示した交差点を直進して振り返った。

平成24年(2012)12月、白矢印方向に進み、白丸の交差点を直進し振り返った。

マピオン地図に浦和弁天公園と表示されたところを昭和36年空中写真に緑で囲むとこのようになると思う。
平成29年(2017)12月私は白丸で示したところから弁天公園を見た。

平成27年(2015)3月私は弁天公園に入り、駅寄りの門を出振り返った。看板には昭和41年4月開園と案内されており、昭和36年空中写真は開園前の景色である。2023年1月その看板を見たところ、下の看板がなくなっていた。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 4

2025年06月28日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの①昭和36年7月写真と国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和50年(1975)1月の空中写真を見る。
昭和36年7月写真にAで示した建物は昭和50年空中写真のAで示した建物だと思う。
センターギャラリー③昭和36年12月写真にA・Bで示した建物は昭和50年空中写真のA・Bで示した建物だと思う。
国土地理院昭和36年6月空中写真を見る。
①昭和36年7月写真に黄で示した道は昭和36年6月空中写真のこの道(黄)だと思う。
そうするとAで示した建物はこの建物(A)だと思う。
昭和36年6月空中写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
①昭和36年7月写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
③昭和36年12月写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
昭和50年空中写真を縮小してAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
昭和50年空中写真にはAの南方面に南浦和団地が写っている。
平成13年3月浦和市発行『浦和市史 通史編Ⅳ』には、 “ 南浦和団地(南浦和三丁目)は、日本住宅公団が建設したもので、昭和37年(1962)3月に入居を開始した。52棟1,252戸の団地で浦和市としては、初めての大規模な団地であった ” と記述されている。
写真集の南浦和団地(昭和37年)の写真を見る。写真の右下部分を拡大する。
黄で示した道は①昭和36年7月写真のこの道(黄)だと思う。
昭和50年空中写真のこの道(黄)だと思う。
現在地図(マピオン)に赤で示した道だと思う。
その交差点をグーグルマップ航空写真で見る。
平成29年(2017)12月私はaからbヘ向かった。

交差点で右を見た。左を見た。
bで振り返った。
南浦和団地(昭和37年)の写真で今みた交差点の奥を見る
黄で示した道は舟山通りだと思う。
平成23年(2011)矢印方向に進んで舟山通りに突き当たった。

平成29年(2017)12月突き当たりの三差路で北を見た。東を見た。①昭和36年7月写真に黄矢印で示した方向に舟山通りを見た
昭和50年空中写真にAで示したところをグーグルマップ航空写真に示すとこの辺り(A)になると思う。
平成29年(2017)12月その辺りを見た。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 3

2025年06月27日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真を見ると、駅前右手に守屋よろづ店さんの看板が見える。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和37年の写真では「守屋よろづ店喫茶」となり、昭和38年の写真では「中華料理守屋よろづ店」になった。
守屋よろづ店さんがあったところは現在地図(マピオン)の大雄ビルさんのところだと思う。
マピオンで大雄ビルさんの近くに目をやると「守屋」という名前が付く場所が二つあった。「守屋ビル」さんと「守屋サイクルセンター」さんである。守屋よろづ店さんとの関係は不明である。
2011年8月赤矢印のように南大通りの横断歩道を渡った。

正面はグリーンショップもりやさんだった。
交差点角で守屋駐車場さんの看板を見た。
交差点を南に進み、右手の守屋サイクルセンターさんを見た。

先ほどの②昭和36年9月写真を見ると南大通りの左側にAとB二つの建物が並んでいる。
前記(写された20世紀の浦和)所載の昭和36年の写真拡大してみるとAの建物は丸善土地さんであるが、Bの建物はない。同じ昭和36年の撮影ではあるが、この写真の方が撮影時期が古いと思う。
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。先ほどAで示した建物はこの建物(A)だと思う。Bの建物はまだ建設されていないと思う。
昭和50年(1975)の空中写真を見る。
昭和36年空中写真に赤で示した十字路は昭和50年空中写真のここだと思う。
AとBで示した建物の位置を昭和50年空中写真に示すとこの辺り(A・B)になると思う。
空中写真に赤で示した十字路をBing地図に示すとこのようになると思う。
Bで示したところは白井ビルさんだと思う。
2013年7月南大通りで白井ビルさんを見た。

屋上の看板(白井商事)を見た
②昭和36年9月写真に黄で囲んだ看板を昭和37年の写真拡大して見るとこのようで「白井」らしき字が見える。
白井商事さんのホームページ沿革には昭和36年南浦和駅と同時に開業とある。南浦和駅の開業は昭和36年7月1日とウィキペディア南浦和駅に書かれている。この空中写真のデータには撮影日は昭和36年6月2日となっている。
以前の市広報誌に掲載された今昔写真の昭和36年当時を見る。写真の正面奥が南浦和駅で、右端に白井商事さんが写っている。2013年7月ほぼ同じ場所と思われるところから南浦和駅方面を見た。

右手前方の白井商事さんをアップした。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 2

2025年06月26日 | 日記
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。
拡大して南浦和駅付近を見る。
南浦和駅の駅舎を見ると改札口と西口を繋ぐ跨線橋が写っていないと思う。
ウィキペディア南浦和駅によれば、開業年月日は1961年(昭和36年)7月1日で当初より橋上駅として建設された。
国土地理院空中写真の撮影は昭和36年(1961)6月2日なので開業1ヶ月前である。ウィキペディア南浦和駅には西口の開設年月日のことは特に触れられていない。
昭和50年(1975)の空中写真で南浦和駅を見る。武蔵野線が開通しているので開業当時より複雑になっている。跨線橋を黄で示す。昭和36年空中写真に黄で描く
Copilot(AI)で南浦和駅西口の開設年月を質問したところ昭和36年(1961)9月との回答が得られた。正解かどうかは確認していない。
2012年1月南浦和駅の南側線路沿いの道から駅舎を見た。


昭和36年6月の空中写真には南浦和駅東口近くの南大通りに白っぽい帯状の物が写っており、黄線で示す。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真を見る。この年7月1日に南浦和駅が開業して南大通りの道路整備工事が進んでいるところだと思う。
ちなみにこの時代「南大通り」の名前はない。浦和市史によれば、昭和43年の道路愛称募集の結果決定されたものである。南浦和駅から産業道路までのオレンジで示した区間だと思う。
昭和36年空中写真に黄線で示したところは②昭和36年9月写真のここだと思う。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和36年の写真を見る。
先ほど黄線で示したところと同じ場所と思われるところを拡大し黄線で示す。
前記(写された20世紀の浦和)所載の昭和37年の写真を見る。拡大する。昭和36年写真に黄線で示したところはここ(黄線)だと思う。
私は黄線で示したところは橋だと思う。橋の下には水路が流れているのだと思う。
昭和36年の空中写真に赤で示した道はマピオン地図に赤で示した道と概ね重なると思う。
マピオン地図に昭和36年空中写真に黄線で示したところを描くとこの辺り(黄線)だと思う。
2011年8月南大通りを東へ向かい、黄線で示しところ左を見た(北)。
2012年3月南大通りを西へ向かい、黄線で示しところの左を見た(南)。

さいたま市河川図でこの辺りを見ると南浦和駅東口の近くを流れる「大谷場雨水幹線」がある。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 1

2025年06月25日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの「まちなみ」「南浦和駅東口駅前」から「1. 旧浦和市域 昭和36年7月 南浦和駅東口駅前」、「2. 旧浦和市域 昭和36年9月 南浦和駅東口駅前」、「3. 旧浦和市域 昭和36年12月 南浦和駅東口駅前」を見る。
①昭和36年7月写真は南浦和駅東方の高台から南浦和駅方面を見ていると思う。②昭和36年9月写真は南浦和駅東口から東方面を見ていると思う。③昭和36年12月写真は①写真と同様に南浦和駅東方の高台から南浦和駅方面を見ていると思う。
②昭和36年9月写真の正面に真っすぐ延びる道(黄で示す)は南大通りだと思う。平成25年(2013)7月南浦和駅東口駅前広場から南大通りを見た。赤矢印の突き当たりをアップした。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和36年の写真を見る。
南大通りの突き当たりを拡大する。アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真より撮影月は前だと思う。
①昭和36年7月写真に南大通りを黄で示す
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。南大通りを黄で示す。駅前からの直線区間を拡大する
②昭和36年9月写真に青丸で示した建物は①昭和36年7月写真のこの建物(青丸)だと思う。
昭和36年6月空中写真の青丸で示した建物だと思う。
その場所は現在地図(マピオン)に大東ビルと表示されている。
2017年12月赤矢印方向に歩きながら右手の大東ビルさんを通過して振り返った。

③昭和36年12月写真の奥に南浦和駅が写っている。
彩の国デジタルアーカイブの写真検索から南浦和駅開業日その2を見る。拡大する。
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南浦和駅東口の平成25・26年の風景

2025年06月24日 | 日記
平成25年(2013)1月、JR東日本南浦和駅東口近くのマピオン地図に①で示した三差路を南へ向かった。

JR武蔵野線の高架をくぐって右折した
南浦和駅東口に入った。

平成25年(2013)3月、南浦和駅東口駅前広場に面した道路を南から北へ向かい、②で示しところを左折して駅前ロータリーの南から北を見た。

振り返った。
駅前ロータリーの外周歩道を北に進みながらロータリーの西から東を見た

平成25年(2013)6月、南浦和駅東口を出て駅前広場を東へ向かいながら振り返った。
横断歩道を渡って左折した。

平成25年(2013)7月、南浦和駅東口を出て駅前広場を南へ向かいながらロータリーの西(ここ)から東を見た。

南大通りをアップした。少し右に振った。振り返った。
ファミリーマートさんに突き当たって左折した。ロータリーの筋向かいを見た。
ロータリー外周を東に進み、横断歩道の手前で左を見た。
横断歩道を渡って左折し、北に進んで右に折れた。

南大通りを東へ向かった。振り返った。

平成26年(2014)1月、南浦和駅東口を出て東に進み、突き当たりを左折し、高架をくぐってすぐ右折した

平成26年(2014)4月、南浦和駅東口を東に出てすぐ右折した。
②のところ進んで道路とロータリーの北を見た。南浦和駅東口をアップした。少しカメラを引いた。

横断歩道を渡って左折して南大通りの東を見た。
車道側に移動して南大通り標示板を見た。

平成26年(2014)5月、南浦和駅東口を出て駅前広場を東へ向かい、横断歩道を渡って振り返った。
右折して南へ向かいながら右手の南浦和駅東口を見た。

歩道は南大通りに突き当たって左折した

平成26年(2014)8月、南大通りを南浦和駅方面へ向かい③で示したところから南浦和駅東口を見た。駅名看板をアップした。
南大通りが終って左に曲がり、横断歩道で右折した。南浦和駅東口を見た。駅名看板アップした。

ロータリー外周の④で示したところから北へ向かった。カメラを右に振った。
北に進み、東口入口(ここ)で振り返った。
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平成24年の大宮東口繁華街の風景 3

2025年06月23日 | 日記
平成24年(2012)8月、大宮駅舎(駅ビル)2階から大宮駅東口駅前広場から大宮中央通りが始まるところを見た。
階段で1階に降りて大宮駅東口(中央)入口看板を見た。

駅ビルを出て南へ向かい、交番手前を左折した
東に歩いて駅舎を見た。今月初めに見た大宮駅東口。
大宮中央通りを東へ向かった。
旧中山道大栄橋交差点のマピオン地図①で示したところを南へ向かった。
②の三差路を右折した。

住吉通りを西へ向かい、右手の建設工事中のビル見上げた。
新築分譲マンションの広告看板を見た。
事業計画のお知らせ標識を見た。(仮称)プレミスト大宮宮町新築工事で地上14階地下1階の共同住宅。マピオン地図にプレミスト大宮さんは表示されている。
住吉通りを歩きながら大宮アルディージャ応援旗を見た。今年2月西大宮で見たRB大宮アルディージャ応援旗
西に進み、③で示した三差路を直進した。

次の三差路も直進するのだが、一旦右に入って白矢印で示したところの街灯柱に表示された縦書き文字「ファンキー横丁」を見た。青矢印で示したところの横文字看板「FUNKY ST.」を見た。
直進して西へ向かいながら大塚屋さんの電話番号看板を見た。
住吉通りのゲートをくぐった。

大宮銀座通りに出て左折した
若干北に移動して住吉通りのゲート柱から突き出された大宮アルディージャの旗を見上げた。
大宮銀座通りを南へ向かいながら新設の街灯見上げた。
大宮駅東口そばで軒を並べる店舗を見た。縦位置で見た。

大宮銀座通りを進み、横断歩道の前で振り返った。
大宮銀座通りの横断歩道を渡り、駅前広場で工事看板(歩道整備工事)を見た。北を見た
大宮駅東口ロータリーの北から南を見た。
南から北を見た。今月初めの写真。
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荒川近く西区西遊馬・宝来の風景変化 3

2025年06月22日 | 日記
平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集さいたま』所載の平成3年(1991)撮影の写真で西大宮バイパス付近の西区西遊馬・宝来辺りを見る。
西大宮バイパスが荒川・入間川に架かる国道16号上江橋と接続する辺りの工事風景が写っている。
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から平成元年(1989)の空中写真でこの辺りを見る。
黄丸で示したところは西大宮バイパス高架橋の橋台ではないかと思う。
平成3年写真の黄矢印のところだと思う。国道16号の外回り車線になるのだと思う。建設中の内回り車線を指扇方面から橋台と思われるところまでオレンジ線で示すとこのようになると思う。
平成7年(1995)の空中写真でこの辺りを見る。平成3年写真に黄矢印で示したところは平成7年写真のここだと思う。
2025年04月18日ブログで私はこの歩道橋を渡りながら右手の国道16号西大宮バイパスを見た。

平成7年写真の赤矢印方向を見ていると思う。
外回り車線の橋台が写っていると思う。
歩道橋を進んで内回り車線の橋桁が橋台に接しているところを見た。ストリートビューでそこを見る。
西大宮バイパス開通後の平成19年(2007)の空中写真を見る。
開通前の平成7年には指扇方面と上江橋を繋ぐ道はこのようだった。縮小して上江橋の全景を見る。
ウィキペディア西大宮バイパスによれば西大宮バイパスは平成10年(1998)10月12日に開通した。
平成19年の写真に平成7年の黄で示した道を描くとこのようになると思う。
西大宮バイパス開通後に指扇方面から川越方面への道と川越方面から指扇方面への道をオレンジ線で描くとこのようになると思う。
2025年04月20日ブログで平成3年(1991)写真に黄丸で示したところから川越方面を見た。

反対側(大宮方面)を見た
国道16号外回り車線の高架下から大宮方面を見た。高架橋を見上げた。
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荒川近く西区西遊馬・宝来の風景変化 2

2025年06月21日 | 日記
平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集さいたま』所載の平成3年(1991)撮影の写真で西大宮バイパス付近の西区西遊馬・宝来辺りを見る。
黄枠で示した施設はグーグルマップ航空写真この施設だと思う。
Bing地図でその場所を見るとさいたま市滝沼川排水機場と表示されている。
2025年04月18日ブログで私はこの歩道橋の階段を上がりながら右手にさいたま市滝沼川排水機場を見た

国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から平成元年(1989)の空中写真を見る。
黄枠で示したところが滝沼川排水機場だと思う。
最上川電子大辞典で排水機場を探した
2025年04月18日ブログで私は荒川堤防のBing地図に青丸で示したところから滝沼川の上流方面を見た。滝沼川排水機場が見える。下流方面を見た。水門施設が見える。
ウィキペディア滝沼川には歴史の件でこのような記述がある。そこには “ 丸い三つの屋根の真ん中に時計をつけた銀色の構造 ” とあるが、2025年04月20日ブログでその水門施設を荒川本流側から見た。

この水門施設はさいたま市地形図に大圦樋管と表示されている。
平成元年(1989)空中写真には大圦樋管は写っていない。平成3年(1991)撮影の写真にも写っていない。
平成7年(1995)の空中写真で見ると、黄丸で示したところに大圦樋管が写っている。
2025年04月20日ブログで私は大圦樋管名称看板を見た。その下の銘板プレートを見た。
右のプレートは「大圦樋管 1992年10月 関東地方建設局 管理者 建設省 巾5.4m 髙4.1m 長88.7m 施行 東洋建設株式会社」と表示されていると思う。
左のプレートは「大圦樋管ゲート ゲート形式 プレートガーダ構造鋼製ローラゲート 門数 4門 純陸閘 5.400m 吞口高 4.100m 完成年月 平成4年8月 施行 日本自動機工株式会社」ではないだろうか。いくつかの文字が鮮明でなく見当を付けて転記した。読み違いがあるかも知れない。
大圦樋管の年月は1992年10月で大圦樋管ゲートの完成年月は平成4年8月とある。1992年は平成4年なので同じ年に竣工したと思う。
現在のグーグルマップ航空写真で滝沼川排水機場から大圦樋管までを見ると荒川堤防があるのだが、平成3年の写真では荒川堤防は迂回路のように折れ曲がっている。滝沼川排水機場から西側に堤防を取り壊して見える風景は大圦樋管の建設工事だと思う。先ほど大圦樋管の銘板プレートを見たが、「長88.7m」とあった。滝沼川排水機場から大圦樋管までの距離も概ねその位ではないだろうか。
最上川電子大辞典の排水機場には “ 排水機場は、一般にポンプ場と吐出水槽や樋門などの付帯設備で構成されています ” との記述がある。
ウィキペディア滝沼川には“ 樋管を三門備えた ” と書かれているのだが、銘板プレートには“ 門数 4門 ” とあった。
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荒川近く西区西遊馬・宝来の風景変化 1

2025年06月20日 | 日記
平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集さいたま』所載の平成3年(1991)撮影の写真で西大宮バイパス付近の西区西遊馬・宝来辺りを見る。
現在の地図(マピオン)を見る。平成3年写真では国道16号西大宮バイパスは建設中である。ウィキペディア西大宮バイパスには “ 高架橋区間の建設に10年以上を要している。なお、高架橋区間は1997年春に完成した ” と記述されている。
2025年04月17日ブログで私はこのような道筋を綴った。私は滝沼橋渡ったのだが、平成3年写真でそこを見ると橋は架かっていないが工事中のように見える。橋名板には平成4年11月竣工とあった。
平成3年(1991)撮影の写真で滝沼橋から滝沼川の下流を見ると滝沼川に架かる橋が見える。橋はあるが道路が繋がっていないように見えるのでまだ開通していないのかも知れない。
グーグルマップ航空写真で現在の風景を見る。その橋は西大宮バイパス(高架)の側道だと思う。
2025年04月18日ブログで私は黄丸で示したところから東を見た。西を見た。

西に進み、橋を渡りながら上流を見た。下流を見た。
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から平成7年(1995)の空中写真でこの辺りを見る。
滝沼橋が写っており、黄丸で示す。上流の橋を青線で示す。高架が建設されており見えにくくなっている。

ウィキペディア西大宮バイパスには “ 実際に工事が始まったのは東大宮バイパスの開通後である ” との記述があり、ウィキペディア東大宮バイパスには東大宮バイパスは “ 1981年(昭和56年)4月に全線開通した ” と記述されており、西大宮バイパスの工事が開始されたのは昭和56年(1981)4月以降だと思う。
昭和59年(1984)の空中写真を見る。西大宮バイパスの工事は始まっていないように見える。滝沼橋の旧橋を黄丸で示す。この橋から下流を見ると荒川堤防まで橋はないと思う。
平成元年(1989)の空中写真を見る。西大宮バイパスの工事が実施されており、高架橋の橋脚が並んでいるのが見える。
黄枠で示したところは宝来インターチェンジループ橋の橋脚ではないかと思う。
平成28年9月宝来インターチェンジのループ橋を見た。
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平成27年の浦和駅東口東仲町 (2)

2025年06月19日 | 日記
平成27年(2015)5月、マピオン地図①で示した交差点で南を見た。私は北へ向かった。

北へ向かい、丁字路で松江精機工業さんに突き当たって右を見た。振り返った。私は左折した。
西へ向かいながら右手の黄色い建物を通過し、三差路直進しながら右を見た
②で示し三差路左を見た。振り返った。右折した。

北へ向かい、右手のホッコリ酒場どらくさんを通過して振り返った。黄枠のところをアップした。
右手道路沿いの駐車場通過し左手パークホームズ浦和東仲町さんを見上げた。振り返った。
道路左に横断して南を見た。北へ向かった。

左手のたまはりきゅう院さんを通過して北へ向かい、③で示し十字路(ここ)で右を見た。振り返った。私は左折した
左折して振り返った。
右手の寿栄さんを通過して西へ向かい、ここで一旦右折して駐車場奥で振り返った。

パークホームズ浦和東仲町さんを縦位置で見た。
もとの道にもどって西に進み、ここ振り返った。
次の三差路右を見た。縦位置で見た。
直進して右を見た。振り返った。

西へ向かい、東通りの交差点直進方面奥のビルアップした。浦和センチュリーシティさん。
東通りの交差点を一旦直進し、突き当たりの水道管埋設標を見た。所有者は埼玉県南水道企業団。竣工年月は昭和42年3月。右を見た。左を見た。半回転して東通りの交差点にもどった。
東通りの交差点で北を見た。

南を見た
北へ向かいながら左手の焼肉食堂苑さんを見た。
北に進み、国道463号に架かる東仲の橋の前で左の下り階段を見た。振り返った。
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日進駅南口駅前広場が出来る前の風景 4

2025年06月18日 | 日記
平成27年(2015)6月、日進駅の改札口(2F)を出て右折、南口の階段を降りて左折した。

日進駅南口駅前広場完成予想図を見た。左を見た(東)。
左手パイプガードが終ったところから一般道路(日進七夕通り)出て南へ向かった。日進駅を振り返った。

平成27年(2015)8月、日進七夕通りを北へ向かい、マピオン地図に赤で示し十字路交差点を直進した。
日進駅に近付き、ここ振り返った。
日進七夕通りを進んで駅舎西側をアップした。

ここ左を見た。右後方を見た。
駅舎に近付いて右折した。
東に進み、日進駅南口自転車駐車場の入口を見た。
郵便ポストの後方に移動して伐採された樹木の切り株を見た。右に回転して南を見た。更に回転して西へ向かった。

南口の入口で左手の日進駅南口駅前広場完成予想図を見た

平成28年(2016)1月、日進駅で降車し、2番線ホームからエスカレーターで改札階に上がって右手のガラス窓から南口駅前を見た。
改札口を出、南口の階段を降りて左前方に進み、一般道路を川越方面へ向かった。

振り返った。カメラを右に振った。
この日私は陸自大宮駐屯地方面まで歩いて最後は日進七夕通り日進駅南口に帰ってきた。

平成28年(2016)8月、日進駅で降車して改札階に上がり、エレベーターの前でガラス越しに南口駅前見た。2014年9月の写真
改札口を出て右折、南口階段の上でガラス越しに南口駅前を見た。

ウィキペディア日進駅(埼玉県)には “ 2016年(平成28年)8月2日:南口駅前広場の完成記念式典を挙行 ” という記述がある。私は完成記念式典終了後の南口駅前広場を見ている。
階段から地上に降りて左折した。右に振った。さらに振った。階段を振り返った。
東に進んで右を見た。振り返った。

2012年10月の写真。さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの1985年9月の写真。
東に進み、フェンスに突き当たって右折した。右に振った。振り返った。
南に進み、一般道路を左折し振り返った。西を見た。2014年9月の写真。

グーグルマップ航空写真で現在の日進駅南口駅前広場を見る。駅前を東西に延びる道と南北に延びる道(日進七夕通り)を黄線で示す。東西に延びる道の駅側が駅前広場になっていると思う。
国土地理院サイトの空中写真閲覧サービスから平成25年(2013)の空中写真を見る。駅前を東西に延びる道と南北に延びる道を黄線で示す。この時代の駅前広場は道路と一体化していたように見える。
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日進駅南口駅前広場が出来る前の風景 3

2025年06月17日 | 日記
平成26年(2014)4月、マピオン地図赤矢印で示したように日進駅南口へ向かい、次の三差路で右を見た。

左前方に進んで南を見た。日進七夕通り。
駅へ向かいながらパイプガードに設置の商工案内図を見た。
駅舎前から日進七夕通りを見た。2012年10月の写真。

南口入口のエスカレーター前振り返った。
日進駅に入ってガラス越しに南口駅前を見た。

平成26年(2014)9月、青矢印のように西へ向かい、右手のブロック塀がなくなって日進駅を見た。

南口駅前の日進七夕通り標示板をアップした。
日進七夕通りに突き当たって振り返った。
右折し日進駅へ向かい、日進七夕通り標示板を通過した
日進駅2階改札口を入ってガラス越しに南口駅前を見た。

2014年4月に見た商工案内図八百金さんをアップした。

平成26年(2014)10月、日進駅改札口を出て右折し、南口の階段を下りながら駅舎外壁高所の駅名看板を見た。
地上に降り、左前方に進んで右折した。振り返った。

西に進んで日進駅を振り返った。
少し進んで振り返った。

平成27年(2015)2月、日進駅南口の階段を降りて左折した。
「カガミの鹿」の案内書きを見た。
グリーンネットの仮囲い沿いを南へ向かいながら展示中のカガミの鹿を見た。

のぼり旗通過してカガミの鹿を見た。振り返った。
私は三差路を左折した。左に振った。
左折しながら日進七夕通りの南を見た
左折して振り返った。


平成27年(2015)4月、日進七夕通りを北へ向かい、日進駅に突き当たって左折した。日進七夕通りを振り返った。
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日進駅南口駅前広場が出来る前の風景 2

2025年06月16日 | 日記
平成24年(2012)7月、現在のマピオン地図赤矢印で示した方向に進み、交差点の手前で右に振った。

右手の風景を2012年3月ストリートビューで見る。、
交差点で振り返った。
交差点を右折し、日進駅に突き当たって左前方に進んだ。
南口入口で右折した。振り返った。

駅舎に入り、階段を上がりながらガラス越しに日進駅南口駅前を見た。2012年3月ストリートビューで日進七夕通りから日進駅南口を見る
改札口を入ってガラス越しの南口駅前アップした。

平成24年(2012)10月、赤で示した十字路を北へ向かい、日進駅に突き当たって振り返った。

さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの昭和60年9月30日日進駅電化開通記念を見る。この写真にA.Bで示した建物は私が撮った写真のこの建物だと思う。この写真のこの建物(A)だと思う。
2012年7月撮影写真のこの建物(A.B)だと思う。駅舎から撮影した写真のこの建物(A.B)だと思う。

平成24年(2012)12月、日進駅南口を出て東を見た。

左に振って駅舎の高所を見た。
東に進み、三差路を右折した

2013年12月川越駅の西マピオン地図に赤丸で示した踏切の踏切名標示板を見た。
日進第一踏切を北から南へ見た。
東側のフェンスに商工案内図があった。

近付いて見た。交差点角の黄矢印の商店は「八百金青果店」と表示されていると思う。
駅前の黄矢印ところは「羽生田 店」「二宮時計店」と表示されていると思う。
Aで示したところは「浅野預り所」と表示されていると思う。
Bで示したところは「日進堂 店」と表示されていると思う。
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日進駅南口駅前広場が出来る前の風景 1

2025年06月15日 | 日記
国土交通省国土地理院サイトから(地図・空中写真・地理調査)(地図・空中写真閲覧サービス)から平成2年(1990)の空中写真でJR川越線日進駅を見る。
黄矢印の指すところが駅舎だと思う。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの昭和58年日進駅を見る。ウィキペディア日進駅(埼玉県)に挿入の旧駅舎(2006年)を見る。二つの駅舎の外観は少し変わっているが、建て替えはしていないと思う。
平成15年(2003)の空中写真を見る。長いホームが目立っている。ウィキペディア日進駅によれば、平成13年(2001)上下線ホームに屋根を増設した。
駅付近の風景変化を見ると、日進駅西の南側線路沿いガーデンシティ大宮日進さんが建っている。
不動産サイトで築年月をみると平成11年(1999)6月とある。
平成25年(2013)の空中写真を見る。橋上駅舎になって北口が出来ている。ウィキペディア日進駅によれば、平成22年(2010)3月28日橋上化、北口を開設した。日経新聞電子版(2016年7月21日)によれば、平成23年(2011)2月に橋上駅舎が完成し、3月に北口駅前広場が完成した。

橋上駅舎が完成したという平成23年(2011)2月、私は西から日進駅南口へ向かった。

この時私は日進駅が新しくなったことを知らなかったので驚いた。アップした。縦位置で見た。
駅舎外壁のガラスに写る駅名看板をアップした。
駅舎に入り、エスカレーターで改札階に上がって振り返った。
改札階を北に移動して北口のエスカレーター・階段を見た。整備中の北口駅前広場が見える。
改札口を入り、南側エレベーター前でガラス越しに南口駅前の西側を見た

先ほどの駅舎の写真を撮影したところである。

平成23年(2011)11月、日進駅改札口を出、エスカレーターで南口に降りながら駅名看板を見た。
南口を出て、駅から南に延びる日進七夕通り標示板を通過して振り返った。
日進七夕通りを南へ向かった。

赤で示し交差点を直進して振り返った。
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