咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

いずみ高校の地にあった農民講道館

2017年06月27日 | 日記
昭和9年(1934)大宮鳥瞰図で大宮駅の南側西方面を見ると「農民講堂館」と表示されたところがある。
ここは一文字違うが「農民講道館」のことだと思う。
農民講道館について、昭和56年与野市発行『与野市史 近代史料編』にはこのように解説されている。
横尾惣三郎が昭和9年3月与野農工高等学校の地に創設した農業学校で、生徒は全員入塾、共同生活をしながら農業経営の実際を体得させる画期的な農学校として全国から注目されていたという。
農民講道館全景
昭和11年5月に落成した鉄筋3階建の白亜の実際試験場

『与野市史 近代史料編』の解説の後段に “ 戦後も横尾は、道場教育を中心とした農業専門学校を新設するなど・・・ ” との記述があるが、ウィキペディア農民講道館農業短期大学で沿革を見るとこのようである。
廃校後に跡地と施設が転用された埼玉県立与野農工高等学校は、平成11年(1999)埼玉県立いずみ高等学校と改称した。
ヤフー地図に、いずみ高等学校を赤枠で示す。

昭和63年与野市発行『与野市史 通史編 下巻』には設立当初の来館者の顔ぶれについて触れられている。
昭和9年4月22日に開催された農民講道館の評議員会・理事会には日本勧業銀行総裁馬場鍈一らの有力者も顔を揃えていた。
昭和9年5月12日の開館式並びに落成式には後藤文夫農林大臣、鈴木喜三郎政友会総裁、床次竹二郎(前鉄道大臣・後逓信大臣)など政財界人400名が参集したという。現職の大臣が与野町に来たのは始めてのことだった。
昭和9年5月12日視察の写真
昭和9年5月14日には陸軍教育総監真崎甚三郎大将が来館し館生に激励の講話をした。
昭和10年6月1日には大蔵大臣高橋是清が視察に訪れた。
昭和10年6月1日視察の写真
高橋是清は翌年の二・二六事件で命を落とす。1年前に来館した真崎大将は二・二六事件の黒幕ではと疑われた。
昭和10年6月には、その後も7日に前内閣総理大臣斉藤実が、20日に拓務大臣児玉秀雄が参観に来た。児玉秀雄は司馬遼太郎の『坂の上の雲』に出てくる児玉源太郎の長男だと思う。

昭和29年「建学の碑」と横尾惣三郎(創設者)。
平成23年2月いずみ高校で撮影の建学の碑
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さいたま市にあった京北歯科学校

2017年06月26日 | 日記
昭和9年大宮商工並ニ名勝案内地図で大宮駅東口の南側、南銀座通りを南に辿ると京北歯科学校がイラスト入りで表示されている。
京北高等歯科医学校については、昭和57年発行『大宮市史第四巻近代編』にこのように紹介されている。
これによれば、大正15年10月現在の浦和市岸町に開校し、昭和6年1月大宮に移転した。病院も併設された。そして昭和14年12月には再度現在の浦和市文蔵に移転した。京北高等歯科医学校が大宮にあったのはおよそ9年間だった。

昭和9年大宮案内地図には京北歯科学校の東側、中山道沿いに松亀商店さんがある。
現在の地図の松亀センタービルのところだと思う。そうすると、京北歯科学校このあたりにあったと思う。
グーグルアースでそのあたりを見る。

京北高等歯科医学校について大宮市史には “ 大正十五年十月一日、現在の浦和市岸町七丁目五番地で授業を開始した ” と記述されている。
現在の浦和区岸町七丁目五番はこのあたり(赤囲み)になる。さいたま共済会館がある。
昭和7年最新浦和町案内全図でそのあたりを見ると、ここ(緑囲み)に不鮮明ながら「京北歯科医院跡」と読めるところがある。昭和7年の地図だから大宮に移転している。
周辺の道路(赤)を現在の地図で照合すると、京北歯科医院跡と思われるところはさいたま共済会館の場所ではない。浦和区岸町七丁目六番だと思う。
さいたま共済会館の場所は電燈會社(白囲み)ではないかと思う。

大宮市史には “ 浦和で大正九年開業 ” という記述があるのだが、これは京北歯科医院のことだと思う。
そして大正15年に、路地をはさんで隣接する地に京北歯科学校を建てたのだと思う。
そうであれば、京北歯科学校が大宮に移転した後、その跡地に電燈會社が入ったということもありうると思う。
赤矢印方向を2016年7月ストリートビューで見る
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岩槻の丸山記念総合病院付近にあった道

2017年06月25日 | 日記
明治35年の埼玉県営業便覧の岩槻町略図を見る。
明治13年の迅速測図を見る。
岩槻町略図に赤で示した道を明治13年の迅速測図に示すとこのようになると思う。
現在の地図ではこのようになると思う。
大正6年岩槻市街図にその道を示すとこのようになると思う。

2017年06月17日ブログで私はこのような道筋を綴った。丸山記念総合病院さんの近くを歩いた。
丸山記念総合病院さんのホームページで病院沿革を見ると “ 明治29年(1896年)12月 丸山醫院開設 ” とある。
岩槻市史の新聞史料に、明治44年9月1日『関東新報』の<岩槻商店評判調べ>というタイトルの記事が紹介されており、丸山医院さんはこのように触れられている。院長丸山五郎氏同町の名医とある。
また、明治45年2月5日『関東新報』には特設電話開通の記事が載った。医師丸山五郎氏の電話番号は五番で、「五郎さんは五番」覚えやすかったと思う。
ウィキペディア丸山五郎によれば、明治5年埼玉県北足立郡吹上村(現在の鴻巣市)で生まれ、丸山正吉の養子となった。
明治35年の岩槻町営業便覧を見ると、新町と新町横丁の三差路交差点近くに「醫士 丸山吉正」の名前がある。丸山正吉とよく似た名前である。

丸山記念総合病院さん近くの道を迅速測図で見ると2本(緑)ある。丸山医院はまだない。
丸山医院開設後の大正6年の地図を見るとこのようである。たくさんの道が出来た。
現在の地図にたくさんの道を真似して描いてみた。

天保時代の地図に先ほど赤で示した道を描くとこのようになると思う。
新町の下に寺院が三つある。左は彌勒密寺、右は眞浄寺で今もある
真ん中は「光明院」ではないかと思う。
岩槻大師ホームページの彌勒密寺略縁起を拝見すると、“ 当山を中心に古ヵ場地区に栄福寺、箕輪に智証院、渋江に東光寺、観音寺、新町に光明院、市宿に西光寺と数ヵ寺の本寺としてその偉容を示す。明治の廃仏毀釈の法難により現在は西光寺を残すのみとなる。” との記述があり、新町に光明院があったことがわかる。
光明院跡地は現在丸山記念総合病院さんの敷地の一部になっているのではないかと思う。
大正6年のこの道(緑)は迅速測図のこの道(緑)で光明院の参道だったかも知れない。
現在のこのあたり(太緑)だと思う。
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南区白幡・別所から中浦和駅まで

2017年06月24日 | 日記
昨日のブログは南浦和駅から赤矢印まで歩いたところで終った。
その後私はこのような道筋で埼京線中浦和駅まで歩いた。
今日のブログは昨日の続きです。

旧中山道を浦和方面に向かい、信号交差点左折する
左折して右を見る振り返る
右に移動して井戸を見る。案内板
関元屋商店さんを通過して振り返る。

西に向かい、稲荷社を通過、三差路を直進して振り返る

三差路左を見る。直進して振り返る
三差路右を見る
次の三差路で左を見る。白幡中学校をアップする。
グーグルアース見る
十字路を直進し、南区白幡2-19の電柱で振り返る

次の交差点左を見る。埼玉県立浦和商業高等学校正門。
平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』に掲載の昭和14年度市勢要覧所載浦和商業学校
右を見る。

この道は県庁坂下をよこぎることから昭和43年坂下通りと名付けられた。
交差点を直進して振り返る。星野浦商前駐車場看板

三差路を一旦左折して、突き当たりでグランドを見る。奥に見えるタワーマンションはミューズシティザファーストタワーさん。グーグルアースで見る。
もとの道にもどり、横断歩道の左から右を見る。さいたま市立岸町小学校。
左を見る。白幡緑道。
南区別所1-23の電柱で振り返る
三差路左を見る
次の三差路を直進して振り返る。


坂を上がり、国道17号の信号交差点を直進する左を見る
17号を横断して右を見る
西に向かう。振り返る

南区別所2-2の電柱で右を見る
十字路を直進しながら左を見る
点滅信号交差点で左を見る
直進して振り返る

西に進み、浦和別所郵便局通過する
点滅信号交差点で左を見る。

直進して振り返る
十字路右を見る振り返る
下り坂になり、別所2-38の電柱で振り返る
坂の下信号交差点左を見る右を見る振り返る

信号交差点を直進、右にカーブして振り返る
西に進み、交差点を直進しながら右を見る。花と緑の散歩道。
左を見る振り返る。西に向かう

左手の野方ふれあい公園で振り返る。

標示板を通過し、三差路を直進しながら右を見る。コスモ武蔵浦和パークステージさん。
ガード下の十字路を直進し、すぐ右折する
ガード沿いを進みながら「薬」看板をアップする。

交差点をガード沿いの道に進み、ここ振り返る西を見る
ガード下は工事中である。2016年8月の写真。イオンバイク中浦和店さんがあった。
ガード沿いを進み、県道40号で右を見る振り返る
左の横断歩道渡る
JR埼京線中浦和駅に入る。

階段上がった。
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南浦和駅から南区白幡まで

2017年06月23日 | 日記
南浦和駅改札口を出て右折する。
西口を出て右折する振り返る
ここで左を見る。

駅前広場を反時計回りに進み、突き当たり右のガード沿いを西に向かう
次の交差点で一ツ木通りを横断しながら右を見る。先日電車から見た
ガード北側を西に向かう。振り返る
右手の風景を先日電車から見た

十字路左を見る。直進して振り返る
三差路右を見る
直進して西に向かう。

三差路を直進して振り返る
十字路右を見る左を見る。直進して振り返る
ガード沿いを進み、右手神明丸公園入る振り返る
公園を北に進み、右角で新築マンションを見る。
2015年9月30日写真。プラウド南浦和神明さん。
振り返る
神明丸公園を出て西に向かう。

十字路を直進して振り返る
坂の上の十字路を直進して振り返る
十字路奥のタワーマンションをアップする。

ミューズシティザファーストタワーさんをグーグルアースで見る。
十字路で右を見る左を見る
直進して西に向かう。振り返る
坂道を下り、十字路を直進して右を見る振り返る
左に見える武蔵野線「トンネル」をくぐる地下道

西に進み、十字路右折する。振り返る。

左手の田中ひとみモダンバレエスタジオさんを通過する
突き当たりの階段を上がっ振り返る
左折して振り返る

交差点左を見る。旧中山道蕨方面。振り返る右折する
旧中山道を浦和方面に進み、道路案内標識をアップする。振り返るる。
信号手前右を見る振り返る
田島通りを横断して右を見る振り返る。左を見る。

旧中山道を浦和方面に向かう。

左手の金子薬舗さんを見て、振り返る
ゆるい左カーブを進み、三差路右を見る
直進し、ここ振り返る
右手のクラウンの森 ArrowFarmさんを通過する

交差点を直進しながら左を見る
軒を並べる店舗を通過して右を見る。振り返る。

南浦和駅からこのように歩いてきた。
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奈良町の百箇所供養塔から慈恩寺への道

2017年06月22日 | 日記
前日ブログは北区奈良町のこの交差点にある秩父西国坂東百箇所供養塔の道標「西 あきは道」についてみた。
本日はこの道標の「東 阿けをみち」「いわつき道 ぢおんじ道」についてみてみたい。「いわつき道 ぢおんじ道」の方位は文字で示されていないが、供養塔(道標)の正面が東を向いていることで示されていると思う。

秩父西国坂東百箇所供養塔の百箇所の内訳は秩父三十四箇所、西国三十三所、坂東三十三箇所であるが、坂東三十三観音公式サイトを見ると、埼玉県に4箇所あり、さいたま市には1箇所ある。岩槻区の慈恩寺観音である。
2016年10月撮影の寺号標石。本堂。


迅速測図で百箇所供養塔から岩槻の加倉までの道を赤で辿るとこのようなると思う。右端は現在のこのあたりになる。この道は日光御成道である。
「阿けをみち」は上尾道と思われるが、百箇所供養塔から東へ進み、中山道を左折し、赤丸の交差点を右折しないで直進すれば、上尾宿である。

中山道の東方面の道は現在のどのあたりを通っているかをみるため、迅速測図に目安線を引き、現在地図に同じ地点と思われるところで目安線を引いた。
迅速測図の加倉方面のこの交差点(赤丸)は現在のここだと思う。

迅速測図で日光御成道を日光方面に進み、元荒川を渡り、諏訪神社先の三差路を右折すると慈恩寺観音がある。
日光御成道から慈恩寺観音までの道は現在のこの道だと思う。
2016年10月23日ブログでこの交差点(赤丸)を南から見た
角の石仏正面下は道標になっていた。「是より右慈恩寺道」と彫られていると思う。

天保14年(1843)の日光道中絵図で「諏訪社」「上野村」の左(日光より)を見ると、慈恩寺方面に延びる道があり、石仏らしきものが描かれている。この石仏かも知れない。
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北区奈良町の秩父西国坂東百箇所供養塔

2017年06月21日 | 日記
2017年06月11日ブログで私はこのような道筋を綴った。
赤丸の交差点で東を見た西を見た南を見た北を見た
北側西の角に石仏があった。

左の石仏は明治三庚午年(1870)建立の馬頭観世音だと思う。
右の石仏は秩父西国坂東百箇所供養塔で道標を兼ねている。
平成15年発行『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』にはこの石仏について “ 文化10年(1813)に百か所巡礼の成就を記念して建立したもの。碑面に「西 あきは道 東 阿けをみち いわつき道 ぢおんじ道 南 与野道」と彫られている ” と解説されている。
左側面を見る。南 よのみち 文化十癸酉年閏十一月吉日。
右側面を見る。東は「阿けをみち」だけで「いわつき道」「ぢおんじ道」は正面に彫られている。

『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』には “ 秩父・西国・坂東百箇所供養塔の右手に残る細い道が「あきは道」だ。重い荷車が通行できるよう傾斜がゆるやかにつくられ、鴨川へと下っていく ” との記述がある。
2017年06月09日ブログで鴨川に架かる中橋を西から東へ渡ったのだが、西を見ると秋葉道の標柱があった。
『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』の “ 百箇所供養塔の右手に残る細い道 ” というのはこの道だと思う。
2016年07月17日ブログで私は西区指扇の百ヶ所供養塔について触れたが、この百ヶ所供養塔も「あきは道」を案内していた。

明治の迅速測図を見る。この道現在この道に継承されているように思う。
迅速測図に秩父西国坂東百箇所供養塔から秋葉神社までの道筋を赤で示すとこのようになると思う。赤丸が秋葉神社と思われる場所である。
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西区高木~指扇領別所~指扇駅

2017年06月20日 | 日記
昨日のブログは西大宮駅から赤矢印まで歩いたところで終った。
今日のブログは昨日の続きを綴ります。

滝沼川沿いの道を西に向かい、右を見振り返る
ここ振り返る
左の滝沼川に接近し、前を見て左を見る。

私は右岸で、滝沼川の水面は草に隠れている。左岸の向こうに地下トンネルが見える。
振り返る
次の三差路左折する振り返る
滝沼川に架かる橋の上で振り返る
右(下流)を見る。左(上流)を見る。

橋を渡って、交差点左折する
先ほど見たトンネルの上(左岸)で右岸を見る。
半回転して、滝沼川第2遊水地案内板の前で振り返る
遊水地のしくみ。先ほど私は越流堰見た

東に進んで右折する振り返る
南に進んで、増水時越流堰から池に入るところを見る。
2013年11月、近くでそこ(トンネル出口)を見た。上から見た
西を見る。

ライオンズマンション大宮指扇さんが見える。右から壱番館、弐番館、少し見えるのが参番館。
南に進みながら、ネットの四角い穴からグランドを見る。
ネットがなくなって左折、階段に向かい、左を見る振り返る
階段を上がって、堤防道の左を見る右折する

木橋を渡る。
展望スペースで振り返る
北を見る。南を見る。

木橋を渡り、出口に向かいながら振り返る
滝沼川第2遊水地を出て西に向かう。振り返る
西に進み、突き当たりで振り返る右を見る左折する

三差路で左(宮脇公園)を見る。右を見る
直進し、上り坂振り返る
駐車場を通過して振り返る。

南に進み、丁字路振り返る左折する

右カーブし、ここ振り返る。鳥居の扁額は八幡宮
十字路左を見る右を見る。直進して振り返る
南に進み、三差路を直進しながら右を見る
突き当たりの交差点手前の三差路を右折する
右折して振り返る

下り坂を進み、三差路で振り返る。

前方の電柱で振り返る
丁字路に突き当たって振り返る右を見る左折する

西に進み、県道の交差点に向かう。2016年8月ストリートビュー
三差路右を見る。ここにあった店舗を2012年8月ストリートビューで見る。
振り返る。2016年8月ストリートビュー

県道を左折して南に向かう。
指扇領別所322の電柱脇にお堂がある。
電柱を通過するトリトマが咲いている。

三差路を直進しながら左を見る
直進して振り返る2011年2月に見た埼玉栄高等学校の看板。西大宮駅ができる前は指扇駅が最寄り駅だった。
三差路を右折しながら平方新道踏切見る
右折して振り返る

線路端を進みながら左を見る
指扇駅突き当たる。
右折して左折する
駅舎に入る。
改札口の階まで上がり、展望デッキからライオンズマンション大宮指扇さんを見る。

昨日のブログの終わり(赤矢印)からこのように歩いてきた。
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西大宮駅から滝沼川沿いを高木まで

2017年06月19日 | 日記
JR大宮駅21・22番線地下ホームで北与野駅方面に遠ざかる埼京線電車見る
21番線から川越行に乗車する。
日進駅と西大宮駅の間で鴨川に架かる前原橋を見る。
2015年04月14日ブログの前原橋から川越線鉄橋を見た写真

西大宮駅で降り、改札口を出て左折する
突き当たりで北を見る。2011年2月の写真

西の階段を下りる
駅前広場を時計回りに進む。振り返る
駅前広場の西から東を見る。西大宮どんぐり保育園さんを見る
交差点を直進し、アルディロード振り返る

右手カルガモが居る。
右にカーブして北に向かう。


信号交差点左に横断し、歩道橋に上がる。
踊り場で西を見る。西大宮駅方面を見る。
半回転して歩道橋を渡る
渡りながら右を見る左を見るアップする。
歩道橋の階段を下りる
踊り場で北を見る。2011年12月写真


歩道橋を下りて右折する
西に向かいながら右を見る
西に進み、交差点振り返る右を見る。都市計画道路 3・4・15 大谷場高木線だと思う。
左を見る
直進して右を見る

西に進むと、歩道は本線から右に外れる。2012年7月の写真
右を見る振り返る
坂道を下りながらクズの葉を見る。

右手の風景を見る。
坂の下で造成工事看板を見る
右を見る左を見る
西に進んで振り返る

新設三差路を直進しながら右を見る。

左手の建設現場をアップする。振り返る

西に進み、滝沼川に架かる橋を渡る。橋の上で上流を見る。
2012年7月の写真
橋の近くカルガモが居る。
振り返る
下流方面を見る。
西に進み、ここ右を見る。森をアップする。振り返る。


左手の指扇小学校を見る
十字路を直進し、ここ振り返る
次の十字路右を見る
直進して振り返る
西大宮駅からこのように歩いてきた。
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岩槻区本町~駅前通りバス停~岩槻駅

2017年06月18日 | 日記
前日ブログは、6月16日まち歩きの続きを赤矢印まで綴った。
その日私はそこからこのように歩いて岩槻駅にもどった。
本日のブログは6月16日まち歩きの最終回を綴ります。

新町通りを北に向かい、信号交差点を直進(横断)して右を見る
振り返る左折する。2011年10月の写真
駅方面に進んで、左を見る。振り返る。


右手の駐車場に入って、駅方面に向かう。
振り返っヒロセスポーツさんをアップする。
駐車場を進んで左折する振り返る
左折して振り返る左を見る右折する
細い道を進みながら振り返る
旧16号(日光御成道)に出て振り返る。右を見る。

左折し、信号交差点を右折する

旧16号(国道122号・県道2号)を横断しながら右を見る
プチきゃぷてんさんを通過する。振り返る。筋向かいを見る
右手の空地を通過して振り返る
2011年1月のストリートビューを見るとえいこう寿司さんがあった。

バス停駅前通りを見る。

十字路を直進し、ここ振り返る
信号交差点左を見る
直進して左を見る振り返る

駅方面に進み、ここで郵便ポストを見る。右に振る
横断歩道左を見る
通過して振り返る
岩槻駅を見る。2011年12月の写真

右折して、東玉人形ビル人形の博物館案内板を見る。振り返る
ここ左を見る
駅前広場を反時計回りに進み、岩槻駅東口(北側)に入る。
振り返る

2階(改札階)ガラス窓から東口駅前北側を見る。
改札口を入って振り返る
ホームに降りて西を見る左に振る右に振る
東口駅前方面を見る。アップする。

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市宿バス停~弥勒密寺~新町通り

2017年06月17日 | 日記
昨日のブログは岩槻駅から赤矢印まで歩いたところで終った。
今日のブログはそこからの続きを綴ります。

日光御成道を加倉方面に向かい、郵便ポスト横の案内板を見る。高札場と市宿通り。
道路向かい側のカネコの人形さんを通過する。
峯小児科さんを通過し、横断歩道を渡りながら右(加倉方面)を見る。

加倉方面に進んで振り返る
市宿バス停通過して、左を見る
岩槻郷土資料館を振り返る
本町1丁目信号交差点を左折して振り返る

右手の島田自動車さんを通過する。
次の三差路矢印看板を通過してすぐ振り返る
左を見る。

三差路を直進して振り返る

そのまま進むと、突き当たりに岩槻大師弥勒密寺さんがある。
一旦右に進んで、参拝者用駐車場見る振り返る
正面から山門くぐる
本堂を見て、振り返る
境内右手の交通祈祷殿を見る。
反対側の写経剃髪殿を見る。
もとの道にもどる。

山門から出て、左を見る右折する
右手に写経剃髪殿、薬師堂、本堂が見える。

丁字路に突き当たって振り返る右を見る左折する
丸山病院さんに突き当たって、右を見る左折する
大イチョウ根元を見て、上を見る
直進して、交差点右折する振り返る

狭路を抜けて振り返る
左を見る。突き当たりは先ほど通過した矢印看板の三差路である。
私は右折する。左前方に赤い自販機が小さく見える。

2016年9月ストリートビューでそこを見る。2012年8月ストリートビューで見る。店舗の前に自販機があり、その横に丸ポストがあった。
2012年11月私はその丸ポストを写真に撮った

北に進み、ここ右を見るアップする。
三差路直進して振り返る
左手の新町通り標示板を通過し、ここ振り返る
三差路を直進しながら右を見る
続く三差路を直進しながら左を見る
ここで振り返る。


内藤工務店さんを通過し、三差路直進しながら右を見る
直進して振り返る
埼玉縣信用金庫さんの駐車場方面に一旦入って振り返る
新町通りを進み、新町自治会館の前で左(南)を見る。
振り返る。新成寺さんが見える。

2012年8月ストリートビューで見る。
2012年11月写真

新町自治会館を通過し、ここ左を見る
道路幅が少し広くなって振り返る
赤矢印からこのように歩いてきた。
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岩槻駅から新町横町バス停まで

2017年06月16日 | 日記
東武野田線大宮駅2番線に停車中の柏行きに乗る。
岩槻駅の手前で左手の風景を見る
岩槻駅ホームから七里方面を見る。
出口に向かい、階段前左を見る。右を見る。

エスカレーターで上がって、左のガラス窓から西口駅前を見る。
改札口を出て右折する
突き当たりのガラス窓から東口駅前南側を見る。
東口南側に出て、駐車場を見る。振り返る
駐車場を通過して右折する反対側を見る。

南に進みながら右を見る
左手の駐車場を見る
右寄りに進みながら左を見る
次も右寄りに進み、左を見る振り返る

ガードパイプを通過して右を見る
直進して振り返る

南に向かい、ユアーズショップ岩槻さんを通過する
突き当たりで振り返る右を見る左折する
ユアーズショップ岩槻さんの店舗入口通過する
次の交差点振り返る右を見る。左折する。


三差路を直進しながら左を見る
人形町通りを区役所方面に進み、ここ振り返る
三差路を直進しながら左を見る
次の交差点右折する振り返る

芳林寺裏門左折する振り返る
道は突き当たって右折する振り返る
交差点に出て振り返る右折する

芳林寺東門前で左を見る
東門を入って左折する振り返る
みんなが歩いて出来た道を進みながら、右を見る。

案内板をアップする。太田道灌公像をアップする。
振り返る
山門の前に出て、本堂方面を見る。
左折するここで振り返る。

NTTドコモ岩槻無線中継所のアンテナをアップする。
交差点に出て、左を見る右を見る。直進して振り返る

国道122号(日光御成道)に出て、振り返る
左を見る右折する
左手田中屋本店さんの前で、新町横町バス停を通過する。

丸山記念総合病院さんをアップする。
岩槻駅からこのように歩いてきた。
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大宮区天沼町~高鼻町間の産業道路

2017年06月15日 | 日記
2017年06月13日ブログで私は都市計画道路の産業道路を北に向かった。途中で左に曲がり、東町信号交差点で産業道路(県道35号)を横断する時、右を見た(土呂方面)。
二つの道はいずれも「産業道路」という名称であるが、別の道である。
今日はこの二つの産業道路を見てみる。

ヤフー地図で大宮駅の東側を見る。
産業道路(埼玉県道35号川口上尾線)を緑で示す
さいたま市地図情報の都市計画道路地図で大宮駅の東側を見る。
① 産業道路(埼玉県道35号川口上尾線)を緑で示す
② さいたま市都市計画道路 3・3・11 産業道路を赤で示す
計画道路は県道35号の途中から東に分岐し、先で再び県道35号に合流する。
分岐(合流)するところを赤丸示す

南の分岐(合流)するところを拡大する。県道35号は都市計画道路 3・6・93 天沼高鼻線と表示されている。
北の分岐(合流)するところを拡大する。こちらも県道35号は都市計画道路 3・6・93 天沼高鼻線と表示されている。
つまり、産業道路(埼玉県道35号川口上尾線)の赤丸と赤丸の区間は、都市計画道路としての名称は、産業道路ではなく「天沼高鼻線」ということになる。

都市計画道路 3・3・11 産業道路を冒頭のヤフー地図に赤で描くとこのようになると思う。
都市計画道路産業道路の赤丸と赤丸の区間に都市計画道路と交差するところが三箇所(①②③)ある。
ヤフー地図にその場所を示すとこのようになると思う。
都市計画道路地図の交差点①を拡大するヤフー地図に計画道路を描くとこのようになると思う。
都市計画道路地図の交差点②を拡大するヤフー地図に計画道路を描くとこのようになると思う。
都市計画道路地図の交差点③を拡大するヤフー地図に計画道路を描くとこのようになると思う。
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浦和区上木崎にあった大原中学校

2017年06月14日 | 日記
2017年05月30日ブログで私は浦和区大原を、2017年04月21日ブログで大宮区大原を歩いた。
さいたま市の町名「大原」は現在浦和区と大宮区にある。大原は1丁目から7丁目まであり、1丁目から5丁目までは浦和区にあり、6丁目・7丁目は大宮区にある。
政令指定都市になる前は大原1丁目から7丁目まですべて浦和市にあった。平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』の地図
『わがまち浦和』の浦和市住居表示実施状況一覧を見ると、大原1~7丁目は昭和57年8月1日に成立した。

平成13年浦和市発行『浦和市史 通史編Ⅳ』には “ 大原は本来、大字上木崎の字名であるが、大原中学校が見沼地域に移転したことにより、その周辺を大原とした ” との記述がある。
大原中学校については『わがまち浦和』にこのように案内されている。現在地に移転したのは昭和58年4月であり、大原1~7丁目が成立して8ヶ月後に学校が移転した。2017年05月30日ブログの大原中学校

平成25年発行青木義脩著『さいたま市 地名の由来』には “ 大原は本来、上木崎の字であったが、そこにあった大原中学校が見沼田んぼの中に移転したため、新しい町名が学校にちなんで生じた。要するに大原が動いたのである。『武蔵国郡村誌』には字地として大原がある。東西南北とも285間で、村の西方にあるということであるが、とりもなおさず元の大原中学校があった辺りで、今の上木崎4丁目とその周辺である ” との記述がある。

元の大原中学校があった場所を昭和51年の地図で見る。
現在の地図(ヤフー)だとここ(赤文字)になる。
2016年10月29日ブログの写真。(仮称)さいたま市子ども総合センター建設工事をしていた
Bing地図の概観図で見る。工事着工前である。
昭和54年の空中写真を見る。大原中学校を見る。現在の大原中学校の場所を見る。現在の空中写真で大原中学校を見る。

2010年1月私は元の大原中学校があった場所を訪れた。
さいたま市文化財資料室の門から入り、北側の旧校舎と思われる建物を見た。
さいたま新都心方面を見た。
南側の体育館のような建物を見た。

さいたま市立大原中学校ホームページの大原中の沿革を拝見すると、昭和41年(1966)3月10日に “ 体育館兼講堂落成 ” というのがある。これかも知れない。
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大宮区天沼町~東町~大宮駅

2017年06月13日 | 日記
昨日のブログは赤矢印の押ボタン信号交差点で終った。
そこからこのような道筋で大宮駅まで歩いた。
今日のブログは昨日の続きを綴ります。

ファミリーマートさんの駐車場に移動して左を見る振り返る
駐車場内を北に進み、空地に上がって北を見る。振り返る
もとの道(都市計画道路 3・3・11 産業道路)にもどって北に向かい、観音前バス停を通過する。

2010年5月の写真
バス停を通過して振り返る。2010年5月の写真

信号交差点直進する。2011年9月の写真ヤフー地図を見ると「武蔵野銀行天沼(支)」と表示されている。
直進して左を見る振り返る
北に進む。2011年9月の写真。2012年3月ストリートビュー

次の三差路を左折する。振り返る
左折して振り返る

むらかみ接骨院さんを通過して振り返る
十字路左を見る。アップする。直進して振り返る
連続する三差路を直進して振り返る
北に進み、十字路を直進して右を見る振り返る
都市計画道路 3・3・75 大宮中央通線に出て振り返る。

左折して振り返る

道路向かい側のワールドビルさんを通過して振り返る
歩行者スクランブル信号交差点右を見る。左を見る
横断して右を見るアップする。
直進して振り返る
片倉新道を横断しながら仲町方面を見る。下町のタワーマンションをアップする。

バス停南堀の内振り返る
ここは大宮区東町1-61の電柱で道路向かい側を見る。

道路向かい側のさいたま市立大宮東中学校を通過する。

東町信号交差点左を見る。右を見る。県道35号(産業道路)。
直進して東町フラワーガーデン見る
大宮駅東口葬斎センターさんを通過して振り返る
バス停東町一丁目通過する
十字路を直進して振り返る。


氷川神社への道標を通過し、バス停氷川参道を通過する。
氷川参道の信号交差点直進して振り返る
大門町歩道橋をくぐって柏葉アジサイを見る。
バス停大宮区役所を通過し、大宮区役所入口信号交差点の手前で左を見る
直進して右を見る

中央通り中央分離帯の立て看板をアップする。
旧中山道の信号交差点を直進して振り返る
高島屋さんを通過して大宮駅東口駅前広場に入る。
左手一般車用サブロータリー。
右手のバス・タクシーロータリー。2012年11月の写真

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