咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

江戸時代の図書でみる中山道大宮 1

2024年07月14日 | 日記
昭和63年大宮市立博物館発行『わたしたちの博物館 第15号』には蜀山人が見た大宮宿としてこのような記述がある。
大田南畝の『壬戌紀行(じんじゅつきこう)』についてはこのレファレンス事例詳細このように案内されている。
国立国会図書館デジタルコレクション(図書)から壬戌紀行を検索し、(紀行文集続々)を開く。目次から(壬戌紀行 大田南畝)を開く。ページを進めて大宮・浦和辺りを見る。

「桶川の駅わびしき所也」「上尾の駅舎ひなびたり」「大宮の駅舎も又ひなびたり」との記述がある。
ところが熊谷をみると「熊谷の駅にいれば道はば岡部よりもひろく。人家ことに賑ひて江戸のさまに似たり」と記述されている。桶川、上尾、大宮と対照的である。
昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』には(大宮)宿の様子の件で「これらの史料から見る限り、宿は経済的にはあまり栄えていなかったということになる」との記述がある。
ところで「上尾の駅舎」「大宮の駅舎」という場合の「駅舎」とは何のことだろうか?
私は「問屋場」の建物を「駅舎」と呼んだのかも知れないと考えた。
2020年05月10日ブログで中山道分間延絵図の大宮宿を見た。いくつかの名称を加筆した。この絵図に問屋場を加筆するとこの2箇所(茶色文字)になると思う。
現在の地図(マピオン)にその場所(2箇所)を茶丸で示すと概ねこの辺りだと思う。

中山道分間延絵図大宮宿に緑で示した道は大宮氷川参道だと思う。
中山道分間延絵図で大宮宿の北方面を見る。大宮氷川参道を緑矢印線で示す。矢印の方向に氷川神社がある。
土手宿村の中山道から氷川神社の方に延びる道があり、赤で示す。この道は裏参道だと思う。壬戌紀行にはこのよう(赤線)に記述されている。
現在の地図に中山道と裏参道の交差点を赤丸で示す。
2014年11月私は裏参道から中山道に出て振り返った。


中山道分間延絵図で裏参道の分岐点から中山道の南を見ると橋のようなところがあり黄で示す
平成17年さいたま市立博物館発行『ウォーク・イン・中山道大宮宿』には “ 大宮宿と土手宿村の境の用水にその名のとおり、境橋と呼ばれた橋がかけられていました ” との記述がある。私は黄で示したところは境橋だと思う。
大宮宿と土手宿村の境は現在のここ(赤線)ではないだろうか。
コメント
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