咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

宮原駅~宮原駅前通り~東宮原駅

2016年09月28日 | 日記
さいたま新都心駅4番線ホームから西を見る
入ってきた高崎線電車に乗車する。
宮原駅で降りてホームを改札口に向かう。
右手の風景が変わった。2011年11月の写真

改札口を出て左折、東口の階段を下り始めて右を見る(振り返る)。
階段を下りて、駅前を時計回りに進む。振り返る
タクシーのりばを通過して右を見る
コーナーを曲がってバスのりばから南を見る。右に振る

交差点の横断歩道を渡って(直進)、宮原駅前通りを東に向かう振り返る

サンフィール大宮宮原さんを通過しながら三差路の右を見る振り返る
東に向かい、宮原駅前信号交差点振り返る
旧中山道を横断しながら上尾方面を見る。大宮方面を見る。
宮原駅前通りを東に向かって振り返る
三差路を直進して振り返る
十字路で右を見る。左を見る

直進して振り返る

国道17号の交差点に向かい、宮原駅前通りバス停を通過して振り返る
国道17号宮原駅入口信号交差点を直進して振り返る右を見る左を見る
宮原駅前通りを東に向かい、ファミリーマートさいたま宮原町二丁目店さんを通過する。
十字路直進して振り返る。


県民共済さんを通過しながらバス停中道公園入口を通過する。
十字路を直進して振り返る
道は少し右に折れる。
竹林を通過して振り返る車道側を見る。
前を向き、三差路の右を見る
バーミヤンさんを通過して振り返る。


東に進み、押ボタン信号交差点を直進して振り返る
左を見る右を見る
ここは北区宮原町2-88の電柱で左に振る
バリュー・フードガーデンさんを通過する。

中道バス停を通過して振り返る
宮原駅前通り標示板を見る。
交差点を直進しながら左手の水路を見る。
直進して振り返る左に振る。鉄塔が見える。2012年1月のその鉄塔を見た。天沼線19号だった。

東宮原駅前押ボタン信号交差点で宮原駅前通りを横断して振り返る
東に進み、ガードの手前を右折する。振り返る

左折して振り返る
ニューシャトル東宮原駅に入り、大宮方面のホームに向かう
このように歩いてきた。
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新都心大橋から大宮区北袋町を歩く

2016年09月27日 | 日記
新都心大橋を西から東に渡りながら右を見る。

JR線路を通過して振り返る
下り坂になり、ここ振り返る
陸橋の側道を横断して振り返る
私は側道を左折する
三差路を右折する振り返る

日新火災さんを右に見て、三差路左折する
連続する交差点を直進して振り返る
右手のパレスドールウラワさんを通過し、中山道(旧)に突き当たる。

中山道に出て右折する。右折して振り返る
三差路を直進し、信号交差点左を見る
私は右折して東に向かう。振り返る

突き当たりで振り返る右を見る
左折して東に向かう
仮囲い広告看板を見る。ザ・レジデンスさいたま新都心さん。
丁字路に突き当たる。
広告看板の案内見る
丁字路で振り返る右を見る。左折する。

仮囲いの透明材から工事風景を見る。
三差路を直進して振り返る
No.2ゲートを通過して工事現場を見る。振り返る
三差路を直進、事業計画のお知らせ標識を見る
次の交差点直進しながら左を見る
直進して振り返る。


北に進み、突き当たりの丁字路で左を見る
私は右折してすぐ左折する
北に向かい、ここ右を見る振り返る

三差路の右を見る振り返る
仮囲いに掲示の北袋1丁目地区土地区画整理事業計画図を見る。
仮囲いがバリケードフェンスになって左を見る
反対側に移動し、透明材から工事風景を見る。
門扉が開いているところから合同庁舎方面を見る。

トンボと合同庁舎。
バリケードから仮囲いに変わる手前で合同庁舎方面を見る。
右に振る左に振る
仮囲いになって振り返る
北に進み、右の透明材から東を見る。造幣局をアップする。

一般道路の交差点に出て振り返る右を見る。左を見る。

左に移動して、囲いのなかを見る。右に振る更に振る
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中浦和駅~別所沼~県庁第二庁舎入口

2016年09月26日 | 日記
JR埼京線中浦和駅改札口を出て、西口左の階段を下りながら振り返る
階段を下りてガード沿いを南に向かう
県道40号(バス通り)に出て左を見る
県道40号を横断して左折する振り返る
ガードをくぐり、ここで左を見る。振り返る


私は三差路を右折する
東に進み、信号交差点左折して振り返る
県道40号の信号交差点突き当たりをアップする。萬店さん。
信号交差点を右折する。県道40号を県庁方面に向かう。
次の信号交差点を直進する。左を見る。

右にカーブし、交差点を直進して振り返る
『ふるさとの想い出 写真集 浦和』所載の志木県道の舗装工事(昭和33年)。

県道を横断して別所沼公園に向かう
歩道橋の階段を通過して左折する
池の畔を時計回りに歩きながら池を見る。浮島のシラサギをアップする。
左に振って噴水を見る。

池の畔を歩きながら噴水を見る。

直進して、案内図見る振り返る
右前方は別所沼弁財天。平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景 - 写された20世紀の浦和-』所載の別所沼(昭和初期)の写真
右折して弁天島に入る
弁天島から船2隻を見る。読売新聞昨日の関連記事。
別所沼弁財天を見る。由来記

弁天島を出て時計回りに進み、案内板見る
北の噴水を見、右に振って船2隻を見る
右に曲がった。振り返る
別所沼の北から南を見る
東の公道に出て、左折する。振り返る。


北に進み、十字路左を見る右折する。この道は裏門通り。
三差路を直進しながら左を見る
十字路を直進して振り返る。道幅が広くなった。
押ボタン信号交差点角の石田医院さんを見る。
交差点で左を見る。

直進して振り返る
東に進み、信号交差点で日本キリスト教会浦和教会さんを見る。
右を見る。東に横断(直進)して左を見る
東に進んで振り返る

十字路を直進して振り返る
左手の関根歯科さんを通過して振り返る
国道17号県庁第二庁舎入口信号交差点に出る。

交差点で国道17号の南を見る北を見る
中浦和駅からこのように歩いてきた。
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夜の大宮中山道 下町・仲町を歩く

2016年09月25日 | 日記
大宮区下町の中山道(旧)で松亀センタービル左に見て、右(東)を見る。
北に向かい、右手のサンクス大宮下町店さんを見る。振り返る
三差路直進し、次の交差点で左を見る。アップする。

道路向かい側の第四銀行大宮支店さんを見る。
左手のタイムズ大宮東口第3駐車場を通過する。
向かい側のアクロスビルを見る。

三差路を直進し、次の三差路の右を見る。直進する

左手の大宮NSDビルを見る。
右手のサンクス大宮仲町二丁目店さんを見る。
左手の大宮仲町AKビル1階みずほ証券さんを見る。
向かい側のVスクエア大宮ビルを見る。


仲町バス停を通過し、吉野家さんを通過しながら右を見る
押ボタン信号交差点を直進して右を見る振り返る。道路向かい側から撮った7月の写真。
左手の炭火串焼台所ちっきんさんを通過した。
道路向かい側を見る。

中山道を振り返る

左手のビジョナリーⅢビルを通過し、大宮SGビル袖看板を見る。
十字路を直進し、左手武蔵屋ビルの看板を見る。1Fと2Fが空白になっている。2Fの空白の張り紙を昼間見た。ビル内の案内看板を見た。2014年8月の写真を見ると1Fと2Fはさくら水産さんだった。。

道路向かい側を見る。三菱東京UFJ銀行さんとセブンイレブンさん。南側交差点から撮った2014年8月の写真
三差路を直進して右の駐車場を見る。振り返る


高島屋さんの横を中央通りに向かう。
中央通りのスクランブル信号交差点で左手の大宮駅をアップする。
中央通りを横断して振り返る。

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東武野田線岩槻駅近くの踏切

2016年09月24日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の ①旧岩槻市域 昭和40年代 丹過の踏切(野田線第48号踏切道) と ②旧岩槻市域 昭和40年代 加倉の踏切(野田線第42号踏切道) を見る。

東武野田線(アーバンパークライン)の踏切番号は大宮駅から順に付けられているので42号の方が大宮に近い。
その場所を地図に表示する
2014年12月18日ブログで私は矢印方向(42号踏切)に向かった
42号踏切道を電車通過した
踏切を渡りながら七里駅方面と岩槻駅方面を見た。
踏切を渡って振り返った。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の写真はこの方向だと思う。

2015年08月26日ブログで私は西から東へ48号踏切に向かった
第48号踏切道標示板を見た。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の写真はこの方向だと思う。
同方向を見た2015年11月21日ブログ写真
反対側から(東から)48号踏切を見た2016年01月06日ブログ写真

42号踏切と48号踏切の間には昔、43号・44号・45号・46号・47号 と5本の踏切があったと思われるのだが、現在はここ(赤丸)だけだと思う。
その踏切を2012年5月北から南へ見た。第44号踏切道だった。
踏切を渡りながら岩槻駅方面を見た。
踏切を渡って七里駅方面を見た。

2016年06月13日ブログで私はこの(青丸)踏切を北から南見た
この踏切は第41号踏切道だった。
41号踏切を渡りながら七里駅方面を見た。岩槻駅方面を見た。
踏切を渡って振り返った。

以上見てきた岩槻駅前後の踏切番号はこのようになる。
昭和24年の空中写真に現在存在する踏切を赤丸で、昔踏切があったと思われるところを青丸で示す。
青丸のところは現在のここ(青丸)だと思う。44号踏切と岩槻駅の間の青丸のところは現在立体交差になっている。
44号踏切北の立体交差を東から見た2012年5月の写真。切り通しの道だと思う。

岩槻駅南の立体交差を東から見た2011年10月の写真。同日反対側から見た写真


先ほど、42号踏切と48号踏切の間には昔5本の踏切があったと思われると書いた。これだと4本である。
昭和4年頃の地図を見る。この時代「いはつきまち」と表示されているところが現在の岩槻駅である。
この地図で踏切があったと思われるところはこのようである。
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明治22年の埼玉県管内全図 (3)

2016年09月23日 | 日記
明治22年の埼玉県管内全図に浦和町から安行村方面に延びる道がある。
中山道から日光御成道までを赤で示す

明治35年浦和町営業便覧の浦和町略図に中山道から東に延びる「清水屋横町」「越ヶ谷道」が表示されている。
大正3年の地図でその場所を見ると、浦和越ヶ谷道は「尾間木大門ヲ経テ越ヶ谷ニ至ル」と補足説明されている。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』に市内の主要道路が紹介されており、越谷県道についてはこのように案内されている。この案内の後半に明治のころの越谷道が案内されている。
この案内によれば、明治のころの越谷道は附島橋の手前で赤山街道と一緒になって日光御成道に出る。
私は先ほど明治22年の埼玉県管内全図に赤で示した道が明治のころの越谷道(日光御成道まで)だと思う。
大正3年の地図には「大門ヲ経テ越ヶ谷ニ至ル」とあったので、越谷道は日光御成道を左折して大門に向かったと思う。

日文研サイトデーターベース所蔵地図から大日本帝国参謀本部測量局の明治13年測量地図で越谷道と思われる道を中山道から大門まで辿ってみる。
5分割になった。5-15-25-35-45-5
大門から越谷までは2016年07月23日ブログでこのように推定した。
明治のころの越谷道を中山道から大門まで現在の地図に描くと、概ねこんな感じになると思う。

『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』の案内には「赤山街道と一緒になり、八丁堤を通って・・・」との記述がある。
以前、芝川に架かる八丁橋の袂で八丁堤の案内板を見た。案内板最後の “「赤山街道」の一部 ” というのは大体見沼代用水東縁から西縁の区間で、昔の見沼溜井の堤防道だということだと思う。
見沼たんぼのホームページ見沼たんぼの歴史に掲載の解説と図

明治22年の埼玉県管内全図で八丁堤あたりを見ると、川は見沼代用水東縁しか描かれていない。
見沼代用水西縁は本題ブログ(2)で触れたように、途中で高沼用水路に移った。芝川は初めから描かれていない。

見沼代用水東縁に架かる山口橋を東から見た2012年10月の写真。山口橋から上流を見た同日の写真
山口橋を西から見た2013年4月の写真。

芝川に架かる八丁橋を東から見た2012年10月の写真。西から見た同日の写真
八丁橋(歩道)から芝川下流を見た2013年4月の写真
見沼代用水西縁に架かる附島橋の袂から上流を見た2013年10月の写真
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大宮駅西口第四地区変化の片鱗 (2)

2016年09月22日 | 日記
本題ブログ(1)で「クスリはシロタ」の屋上看板のビルを見たが、その日そのビルを西側から見た
そのビルの西隣りのビルも「クスリはシロタ」の屋上看板があった。
平成11年大宮ソニックシティビル高層階から撮った写真のこのビル(赤枠)だと思う。

「クスリはシロタ」の屋上看板のビル南側を西から見た。
南に進んだ交差点で「クスリはシロタ」の屋上看板のビルを見た
東を見た。2014年11月06日ブログの写真。ちなみに、同ブログのこの写真先ほどの写真と同じ方面である。
東に進みながら左(北)駐車場を見た。
このマンション(赤枠)を見た
マンション前の駐車場から東を見た。

この駐車場は平成11年写真のここ(黄枠)で平成2年写真のここ(黄枠)だと思う。駐車場の南側に工事風景が見えるが、レンガ色のマンションを建設しているのだと思う。
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明治22年の埼玉県管内全図 (2)

2016年09月21日 | 日記
『明治二十二年四月改正 埼玉県管内全図』で現在のさいたま市域の北方面を見ると、瓦葺村3本の川が分岐しているように見える。
現在の地図を見る。3本の川は右(東)から綾瀬川、見沼代用水東縁、見沼代用水西縁である。
見沼代用水は綾瀬川と立体交差して二又に分かれる。

2012年4月、私は見沼代用水東縁・西縁の分岐点を訪ねた。
東縁左岸から用水を見た。左が下流、右が上流。手前が東縁、奥が西縁。
右(上流)を見た。上流の綾瀬川の下をくぐっているので水面は見えなくなる。
水路が地下に入ったところの地上から下流を見た。

半回転して上流を見た。綾瀬川が見えた。
ここで左(綾瀬川上流)を見た。右を見た。橋が見える。

その橋を渡りながら私が歩いてきた方面を見た。
反対側を見た。レンガの構造物があった。
橋を渡ってレンガの後から対岸を見た。

このあたりを現在の空中写真で見る。
昭和22年の空中写真を見る。見沼代用水は綾瀬川の上を流れ、流路も現在とはちがう。
現在の空中写真に旧流路を真似て描くとこんな感じになると思う。

上尾市Webサイトあげお写真館を拝見すると、瓦葺の掛樋(かけどい)が案内されている。
レンガ製の橋脚台に架けられた掛樋は明治41年製ということであるから、明治22年の埼玉県管内全図が製作された時代はこの掛樋ではないはずである。
平成20年さいたま竜神まつり会発行『見沼と竜神ものがたり』に掲載されている瓦葺の「掛渡井」挿絵
明治41年製掛樋が架けられる前の流路は黄色のようだったと思う。そうであれば現在の流路と同じであるが、綾瀬川の上か下かの違いである。

明治22年の埼玉県管内全図に描かれた3本の川のうち、見沼代用水西縁を下流に辿っていく。
最後(赤丸)は新開を通って上内間木の荒川に合流している。
ここは現在地図のこのあたりになると思う。見沼代用水西縁の下流ではない。

明治22年の埼玉県管内全図に描かれた見沼代用水西縁は北袋のあたりから西に進路変更して鉄道を越える。
ところが、見沼代用水西縁は北袋を基本的には北から南へ流れている。
西に進路変更するのは支流の高沼用水路である。

中山道から分岐した川越道(赤)と高沼用水路(青)が交差するところには現在橋戸橋架かっている。
2016年08月25日ブログで橋戸橋の上から上流を見た。下流を見た。
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明治22年の埼玉県管内全図 (1)

2016年09月20日 | 日記
明治22年6月発行『明治二十二年四月改正 埼玉県管内全図』で現在のさいたま市域南方面北方面を見る。
明治22年は市制町村制が施行された年で、旧浦和市域の場合は町村合併表赤で囲んだ町村が誕生した。
明治13年地図赤枠で示した六つの村は六辻村になった。

埼玉県管内全図に2本線で描かれた太い道がある。鉄道と並行する道は中山道で、右側の大門村を通過する道は江戸時代の日光御成街道で、この地図には岩槻道と表示がある。左の方に川越道もあり、中山道は中仙道と表記されている。
中山道から太い道(2本線で描かれた道)が分岐する三差路(分岐点)を赤丸で示す。
下(南)から、鉄道の直前で左に分岐する道は「川越道」で与野町を経由して川越町に向かう。
鉄道を通過して右に分岐する道は「岩槻道」、大宮の上(北)で右に分岐する道は「原市道」と思われる。
岩槻道を進むと日光御成街道(東京からの岩槻道)に合流(青丸)する。
中山道から分岐して日光御成街道に合流する道を明治の迅速測図で辿るとこのようなると思う。

迅速測図で中山道から岩槻道が分岐するところを現在の地図に示すとこのようになると思う。
本年8月の写真と4月の写真
また、迅速測図で日光御成街道に合流する交差点(赤)を現在の地図に示すとここ(赤)になると思う。
2013年12月、私はこの交差点を通りかかって道標見た
この道標の傍らにもうひとつの古い道標があった。案内板「日光御成道と道しるべ」の文字は不鮮明であったが、終わり4行は次のように読めた。
“ 当地に残る石の棒杭は地上部の高さ約65cm、正徳3年(1713)の造立で、碑面には判読が難しいものの江戸道・岩槻道・慈恩寺道・原市道・川口善光寺道などと刻まれています。
ここから南は東宮下、膝子を経て浦和市大門へ、北は国道16号を横切り大橋で綾瀬川を越えて岩槻に入ります。西は風渡野・蓮沼・大和田を通り、大宮の街中へと通じています。 ”
2013年12月、赤矢印のように見た。県道を横断、日光御成街道手前で振り返った南を見た

迅速測図には道標の交差点の西に半縄河岸(黄枠)と表示された場所がある。
半縄河岸のところの橋(赤丸)を2013年8月西から東へ見た
橋名は旧半縄橋だった。
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鴨川第一調節池を昔の地図で見る

2016年09月19日 | 日記
2016年09月13日ブログで私は鴨川第一調節池の付近をこのように歩いた。
県道2号(旧国道16号)の鴨川に架かる橋(加茂川橋)の上で上流を見た。
この橋の場所を大正13年の地図に赤丸で示す。橋の上流は川幅が広く、沼のようにも見える。
現在の県道2号とほぼ重なる道は川越新道で、この頃は西武大宮線の線路道でもあった。沿道にひらがなで「うちの」「なみき」「おほなり」と表示されているところは西武大宮線の駅だと思う。

昭和24年の地図を見る。鴨川は改修され、川幅は一定になった。
大正13年の地図に改修後の川筋を描くとこのようになると思う。
昭和52年の地図を見ると、鴨川の西に並行する小さな川がある。青で強調する。
この川を大正13年の地図に描くとこのようになると思う。鴨川が沼のように幅が広かったころ(改修前)の西側の線と大雑把に重なる。
現在の地図にその川を描くとこのようになると思う。

鴨川と鴨川第一調節池を大正13年の地図に青で描くと大体こんな感じになるのではないかと思う。
そして2016年01月10日ブログで触れた鴨川第二調節池は下の方、こんな感じになるのではないだろうか。
いずれも、かつては沼のようなところだったと思う。

明治18年頃の地図を見る。川越新道はまだなく、赤丸は並木橋である。鴨川は数個の沼の連続になっている。
現在の第一調節池および第二調節池あたりと思われるところを青で示す
紀州御鷹場村絵図の並木橋(赤丸)の上流は「並木沼」と表示されているが、並木村、櫛引村に隣接する大きな沼である。
明治18年頃の地図で並木村、櫛引村に隣接する範囲を見ると、江戸時代の並木沼はこのくらいの大きさではなかったかと想像してしまう。
ちなみに紀州御鷹場村絵図で鴨川流(青枠)と表示されるのは藤橋(赤丸)の下流である。
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一の宮通り(大宮東口)の夜景

2016年09月18日 | 日記
夜のとばりが下りて、旧国道16号の氷川参道入口信号交差点岩槻方面を見る。
旧16号の向かい側を見る。
私は大宮駅方面に向かう。

左手のオレンジスクウェアさんを通過する。
旧国道16号(県道2号)から分岐して、一の宮通りに入る。
中華飯店珍楽さんと堀自転車店さんを通過して振り返る

右手のREAL JAMさんを通過し、三井のリパーク駐車場を通過する。
やき屋おたふくさんを通過し、三差路を直進しながら右を見る。

左手の大西屋さんを通過し、三差路を直進しながら右を見る。宇治病院さんの看板をアップする。
左手のブルーハウスさんを通過する振り返る
大宮演劇鑑賞会入口を通過し、右手のBoo-Bee(コスモプレイス一ノ宮)さんを通過する。

交差点を直進して振り返る

一の宮通りを進み、右手の京染・呉服藤屋さんとモンクール宮町ビルさんを見る。
右手のgoleadorさんを通過し、十字路直進する左を見る振り返る
直進して振り返る。

右手のホテルO・M・Yさんを通過、美容室IKA(アイカ)さんの前で振り返る

中山道の交差点(一番街)に突き当たる。振り返る
交差点で突き当たりを見る
一の宮通りを横断し、続いて中山道を横断する
一番街商店街通り入口で振り返る。

商店街入口の角を見る。中山道側に歩道が開通している。
2011年9月の写真
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大宮駅西口第四地区変化の片鱗 (1)

2016年09月17日 | 日記
昭和32年頃大宮鳥瞰図で大宮駅の左を見ると国鉄大宮工場と表示されているところがある。
平成17年発行『大宮駅120年のあゆみ』所載の昭和34年大宮操車場の奥に国鉄大宮工場が写っている。
そのあたりを平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集 さいたま』所載の平成3年の鳥瞰写真で見る。

その鳥瞰写真で大宮駅西口を見る。
写真の奥にそごうさんが見え、手前中央にカネボウさんの屋上看板が見えている。
平成元年3月そごうさんの屋上から撮った写真。右よりにカネボウさんが見えている。
その一年後ほぼ同じ方向を撮った。カメラを右に振った。
平成7年頃の鳥瞰写真を見る。中央の自転車置場は平成2年そごうさんの屋上から撮った写真のすぐ下に写っていると思う。
平成11年大宮ソニックシティビル高層階から撮った写真
Bing地図の鳥瞰写真を見る。先ほどの自転車置場あたりに呉竹医療専門学校が建っている。
呉竹医療専門学校の南で西から東を見た平成22年3月写真。その頃と思われるBingの鳥瞰写真アップする。
平成22年10月の写真。
平成23年7月、仮囲い中を見た調整池築造工事行っていた。
反対側を見た。
平成22年10月のこのあたり平成23年12月の写真で見る。
「クスリはシロタ」の屋上看板のビルを通過した
西を見た。

現在の風景(2016年08月03日ブログ)。
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昭和32年頃大宮鳥瞰図を見る (2)

2016年09月16日 | 日記
昭和32年頃大宮鳥瞰図で大宮駅付近を見ると、大宮駅と市役所の中間に「郵便局」と表示されたところがある。
年表の昭和41年(1966)に、
・大宮郵便局が東大成町に移転
・新市庁舎が完成
とある。
旧大宮市庁舎の写真
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の昭和42年 大宮駅東口駅前 中央通りを見る
青矢印が新市庁舎だと思う。赤矢印のビルは屋上に看板が建っているように見える。
新市庁舎建設中の昭和40年の写真。2010年7月の写真。

大宮市役所屋上から大宮駅方面を見ている昭和43年頃の写真に写っている屋上看板をアップする。
「日本勧業銀行」のように見える。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の昭和44年 大宮駅東口駅前 市庁舎屋上から東口を望むを見る。屋上看板は「太陽銀行」に変わっている。
昭和61年発行『新風土記埼玉』所載の大宮市都市銀行ラッシュの写真を見る。手前から三菱銀行、太陽神戸銀行、三和銀行の順に並んでいると思う。3階建てのビルが太陽神戸銀行だと思うが、先ほどの赤矢印のビルはこのビルではないかと思う。

彩の国デジタルアーカイブ写真検索で「大宮郵便局」を検索すると2件がヒットする。
昭和25年頃撮影の大宮郵便局。昭和9年頃の大宮郵便局。
現在の写真
昭和39年10月6日、東京オリンピックの聖火リレーが郵便局前を通過した。
大きいサイズ。2013年2月の写真。奥に大一ビルが見える。
大一デパートは昭和37年10月にオープンしている。
現在の夜景。


昭和32年頃大宮鳥瞰図に信号機は描かれていないが、年表には、昭和29年(1954)中山道と中央通りの交差点に信号機を設置、とある。そして昭和46年(1971)大宮駅前通りと中山道の交差点が県内初のスクランブル交差点となる、と記述されている。

大宮警察署の表示を赤枠で囲む。
昭和8年8月発行大宮町全図の警察署を赤丸で囲む。隣りに火の見櫓が建っていた。
昭和9年頃大宮警察署の写真
大宮市閉市式記念誌『大宮記念帖』所載の自治体警察大宮市警察署
大宮町全図の警察署の場所を現在の地図に示すとこのあたり(赤丸)になると思う。2010年10月の写真。
年表の昭和31年(1956)に大宮警察署の新庁舎が土手町に完成、とある。
現在の大宮警察署のあたりを昭和32年頃大宮鳥瞰図で見ると、大宮警察署と書かれているようである。
ちょうど大宮警察署が移転する時期と大宮鳥瞰図の作成時期が重なり、新旧警察署を表示したのかも知れない。
2010年10月の埼玉県大宮警察署
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昭和32年頃大宮鳥瞰図を見る (1)

2016年09月15日 | 日記
さいたま市立博物館刊行『第31回特別展 鉄道の街さいたま』所載の昭和32年頃の大宮鳥瞰図を見る。継ぎ目は私が手を加えた。
大宮駅付近を見る。
東口駅前に「コヤマ食堂」の表示がある。
2016年02月29日ブログで私は「コヤマ食堂」について触れた。それによれば、終戦後から昭和48年まで営業していた。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の旧大宮市域 昭和38年4月 大宮駅東口駅前を見る。画面左端にコヤマ食堂さんの看板がほんの少しだけ写っている。
昭和30年代の写真を見る。左端にコヤマ食堂さんの店舗が少し写っている。
大宮の写真集に所載のコヤマ食堂(昭和30年頃)。
現在の大宮東口駅前の夜景。コヤマ食堂さんの場所にはマツモトキヨシさんがある。

2010年7月の写真

昭和32年頃大宮鳥瞰図の大宮駅の左に陸橋が描かれている。大栄橋だと思われるが、昭和32年というと大栄橋はまだ出来上がっておらず、鳥瞰図の橋の形が出来上がったものと異なっているのは想像で描かれたものかも知れない。
大栄橋東詰南側に「武蔵野銀行本店」の表示がある。
昭和34年の写真で工事中の大栄橋あたりを見る。写真は左が大宮駅で手前が大栄橋東詰である。
大栄橋の右に跨線橋(歩道橋)が見える。昭和30年頃の跨線橋のキャプションによればこの跨線橋は昭和13年に設置された。正面の煙突は大宮工場のものということで東から西を見ている写真である。
この跨線橋の下には川越新道踏切があった。昭和30年頃の川越新道踏切の写真はおそらくこの跨線橋の上で撮った。後年の大栄橋東詰南側が写っている。ここ(赤枠)は「武蔵野銀行」と書いてあるのではないだろうか。
昭和32年頃の建設中の大栄橋にも東詰南側が写っている。該当部分をアップする
私はこれが武蔵野銀行本店の建物だと思う。先ほど見た昭和34年の写真の左下(黄矢印)にちょっと写っているのがそこだと思う。
大栄橋完成時の写真の右端(赤矢印)にも写っている。

武蔵野銀行さんのホームページから沿革を拝見すると、
昭和27年4月、本店を大宮市(現さいたま市)に置き8か店で開業
昭和44年8月、新本店(現在地)完成
とある。
昭和54年発行清水秀夫編著『埼玉県現代史』にこういう記述がある。
従来の本店は現在大宮支店として営業しているという。
2011年5月、大栄橋から見た武蔵野銀行大宮支店。
同日大宮銀座通りから見た武蔵野銀行大宮支店。
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さいたま新都心の新病院用地の25年前

2016年09月14日 | 日記
2016年09月06日ブログで私はさいたま新都心の新病院を一周した。
新病院の場所をGoogleマップで見る。航空写真に切り換える。
病院工事着工前の鳥瞰写真(Bing地図)を見る。右下の建物は日信電設さんだと思う。
昭和53年に出版された本に掲載の鳥瞰写真を見る。右下の白い建物は日信電設さんだと思う。
日信電設さんのホームページから会社沿革を拝見すると、“ 1972年12月 現所在地に本社新社屋を新築 ” とある。
昭和52年の地図には現在の新病院のところは大宮貨物駅と出ている。
撮影の方向が異なる昭和57年頃の鳥瞰写真を見る。右上の白い建物が日信電設さんだと思う。
平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集 さいたま』に掲載の平成3年の鳥瞰写真を見る。右下の建物は日信電設さんだと思う。

2015年02月26日ブログに平成元年5月私が大宮ソニックシティビルから大宮操車場を撮った写真がある
その写真の右の方に日信電設さんが写っている。そして赤丸のあたりでソニックシティビルを見るとこのようだった、と書いた。自分で撮った写真でありながら、私はこの写真をどこで撮ったのか記憶になく、そのように書いた。
ところが、平成3年の鳥瞰写真私の写真を照合すると、県民共済さんのビル右側面(東側)が写るためには、黄線の右側でなければならない。日信電設さんの前の道(黄)を歩きながら、望遠で撮ったのではないかと思う。

2015年02月26日ブログのこの写真赤矢印方向で、黄矢印方向はこの写真になると思う。

青のように高沼導水路が流れている。
2016年03月24日ブログの高谷橋から上流を見た写真。
2016年09月06日ブログの新都心側から下流(高谷橋方面)を見た写真。平成2年4月の写真
平成3年の鳥瞰写真で空地(黄丸)のところを昭和57年頃の鳥瞰写真で見ると団地のような建物がある。
平成元年4月の写真
現在の写真
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